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■獣の棲む街―悪意■

在原飛鳥
【0545】【朏・棗】【鬼】
草間興信所のソファに身を沈めて、太巻はしきりにタバコをふかしている。味わっているとは思えない。フィルターのところまで煙草が灰になると、それを吸殻で山積みになった灰皿に押し付けて次の一本を探る。決して広くない室内は、たちまち煙草の煙で白く霞んだ。
「なんにせよ、警察が動き出すのを待って、これ以上犠牲者を出すわけにはいかない」
警察は事態の緊急さを考慮してようやく重い腰を上げたが、未だに捜査令状の発行を待っている状態である。草間興信所に集まった面々に、それを待っている余裕はない。腕を組んで重々しく草間が言い、それに応えて太巻がソファで身を乗り出した。
「岡部ヒロトが根城にしている場所がある。バブルの煽りを受けて倒産した会社の持ちビルで、今はすっかり見捨てられ、建設中のままビニールシートを被ってるってシロモノだ。攫った人間を連れ込むとしたら、多分そこだろう」
事実だけを告げる口調でそこまで言うと、太巻は対面する顔ぶれを見渡す。
「二手に分かれて行動するぞ。一組がヒロトの注意をひきつけ、もう一組が人質を助け出す。ビルへの侵入口は二箇所。ヒロトに気づかれるとまずいんで、侵入する時に特殊な能力は使えないから、注意しな」

獣の棲む街─悪意

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「…つまり岡部ヒロトの能力は空間を移動する…所謂テレポーテーションと、衝撃波。それに異質な力を感知する能力もあるらしい」
白く煙った草間興信所にさらに紫煙を追加しながら、レポートでも読み上げるような口調で太巻は言った。
果たしてその言いざまにはいささかも悪びれた調子がなく、むしろ胸を張っているようですらある。居合わせた者たちはそれぞれにもの言いたげな視線を太巻に向けた。
雁首をそろえたのは五人。神谷虎太郎(かみや・こたろう)、久喜坂咲(くきざか・さき)、大曽根つばさ(おおそね・つばさ)に朏棗(みかづき・なつめ)。いずれも一般人とひとくくりにするには一癖も二癖もある顔ぶれだ。
「どこにでもおるもんやねぇ。この手の人間は」
しみじみ呆れた、と顔に表わして感嘆の吐息を吐いたのはつばさである。中学生だてら退魔師などをやっているせいか、これから殺人犯と対面しようというのに肝の据わり方が半端ではない。
「それで、人質とヒロトのいる場所は分かってるの?」
ソファに浅く腰掛けた棗の隣で膝を揃えていた咲が、きりっとした目を自称紹介屋に向ける。太巻は肩を竦め、
「バブルの名残みてェな廃ビルがある。買い手もつかないってんで、工事途中でほっぽり出された代物だが、ヤツが居んのはそこの三階だよ」
左手で体を抱くように、右手を顎に当てていた虎太郎が声を発した。
「それで…人質は、黒崎君と、もう一人…でしたっけ」
「黒崎狼(くろさき・らん)、それに久遠樹(くおん・いつき)。どちらも同じビルに閉じ込められているのは間違いない。まァ、なんだ。……おれのせいじゃないからな」
「んなこた、わざわざ言わなくてもいいだろーが」
テーブルの上に放置されていたライターを手の中で遊ばせていた棗が、ちらりと視線を上げて太巻を見た。
先に断っておくあたり、後ろ暗い証拠である。白い視線を受け流して、さて、と太巻は足を組んだ。
「作戦は簡単だ。二つのグループに分かれて、一組がヒロトの目をひきつける。一組が人質救出に向かうってな具合で」
指揮でも取るように、両手の人差し指でくるりと円を描く。
「立候補があれば今ドウゾ」
「私は人質救出役で」
すぐに咲が名乗りを上げた。
「人質になってる人たちと、他の皆を護るように頑張るわ。ただ、可能な限り広範囲に結界を張ろうと思ってるから、いつもより集中力が必要になるの。時間稼ぎを…」
「オッケ、俺がやりゃいいんだろ。咲、お前は無理すんなよ?」
咲の視線が棗に向かい、それに片手を上げて棗が受ける。大きな目で瞬きをして考えていたつばさは、結局棗と共に囮組に入ることにしたらしい。最後に残った虎太郎に視線が向いて、彼はゆっくりと顔を上げた。
「私は救出役を。ヒロトの行動を制限するために、囮組の人たちが注意を引いているうちに罠を仕掛けてみようかと」
好きにしろ、と太巻。
「ではそうします。経費は太巻さんもちで」
「なんで!」
…なにはともあれ、役割が決まった。救出組に虎太郎と咲、囮に棗とつばさ、それに太巻という人員配置だ。


□───囮組:朏棗・大曽根つばさ
「んじゃ行きますかっ。俺達の必殺・奥の手っ♪」
まるでテレビの戦隊モノのようなフレーズで、棗の体は光に包まれた。ここでいう「俺達」というのは棗本人と、知り合いであるらしい咲のことで。
「う〜ん、クリソツ……」
「ほんまにソックリや」
光が消え、今まで棗がいたところには、一人の少女が立っていた。つばさと太巻はそれを眺めて声をそろえて唸りを上げる。
整った顔立ちから、黙っていれば令嬢と呼ぶに相応しい外見、きりりと意志の通った瞳まで、そっくりそのまま隣に立つ咲のコピーであった。棗は、咲そっくりの顔で態度だけはやや粗暴にその場に立っている。「必殺・奥の手」とは、つまりこのことである。
「このカッコして、ヒロトをひきつけりゃいいんだろ?まかせときなって」
「ちょっと、言っとくけどくれぐれも私らしく、淑女らしく!ね!!」
グッと親指を立てた棗(咲顔)に噛み付く勢いで咲が文句を言っている。淑女ってどこだよと、黙っておれなかった太巻には後ろも振り返らずに裏拳が飛んだ。
「……努力はするけどさ」
「私のイメージを壊さないで」との咲の要求に、腹を押さえて体を折った太巻を見た棗は神妙に頷いたのだった。

そんなこんなで、つばさと棗、それに太巻を加えた一行は、ヒロトの注意を引きつけるべくビルに侵入した。何度となく一歩前を行く少女姿の棗を眺めながら、太巻はため息ばかりついている。
「なんつーかアイロニー」
「何がだよ」
「お前ちょっと女らしくするとかさぁ、あるだろ?」
「あるもなにも、女じゃねーんだから仕方ないだろ」
と大きく肩を竦めるのも、咲の姿をした棗である。美少女の姿をしてがさつな棗を見るのも、女らしくしている美少女が実は男だと思うのも、どちらも同じだけ耐え難い。…と、太巻は盛大に肩を竦めていた。
「ゴチャゴチャうるさいで、おっちゃん!緊張感ちゅーもんがないんか!?」
最年少のつばさに注意されて、太巻は不満そうに口を尖らせた。男たちの漫才じみたやり取りは、先ほどからコンクリートむき出しのの廊下に反響している。いくら囮役だとはいえ、あまりに目立ちすぎてはヒロトの不審を買いかねない。つばさの言い分を理解したのか、不承不承、二人は不毛なやりとりを中断した。
カツカツ…と心持ち足音を忍ばせて、三人は階段を上がり、目的の三階へとたどり着いた。埃が舞う廃れた色のビルは、動くものもなくひっそりと静まり返っている。顎を突き出すように人の気配を窺っていた棗が、形のいい眉を寄せて呟いた。
「……んで、目的の部屋はどこだよ?」
「女言葉は?」
「どこなのヨ?」
「………」
やっぱキショい、とありありと表情にあらわして、黙って太巻は廊下の先にある扉を示した。埃に濁った白い光に照らされた廊下の先に、ぴったりと閉ざされたドアがある。さすがに三人は会話を止めて、部屋の向こうの気配に意識を集中させた。
耳を澄ませただけで、あたりは突然しんと静まり返る。物音一つせず、互いの呼吸だけがやけに大きく響いた。
扉一つを挟んだ向こうの気配は判然としない。落ちた沈黙を破って、つばさがよし、と息を吸い込んだ。
「正直にドアから入ろう、バーンって。こういうのは蹴破るのが定石や。…たぶん」
「どこのヤーさんの娘ッコだよ」
呵呵と笑って、ズボンのポケットに両手を突っ込んだ太巻がドアに歩み寄った。扉を蹴破ろうというのである。つばさは意識を集中し、いつでも念力による「壁」が作れるように心の準備を整える。その隣で、棗がスラリと涼しげな音を立てて刀を抜くのが、光の軌跡となって目に入った。
太巻が足を上げ、堅牢に部屋を閉ざした扉に振り下ろされた。大した力を入れたようにも見えなかったが、ドォン!と大きな音がビルを轟かせた。メキッとドアがひしゃげ、金属の音を立てて蝶番が弾け飛ぶ。ひしゃげたドアの向こうに、やはり同じように無機質な部屋が覗いた。
その隙間から、空気が揺れる。…と、部屋の内側へと倒れかけていたドアごと、見えない波形が外へ向かって拡散した。衝撃波だ。太巻の体が後ろへ吹き飛ばされ、コンクリートの壁に背中から追突した。ウームと唸って、ふらりと太巻は立ち上がる。咄嗟の判断でつばさが作った「壁」が衝撃を和らげなかったら、コンクリートごと崩れていたかもしれない。
棗が口笛を吹いた。
「すげーな」
もくもくと煙が立ち上がるその先に、人影が見えた。中肉中背、興信所で太巻が見せた岡部ヒロトの写真そのままの顔。
「邪魔しに来たのか。うるさいやつらだ」
不機嫌を露にして、男にしては高い声でヒロトは吐き捨てた。ズイと棗はつばさを背中に回して、愛刀を片手に仁王立ちになる。
「アラアラ、そこのオニーさん。ちょっとお相手していただけないかしら?」
白目に血管の走ったヒロトの目が、ギョロリと棗とつばさに向けられる。棗の背後で、念で創り出した「棍」を手にしたつばさは、部屋の奥をざっと確認した。人が二人、倒れている。
「そこのにーちゃんたち、大丈夫か?」
360度方向に広がるヒロトの衝撃波から彼らを護るべく、つばさはヒロトと人質の間にも「壁」を張った。棍の強度は若干弱くなってしまうが、人質の安全確保が第一である。
「大丈夫!ちゃんと生きてる」
と、意外にしっかりした返事が返ってきた。
「今助けたるで」
つばさの声にチッ、とヒロトが舌打ちする。その鼻に刀の切っ先を向けて、棗がヒロトの注意を引いた。
「余所見はダメよ、オニーさん?」
「邪魔なんだよ、クソアマ!」
ヒロトが拳を握る。衝撃波の前触れだと、気が付いたのは長年培ってきた勘だった。棗は大きく一歩踏み込んで、体の一部のように手に馴染んだ刀を横に薙ぐ。
ブン、と白刃が宙を切り、一瞬前までヒロトが居た空間を切り裂いた。確かに間合いを詰めて捕らえたと思ったのに、あるはずの手ごたえは訪れなかった。
「瞬間移動とかするんだっけ、コイツ…厄介だな」
数メートル離れたところに姿を現したヒロトに向き直りながら、棗は舌打った。刀の切っ先をずらし、棗はヒロトのギラギラ光った瞳を捕らえる。読心術を使うのはあまり気が進まないが、攻撃が当たらないのではきりがない。
ヒロトの瞳を見透かすように目を凝らし、すぅっとその狂気の光に意識を近づけていく。そうして棗が見たのは、白い景色に飛び散った血飛沫だった。
血と内臓の鮮やかな赤とピンク色、脂肪の黄色。目まぐるしくその三色がヒロトの心を透かし見た棗の目に飛び込んで炸裂した。まだ脈打っている臓腑に伸びる指が、それを掬い上げる。唯一白く、黒い眼球に、人差し指と中指が伸びていく。
「お……まえ……」
狂犬のような顔をしたまま、ヒロトは怪訝そうに首を傾げた。心を「読まれた」ことなど、彼には知るよしもないのだ。
棗の体が、体の芯から湧き上がる感情に震えた。まるで電流が走ったように、その衝撃は全身をくまなく走る。
もうずっと昔、記憶の底に葬り去っていたはずだった過去の情景と恐怖を掘り起こされて、バッドトリップして気分が悪くなった。それからふつふつと湧いてくるのは、抑えがたい怒りだ。
棗は硬く拳を作り、内に湧いた怯懦を握りつぶす。
「貴様みたいな奴は絶対許さねぇッ!!!」
吐き捨てる。怒りがそのまま身体に纏いついたようだった。ピリっと棗を取り巻く空気が電気を帯びる。
「おいおい…やべーだろ」
誰かの声が聞こえた気がしたが、それも気のせいだったかもしれない。
「相手の痛みも、辛さも!悲しみも苦しみも何一つッ、感じることないのかよッ!?」
ヒロトの怒りを込めた表情から、するりと感情が抜け落ちた。まるで能面を被ったように、ヒロトは無表情に棗を見つめ返す。
「……ねーよ」
かっとした。その、罪悪感の欠片もない表情に。悪いことだと思ってもいないその顔に。
「皆これから楽しいこともいっぱいあったはずなのに!てめーにそれを奪う権利なんて、あっていいはずがないだろうが!!」
ハッ、と馬鹿にしたようにヒロトは笑った。笑うというよりは口元を歪ませて、明らかに棗を傷つける意志を持った言葉が吐き捨てられる。
「力を持つものにこそ、権利は与えられる。俺には力があった。俺より弱い奴には、元々奪われるような権利なんてものはなかったんだよ!」
目の奥が熱く灼熱を感じたのは、怒りのせいだった。じわりと頭に血が上る。
身体の内側で渦巻いていた感情が、一気に押し寄せて外に噴き出した。
空気がバリバリと異常な音を立てる。棗の身体は、空気を切り裂く雷の衝撃を直に感じた。
ビル全体を轟かせる大音声で、雷はヒロトが居た場所を目指して駆け抜けた。
雷鳴とも爆発ともとれる大音声が、居合わせた者たちの鼓膜を震わせた。身体を音の波が押し寄せる。ビル全体が揺れたと思ったのも、恐らく気のせいではないだろう。
バチバチと焦げ臭い匂いが立ちこめ、ビルの隅々に溜まっていた埃がもうもうと立ち込めた。
沸き立った埃の中に、ヒロトの姿は見えない。
「ヒロトは!?」
逃がしちまった、と棗が周囲を見回した。
「下、だ!下に移動したんだ」
じっと気配を探っていた狼は、そういうなり駆け出した。後を追って、棗もすぐに飛び出していく。
ヘタをすれば、ヒロトが咲や虎太郎たちと対面しかねない。みすみすやられる二人だとも思わないが、女性と、特殊能力をもたない一般人である。人質を救い出した彼らは、無言で階段に急いだ。

□──合流
一階へと雪崩れ込む先陣を切ったのは、咲の姿をした棗である。
「ヒロトはっ!?」
「ちょっと、ミカちゃん!囮になるんじゃなかったの!?ヒロトこっち来たわよ!!」
「わ、ワリィ。ちょっと逃げられちゃって…」
「後で覚えときなさいね!」
ぎゃんぎゃんステレオサウンドで喋る少女二人(一人はニセモノである)の背後で、ばつが悪そうな顔をした狼がひょいと顔を覗かせた。虎太郎が居ることは聞いていたらしく、目が合うと小さく手を振る。
「黒崎君。君という人は……」
「あー。その、怪我はねぇか?」
「それはこっちの台詞ですよ」
呆れて虎太郎はため息をついた。どうやら、狼も無事らしい。
先にやってきた二人の後から、つばさと、もう一人の人質であった樹も太巻に付き添われて階段を下りてくる。
銀縁の眼鏡を光に白く反射させて、樹は居並ぶ人々を見回した。その視線が行き着く先は、忌々しげに肩を上下させて息をついている岡部ヒロトである。
「さすがに、この人数全員を相手にするのは、辛いんじゃないのか?」
音が聞こえてくるほどつよく奥歯をかみ締めて、ヒロトが顔を歪めた。樹の声に応えるように、つばさは棍を片手に身軽に走り寄り、咲と棗の隣に並んだ。
「無駄な抵抗は止めや。逃げ道ないで!」
「そういうこと」
にっこりと微笑んで、咲が手の中に呪符を翻した。すぐ隣で、顎を持ち上げるようにして、咲の姿をした棗が刀を持ち直す。
「折角だもの。両手に花、ということでデートはいかが?」
ジャリ、と階段に散らばる小石を踏んで、狼がゆっくりとヒロトに近づく。
「ヒロト、お前は死ぬのが怖いか?…怖いよな、お前は誰よりも死を恐れてる。だから、自分が殺されないよう、先に人を殺す」
「勝手にほざいてろ」
追い詰められた雰囲気はそのままに、しかしそれを吐き捨てるようにヒロトは笑った。その目には、再び狂気の白い光が宿っている。
「そんなことじゃ、死はお前から遠ざかったりはしねぇさ。その証拠に、ホラ。お前は俺なんかを攫ってきて、今こうして皆に囲まれてるじゃねぇか」
「くだらない空論は真っ平だ!」
ヒロトの周りに吸い込まれるように、空気の密度が変わった。凝縮した空気がヒロトに目掛けて集まり、エネルギーが極点に達したところで、反発する力となって破裂する。
「ムダやで!」
すかさず、ヒロトと他のものたちの間に、つばさが作った壁が生じた。壁はヒロトの衝撃波の勢いを殺し、彼の周りのコンクリートを足元からへこませた力を相殺する。
「おわっと…!」
壁に与えられた衝撃に後ろへたたらを踏んだつばさの背を、太巻の手が支えた。こんな時でも紫煙を吹かしている男は、やはりタバコのにおいがする。
「これで、七対一。…流石に、ちょっと勝ち目がないんじゃねェの?」
背中を合わせて立った咲と棗を筆頭に、居並んだ者たちはヒロトを取り囲む。目ばかりを血走らせて、ヒロトは激しく視線を彷徨わせた。頬が痙攣し、狂気をそのまま顔に映して、その顔は奇妙な具合に歪んでいる。
「食べちゃいたいくらい好きって言うけれど……。本当に食べちゃうのもどうかと思うし。女子供に手をだす輩に、負けるわけにもいかないのよね」
「いっぺん、死んで見るか?還らずの川越えツアーなんて、人生の終わりに一度しか体験できないぜ?」
今は黒い羽を隠すこともなく晒した狼が、虎太郎の脇で腕を組んで笑う。
「いっくら人の勝手や自由やっていうてもな。世の中にはしていいことと悪いことがあるんやで」
「人の未来を勝手に絶っていい権利なんて、誰にもねぇんだよ!」
「人が人として生きるのには、それなりのルールがある。岡部クン、君は人間として従うべき最低限のルールというものを分かっていないようだ」
樹が階段の上から目を細めてヒロトを睥睨し、聞かせるように、虎太郎が刀の鍔を鳴らして見せた。
「私一人が相手なら、まだ逃げる道もあったでしょうが……黒崎君も、他の人も、私より強いですよ」
返事のかわりに、空気が凝縮した。
「……黙れェ!」
ブルブルと何かの予感を持って空気が震え、それは直接の振動になって集まった者たちの頬を震わせた。
音すらも吸い込まれるような、解放の前触れ。
激しい勢いを持って、ヒロトの衝撃波がビル内部を走りぬけた。
衝撃波に耐え切れず、先ほど虎太郎が強度を弱めておいた壁や床に亀裂が走りぬける。まるで重さに堪えきれずに紙が破れるような手軽さで、コンクリートが崩れ始めた。
バラバラと舞い落ちるコンクリートは埃を含み、雪崩れのようにヒロトの上に落ちかかった。
もうもうと立ち込める煙の中に、ヒロトの悲鳴を聞いたような気がする。
コンクリートが崩れる音はひとしきり続き、立ち上る埃が少しは落ち着いてぼんやりながらも崩れ落ちた天井の先が見通せるようになった。
突き出たパイプ、無造作に積み重なったコンクリート。
「……ヒロトは?」
「埋もれてしもうたんか」
「いや………」
頭上を見上げて、元の姿に戻った棗が首を振った。
「屋上だ。…移動したみてぇだな」


□―――屋上
建設中だったビルの屋上には、柵も何もなく、平坦なコンクリートの大地には風が吹き抜けている。
ビル風は強く、傾きかけた落陽に灰色の床が赤い色を帯びていた。バタバタと屋上へと辿り着いた者たちの服を、風が鳴らしていく。
屋上のはずれに、ヒロトは立っていた。埃に服は薄く汚れ、こめかみから伝った血が乾いて、頬に黒くこびりついている。白かったシャツは、崩れてきた瓦礫に擦られたのか、所々薄っすらと赤が滲んでいた。
見晴らす東京の街並みは排気ガスにぼやけ、夕日が黒と赤のコントラストを織り成している。
変な形に口を曲げて、ヒロトが耳障りな笑い声を立てた。
憎悪と狂気に歪んだその顔は、妄執を張り付かせているさまが地獄の餓鬼を連想させる。
「実際あんたらはよくやったよ」
男にしては高い声で、ヒロトはへらへらと笑みを浮かべた。
「正義感ぶって、おれを追い詰めてさ。ああ、本当に大したもんだ」
傷が痛むのか、その顔が歪む。それでもヒロトは狂ったように笑うのをやめなかった。
「何おまえら、関係ないことに首を突っ込んでんだよ。あれか?お得意の正義感ってヤツ?言っとくけどな……」
芝居ぶって言葉をとぎらせたその瞳には、憎悪よりも狂気が強く宿っている。
「ツイてないやつが早死にするのは運命だろ?もっと生きられたかもしれないなんて思うのはバカげてる。そこでそいつの人生が終わるなら、それはそいつの運命だよ。俺に殺される運命だったんだよ」
「君が運命論に逃げて言い逃れるのは君の勝手だが」
喚くヒロトに、不快そうに樹が眉を寄せた。ヒロトは喋り続けている。
「早死にするヤツは、この世に必要ないから死んでいくんだ。俺はその運命に少し手を貸してやっただけだよ。なのに俺を憎むのは逆恨みってやつだろう?」
「あなたが運命を騙って人の人生を左右することこそ、間違っていると思うんですがね」
虎太郎が眉を寄せる。
けたたましくヒロトは笑った。不快感を露わにした者たちを眺め、それが楽しくてたまらないと言うように笑い続ける。
笑い声は、突然ぴたりと収まった。狂気に占領されていたヒロトの瞳に、憎悪の暗い炎が再びちらつく。
「俺の邪魔をするな。俺がバカな人間どもを何人か殺したからなんだっていうんだよ。お前らだって俺に腹を立てたんだろう?だからここに居るんだよな?俺だって同じだよ。いざとなっちゃヒィヒィ泣き喚くしか能のないヤツらに嫌気が差したから殺したんだ。お前らに、偉そうに俺を糾弾する権利があるっていうのか!?」
屋上へと追い詰められたヒロトは、唾を飛ばして吐き捨てる。その顔に罪悪感は見られなかった。
息を吸い込んで、ヒロトは再びだらしなく口を開き、顎を上げて集まった者たちを見下した。
「俺とあんたらと、一体どれだけ違うっていうんだよ」


東京の街には、夕暮れ前の涼気を含んだ風が吹いている。
遠くに望む東京湾にともり始めた明かりは、場違いなほどに綺麗だった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
・0565 / 朏・棗(みかづき・なつめ)/ 男 / 797/ 鬼
・1411 / 大曽根・つばさ(おおそね・つばさ)/ 女 / 13 / 中学生・退魔師
・1614 / 黒崎・狼(くろさき・らん)/ 男 / 16 / 逸品堂の居候
・1576 / 久遠・樹(くおん・いつき) / 男 / 22 / 薬師
・0545 / 久喜坂・咲(くきざか・さき)/ 女 / 18 / 女子高生陰陽師
・1511 / 神谷・虎太郎(かみや・こたろう)/ 男 / 27 / 骨董品屋



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NPC
 ・ 太巻大介(うずまきだいすけ)/ 男 / 不詳 / 紹介屋 
  正体不明。何故か朏とノリツッコミを繰り広げてみた。
 ・岡部ヒロト/ 連続猟奇殺人事件の犯人。

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■         ライター通信          ■
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お疲れ様です!というかここまで読んでいただいてありがとうございます。
一人で先に楽しませていただきました。
棗君は若者らしくてよいですなー。咲ちゃんに変身したとき、スカートとかはいているんだろうかと妙にマニアックに考えた末、素直にやめておきました…(賢明)
実際に小説でかかれるような事件が現実に起こっていたりもして、なんともなんともな世の中ですねえ。
ま、それはともかく、遊んでいただいてありがとうございました!書いていてとても楽しかったです。
これからも、気が向く限り、どこかで見かけたら「しょうがねえな」という感じで遊んでいただけたら幸いです。
とりあえず夏ばてには気をつけて、クーラー病にも用心しつつ、楽しい夏をお過ごしください!

在原飛鳥