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■漆黒の翼で 1■

山崎あすな
【1431】【如月・縁樹】【旅人】
【 序曲 -オーバーチュア- 】

 まったく、なんだって言うんだ。
 悪態ばかりが漏れるのも、仕方がないだろう。
 だからといって、このまま引き下がるのも腹が立つ。
 何がなんだかわらかないままに襲われ、追われ――今にいたっているのだから、せめて理由ぐらいは聞かなければ。

 まぁ、店は「CLOSE」の看板を出して、電気は消してきたしかまわないかぁ……。

 などというくだらないことを考えながら、漆黒の片翼を背負った男――ファーは大きなため息を漏らした。


 時間は少しさかのぼる。
 何一つ変わらない日常の中を、今日も紅茶館「浅葱」のウエイターとして働いていたファーは、軽快に鳴り響くカウベルに反応して「いらっしゃいませ」と一言漏らした。
 めずらしく、午後の三時――おやつどきだが、客は一人も入っていない。
 そこに、久しぶりの客。
 水を用意して、腰をおろした客の下に運ぼうと思ったが、その動きが完全に止まる。
「な……」
 信じられないほどの静寂の中に、うっすらと感じ取った殺意。殺気。けれど――熱を感じさせない冷たさの中に、それは存在した。
 今まで感じなかったものを突然感じ取ったのだから、異端者として平穏な空間の中に入ってきた存在が、感じさせているに違いない。
 水を持っていきたくないと思う反面、このまま放っておいても危ないと思う気持ちもどこかに存在する。

 また厄介なことが持ち込まれた……。

 なぜかこの紅茶館「浅葱」という空間には、厄介ごとが持ち込まれやすい。そして、ファーは常にそれに巻き込まれているのだ。
 いい加減嫌気が差している。
 だからといって――この殺気を無視するわけにはいかない。
「ご注文は?」
 水と氷が入ったグラスを静かにテーブルに置くと、いつもの通りに声をかける。そこでやっと、ファーは客の顔を見ることがかなった。
 不気味――とも思えるほど、真っ白に染まった肌。どこも焼けた後なんて見られない。それにあわせるかのような見事な白髪。開かれた瞳から覗くのは――緑の瞳。
 見たところ、十代後半といったところだろうか。人形のように綺麗な少女だった。
「――そう、やはりそうなのですか……」
 突然、口を開く少女。
 落ち着いたというよりも、感情が一切こもっていないような、その台詞。
「え?」
 自分が話しかけられたのだとばかり思い、思わず聞き返すファー。しかし、それは自分への言葉ではなかった。
「わかりました。では――狩りましょう」
 刹那。
 音も立てず、ただ静かに振り下ろされたものがなんだったのか、ファーには理解することができなかった。
 けれど本能が、自分をその「攻撃」から回避させた。
「……貴方を狩ります」

 よく見れば、彼女は自分の身長ほどある大きな鎌を担いでいる。
 多分さっきは、あれが振り下ろされたのだろう。

 よく避けた。

 自分を自分で、ほんの少しだけ褒めながらも、投げかけられた言葉の意味がよくわからなくて、疑問符が頭に浮かぶ。
「私は、ダークハンターと名乗っているもの」
「俺が何をした?」
 彼女が何かも気になったが、とにかく今はそっちのほうが気になった。
 しかし、彼女はファーの問いに口では答えない。もう一度振り切られた大鎌が、その答えだと物語っているかのように。

 話はできない。
 だったら――逃げるしかない。


 わけもわからずに殺されるなんてごめんだ。
 せめて、話ができる相手だったら――
「どうしたもんだか……」
 ため息混じりにつぶやいた言葉。空に輝いていた太陽は夕陽に変わり、もう沈みかけている。
 つい先ほどやっと、追ってくる少女を振り切ったところだ。店に帰りたいが、このまま帰ってしまったら、自分の居場所を相手に告げているようなものだ。
 だからといって、頼れる知り合いもいないこの街で、どこに行けと……?
 路地を抜け、表通りに出る曲がり角が目の前に見える。

 ドンッ

「っ……」
 あまり辺りを見渡していなかったファーは、ちょうど角を曲がろうとした瞬間、誰かとぶつかった。
【 漆黒の翼で - 序曲 - 】


 ぼーっとしているつもりは毛頭なかった。まさか、路地から大通りへ出た瞬間に人とぶつかるとは。衝撃を受けて、あわてて足を止めると、すぐ先に見えた人物へと頭を下げる。
「すまなかった。大丈夫か?」
 大した衝撃ではなかったが、大通りの人ごみの中で座り込んでしまっている。
 見事なアッシュグレイの髪に、自分と同じ――いや、自分よりも少し黒に近いかもしれない――真紅の瞳。服装はどこかゴシック的な雰囲気を漂わせる黒一色。目がパッチリとした、かわいらしい女性。
 十代後半か、二十代に入っているか。外見だけでは、ファーには判断できなかった。
『縁樹! 大丈夫か!』
 と。そんな彼女に手を差し伸べた瞬間、どこからともなく声がして、思わずファーは目を点にした。
「……え?」
『おい! そこのおまえ! 縁樹に何するんだ!』
「僕は大丈夫だよ、ノイ。だからナイフはしまってよ」
 驚きを隠せないまま、握られた手に力を込めて、彼女が起き上がるのを手伝う。
 一体どこから声が。そんな気持ちを口にしていたのか。そうでなくても顔にありありと出ていたのか。
 ファーの疑問を晴らすように、明らかな「男の子」の声が響いた。
『とにかく縁樹に謝れ!』
 立ち上がった彼女の肩に、大きく両腕を動かして自己主張する存在。ナイフを手に持ってぶんぶん振り回している。
「あ……悪かった。上が気になって、前を見ていなかったんだ……」
 言われて、あらためて謝罪をするファーに、大きく首を振る彼女。
「とんでもないです。こちらこそごめんなさい」
 謝りながら彼女は、落ちてしまった帽子を拾い、砂埃をはたく。
「ところで、上が気になって……ですか?」
「あ、ああ」
 ふと言葉に出してしまったが、上を気にしながら歩いているなんて、妖しいことこの上ないだろう。
 だが、ファーの今の状況からすると、後ろを振り返るよりも、上からの襲撃が気になって仕方がない。
 自分を狙っているあの少女が――確かに空を飛んでいる姿を見ているのだ。
『今日は天気いいし、雨なんか心配ないだろう?』
 肩に乗っている小さな存在からの突っ込み。
 あ、そうか。雨の心配をしていると思われたのか。
「今朝の天気予報でも晴れるって言ってましたよ」
 すっかり勘違いされたらしい。
 だがそのほうがいい。追われているなんて感づかれたら、それこそ妖しい人物になってしまう。
 ただ、通りすがりにぶつかっただけの女性を巻き込むわけには――

 そう、思っていた矢先。

「ちっ!」
 舌打ちと、胸裏での悪態一つ。
 感じたのは計り知れないほどの殺気。
 背筋が凍りつき、動きを思わず静止させられてしまうほどのもの。だが今ここで立ち止まってしまっては、黙って的になるだけだ。
 それではここまで逃げてきた意味が無い。
「――先を急いでいるんだ。すまない」
 ぶつかってしまったアッシュグレイの髪の女性に声をかけ、この場から離れなければと感じたファーは、足を急がせようとした。
「追われているんですか?」
 しかし彼女は、走り出したファーの横をついてきてしまう。
 言ってきた言葉は、的を得ていた。頭の回転が早く、状況を掴むのがうまいようだ。嘘の否定は彼女には通用しない。ならば肯定して、早く自分から離れてもらうのが一番だ。
「ああ、そうだ」
『おまえ、凶悪犯じゃないだろうな!』
「意味がわからず追われている。その理由を知るために、今は逃げているんだ」
 淡々と小さな存在へと言葉を返す。すると、
『縁樹! なんだか危ない気がしないか? 関わるの、よそう』
「そうしてもらえると、大変ありがたいが……」
「そう言うわけにもいかないよ。だって今、後ろから感じてる殺気、普通じゃない。しかもその殺気を、わざと飛ばしてきてる」
 彼女の言うとおりだ。一つも間違いはない。
 消そうと思えば一瞬も感じることなく間近まで近づいてこれるのだろうが、わざとこちらへと飛ばしてきている殺気。
 何を思ってあの少女がそうしているのかはわからないが、まるで――
「追い込まれてる……」
 緊迫感。
 緊張感。
 極限まで高められた感覚が、余計にあの殺気を恐れている。
 逃亡意識を増幅させている。
『こいつが悪いことしたからかも知れないだろう!』
「悪い人には見えないよ!」
 はっきりと言い返されて、口をつぐむ。
「自分とぶつかって転んじゃった人に手を差し伸べる人が、悪い人?」
『……違う』
「しかも、ノイが謝れって言ったときもすぐに謝ってくれた。別に自分だけが悪いわけじゃないのに」
『……そうだね』
「だから、いい人だと思う。そうですよね?」
 走りながらこちらに話題を降ってくるが、首をうなずかせにくい投げかけだ。
『即答しないぞ! やっぱり悪い奴なんじゃないかっ?』
「ノイ。今の質問、普通答えにくいって。むしろ今の質問で肯定されたら、そのほうが人物疑うよ」
『うっ……』
 ナイスコンビだ。やり取りを聞いていてあきない。
 いや、今はそれどころじゃない。二人のやり取りに関心している場合ではない。
「そんなわけで」
 どういうわけだ。という突っ込みはさすがにしなかった。
「事情、聞かせてください」
「いや、まさか巻き込むわけには……」
『そうだ、そうだ! 危険なことに首突っ込むなんて、よくないぞ!』
「でも……」
 帽子をかぶりなおした頭だけを振り返らせ、背中というか頭上というか――とにかく、後方の空から感じる殺気を見つめる。
「やっかいそうな、相手ですし。話ぐらい聞かせてください」
「いや、だが……」
「それに、行く当てもなく逃げてるばかりでは体力がどんどん落ちていって、そのうち動けなくなってしまいます。もし撒けるのであればかくまいますよ」
「初対面の得体も知れない男に、ずいぶん親切なんだな」
『そーだ、そーだ! 縁樹、家に上げるなんてやめておけって!』
「ノイ」
 小さな存在の言葉を制すと、彼女はファーの顔を見つめて一言。
「僕は甘いものの香りがする人に、悪い人はいないって思ってるんです」
 思わず、自分の袖の辺りの香りをかいで見るファー。
 そこからは確かに、紅茶と、いつも作っているホットケーキやパフェなどの甘い香りが漂っていた。

 ◇  ◇  ◇

「空の上から観察されているのに、どうやって撒きましょうか?」
 その疑問を晴らす術を、ファーが持っているのならとっくにやっているのだろう。引き離してはまた、追いつかれ、また引き離し。先ほどからそんなことを繰り返しているのだから。
『空から見えないところって言ったら、地下なんてどうだ?』
「あぁ……そうか。その手があったか」
 少しの間かくまってもらうことを決めたファーは、二人に簡単ないきさつと名を名乗った。
 先ほど突然襲撃され、追われていることを真剣に言葉にすると、小さな存在――ノイと、その主人であるアッシュグレイの髪の女性――縁樹はファーがどれほど理不尽な立場にいるか、理解してくれたらしい。
 ノイは相変わらず自分のことを「敵視」しているようだが、「悪者」としては見なくなった。それだけで、ファーにとっては十分だった。
「ファーさんが逃げてきた道を考えてみると、まるでわざと、人の多いところから少ないところへと追い込まれているようです。そこで始末するつもりだったんでしょうね」
「……そうだな、始末されるんだったんだろうな……」
 笑顔でそんなことをさらっと言ってみせる縁樹。
「ですが、ノイの言うとおり、このまま地下街へ逃げ、地下鉄に乗ってしまえば……人も多いですし、何とか撒けるかもしれません」
「この会話、奴に聞かれていないといいが……」
 そんなに大きな声で話をしているわけではないが、その心配はないとは言えない。確認も込めて回りを見渡すが、見えるものは大通りの人、人、人……。
「殺気は感じませんけどね」
『いないだろ。さっきのとこから、ずいぶん走ってきたし』
 ノイの言うとおりだといいが。
「それじゃとにかく、地下に行きましょう。ファーさん」
「ああ……」
 一つ首をうなずかせて、足を進めようとした――が。
「これ以上、人の多い場所へ行かせるわけにはいきません」
 立ちふさがった少女。
 雑踏にまぎれた大通りの中で、何の違和感もなく、何の変哲もなく、だが――この平和な空間にいるには、明らかに不釣合いな――
「……何者ですか?」
 問いかけたのは縁樹。厳しい視線をぶつけるファー、そしてノイ。
「私はダークハンター……」
 大きな鎌を左手でしっかりと握り、面でも貼り付けたかのような無表情で視線を返す。
「貴方はいつか、人に害をもたらす」
 交互に縁樹とファーを見比べてから、ファーを捕らえた、どこまでも吸い込まれそうなほど深い瞳。
 距離はある。
 この距離ならば、一瞬で縮められたとしても、逃げる自信はある。
 けれど――このこみ上げる恐怖はなんだ。

 どこか……自分の内側から沸き起こっているような――不思議な感覚。

「だから……狩ります」
 謎は深まるばかりだ。
 確かに、わけがわからないまま追われるということは、これでなくなった。
 ダークハンターと自分を称した少女は、ファーを追う理由を話したのだから。
 しかしそのおかげで、また謎が増えた。
『人に……害?』
 ノイが首をかしげながら疑問を上げるが、答える声は聞こえない。
 あたりは変わりなく、大通りの賑わいを見せているというのに、自分たちがいる部分だけが切り抜かれ、別世界にいるかのよう。
 嫌な汗が吹き出てくる。
「――俺が、人に害?」
 笑わせるな。なぜ、そんな話になる。
 そう言ってやりたかったが、なぜかその言葉は口を割らなかった。
「そう。だから――貴方を狩る」
 問答無用。まさにその言葉が一番似合うこの状況。
 関係のない人々を巻き込んででも、自分をその鎌で狩ろうとする少女が間合いを詰める。
「そんなことはさせない!」
 縁樹がノイの背中についているチャックを開け、そこから銀色に輝く銃を取り出す。すると、銃口を少女に向けるのではなく、空高くかざした。
 そして一つ、発砲させると……
「え?」
「なに?」
「銃声?」
 響き渡った銃声に、足を止めてこちらを振り返る通りすがりの人々。いっきにそこは人だかりとなった。
 人が集まり、注目していることにためらいを見せた少女。彼女の動きを一瞬ではあったが完全に封じることになった。
 そこでノイがナイフを少女目掛けて投げる。それに気を取られている隙に、「ファーさんっ!」と一つ声をかけると、彼は縁樹が狙うことに気がついたようだ。
 首を軽くうなずかせて、いっきに人ごみに向かって走り、まぎれるように間をぬって行く。
『大成功、だね。縁樹』
「うん。でもまだ不安は残るから、このまま地下へ」
「ああ。わかった」
 大通りを駆け抜ける彼らの背中を、静かな視線はしっかりと追っている。しかし――その場から、身体を動かすことはなかった。

 ◇  ◇  ◇

『ふわぁ……うまく撒けたみたいだぁ。もう追ってこない』
 さすがにこの場所までは悟られないだろうから。
 縁樹がそう言って案内してくれたのは、彼女自身が家として利用している、マンションの一室だった。
「この客室は使ってないから、好きなように使ってください」
『おーい、縁樹。本当にこんな奴のこと、かくまうのか?』
「そうだよ」
 はっきりと言い返されると、この小さな存在、どうも言い返せないようだ。言葉を詰まらせて、納得していないという表情を全面に漂わせながら、ファーをじっと見つめた。
「なんだ?」
 さすがにその視線は痛いと感じたのか。それともただうっとおしいと感じたのか。理由はわからないが、ノイへと言葉を返すファー。
『別に……』
 ま、手は出さないだろうから、いいとするか……ストイックそうだし。
 ノイが胸裏でそんなことを思っているとはいざ知らず。縁樹は客室を案内したあと、バスルームの使用方法を説明した。
「これで……とりあえず不自由はないと思う。でも、何かあったら気軽に言ってくださいね」
「……見ず知らずの他人なのに、よくしてもらってすまない」
 深く頭を下げるファーに、縁樹は大きく手を振って否定をする。
「そんな、頭上げてください! ただ、とても狙われている理由が理不尽なような気がして……放っておけなかっただけです」
「そうか……」
 それにしたって、よくしてもらっているとファーは感じる。
 こんな男をかくまったら、いつ自分も狙われるかわからないというのに。

 心が暖かい人……なのだろう。

「詳しい話、落ち着いてからでいいから聞かせてください。ファーさんが、人に危害を加えるなんて、とても考えられない。きっとあの女の子も話せばわかってくれますよ」
「だと……いいな」
 これ以上詳しく話をすることなんて、実際にあるかどうかわからない。
 だが、彼女になら思い当たる節を全部話してみよう。
 そう思えてしまうほど……

 彼女の心は、暖かさを宿してくれる。

「迷惑をかけて……すまない」
 ポツリとつぶやいた、謝罪の言葉。
 それは、バスルームを出て歩き始めてしまった縁樹には届かなかったようだが、しっかりと――

『……いい奴、なのかもな……あいつ』

 ノイの耳には届いていた。




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■       ○ 登場人物一覧 ○       ■
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 ‖如月・縁樹‖整理番号:1431 │ 性別:女性 │ 年齢:19歳 │ 職業:旅人
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■       ○ ライター通信 ○       ■
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この度は、発注ありがとうございました!
初めまして、如月縁樹さん、そしてノイさん。ライターのあすなともうします。
「漆黒の翼で」シリーズの第一話目、いかがでしたでしょうか。

とにかく、縁樹さんとノイさんのテンポの良い掛け合いを目指し、会話を多く
書き上げてみました。お二人はとても動きのあるキャラクターで、どんどんフ
ァーを引っ張っていってくれました。二人のテンポの良さに圧倒されながらも、
少しずつファーがその中に参加してゆければと思います(苦笑)

楽しんでいただけたら、大変光栄に思います。
また、第二話目の執筆も行っておりますので、もう少々お待ちください。
それでは失礼いたします。この度は本当にありがとうございました!また、お目
にかかれることを願っております。

                           あすな 拝