■【月空庭園】月の輝く夜に■
秋月 奏
【1261】【神名・恵志】【冒険者】
さわさわ、さわさわ、と。
風が静かに木々を揺らした。

眠れない、と言う訳でもない。
何をしようと言う訳でも。

――ただ、あまりにも空に浮かぶ月が見事だったので、アルマ通りを抜け、いつもなら意識しないだろう道へと足を踏み入れた。

幾らか歩を進めると、何時からこの場所に建っていたのだろうか、古めかしい造りの門があった。
ゆるり、近づけば、柔らかな花の匂いが鼻腔を擽る。

そうして。

「――おや、お客様かな? いらっしゃい、良ければ一杯のお茶でもどうかな?」

門番らしき人物に声をかけられ、驚き、更には訝しげな表情を浮かべるも目の前の人物は笑ったまま。

「何、怪しげな勧誘ではないから安心しておくれ。あまりに月が綺麗だし……そうだね、お茶に付き合ってくれたらお礼に君の好きな花を贈呈しよう」
だから、と門番は言葉を続ける。
「良かったら君にとっての思い出話でも聞かせてくれないかな? もしかしたら懐かしいものを見せれるかもしれないよ?」
――と。

ぱちぱち、灯りが、まるで弾けるような音を響かせた。
【月空庭園】月の輝く夜に

 月が綺麗な晩は、人は少しばかり感傷的になるらしい。
 然程、いい男だったと今でも思えないが、それでも、まあ……相性は悪くなかった。
 悪くは無いから、此処まで続いて来た筈なのだ。

 なのに。
 それ、なのに。

 何故か、今夜になって振られてしまったのである。
「オイオイ、ちょっと待ってくれよ!」と思うものの、時は巻き戻らない。
 どれだけ許しを請うても、脅迫しようとも相手の心は磨き上げられ彫りこまれた彫像のよう、変化さえ見せることもなく。
 故に、神名・恵志(かんな・けいし)は、その鬱憤を酒にぶつけた。
 振られた男は一杯飲んで酔っ払うのが美しいのさ、と言う己の美学に従い、そうした訳だが、今度は不思議な事に…いいや、ほろ酔い加減だったからかもしれないが……庭園へと迷い込んでしまい、
「ああ、俺は此処で一晩明かして誰に看取られることもなく朝になったら冷たくなってるんだな……」
 等と、振られた直後にありがちな後ろ向きな酔っ払い発言を呟きながら瞳を閉じた。
 そうだ、いっそ寝てしまおう。
 そして自分を振った奴に自分を忘れられなくしてやるのだ。
「おやおや……」
 呆れたような声に恵志は閉じていた瞳を開く。
「眠るにはまだまだ早すぎるんじゃないかな?」
 そう言った姿は女性か男性か、酔っている所為か判別がつかず……神名はやおら立ち上がり、声をかけて来た人物へ手をかけた。
「なあ、あんた。男か、女か……どっちだ?」
「は、はあ?」
 驚いた顔に神名は、「こんなに綺麗な顔立ちなら女の筈はないな。男に違いない」とは思っているものの、聞かなくては「確定」とは言えない。
 拠って、更に手に触れていたのを肩に切り替え、思い切り良く揺さぶった。
「はあ?じゃなくて、性別だ、性別!」
「と言うか、見て解らないようでは余程酔っていると私は」
「んー……? じゃあ、男でいいんだな、おし、男で決定!」
「………まあ、元々そうだしね」
 肩をつかまれた人物は、そのまま頷くと「さて」と言い、やんわり手を解いた。
「お茶を飲もうと思っていたのだけれどね…貴方には」
「茶? 忘れたいことがある時は茶より酒だ!」
「ああ、やはり、そう言うものなのだね」
「何が”そう言うもの”なんだか…いいから、一杯、付き合いな」
 そうして、神名は漸く名前を聞く事を思い出した。
 性別を聞いたり掴んだりしていたものの肝心な事を聞き忘れる辺り、実は酔いが深いのかもしれない。
「なあ、あんたの名前は?」
「カッツエ。貴方は?」
「俺か? 俺は神名・恵志。職は……しがない冒険者って所かな」
 で、今は酔っ払ってる最中なわけだ。
 やれやれと自分を笑う様に肩をすくめると神名は、立ち上がり歩き出した。
「ほら、一杯の茶があるって事は酒もあるんだろ? 少しくらい酔っ払いに付き合っても罰は当たらんと思うがね」
「そうだね。では、付き合うとしようか」
 同じように肩を竦めてカッツエも歩き出した。





 神名が居た故郷ではこの様な逸話がある。

 恋人と共に出かけた青年は、河の近くにある、青く、美しい花を摘もうとした。
 けれど、花の美しさに心奪われていたのだろうか、それとも、恋人の喜ぶ顔を見たかったのか――取りあえず、後者だろうと神名は思うのだが――、取ろうと懸命になり過ぎた結果、河の流れへと巻き込まれてしまう。

 河の流れへと巻き込まれ、自分の命、此処で潰えると知った青年の心は何で占められたか、解る者は居ない。
 その、青年以外は。

 が、最後。
 摘んだ花を恋人へと投げ「私を忘れないで」と言い、流れの中へと消えた心は勉強になるものだ。

 その、青い花の名前は。
 forget-me-not……日本語では「勿忘草」と言う、花。

『私を忘れないで』

 そうして、恋人はその青い花を生涯、髪に飾り続け、恋人を忘れることはなかった。

 私を、忘れないで――………そう言った恋人の言葉を、違える事など、なかったのだ。





 お茶よりも酒!
 そう言った神名の希望を反映して、テーブルの上には、グラス一つと何本かのボトル、ロックアイスとミネラルウォーターが置かれた。
 つまみらしいつまみは然程なく、急いで切って来たのだろう、サラミとチーズの盛り合わせのみだったが、 神名はそれでもいい、と思えた。
 今は、食べるよりも飲みたい気分の方が強い。

「あんたは飲まねーの?」
「それほど、酒というものは好きではなくてね」
「へえ、珍しい……俺なんか忘れたいことがあるたびに酒を飲むけどな……」
「忘れ方は人それぞれだろうと思うよ。神名さんがそうした忘れ方を選ぶなら、それも一つの選択だし、私の忘れ方が違うと言うだけでね」
「まあ、それもそうか。じゃ、頂きます」
「どうぞ」
 水割りを作りながら、神名は、視界へ入る地面を見た。
 立っているのは土の上。
 そうして、この立っている場所こそ神名の居る世界だ。

 忘れないでと花を投げた青年は、急流へと消える。
 つまり、此処ではない違う場所に居るわけだ。

 恋人に贈るために花を摘んだのに、この世界を置き去りにして消えてしまう。

(やりきれんなあ………)

 消える方はそれで良いのかも知れない。
 だが、遺された方は?
 忘れられない面影を抱いて、髪に花を飾って帰らない人を待つ気持ちは?

 何処へ行こうと記憶は、着いてくる。

 地面から視線をそらすと、まだ、綺麗に混ぜ合わされてない酒を流し込むように飲み干す。
 酒本来の強さと、水の冷たさが相まって、腹辺りが燃えたように熱くなり不快感を増していく。
 けれど、思い出を思い出していく作業よりは、マシな不快感だ。

「忘れないと決めた。なのに、どうして飲まずにいられなくなるんだろうなぁ」
「そうしないとやってられない時もあるよ」
 人には感情と理性の間で悩むと言う事が多々あるのだから。

 そう言って彼は薄く微笑う。

 ああ、何だかその笑い方は記憶の彼方に居る奴と良く似てる……そんな言葉も言えず、神名はグラスを置き、
「なあ、あんた、何か話してくれ」
 と、逆に切り替えした。

 酔った自分が語りだせばキリがない。
 言わなくてもいい言葉までが出てしまいそうで辛い。

 どうすれば人は思い出と上手に付き合って行く事が出来るのだろう?




「何か………と言われてもね」
「何でも良いんだ、本当に」
「じゃあ、こんな話を。昔々の話で申し訳ないのだけれどね」

 とある小国があった。
 その国では巫女が一人選ばれ、祀られる。
 一人の巫女は生涯、城から出ることは叶わず一生を城――、牢の中で終わらせる。

 が、その時代の巫女は違った。

 忌み嫌われ、あまつさえ巫女ではないと、魔女だと言われ、火あぶりに処せらた。……その様な事にならぬ為に、一人の青年騎士が奔走したとも言われるが真実は誰の身の上にも語られることなく沈黙だけが降り積もることと成る。

 何故なら。
 魔女と呼ばれた巫女の死体は焼けなかったからだ。
 燃え盛る火を見た。
 藁も全て焼けた。
 なのに、巫女の体のみ焼けることがなく、美しいままで事切れていた。

 その後、巫女の代わりがすぐさま選ばれ国は繁栄を続けたが、彼女の死体は何処に飾られることもなく、また誰も、その死体に手をつけることはなく……何時しか、その体は消えていった。

「野犬が連れて行って食べたのだと言う説もあるが……実は巫女は違う場所へ行ってしまっただけなんだ」
「土の上じゃないところへか?」
「そう。夢の岸辺に」
「青年はどうなった?」
「さあ……彼は巫女の事など忘れ幸せな家庭を築いたか、または、巫女を探して放浪の身となったか……」
「どちらにしても思い出は残るんだな」
「残らない思い出はないよ」

 カラン……

 汗をかき、小さくなったロックアイスがグラスの中で揺れた。
 酒は入っておらず、氷から出来た水だけがグラスの中に溜まっている。

「……ひたすら、溜まっていくだけか」
「その通り。それがまた楽しくもあり、切なくもあり、かな」
「成る程なあ……なあ、後、少し気になったんだけどさ」
「何かな?」
「その小国に、あんたは居たのか?」
 居たとしたら、何処で、何を――いいや、その前に連れて行ったのは目の前の人物ではないだろうか?
 神名の前に疑問ではなく、はっきりとした確信だけが浮かぶ。
 だが。
 目の前の人物は眉間に軽く皺を寄せたかと思うと直ぐに元の表情に戻り、
「お替りでも飲むかい? 作るよ」
 とだけ言って、やんわりと話を打ち切った。
 ああ、やはり、と神名は思う。

 誰にも告げずに、自分の心の中だけで隠して居られる事も人の思いの中にはある、らしい。
 ならば。

(今、無理することは無いのかも知れない)

 暫く色々なことが自分の胸に痛みをもたらすだろう。
 振られたことも、消えない過去の思い出も、全て自分一人のものだけに。

(だとしたら……無くせはしないな)

 軽く首を振り、つとめて明るい声で神名は、カッツエの問いかけへと答えを返す。

「ああ、頼もうかな――、でも、上手に作ってくれよ?」
「混ぜずに飲み干させるような真似はしないよ」
「……痛いところを突くな、あんた」
「それは、お互いさまと言うことで」

 だが、だからこそ。
 いつか、きっと残された足跡を消さずに上手く歩んでいけるだろう事を、願っている。

 二人の間で一つのグラスが、軽やかな、音を立てた。






―End―

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■   登場人物                  ■
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【1261 / 神名・恵志  / 男 / 28 / 冒険者】

【NPC:カッツエ】

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■        ライター通信           ■
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神名・恵志様、こんにちは。そして、お久しぶりです。
ライターの秋月 奏です。
今回はこちらのゲームのベルにご参加、本当に有り難うございました。
そして、素敵なプレイングも有り難うございます(^^)
とても楽しく書かせていただきました…勿忘草の逸話はとても哀しく
花言葉を見ていましても、何かいわくのある花だろうと思っていましたが
そういう花だったのだなあと……人は忘れるから生きていける、と言う言葉があります。

無論人によっては忘却が罪、と考える人も居るでしょうが
神名さんのように思い出と上手く付き合っていくには、ほんの少し、痛みを
忘れていくことから始まっていくのかもしれませんね。

存在や思い出を消していくのではなく、引き出しに、そっと仕舞っていく為に。

それから、今回門番がした門番の思い出ですが、一夜のお話として
しまってもらえたら嬉しく思います(^^)
門番もとても楽しくお話させていただけたと感謝しております。

それでは今回はこの辺で。
また何処かにて逢えることを楽しみにしつつ……



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