■真白の書■
珠洲
【2872】【キング=オセロット】【コマンドー】
 誰の手によっても記されぬ白。
 誰の手によっても記される白。

 それは硝子森の書棚。
 溢れる書物の中の一冊。

 けれど手に取る形などどうだっていいのです。
 その白い世界に言葉を与えて下されば。
 貴方の名前。それから言葉。
 書はその頁に貴方の世界をいっとき示します。
 ただそれだけのこと。

 綴られる言葉と物語。

 それが全て。

 それは貴方が望む物語でしょうか。
 それは貴方が望まぬ物語でしょうか。



 ――ひとかけらの言葉から世界が芽吹くそれは真白の書。

■真白の書−空の眸−■



 私が一番印象強く覚えているのは何よりもその豊かな金の髪。
 変わりなく落ち着いた空気をまとっておいでになられたキング=オセロット様は、それを一つに束ねて今日もペンを取られています。
『先日は楽しませていただいた』
 そう仰って、ありがとう、と礼をされたキング様。
 しばしば紙巻煙草を玩ぶ指に今は書とペンをあててさて、紡がれる物語は何でしょうか。

 ――ああ、言葉を溶かして染めるそれ。
 暫し思案され虚空へとその青い瞳を投げられて綴られた言葉。
 人為を思えば頷ける、静かな静かな一幕のようです。


** *** *





 舞い落ちる葉は誰かの手の上にあるように、時に中空を漂いまた落ちる。
 強い風が吹く度に毟り取られる数枚が踊り、叶わぬと知りながら枝に戻ろうと僅かに昇りそして地に下り。
「寒くはありませんか?」
「まあ、いいえ。ちっとも」
 無垢な様子で老女は笑うと、眼前に立った姿勢の良い長身の女――オセロットであるが、彼女に勧めるように腰掛ける位置をずらした。小さな靴先が積もる葉を鳴らす。
 どうぞ、とまた子供のような笑顔を向けるのに小さく会釈して方向転換し、静かに腰を下ろした。
 紙巻を自然取り出して咥える。火を点けようとしたところでようやく気付くあたりはオセロットにしては遅いのだけれど、習慣になっている動作というものは、往々にしてそういったものなのかもしれない。隣の老女に小さく詫びると笑み返された。
「残りも少なくなりましたでしょう」
「そうですね――だが、これも悪くはない」
 色付いた葉も殆どが落ちた今時分ともなれば、足を止めて周囲を眺める者も少ない。
 ほんの数日前に通った時と比べて寂しくなった木々と、対照的に鮮やかに積もった街路の葉とを併せて視界に入れるながら結局オセロットは紙巻を指先から離さない。いっそ習性と言うべきだろうか。手に持てば、火を入れるか、指で遊ぶか、どちらかになる。
「器用でいらっしゃるのね」
 くる、と一回転。
 その様に瞳を瞬かせるのは老女だ。
 オセロットが声をかける以前と同じく、静かに笑んで正面の木を見詰めているのかと思えば隣のオセロットの手元を見。
「紙巻はお好き?」
「ええ、そうですね」
 何が楽しいのかと首を捻る程の笑顔で問う老女。
 それを特に驚くでも怪訝にするでもなく、穏やかに返事をするとオセロットはもう一度紙巻を回してみせた。
 愛用する理由などは、今互いに必要とはしない。
「お上手ね」
 両手を合わせて誉める声。
 残る葉も少ない木々が競い合うように風に応えて葉を揺らす。時に落とす。
 二人の座る傍の木から葉が踊り、降る。

「綺麗な並木道でしょう」
 街路の向こうを見ながら、小さな物がぶつかるような声音で言う。
 視線は紙巻から街路へ、街路から向かいの木へ、移った後には動かない。
「色付いていく頃がとても綺麗」
「……なるほど」
 肉の落ちた指先が膝掛けの上を何度か彷徨い、左右が互いにその先を触れさせたところで止まる。
 視界のごく片隅にそれを映してオセロットも街路の向こう側に立つ、葉が殆ど落ちた木を見た。
 際立って何が違うわけでもないが老女にとっては何かが違うのだろうとは、彼女の眼差しから知れていたのだけれど、並んで眺めてもやはりオセロットには特に違う点は見出せない。それはそうなのだと承知してはいるのだが。
「ちょうど、落ち葉の季節だった」
 また小さくて硬い声。
 子供が枯れ枝で街灯を叩くとこんな音だろうか。
 何を言うでもなく、ただ傍らに座るオセロットの視線を一度だけ辿ってその先で結局同じ木を見詰め直す。
 見るまでもなくオセロットには至近距離で動く気配なぞ容易く察知出来るのだが、それを言う必要は無い。
 老女の言葉に短く相槌を打つ。それだけだ。

 温かな膝掛けの上には自分の腕であるのに遠慮がちに置かれた細い指。
 それはきゅうと握られ怯えるように丸まっている。
 左右で触れ合っていた指先は今はそれぞれが掌の中に。
「もう何年なのか数えたくないんですよ」
 丸めた手がきつく、きつく膝掛けまで巻き込んでそこに爪をかけて剥がれそうな程に強く握り締める。
 白く震えるその水気の抜けるばかりの老いた手を、止めたのはオセロットの長い指だった。
「傷みますから、やめなさい」
 強制的ではなかったかと語調ではなく語尾を案じたオセロットをけれど老女は静かに見る。見詰める。瞬きを二度。それから瞳孔を呼吸一回分より短く揺らがせてから枯れた指を緩く抑えるしなやかな指の下で少し、震えた。
「ちょうどここで」
 老女の眸がオセロットのそれを映し込む。
 きっとオセロットの眸には老女のそれが同じように映っている。
「あたくしに」
「約束してくれたんですね」
「そう、そうだった。でも」
「戻らない」
「ええ――ええ、ええ、ええ」
 少女が泣く寸前の顔で老女は何度も頷く。
 細く頼りない首が折れそうな程に頷くのでオセロットはいっそ彼女が泣き崩れるか、落ち着いて再び街路の向こうを見遣るまでその襟元を静かに支えるままでいた。


* * *


 街を訪れたのはまだ木々は葉の色を塗り替えてはいたものの、振り落とすには早い、そんな頃であったのだ。
 季節の移ろいを顕著に示すそれが立ち並ぶ街路に招かれるような感覚でオセロットが通ったのも街を訪ねた当日。
 その日も老女は静かに座っていた。
 行き交う人を見るでもなく、同じように腰を下ろして編み物をなぞする者を真似るでもなく、荷物と言えば膝を覆う掛け物一枚きりで彼女はただじっと座り街路越しの木を見ていた。
 他と比べてもいささか奇妙な様子ではあったけれど、オセロットはただ視線を走らせただけでその日は並木を通り抜けた。
 けれど、所用で数日滞在し、暇を見ては歩いて葉の踊る様を楽しんでいたオセロットがいつ見ても。
 陽のある間のいつ、並木道を歩いても。
 その老女は同じ場所に座り同じ姿勢で同じ方向を見ていて。
 まるで変わらぬとなれば多少の興味は抱いてもおかしくはないだろう。
『よほど、あの並木を気に入っておられるようだ』
 卓を囲んで話す他の者に丁寧に頷きながら、会話の途切れた拍子に唇に乗せたのはだから意識に残っていた為だ。
 人の行動、特に親しくもなく更に言うならばいっとき訪れただけの街の住人の行動、それに踏み込むような真似はオセロットの好むところではない。なので声になった途端に、興味は抱くがあえて問うつもりも無かった当人は湿らせた程度の酒のつもりにしたくもあった。
 だけれど、言われた側は片眼鏡の下で珍しくも「しくじった」と語る瞳には気付かず、それぞれの顔を窺ってやがて一人が表情を改めて身を乗り出して言うには、亡霊だと。


「まあ、そんな風に」
 笑みこそ戻らぬものの、老女は幾分落ち着いて再び街路に視線を投げている。
 衣服は日毎に異なり、膝掛けも静かな色味の数枚を交互に使っているらしい彼女は到底生者以外には見えない。
 力は込められていないが今も軽く丸められている骨と皮ばかりに思える細い指先。それをつとオセロットは見遣ってみる。
 摘んで玩ぶままだった紙巻は少しよれてしまっていて、内心で小さく息を吐くとそれを口元に押し付つけた。唇の間に挟むだけで火はつけない。うっかりと火元を用意しかけるのはやはり習慣だ。
「お点けになっても構いませんよ?」
「……いえ」
 一瞬考えてしまう程に紙巻の味が恋しいわけでもないのだが口寂しさでもあるのかもしれない。
 束ねた金髪を揺らして苦笑する。冬空の曖昧な陽光が細く髪を照らした。
 それにしても、と傍らで、これも苦く笑う声色で老女がまた口を開く。
「あたくしはこうして生きていますのにね」
 失礼なお話、と言うのには丁寧に同意しながら『亡霊』と称した人間の言いたい事も実は解る。
 けれどおそらくは。
(当人も承知しているのだろう)
 強く握った手は冷えた空気に包まれて硬く張っていた。
 胸の裡で揺らぐ度に隣の老いた女性は指先を白く染める程に握り込んでいたのか。
「でも――あたくしだけです」
 それはさながら咽喉を内側から締め上げるような響きの言葉だった。

 オセロットが老女に声をかけたのは、聖都に戻る前にと並木道に足を踏み入れたからだ。
 それまでと同じようにいるのを見、他愛無い話の一つでも出来るだろうか、と。
 ごく軽い気持ちで隣に座り、そこで踏み込むつもりはなかった老女の内側を覗いている。見せられている、のだけれど。
 やれやれと、あくまで表面には出さずに気持ちだけで肩を竦めてみる。あくまでも気持ちだけで。
 ――自分は、存外と話をし易い人間なのかもしれない。
 立ち居振る舞いなのか、身にまとう空気なのか、対人距離の置き方あたりを感じ取られている可能性もあるだろうか。
 どれも正解のようで、あるいは正解ではないようで。
 また唇を引き結んで街路の向こうを見る老女を意識の端に留めながら、つまるところは通りすがりだからこそだな、とも考えてみた。時間を持て余すという感覚は無い。ただ紙巻を今度はつい着火したくなるだけだった。
 葉の失せた木々の向こうに見える冬の空は硬い。
 ぴんと張った外気とはまた異なる緊張を空に見て取れる。
 どこまでも清々しく余計なものを置かず、どこかから招き寄せたように他人行儀な青。
 あるいは隣の老いた女性は、冬空に語っているつもりだろうか。
「毎年」
 また、声。
 淡々と語る声。
「この並木の葉が色付く頃になると約束を思い出して」
 また手をきつく握っている。
 気付いてそれをオセロットもまた押し留める。
 体温は確かにある。けれど亡霊だとて死者だとて熱を持たないという理屈も無い。
「あの人は」
 揺れる。眦を震わせる。
 搾り出すような声を吐く口元の息。
 声を上げて走り過ぎる子供の後を追うように白い息の残滓。
「雪が降るまでに」
 吐息さえ白く濁らない老女の唇が堪えきれず噛み締められた。
 続く言葉は想像するのも簡単だ。

 ――ただそこに居て待つ姿があるのなら。

 戻らなかった者が居る。
 待ち合わせ場所なのか、約束を聞いた場所なのか。
 そこで今も待つ老いた女。


 震える手が膝掛けをきつく掴み皺を刻むのをオセロットは見ている。
 今度は押し留めない。堪える為の力だと解るからだ。
 ただ静かに、隣で紙巻に火を入れる。習慣の無意識ではない。
 遠慮がちな熱が独特の匂いを引き出す頃には老女はまた街路の向こうを見るだろう。
 目を伏せた一瞬、金糸が揺れてその向こうにも空が見えた。


* * *


「毎年雪が降りますでしょう?」
 言われて見上げても空はやはり清々しい硬さを見せるだけだ。
 雪雲の気配は欠片もない。
 鋭い陽に反射的に瞳を眇めるオセロットに気付いて老女は笑う。
 子供の稚さを含む軽やかな声がほろほろと洩れて耳を擽っては逃げるよう。
「その頃にはね、一度忘れるんですよ」
「……次の、葉が落ちる季節まで?」
「ええ」
 遠い目をする老女の横顔を見ながら携帯灰皿に紙巻を押し付けて、念入りに火種を潰す。
 それをしまいこむとオセロットはおもむろに立ち上がった。
 唐突といえば唐突な動作だが老女は怪訝そうにするでもなく、最初に声をかけた時と同じく穏やかな様子で長身の女を見上げてくる。微かに首をかしげて考えるように指先を頬にあててゆるゆると唇を開いて問う。
「あなたも来年お会いするかしら」
「――縁があれば」
「そうね。そうかもね」
 片眼鏡越しに青い瞳が陽に映える。
 あら、と初めて気付いた様子で老女はオセロットの顔を覗き込んだ。座ったままの彼女にどれだけ見えているのか疑問だけれど、不自由する素振りもなくまじまじと白い面を観察していた。
「面白いものがありますか」
「いいえ。目と鼻と口があるだけ」
「成程」
 控えめに笑い合って一礼すれば、今度こそオセロットの立ち去る時だ。
 踵を返せば遠くに『亡霊』と老女の事を語った男が一人。
 さてどう話そうかと思いつつ進んだオセロットの背後から、付け加えられた老女の声に軽い驚きを添えて振り返った。

「心配しなくてもいいのよと伝えて下さるかしら」

 動じぬようにと鍛えた精神の賜物か。
 微かに瞠った瞳は老女からは見えないし、既に見てもいない。
 彼女はまた――静かに街路の向こう側を見詰めていた。



「――何故私に?」
 男に並んで立ち、歩き出すなり問えば気遣わしげに二度三度と振り返ってからオセロットに顔を向ける。
 彼の目元が老女となんとはなし似た印象であり、成程そうかと得心がいった。
「夏より冬の青空が、大叔母は好きだったからな」
「それと私に頼むとのどう関係がある」
 様子を見て、出来れば話してみて欲しい。
 それだけの頼み。
 だが他の誰でもなくオセロットを選んで頼むのならば相応に理由なり条件なりのある事かと思えば、真実話をするだけで。
 けれど男はオセロットの声にとんと指先を目尻に当てるだけで何も言わない。
「何か、言ってたか」
「……心配しなくてもいい、と」
「そうか」
 ありがとうよ、と言って片眼鏡を磨くのに丁度良い布を数枚包んで放ると男はそのまま背を向ける。難なく受け取って見送るオセロットも嘆息して街の外に向かった。
 視界に映る空は青く硬く、他の何者をも踏み込ませない。
 幾つかの雲さえも空との境に幕が下りているかと思う程に、冬の空は浮き立ち。
「――ふむ」
 懐から紙巻を一つ咥えて火を点ける。
 時折吹き抜ける風の音ばかりが際立つ静寂の中、その灯る音がして、また風の音だけに。
 何処か違う場所から切り取ってきたように際立つ鮮やかな青は、けれど全てを拒むでもなくその傍に雲を置き風を通し、立ち並ぶ家並みを眺めて在る。

 冬空を移したような眸を一つ瞬かせ、紙巻を時折くゆらせながらオセロットは石畳を蹴った。





** *** *


 それは、真白の書が映した物語。
 望むものか、望まぬものか。
 有り得るものか、有り得たものか、あるいはけして有り得ぬものか。

 ――小さな世界が書の中にひとつ。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】

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■         ライター通信          ■
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 再び御参加有難う御座います。今回は副題つけてます。二回目ですから!
 ……タイトルセンスについてはあまり言及しないで頂けると有難いなぁと思いつつ。
 とにかく淡々と進むお話の形となっております。頂いた単語の一つからよしじゃあライターのイメージで!と脳内映像を優先した結果なのですけれども。私的に今時分の空の際立ち方はオセロット様と重なりました。

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