■深き谷に住まう賢者■
緒方 智
【2829】【ノエミ・ファレール】【異界職】
銀の光が石造りの一室を照らし、瞬時に消え失せる。
空中に浮かんできた一振りの剣が白い大理石の台の上に舞い降りる。
蒼い宝玉を抱いた竜をあしらった柄。
油が零れ落ちそうな光沢を放つ刃。光の当たり具合によって、そこには不可思議な文様が浮かび上がる。
その出来を確かめ、レディ・レムは小さく安堵の息をこぼす。
が、すぐに険しいものへと変わる。
確かに剣は完成はした。けれど、これでは不完全な代物のまま。
ただの武器としては充分なものだが、それだけではいけないのだ。
この剣を完全なものにするために、決定的に足りないもの。
それを手に入れなくてはならないが、自分が動くわけにいかない。
ぎりっ、と唇を噛むとレディ・レムは地下室を後にした。

「ミーミルの谷はご存知かしらね?そこに知り合いが住んでる。彼からある霊薬をもらってきて欲しい。」
いつになく険しい表情のレディ・レムに言い知れぬ不安を覚える。
ミーミルの谷。
エルザードの東にあると言われる幻の場所であり、聖域とも呼ばれる谷。
名前だけは聞いたことがあるが、そこは谷に住む賢者達に認められた者しか入ることができないと言われていた。
「谷に入る方法は教える。できるだけ急いで欲しい。」
真剣なレムの眼差しが事態を告げていた。



深き谷に住まう賢者〜反する思いと願い

霧深い静かな森に不釣合いな喧騒が響く。
閃く炎と雷と魔物の咆哮に鮮やかな朱が重なる。
すでに何体もの魔物が倒れ伏し、荒く肩で息をつきながら三人は背中合わせに隙なく辺りを見渡した。
今までの出来事が嘘のようにしんと静まり返り、禍々しいまでの気配は感じられず、ほっと息をついた瞬間。
バサバサッと何かが木々の枝を揺らし、淡い乳白色に染め上げられた空へと舞い上がっていく。
一瞬、びくりと彼らは身体を震わせるが、それがここに住む野生の鳥だと分かるとようやく人心地つけた。
執拗だった敵意の眼差しはもう感じられない。
だが、油断はできなかった。
目的地・ミーミルの谷にたどり着くまでは決して気を抜くな、と彼女・レディ・レムに念を押されていた。


穏やかな昼下がりの白山羊亭。
昼食ということも手伝って、いつも以上の繁盛ぶりを見せていた店内はその客の登場で静まり返る。
人目を忍ぶように白いフードをかぶった見慣れない客に常連客のみならず店員達も緊張を走らせた。
が、その下から現れた顔を見て霧散する。
エルザードから程近い森に住むレディ・レム。最近、この店の常連客に名を連ねた魔道彫金師。
流れるような銀髪と深い緑の瞳を持つ知的な女性だが、顔に見合わずけっこう過激なところがあり、人を驚かしたりもする。
なので、今回もそのパターンだろうと受け取られ、皆それぞれの会話を再開させ始めていた。
相変わらずの常連客を無視して、レムはカウンターに座る店主の下に急ぐ。
「よう、レムじゃねーか!」
「レディ・レム様?」
「レム殿か?久しいですな!」
とにかく時間がないと焦るレムを聞きなれた声が呼び止める。
振り向くと、見知った3人の顔があった。
「オーマ、ノエミ、アレスディア……」
予想もしなかったのか驚愕に彩られるレム。
珍しい彼女の表情にオーマは面白そうに笑うが、ノエミとアレスディアは不信そうに眉を寄せたが、気を取り直してノエミはレムに微笑みかけた。
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
「ああ……ノエミも元気そうで何よりね。」
「何かあったのか?レム殿。」
何時になく歯切れの悪いレムにアレスディアは一層不信なものを抱く。
常に動ぜず、冷静な彼女に何か焦りを感じる。
オーマもそれに気付いたのか、黙ったままじっと彼女を見据えていた。
4人の間に一瞬の沈黙が流れる。
が、ふいにレムが鋭い光を瞳に走らせ―やがて諦めたように小さく肩を落とした。
「急ぎの依頼がある……引き受けてくれるかな?」
紡ぎだされた言葉の重さに3人は思わず息を飲んだ。

ミーミルの谷に住む知り合いから霊薬を持ってくる。
単純な依頼にオーマはどっかりと椅子に背を預け、レムを見た。
「彫金して作ったのか?なら、それで良いんじゃねーか。」
作り出した剣に魔力を入れる為、と言われたが、納得がいかなかった。
名うての魔道彫金師であるレムが彫金を施したなら、並みの剣は足元にも及ばない魔法剣になる。
わざわざ霊薬を使う必要なんてないはず。
オーマの疑問はもっともだっただが、そうはいかない事情があったから頼んでいるのだ。
だから、切羽詰まっているのか、とアレスディアは思ったがあえて口にはしなかった。
なんとなく憚られた。
「それだけじゃ不完全だから、霊薬が必要になるのよ。」
「えっ、剣を完全なものにするため、霊薬が必要と? 」
氷を思わせる微笑を張り付かせるレムの言葉にノエミは驚いたように問いかける。
小さくうなずくレムから発せられた次の台詞に3人の表情が一様に険しくなった。
「そう……けど、それを快く思わない輩がいるみたいでね。ここに来るだけでかなりの妨害を受けた。」
「ということは……」
「間違いなく妨害してくるわね。」
あっさりと断言するレムにオーマは思いっきり顔をしかめる。
レムに剣を作り出されると困るようなことをしているのだ。
かなり悪質な連中に間違いはない。
「谷に向かえばいいのですね。レム様。」
「……かなり危険な仕事だ。それでもいいのか?」
考え込むオーマに代わって尋ねてくるノエミにレムは念を押す。
奴の目論見を阻止するためにも、剣の完成を急がせなくてはならないが、そのために彼らを危険にさらすのは本意ではない。
全てを承知の上で引き受けてくれるのか、と問いかける。
「事情があるのだろう?私は構わない。」
「俺もだ。早いとこ剣を完成させねーとな。」
「私もです。」
うなずく彼らにレムは心から感謝した。

「まずはひと段落ってことだな……あとは何事もなく行けばいいな。」
「うむ。だが、レム殿の様子、ただ事ではないようだったが……」
「しかし…妨害を受けるのは避けられないでしょう。皆様との連携を大事にしなければ…」
楽観的な希望を口にするオーマにアレスディアは同意しながらも、重いモノがぬぐえない。
何事もなく進めばいいが、実際エルザードを旅立った直後から執拗な魔物の攻撃を受けたのだ。
殿を務めているアレスディア、ミニ獅子で上空から敵の動きを探っているオーマ、幾多の魔法を駆使して案内盤を守るノエミ。
それぞれに疲労の色が見える。
これ以上の妨害がないことを願いたいがそういう訳にいかないのも分かっている。
「分かってるって、騎士様。」
気が緩まないよう、あえて警戒を口にするノエミにオーマはおどけるように肩を竦めた。
「そうだな。まずは霊薬を持ち帰ることが先決だ。気を引き締めていこう。」
「ええ。」
口元に微笑を浮かべるアレスディアに疲れも見せずにノエミはうなずいた。
と、ざわりと木々の間で何かが蠢く。
瞬時に顔を上げ、皆、武器を構えたと同時に耳元でごうっと風が鳴り、薄いベールのような細かい水が
駆け抜ける。
つい先刻まではっきりとしていた視界が乳白色の霧に奪われ、隣にいたはずの仲間の気配すら感じられない。
突き刺すような殺意と敵意が身体を射抜く。
気配をたどりながら、攻撃に備えた。

霧の向こうから金色に染め上げられた何かが襲って来る―と、認識するよりも早く、鈍い痛みと凄まじい衝撃が全身を駆け抜ける。
「「ノエミ!!」」
自分を呼ぶオーマとアレスディアの声が聞こえるが、瞬時に掻き消える。
咄嗟に防いだ盾の端から二人に何かが襲い掛かっていくのを捉えていた。
振り下ろされてくる鋭い爪を弾き飛ばし、剣で切り返すがほんのわずか届かない。
が、それでも効果は充分だったらしく、低いうなり声を立てながらじりじりと乳白色の霧の中から―山羊と獅子の頭と蛇の尾を持った―
魔獣・キマイラが姿を見せた。
知性の高い恐ろしく危険な魔獣だが、その瞳には自我の光はなく不気味な赤い光に染まっていた。
「ガゥァァァァァァァァァッ!!」
うなり声を立てて飛び掛ってくるキマイラにノエミはためらわずに剣を向ける。
が、鈍い音共に刃が弾かれ、鋭くとがった牙が目前に迫る。
とっさに電撃魔法を放ち、キマイラの口内で炸裂させるが、わずかに攻撃を鈍らせ、後退させるだけに留まった。
それでも続けざまにノエミはキマイラに切りかかり―次の瞬間瞬間、キマイラの身体から赤い閃光が炸裂した
強烈な衝撃波でノエミの身体が2〜3メートルほど吹き飛ぶ。
何とか体勢は保ったが、全身に重い疲労が圧し掛かり、片ひざをつく。
赤の狂気に犯されたキマイラはその隙を見逃さず、だらりとよだれをたらしながら口を開け、金色の光弾を吐き散らす。
数個の光弾をかわし、ノエミは高速で完成させた魔法を打ち込むがキマイラの全身を包んだ赤い光によって阻まれる。
「あの光がこちらの攻撃を防いでいるのですね。」
呼吸を整えながら、次々と吐き出される光弾をかわし、反撃の糸口を探る。
だが、無数の光弾をかわしきるのが手一杯で攻撃の隙が見つからなかった。
「ノエミ!!そいつのエネルギー弾を弾き返せ!そうすりゃ、そのバリアは消えちまうぜ!!」
ふいにオーマの声が直接頭の中に響き渡くが確かめる間もなく、光弾が襲い掛かる。
時間がない。
オーマの言葉を信じ、シュヴーアでそれをキマイラに弾き返す。
天も裂かんばかりの悲鳴が響く。
自らの光弾に身体を射抜かれ、キマイラが激痛にのた打ち回ると同時にその身を包んでいた赤い光も消え失せる。
わずかだが、最大の好機をノエミは見逃さなかった。
「スターダスト・レイン!!」
剣から解き放たれた閃光がキマイラを貫き、瞳から赤い光が消滅し、流星雨のごとき刃の舞がその身体を切り裂いていく。
キマイラの巨体が空中に舞い上がり―どう、と地に叩きつけられる。
地の底から這い上がるような断末魔。乳白色の霧がその巨体を包み込んだかと思うと、光の粒子となって掻き消えた。
全身から力が抜け、ノエミはその場にへたり込んだ。
いつの間にか霧は晴れ、すぐそばにオーマとアレスディアの姿があった。
安堵の息が自然とこぼれ落ちる。
案内盤から溢れ出した柔らかな光が彼らを包んだのはその直後であった。

「皆、ご無事で何よりだ。」
人のよさそうな笑顔で語る女性に3人はどう応じればよいのか、少しばかり戸惑う。
光が消え、いきなり目の前に現れたの濃紺に染め上がったローブを纏った―様々な年齢の―数人の男女。
困惑する3人に訳知り顔で声を掛けたのが、今話をしている栗色の髪をした女性だった。
「ようこそ、ミーミルの谷へ。話はレム様から聞いています。こちらへどうぞ。」
軽いが優雅な会釈をする女性に習い、集まっていた谷の住人たちも一斉に頭を垂れる。
丁寧極まりない出迎えに恐縮しつつ、3人は谷の中央に座するオークの大木へと導かれた。
「良くぞ参られた。客人方。」
物語に出てくる賢者そのものともいうべき長く白い髭を生やした老人がにこりと笑うと、左手を軽く振る。
シャボンの玉が弾けるような音とともに虹色に輝く液体を詰めた小瓶が空中に浮かび―音もなく、オーマの手のひらに落ちる。
不思議そうに覗き込む3人に賢者は愉快そうに笑い、右手をかざす。
ぶぅん、と背後で低い音が鳴る。
振り向くと、小瓶の薬と同じ輝きを放つ光の渦が出現していた。
「レムの屋敷に通じておる門じゃ。早いところ霊薬を持って行ってやってくだされ。あやつも気になって仕方がないじゃろう。」
からからと笑う賢者に3人は礼を述べると光の渦に飛び込んだ。

「お待ちなされ、騎士殿。」
オーマ、アレスディアが飛び込み、続いてノエミが飛び込もうとしたその時。ふいに賢者は瞳を鋭く光らせ、彼女を呼び止める。
何事かと振り返ったノエミの背後で一頭の聖獣が重なり、賢者はあの図太い神経をした知り合いを思い出し、大きく肩を落とした。
気付かぬはずがない。
この女騎士の持つ力が何であるかくらい、当に見抜いているにも関わらず、平然としているとは大したものだと思わずにいられなかった。
「そなたが持つ剣……ただの剣ではないようじゃな。」
賢者の指摘にノエミは思わず息を飲むが、構わず賢者は言葉を続ける。
「何故そのような剣を持っているのか、とは聞かぬ。だがそれは、使い方を誤ればソーンの脅威となりかねん。全てはそなたの心次第……願わくば、正しく使われよ。」
全てを悟った賢者の眼光に射抜かれ、ノエミは返す言葉もなく、深々と頭を下げると光の渦へと飛び込んだ。
言われるまでもなく、『正しく』使うつもりだ。
それが賢者のいう『正しさ』でないと分かっていても、自分は使命を果たさなくてはならないのだから。

FIN

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1953:オーマ・シュヴァルツ:男性:39歳:医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2829:ノエミ・ファレール:女性:16歳:異界職】
【2919:アレスディア・ヴォルフリート:女性:18歳:ルーンアームナイト】

【NPC:レディ・レム】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、緒方智です。
大変お待たせしましたが『深き谷に住まう賢者』をお送りいたします。
今回はいかがでしたでしょうか?
敵キャラ・キマイラに関してはいくつかの姿があり、迷いましたが、一番有名どころを使用させていただきました。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは機会がありましたら、よろしくお願いします。

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