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■覚醒前夜祭 一の宴■

観空ハツキ
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 それは遠い昔の物語。
 
「なぜ、どうして戦ってはいけない?」
 烈火の怒りに身を震わすのは、長身の美しい女。感情の高ぶりに、彼女を包む気配が朱金に染まる。
「戦っても無駄なだけだからです。それは貴方もご存知でしょう?」
 対するのは凛とどこまでも研ぎ澄まされた静謐な気配を持つ少女。彼女もまた、恐ろしいほどに美しい。
 二人の美しさを比較するのは、赤子が月に向かって『あれが欲しい』と手を伸ばすようなもの。しかし類を分けるならば、前者は熱の美しさを凝集させたようであり、後者は相反する冷気を凝らせたようと言えるだろう。
 熱は人。
 冷は神。
「私はお断りだ、最後まで足掻く。たとえ泥にまみれようと」
「……想いだけでは決して動かせぬ事実もあります。私達に許されるのは垣間見ることだけ――それを頼りに求める者に導きを与えること」
「それでも、だ。私はもう決めたのだ」
「しかしそれで力を失っては、元も子もありますまい」
「かまわない。失って初めて得るものもあるだろう。私は私の道を行く」
「……姉上」
「さらばだ、我が妹よ。願わくば遠い未来で、我らの道が再び一つになることを祈っている」
「姉上が選んだ道の先に、新たな何かがあることを願っております」

 その瞬間、一つだったものが二つに分かれた。

   ***   ***

「まぁ、簡単に言っちゃうとこれが西斎院家と東斎院家の歴史ね」
 青白い頬を月明かりの下に晒し、火月――東斎院・火月は舞台の上にゆるゆると身を起こした。
 純白の舞装束の裾に取り付けられた金銀様々な鈴が、しゃらんっとどことなく冷たい響きを放つ。
「元々は一つの家だったんだけど。ただ未来を透かし見る事に耐えられなくなったご先祖様が家を飛び出しちゃったのよね。結果、東には戦う力が備わったのだけど、<門>を管理し操る力は極端に薄まってしまったの。おかげで今では西のように未来を視る事は出来ないわ」
 ぶっちゃけちゃうと、正直あんまり仲は良くないのよね、西と東って。
 がくり、と崩れかけた身体を必死の気力だけで支え、火月は都会の光を見下ろす事の出来る舞台の縁に腰を下ろした。
 その息は荒く、ふつふつと額に浮かび始めた汗は冷たく凍える。
 ともすれば今にも意識を手放しそうな状態を、敢えて軽い口調で喋ることで支えながら、火月は言葉を紡ぐ。
「……本当は、あの人――紫が自分で起きてくれるのを待つつもりでいたんだけど、なんて言うかあの人も微妙な存在でね。このまま紫の精神が夢の世界に封じられたままだと、こっちの世界にも何かと弊害が起きてきちゃうらしいのよね」
 本当、どこまで迷惑な男なのかしら。
 くすりと小さく笑い、火月は先ほど天空に描かれた四本の軌跡を思い起こす。
 一本は薄い緑、一本は鮮やかな青、一本は柔らかい茜、そしてもう一本は夜空になお目立つ深い黒。
「<門>は時間を司る御霊の力を操る事で開閉を成す事が出来るわ――少なくとも、私達の知る<門>ならば」
 そこまで言うと、火月はゆっくりと確認するように指を折り始めた。
「一つは朝の御霊、守護する時間は午前4時から午前10時。二つ目は昼の御霊。守護するのは午後10時から午後4時。三つ目は夕の御霊、守護するのは午後4時から午後7時。4つ目が夜の御霊で守護する時間は午後7時から翌日の午前4時まで」
 4つを折り数え、火月はもう一度眼下に広がる街を眺める。
「四つの御霊の欠片を紫の精神に結び付けて呼び起こしたわ。後は彼らを見つけ出し、完全に覚醒させれば紫は目覚める」
 その為に執り行われた舞の神事――火月の力の解放は、予想以上に彼女の体力を奪ってしまっていた。だから火月は助けを求める、自分に代わって散って行った御霊を探し出してくれるよう。
「朝は『癒し』と『希望』を司り、美しい歌と静かな場所を好むわ。昼は『信念』と『裁き』を司り、舞と賑やかな場所を好む。夕は『優しさ』と『迷い』を司り、人と人の触れ合いと温もりを好むの。そして夜は『安らぎ』と『絶望』を司り、ざわめきの中にある孤独と無音を好む」
 これだけのヒントで本当、ごめんなさい。
 軽く頭を下げ、お願いしますと手を差し出す。
 全ては眠り続ける京師・紫を起こすため。
「あぁ、でも気をつけて。御霊を完全覚醒させればその分だけ紫の精神の力を削るの。だから起こす順番はとても大事――それに、妨害もきっとあると思うし」
 敢えて『誰の』かは告げず、火月はもう一度深々と頭を垂れた。
覚醒前夜祭 一の宴


「お疲れ様。あとは私達に任せて――ね」
 優しく労るように火月の背中を軽く叩いて、シュライン・エマは柔らかい微笑を浮かべた。
 青い瞳の奥、未だに焼きついて離れない。自分の目の前で消えた人――今は会おうと思えばいつでも会えるけれど。だが、眠ったままでは真の意味の『再会』を果たしたとは言えない。
 その彼を呼び覚ます、確かな一歩が刻まれたのだ――たった今、この場所で。
「面倒かけ倒しでごめんなさい、本当」
 血の気の失せた白い頬に、それでも穏やかな笑みを刻み、火月は気安い友に向ける眼差しでシュラインを見つめる。
「では、そろそろ参りましょうか。まずは行く先を決めないといけませんし」
 似たような男を片翼として持つ者同志ゆえに通じる何かがあるのか、男性が割って入るには微妙な雰囲気を作り出している二人に、セレスティ・カーニンガムが躊躇うような咳払いをして意識を散らす。
 薄い月明かりの下、銀の髪がささやかな風に揺れ、先ほど天に描かれた御霊の軌跡を彷彿させる。
「火月さんには万一に備えて世話係を呼んでおきましょう」
 張っていた気が緩んだのか、四肢に力の入らない様子の火月に、セレスティは提案を持ちかけた。
 視界には映らない人の体の中の水の流れ――つまりは、血脈。セレスティだからこそ感じられる脈動の不確かさに、言い知れぬ焦燥感が胸を突く。自然と曇る表情を、強靭な意志で華やかな笑顔へとすり替える。
「正確には火月さん自身に、というより幼いお子さんの為ですね。そんな調子で放られたらお子さんの方が不憫でしょう?」
「あら、酷い。これで私も立派に母親してるのよ」
「そうでしょうとも。だからこそ、今とるべき判断はお分かりになりますよね?」
 心配の種の主をさり気なく、火月自身ではなく彼女の子供の方だと主張。もちろん、胸の中にある真実はそうではないのだけれど。だがしかし、強気な火月にとってはこちらの方が効果的だと判断したのだ。自らへの心配へは辞しても、それが子供であったならば。
 案の定、セレスティの言葉に幼子のように唇を尖らせた後、火月は申し訳なさを少しばかり滲ませながらも破顔した。
「……ここは厚意をありがたく受け取っておく場所かしら」
「そうよ。京師さんが復活したはいいけど、火月さんやお子さんがへばってました、じゃ意味ないじゃない」
 暗に同意を求める火月の視線に、シュラインも大きく頭を振る。
「それじゃ……お願いしようかしら。何から何まで、本当にありがとうございます」
「いえいえ、此方としてはこれで後顧の憂いが断たれるってものですよ。現在のこの国にとって子供はまさに宝ですからね」
「それって、未来の納税者としてってことかしら?」
「そうとも言うかもしれませんね。では今、連絡しますので、ものの数分で到着する事でしょう」
 財閥総帥という立場。深夜にもかかわらずセレスティの言葉一つで多くの人間が動く。その恩恵に預かり、火月は全ての緊張から自身を解き放つ。
「それじゃ……後のこと、お願いします」
 重力に逆らいきれなくなった瞼が、ゆっくりと落ちていく。
 火月が執り行った神事。それは元来、西のみが持つ御技に属するもの。源を同じくする流れであっても、長い時を経て異なる進化を辿った今では、全くの未知の境地に挑むに等しく。
 さらに、もうひとつ。
 いずれの血にとっても等しく毒でしかないものを、火月は受け入れてしまっているから。
「火月さん!?」
「大丈夫です。ただ眠っただけのようですから……さぁ、私達は行きましょう。少しでも早くこの方の憂いを断って差し上げるために」
 冷たい木の舞台に崩れ落ちた火月に、シュラインが慌てた様子で手を伸ばすのを、セレスティの細い指が押し留めた。
 水の気配が教えてくれること、それは命に別状があるわけではないということ。シュラインの耳にもまた、穏やかな呼吸音が響いてくる。
「そうね――私たちのやるべきことはただ一つ」
 見上げた夜空は、都会特有のもの。様々な色が交じり合った不気味にも映るそこには、既に神秘の軌跡の残り香さえ漂ってはいないけれど。
 しかし確かに、目覚めさせられたものの微弱な鼓動を秘めていた。


「で、なんで俺んとこ来るんだよ」
 絵に描いたような、とはまさにこのこと。
 不機嫌さを全く隠そうとしない漆黒の少年の姿に、たまらずシュラインとセレスティは顔を見合わせ吹き出した。
「だ・か・ら! そこはぜってぇ笑い出すとことちがうだろーがっ!」
 なんでよりによってこのペアで来んだよっ!!
 居心地悪さ大全開で近くの壁に八つ当たり、前髪の奥で特徴的な紫の瞳が剣呑に眇められる――が、全くの効果なし。
「あら、だって。ねぇ?」
「はい。見事な意見の一致だったんですよ。それはもう、その現場を君にお見せしたかったくらいに」
 相変わらず顔を見合わせくすくす笑いの止まらない大人二人を、遠慮の欠片もなく嫌そうに眉を潜めているのはゲートキーパー(GK)。見せたかった、というセレスティの弁に、小さく舌を打つ。
 火月の元を離れ、セレスティが用意していた車内で軽く打ち合わせをした二人が決めたのは、まず最初に探すのは『夕』の御霊、そしてこの少年に協力を要請しようということだった。どちらともなく言い出した最初の言葉がこれだったのだ――指名された当人は全く喜んではいないが。
 それからおおよその計画を立て、軽く仮眠。
 そして現在の居場所は、とある駅の近くにあるゲームセンタの前。神出鬼没な彼がもっとも頻繁に姿を現すところ。
 店内に飾られた時計に目をやれば、三時のティータイムまであとわずかと言った頃。間もなく訪れるのは、『夕』が守護する刻。
「……あのさ、念の為に言っておくけど。アイツ封じたのは俺って知ってるよな? ついでに俺がいかにあの野郎を嫌ってるっつーのも重々承知してるよな?」
「そりゃ勿論。だって現場に居合わせちゃったの私だし」
「そうですねぇ。それに君の今の態度を見れば、そんな事は確認せずとも言わずもがなって所ですかね」
「そ・ん・だ・け! そ・ん・だ・けっ・分かっててっ!! 何で俺んとこ来てんだよっ! 完璧に何か間違ってるだろ。しかも二人揃いも揃ってっつーのは何事だよ? 常軌を逸するってのはまさにこの事だろ、なんかおかしいだろっ」
 学生たちの下校時刻にはまだ早い時間、営業マンや買い物途中の主婦が立ち入るには雑多な界隈。深夜帯と同じくらいに人通りが限定される中、銀の髪をした麗人に大人の落ち着きを身に着けた女性、そして二人とは一回り違う黒尽くめの少年の取り合わせは非常に目を引く。
 ちらりちらりと投げられる視線、だがそんなものに左右されるような肝っ玉の小さい人物は三人の中に一人もおらず。
 声を大にして叫ぶGKに痺れを切らしたシュラインが、ぐいっと少年の腕を掴んだ。
「その調子なら、私たちがユゲくんのトコに来た理由も分かってるみたいね――ってことで、さ、行きましょう♪」
 あくまでもにこやかに楽しげに。
「そうですよ。そもそも逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せる君が、声を荒げるだけでその場を動かないってことは、協力了解ってことでしょう?」
 シュラインの行動に非難の声を上げる間もなく、ずばっとセレスティの艶やかな微笑に止めを刺され、流石のGKもぐっと息を飲んで押し黙る。
 彼の言葉通り、本気で逃げようと思ったのなら、彼にはそれが出来る――空を渡るという手段で。なのに、それをしないということは。
「……だって、シュラインさんとセレスティさんだぜ? マジでここから逃げてみろ……後でどんな目に遭わされるか想像したらっ……」
 小さく呟かれた泣き言は年相応。ちなみに、思い描かれる恐怖の未来像への影響度は断然セレスティの方が大きいのは言うまでもない。譲れるラインの上ならば、敵に回したくない存在はどんな暴逆な人物にとっても存在するのだ。
「じゃぁ、決定♪ さ、行きましょう」
 掴んだ腕を一度解いてから、手を握ってシュラインが小走りに駆け出す。
 引きずられるように歩幅を広げた少年の顔に浮かぶのは、ほろ苦い笑み。
「………あー、何でこんな事になってんだかなぁ」


 ビルの谷間に見える空の端が、茜色から藍色に染まり始める。
 それに息を合わせたかのように、人々の足は室内から屋外へと変わり始め、賑やかなざわめきが街中に満ちて行く。
「ねぇねぇ、ユゲくん。こんなのどうかしら? 可愛いと思わない?」
「可愛いって……誰がつけんだよ、そんなもん」
「もちろん、ユゲくん♪」
 駅前、雑多な人の流れの中。ひやかしみているのはシルバーアクセサリーを扱う露天商。小さな星が幾重にも連なったチョーカーをシュラインに「ほら、かわいい」とつきつけられ、GKはげんなり溜息と共にがっくりと肩を落とす。
「あのなぁ――つか、なんでこんなとこブラブラしてんだよ」
 ふいっと顔を背けて、場を離れる。
 すれ違うのは、学生やスーツ姿のサラリーマン。それ以外にも多種多様――様々なものが違和なく混在する時間。
 一日を間もなく終える人々の顔には、疲弊の色はあるものの安堵に和む柔らかさが多く溢れている。
 ともすればぶつかりそうになる人と人の隙間を器用にするりと泳ぎながら、GKは言いようのない表情を浮かべシュラインを見つめた。
「んー……なんとなく、かしら」
 あっさりと追いついたシュラインは、離れてしまったGKの手を握りなおす。
 そう、なんとなく。
 火月にこの仕事を依頼された時から、夕の御霊を探す時はGKと一緒に――そう思ってしまったのだ。
 曖昧な存在。
 自分自身を否定し、そうして自分自身を肯定している。
 こうしているだけなら、本当に普通の少年なのに。何が彼をそうさせているのか。根底にあるのは、ただ憎悪だけなのか?
「なんだよ、そのなんとなくって」
 シュラインの答えに、GKの顔が屈託のない笑みに変わる。ふいっと首を巡らせば、人ごみを避けるようにガラス張りの喫茶店で寛ぐセレスティが、此方に向かって手を振っていた。
「まったく本当に。おかしな人たちだよなぁ、あんたら」
「そうかしら? ユゲくんほどじゃないわよ」
「はぁ? って、おい! 急に引っ張るなよっ」
 ぐっとGKの手を強く引っ張り、二人並んでガードレールに腰掛ける。
「だってそうでしょ? 嫌だ嫌だと言いながら、手を繋いだら無理には振り解かない。引っ張りまわしてる私にちゃーんと付き合ってくれてる」
「……それは」
 言葉につまった少年に向ける眼差しは慈愛。時に白い冷酷な仮面を平然と身につけるGK、けれど憎むことはできなかった――心の琴線に触れてくるのは、彼の気配から忍び漏れる寂しさゆえか。
 目線を隣に座る少年から、藍色の気配の方が強くなりはじめた空へ馳せる。
「なんていうのかしら……優しさと迷いって、両方そろってないと心に響かない気がするのよね」
 唐突に、切り出す。
 このどこか近くに、求める御霊の気配があって欲しいと願いながら――否、ひょっとするとそんなもの関係なしに、この少年に語っておきたいだけなのかもしれない。
 腰掛けたガードレール、片足はぶらりと宙を彷徨う。都心特有の風の中に、何かがざわめく。
「これでいいのかしら、こんな事でいいのかしら――それが向けられた対象によって迷惑にならないかしら、こっち側の勝手なエゴなんじゃないかしらって。そういうの全部通りぬけた先に本当の優しさはあるんじゃないかなって思うのよね」
 ふっつりと、陽光が途絶える。
 乱立する無機質なモノリスの向こうに消えた輝き、有機から無機の世界へ切り替わる――だが、その冷たい世界にもまた温もりは続いていく。
「見た目は飄々としていて、でもいつだってどこかで迷ってる。だからこその優しさを――私は信じている」
 目を伏せ、思い描く。浮かぶのは一人ではない。なんでだろう、この世界には不器用な人が多すぎる――だからこそ、優しさがあるのかもしれないけれど。
「ちょっと、待ってろ」
 予告なく手が解かれた。
 はっと顔を上げたシュラインの瞳に映ったのは、消せない迷いをそこかしこに散りばめる少年の顔。苦渋と苦痛の間での葛藤が、まざまざと見て取れる表情に、ずきりと胸が痛んだ。
「ユゲく――」
「違う、あっちを連れてくるだけだ――そして翔ぶ」
 立ち上がったGKの肘から先だけが、まるで切り落とされたかのごとく消え失せる奇異な光景。そして驚く間もなく、消えていたはずの腕に手をつかまれたセレスティが忽然と姿を現す。
「おや?」
 あまりに急激な変化に、セレスティもぱちくりと目を見開く。しかし、怪現象はこれだけに留まらなかった。
「行くぞ」
 今度はGKからシュラインの手を握る――そうして次の瞬間。
「これは……また、見事なものですねぇ」
 最初に零れたのはセレスティの溜息。シュラインは突然体を支えるものが失われたことでバランスを崩しかけるが、それは手を握ったままの少年の力によって留められた。
 下方向から吹き上げてくる風は、ビルに沿って勢いを増し三人の髪を無造作に弄ぶ。
 つい先ほどまでいた場所を眼下に見る事のできる、建物の屋上。人気のないそこは、不意の来訪者を穏やかな気配で包み込んだ。
 空間を渡ること。それは紫が得意とするものの一つ――同一存在であるGKも、また。
「アンタの方はどうなんだ? 夕についてどう思う?」
 GKがセレスティに問いかける。
 完全に陽の落ちた世界、地上に散りばめられた人工の光の粒たちがキラキラと産声を上げて瞬く。
 劇的な自分の周囲の環境の変化に、驚きと、そして楽しさを感じていたセレスティは、己に向けられた紫の瞳の意味を悟る。
 そしてシュラインも、覚悟を決めるように息を呑んだ。
「そう、ですね。温かさを感じさせると共に寂寥感を併せ持ったものだと思います。あと、天邪鬼な感じもありますね。一人でいるのが好きだと思わせておきながら、本当は誰かに声をかけてもらえるのを待っているような――まるで、誰かさんのように」
 青い目を細めて隣に立つ少年を眺めると、余計なことはいいんだよ、と仏頂面が返ってくる。こういうところが、可愛らしく感じられるのは、やはり生きた年月の違いなのかもしれない。
 今のように、あっさりと普通ではない事をやってのけるくせに、こうした仕草はただの少年そのもの。
 微笑ましく感じるのを禁じえるはずがない。
 掴まれていない方の手で、風にあおられて踊る髪を押さえつける。指の狭間から零れ落ちる銀色の髪は、虹よりもなお複雑な光に満ちた地上の煌きを受けて輝く。
「夜へと繋がる夕。何かを想い、一人耽ることを誰にも咎められず、夢うつつの感覚で考えに浸るのに最も適した時間――それに繋がる夕方という時間。零れ落ちそうになる辛さや寂しさを最後の一歩で堪えている……堪えさせる何かがあり、そして時に優しく癒してくれる」
 言葉に嘘がないのを誓うように、一つ一つを殊更ゆっくりと刻む。
 連なっていくほどに、不思議な鼓動がどんどん近づいて来ているような気がするのは、きっと気のせいではないはず。
 とくり、とくり、とくり。
 水中をたゆたうような感覚に襲われ、自然と目を閉じる。
 果てなく遠い記憶、生まれいずる身に降り注がれる優しさが刻む音。
「あーあ……なにがどーして、俺がこんな事してんだろうなぁ」
 呟きは自嘲、そして何かが音にならない音をたて爆ぜた。


「え?」
 己の掌中に出現した固体の感触に、シュラインは小さく肩を震わせる。
 いつの間にか繋がれていた手は放れ、GKだけがシュラインとセレスティからやや距離を置いた場所に俯き立つ。
「……これ、は……?」
 緊張に指を一本一本開いていけば、小さなものが顔を覗かせた。
「方位磁石ですね。まぁ、機能よりも飾り物として重点を置かれてつくられているようにも見えますが」
 隣で眺めていたセレスティが、興味深そうにシュラインの手の平に転がるものを評する。
 それはまるで土産物屋で見かけるキーホルダーのような方位磁石。材質が何なのかは分からないが、見た目はまったく変哲のない金属製。持ち歩くのに便利なようにか、ご丁寧にも細いチェーンがついていた。
「夕は世話好きだからなぁ。まったく、マメなやつだ」
 年長者二人の様子に、GKが喉の奥を鳴らして笑う。もういつもの彼だった――余裕に満ち、どこか人を小ばかにしたような態度の。
「ってことは……これが夕の御霊なの?」
「正確には夕の御霊の欠片が実体化したもの、な。針がついてる中央部分見てみろ、見事な茜色だろ」
 言われてみて、暗がりの中で目を凝らす。
 確かに針を止めているのは、茜色の小さな小さな宝玉のようなもの。自身で発光しているのか、ぼうっとした輪郭線が曖昧に揺れている。
「夕の欠片は、あんた達の呼びかけに応じた。そして力を貸す事にした……そういうことだ」
 後ろ歩きに数歩、たんたんたんっとコンクリートの床に軽やかなGKの靴音が響く。
 それだけのことで忘れていた現実感が、一気に押し寄せる。ただ消えることのない方位磁石が、夕の覚醒を知らしめていた。
「今回だけ、だからな。二度目は絶対にない――今回はただの気まぐれだ。次があるなら……その時は邪魔する立場をとるから、覚悟しておけよ」
 唇をいびつに歪め、GKがくるりと背を向ける。
「……それから……教えておく。朝はおっとりとした性格だ、逆に昼は強気で勝気、夜は――裏腹。緑は芽吹く新たな葉の色、青は澄み渡る空と海の色。それから……黒は闇夜の色。でも知ってるか? 月のない夜、雷光が走り抜ける瞬間に空が染まる色――黒の中に秘められたもう一つの苛烈な真実」
 一呼吸置いて、もういちどGKが黙って自分の話に耳を傾けているシュラインとセレスティの方を向き直った。
 わざと下ろしていた瞼を、意味ありげにゆっくりと押し上げる。
 まるで方位磁石の中央にはめ込まれた宝玉のように、うっすらと光を放つGK――紫の瞳の色は言うまでもなく。
「……そう、紫だ」
 言い終えた時、GKの姿はその場から消え去った。
 多分おそらくこうなるだろうと分かっていた残された二人は、最初にGKを迎えにいったときのように顔を見合わせこそりと笑う。
「まったく、ねぇ?」
「本当に。二度と協力しないとか言いながら、最後にちゃーんとヒントを置いてってくれるあたりが悪役になりきれてないんですよね、彼は」
「ホントホント。こうだから憎めないのよね」
「というか可愛らしいと言っても絶対過言じゃないですよ。やっぱり年若いだけのことはあります」
 重い空気などどこ吹く風。当人がこの場にいたら、烈火のごとく怒るか、はたまたげんなり臍を曲げるか――おそらく後者だろう。ともかく、百戦錬磨の大人二人は言いたい放題で和やかなムードに身を浸す。
「そういえば、これ。どうしましょうか?」
 シュラインは握っていた方位磁石のチェーンをつまみ、互いの目線の高さで揺らして見る。
「シュラインさんが持っておいたほうが良さそうですね。貴女の手の中に現れたってことは、其方の方が相性が良いということかもしれませんから」
 ゆらゆらと揺れる方位磁石、針の部分はガラス製なのか見事な透明度。
「とりあえず、まずは一件落着ってことかしら」
「そういうことでしょう。さてさて、残り3つの御霊の欠片も頑張って探さないといけませんね」
 澄み切ったガラスの先端、それが密かに東の方角を指していることを、二人はまだ気付いていなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名】
  ≫≫性別 / 年齢 / 職業
   ≫≫≫【関係者相関度 / 構成レベル】

【0086 / シュライン・エマ】
  ≫≫女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
   ≫≫≫【鉄太+1 緑子+2 アッシュ+2 GK+4 紫胤+2/ S】

【1883 / セレスティ・カーニンガム】
  ≫≫男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
   ≫≫≫【アッシュ+1 GK+3 / C】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。毎度お世話になっておりますライターの観空ハツキです。
 この度は『覚醒前夜祭 一の宴』にご参加下さいましてありがとうございました(礼)。

 と、いうわけで。今回はお二人の行動性がぴったし一致し、このような結果と相成りました。えぇ、多分おそらくベストな状態です。
 それから、GKに関しまして。
 お二方が揃いも揃ってGK召還とは私もちょっとびっくりだったのですが、これまでの関係・今年の相性(良し悪しの相乗効果)などから無事呼び出し成功となりました――やぁ、驚きました(笑)

 シュライン・エマ様
 今回も素晴らしい行動をありがとうございました。読み、狙いともにビンゴ! でございました。なお成果である『夕の欠片』はシュラインさんにお預かり頂く事となりました。良かったらご活用下さい――って、活用の場所はここしかないのですが(あうち)。

 誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
 ご意見、ご要望などございましたらクリエーターズルームやテラコンからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回は本当にありがとうございました。