■ピカレスク  −路地裏の紅−■
ひだりの
【3087】【千獣】【異界職】
初めて人を殺めたのは9歳の頃だった。
何故だろう、手に取った銀の短剣はとても熱かったのを覚えている。

ああ…違う


あれは

熱かったのは

母の血の所為。



■路地裏に潜む紅

「さあ、号外!また殺人事件が起きたぞ!夜に町は出歩くな、軍人だって狙われるなんざ世も末だ!」

【裏路地にて、一人の軍人男性の死体が発見された。顔には白いハンカチを被せられ、首、頚動脈を完璧に断ち切る所業。とても素人のものとは思えない。その時間帯、付近を歩いていたのは赤いドレスを着た婦人のみだという。しかし、婦人にあそこまで残酷非道な行いは出来ようはずもないだろう。】

手に取った一人の獣人、黒い毛並みは風に揺れ、長く伸びた髭はピクリと動いた。

「…またしても、現れたか。」

硬めに埋め込まれた銀のボルトは、不穏な気配を察知したかのような曇天を克明に映し出す。その日、ピカレスク第一巻が発売となった。
ピカレスク  −路地裏の紅−


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■序章


薄く雲が張った空には、嵩を被った月がある。

それは、とても紅く、陰惨な光を放っていた。

そんな中、婦人は一人立つ。

両手には血に塗れた短剣を持ち

足元には数人の死体。

短剣は、ぬめった液体を被ったままに、鈍く月光を反射する。

婦人の影は薄く延び、それは何処までも、延々と続いているようにも見えた。





今宵の月は、食べかけのクッキーのように半分欠けていた。
千獣は空を仰いで一身に月光の恩恵を浴びる、半月といえどもその恩恵は多く、千獣を照らし出してくれた。青々と光る建物は静かに、じっと佇んでいる。其の時、一陣強い風が吹いた。
びゅうと吹きぬけた風に、千獣の髪はかき乱され風下へと舞う。
…?

千獣は一つ、小首を傾いだ。何処からだろう、この匂い。嗅いだ事がある、嗅いだ事がある。軽い足音は石畳を駆け抜けて行く、見えない糸を手繰り寄せながら段々と、段々と、其れの近くへ…。

ぴしゃん、ぴちゃん、ぽとん

水滴の垂れる音、ただ其れは嫌に粘着質に千獣の耳へと纏わり着いてくる。ぱちぱちと赤の大きな目を瞬かせ、闇の中を見る。紅玉紛う、その大きな瞳には闇しか見出せない。…が、確りと千獣には其の姿が見えていた。
もう一度、強い風が吹き抜けて行く。ばたばたばた、はためく布音は千獣のものではない。闇に潜みし、影のもの。溶けきった身体を、ずるりと固体に戻すようにして闇から現れたるは婦人。

「……どう、したの…?何…かに、襲われ…た…の…?」

千獣の問いかけに、陰から出てきた婦人はくつくつと笑うだけ。千獣は首を傾いでもう一度口を開く。

「この…におい、人………だよ、ね………」

目の前に立つ、婦人の紅いドレスには黒い染みがついている、あれよりまた多くの匂いを発する物体が、二体あるのに千獣は気付いているのだろうか。目線は少し婦人の奥へと向かっている。
婦人は微かな笑い声を漏らしているだけで、他には何も、千獣へは何も語りかけては来ない。ただ、路地に充満する人血の匂いのみが、婦人の行った陰惨な出来事を、千獣へと雄弁に語りかけてくる。
それはとても饒舌で、鼻の利く千獣にはとても五月蝿くて敵わない。少し鼻筋を擦りながらも、婦人を見据える目は無垢なもの。

「どう、して…?なぜ…血の、においが……するの?」

知らぬ事だらけの赤子のように、千獣は問いかけを婦人へと繰り返す。大きな瞳は真摯に婦人を見つめたまま。ぱちぱちと何度か瞬きするために、長い睫が揺れた。

「……食べる…ためでも、…自分を……守るためでも、ないのに……どう、して…?」
「…貴女には、知り得ない事が沢山、あるものですわ」

千獣の問いかけに対する答えではない、言葉を紡ぐ婦人の持つ短剣が煌いた。それは純粋な金属の硬い光ではない、ぬめった、液体の輝きだ。元は紅かっただろう、その液体も、今ではぬめった固体となりかけていた。
婦人の踵の音は徐々に徐々にと、千獣へと近づいてくる。紅い目は少しほど伏せられたが、こつん、踵の音は千獣までもう五歩ほどあれば辿り着く。其の音を合図のようにして、千獣の目は緩く婦人を見つめなおす。

「………私…、私は、私の…やり方で、応える…ね…」

千獣が言葉を発した時に、その場に立っているのは千獣の影のみ。千獣は高く跳ね、婦人を空から見下ろした。婦人としても、すぐさまに危険は察知できたのか、体勢を立て直し、構えを取り直す。
ぐっと隙の無い構えになってしまえば千獣としても、本能でうかつには手を出せはしない。さて、何処に降りれば婦人の動きを封じられるか…など、千獣は考えはしないのだろうか。まるで、其の場所を最初から決めていたように、降り立ったのは婦人の斜め後ろ。ただ少しばかり距離は遠い。

「この、爪と牙、で…。応える…。」

千獣は言葉を紡ぐと同時、月光に煌く何かを放った。それは素早く婦人の肩を掠め、まるで糸が付いているように螺旋を描いて婦人の周りを回った。婦人のドレスは、何かに締め付けられて行くように痕を付けて萎んで行く。…月光に何か煌いた、途切れ途切れの其れはどうやら鎖、その透明な鎖は細くとも強靭で…婦人の自由を確実に奪っていく。

「っ!殺すのならば、早く殺したらいかがかしら…!」

…婦人が激昂して千獣へと投げ放った言葉に、千獣は緩く首を振るう。大きな瞳は瞬いて、月光の光を反射した。

「…大、丈夫…、人は…食べちゃ…いけないって、言われてるから…。」

千獣は何かの約束を守り通すつもりらしい、確かに刃は向かっては来ない。ただ婦人の足を絡め取ったのみ。それでも十分に、婦人は身動きを封じられていた。婦人は激昂はしているものの潔く、無駄に足掻こうとはしない。
じっと、立つままに千獣を見据える目は、鋭く厳しい物。千獣は其の瞳が含むどす黒いものには気付いているのか居ないのだろうか、ゆるりと目を伏せ、婦人から目線を外した。

「………食べるわけでも、なく、…人を殺す、人…」

己が過去住んでいた森の映像が、赤い瞳には映っているのだろうか。暗い森、出会った魔や獣を喰らう己。体内に巣食う獣の感覚が疼く。

「殺人は道楽でしかありませんわ…そんな事に理由を求めるのは愚問と言うものです」

千獣の小さな呟きは婦人にまで聞こえていたらしい、きっぱりと言いながらも、紅い血塗られたような唇を弓なりに反らせて笑う。

「…でも、殺しちゃ、いけないって…言う人間も居る…。人間って…」

カシャンガシャン!
金属の硬い響きが石に叩かれる音が聞こえる、千獣は顔を上げた時に目の前に婦人は既に居ない。目を瞬かせた瞬間に、異様に熱く感じる右腕。目を大きく見開いた、右腕に緩く伝う感覚は液体。ただそれは皮膚に付く度とても熱さを感じる物。

「油断大敵、ですわよ…!」

にやりと嗤う赤い唇から発せられる声は、背後より。千獣は這い来る痛みに顔を顰めもしない、ただ本能で大きく、茶の毛が長く生えた左腕、それは少女のものではないだろう。大きな獣のように鋭い爪を有した手、それは何らかの動物の前足に近く。
其の腕を大きく振るう、婦人の肩口を目掛けて。ブゥンと風を切り振るわれた手は早く、手応えがあるかどうかも判らない。ただ、振るった直後に唸る様な声、それに…己の腕に今流れる熱い液体と同じ熱さが千獣の頬へと一滴、二滴飛び散った。手馴れた手つきで、元々も浅い傷だったのだろう、高い治癒力は見事に発揮され、血も止まった右腕を上げて手の甲で頬を拭った。

「…あなたも、ね…」

油断大敵、という言葉に対して千獣も声を返す。ただ、婦人の姿は既に目の前にない。千獣は全身の毛を逆立てて気配を探る…が、近くにはあの鋭く禍々しい気が無い事を感知する。獣の感が与えてくれる情報は膨大だ、近づいてくる足音はすぐに千獣の耳へと入る。それはとても大勢、恐らくは殺人犯を捕まえに来たのだろう…ああ、私も逃げないと。
半月の元、そろそろ空も白み始めて来た時分。千獣は歩む、その歩みは緩く、すぐ路地裏へと…腕に巻きつけた呪符をはためかせながら、滑り込むように入り込んだ。
足音は千獣の後ろを通り過ぎた、何らかの話し声が聞こえる。鋭敏な千獣の耳に会話が入ってくる、それは先ほどの婦人とは全く反対。

誰がこんな酷いことを!
殺人だなんて!
許せるわけが無い!

…千獣は暗い路地で振り返る。誰もいない空間、人間の言葉は未だ遠く…。それは、木々がざわめき葉のこすれる音と似ていた。

「……人間、…人間って、むずかしい…」

分からない、獣に育てられ、欲から始まった己の生とは関係の無い、ただ愉悦に走るためだけの行動に、千獣は少しばかり目を伏せるだけしか応答は出来なかった。
紺から鴇色へ、変わる空の色は目まぐるしい。月は傾き、既に建物の屋根にかぶさっている。

何処へ行くのか、獣一人、白んだ天の元を歩む姿は、次第に薄れていった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 整理番号3087/ PC名 千獣/ 女性/ 17歳(実年齢999歳)/ 異界職】

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■         ライター通信          ■
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■千獣 様
初めまして!この度はシナリオを発注いただき真に有難う御座います!ライターのひだりのです。
千獣さんの設定とても格好良く、戦闘シーンも台詞もとても楽しかったです。
可愛らしくもこう、獣らしい所も表現できていれば良いなと思います!
そして、大変遅くなって申し訳ありませんでした…;
では、また機会がありましたら何卒良しなに!

ひだりの

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