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■百鬼夜行歩き 海の怪-人魚-■

猫亞阿月
【0642】【榊・遠夜】【高校生/陰陽師】
首都東京。

都心のその片隅に、色濃く緑を残す箇所が点在している。

その内の一つに小さく神を奉る祠があった。
辺りには黒く太い幹を持つ木々が乱立し、神を囲う杜の在り処をひっそりと主張する。

その杜をさらに巻くようになだらかに伸びた坂の上。
昔ながらの街並みを残す長屋の一角には、ふと古臭い一軒家が佇んでいる。

賑々しい飾りはなく、木をそのままにくりぬいたような荒い板の上に達筆で描かれた文字、「古書店 猫又堂」。

常連のみがその在り処を知るこの古書店には、古今東西の妖怪話を主として、太古より現代に至るまで口伝にのみ語り継がれ、出版されなかった本――――都市伝説や伝承、民話などの様々な物語がひっそりと読み手を待ってまどろんでいる。

その猫又堂の店主見習い、猫倉甚大は珍しく朝の早くから起き出し、一枚の貼り紙を持ってその店先に姿を現していた。

「あー、今日もすっげー曇り空」

ここの所晴れ間が見えない秋空を振り仰ぎながら、甚大は手に持った大き目の藁半紙を店先の土壁に貼り付ける。

貼り紙には簡潔にこう書かれている。

『百鬼夜行に興を覚える者 求む
各地妖譚編集業 人員 制限なし』


この度、この古書店「猫又堂」がはじめた奇妙なフィールドワークの幕開けであった。


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百鬼夜行歩き 海の怪-人魚-


『建木(けんぼく)の西にあり。人面にして魚身、足なし。
胸より上は人にして下は魚に似たり。

是テイ人国の人なりと云』

鳥山石燕 著

『百鬼夜行に興を覚える者 求む
 各地妖譚編集業

 人員 制限なし     
 このたびの編纂対象 人魚               

              猫又堂』


■序□
 白い光が、色濃い緑に煌々と降り注ぐ秋のその日。光は、この所続いていた曇り空ばかりか、季節の紅葉までもを振り払ってしまったかのようで、秋だというのに樹木はいまだ青々としていた。

 古書店「猫又堂」に、風変わりな貼り紙が出されて早三日。
 募集要項が奇妙ならば、呼びかけに応じ、集うものどもにも一癖、二癖が見えるが道理。
 記念すべき第一回目の百鬼夜行歩き編集の会合に集まった面々は、なかなかにバリエーションに富んでいたと言える。
 一見なんの共通項もないような面々。だが、不可思議な現象に興を覚えるものたちばかりである。
 よくも集まってくれたものだ、と呼びかけたものは喜んだ。

 陰陽師という稼業を持ちながらも現役高校生の草鞋にも足を突っ込んでいる榊・遠夜も、その集まりに名を連ねる一人であった。
 今回の直接の依頼主ともいえる猫倉・甚大(ねこくら・じんだい)とは、数度会ったことがある。
 編集を手伝う、と申し出て、彼から集合の連絡があったのが二日後。ひどく大雑把な道の説明だけを頼りに件(くだん)の古書店を訪れた際、そこにはすでに先客がいた。
 促されて峡谷のように立ち並ぶ本の合間を抜け、奥座敷に通された後、見知らぬ人を見つけて甚大に目を向ける。
「紫桜も一緒に人魚を調べてくれる奴。今回は遠夜の相棒ってこと」
 特に許したわけでもないのにいつの間にか自分も呼び捨てにしているこの青年に心で苦笑しながら、遠夜は紫桜と呼ばれた人物に目を向けた。
 きっちりと留めた詰襟の学生服。
 座敷の中央に背筋を伸ばし、物静かに正座していた彼は入ってきた遠夜に気づいて丁寧に腰を折り、礼をする。
「はじめまして。俺は、櫻、紫桜(さくら・しおう)と申します。今回は調査でご一緒するということでお聞きしてます。よろしくお願いします」
 紫桜の挨拶は非常に礼を尽くしたもので、笑顔こそ浮かべなかったものの、遠夜も深く礼をした。
「榊、遠夜です。こちらこそ、よろしく」
 その隣に座る間に、紫桜も高校生なのだ、と甚大が言った。
「実は他にもいるんだけど、調べる対象が巨大だから、今回はチームを組んで動いてもらってる。紫桜には、さっきちょっと話したけど、おおまかなテーマは、異国の人魚と日本の人魚の相違点と、共通点。それを含めた総括的な物語の分布について重点的に調べてもらえると嬉しいんだけど」
 遠夜は黙ってそれに頷く。そして、少し考えてから口を開いた。
「……異国、ですね。人魚の怪異や伝承で、一番有名というか、耳で聞いて知っているのは、人魚の肉を食べたものは不老不死になる、という話だけれど、あれは日本だけのものなのかな……」
「そうですね。言われてみれば西洋の人魚を食する、という話はあまり、俺も聞いたことがありません。まずは、その辺の既出の伝説や物語を図書館やネットの方面から集めますか? 印象としては、日本の人魚と西洋の人魚はまったく違うもののようなんですが……まぁ、異国の人魚伝説となると、現地に行くわけにも行きませんから主に書物やネットの情報を収集することになるんでしょうね」
 俺には、その方面の特別な能力はありませんから、地道に、と言う紫桜に、遠夜も僕もだ、と頷く。
 そして、事前に自分の能力も申告しておく。相棒なのだから、お互いのできることを知り合っておいた方がいいだろう。
「――――式が、います。日本の人魚を現地で調査する時なら、聞き込みや文献で足りないものは、きっと補ってくれると思う」
 すると、紫桜は少し目を見開いて遠夜に向き直った。
「式神を? では――榊さんは、陰陽師ですか」
 それには、無言で頷く。そのままツイ、と手を僅かに振ると、一の式、黒猫の響が姿を現した。さりげなく遠夜の隣に並んでチョコン、と座る。
「……綺麗な猫ですね」
 その姿を上から下まで眺めて、紫桜はそう述べた。少し目が細まっており、率直な感想、という感じだった。どことなく、やはり嬉しかったので遠夜も目を和ませ、「もう一匹は……鷲なので」と呟いた。
「わかりました。では、その方向で調査をはじめましょうか?」
 遠夜にそう伺いながら、紫桜は甚大にも目を向ける。
「ん。そんじゃあ、よろしくお願いいたしまっす!」
 威勢良く言い、頭をザッと下げた甚大に、二人も頭を下げ返し、その場は散会となった。


□パンドラの箱■
 では、まず図書館ですね、という話になって、二人は数ある図書館の中でも都立中央図書館を選んだ。国内で最大級の蔵書数を持つということもあるし、何より江戸からの古い年代の書物などもデータベース化されており、古いことを調べるには都合が良いと判断した為だ。
 図書館に着くと、二人はまず手分けして互いに必要と思われる資料を一通り集めてから、一時間後、もう一度集まることにして一時別行動を取った。
 その際、情報のかぶりを避ける為に予め、調べることを大まかに分けておく。
 遠夜が受け持ったのは、日本内における人魚伝説の分布と、童話や民話などの探索だった。
 童話や民話は、子供向けに書かれているものも多いが、時に何よりも鋭く真実を抉っていることがあると思ったので、遠夜の方から調べることを申し出た。

 検索機でたたき出した関連のありそうな書物は、思っていたよりも多くあった。それも、幅広い。
 昔話、子供向けの童話、論文形式のもの、果ては旅行ガイドにまで、人魚の文字は散らばっている。忙しく書棚の合間を回りながら、遠夜はほんの少し。
 どこか、心の一端に僅かにひっかかる、棘のようなものを感じていた。
 調査でもなければ、興味はあっても、不可思議な物事や生物などをこうも突き詰めて調べる機会はどちらかというと、少ないと思える。
 一体、どれだけの怪異、どれだけの秘密が、人魚というものに込められているのだろう、と考えた時、そのすべてを知りたい、と思う反面、同時に、知ってはいけないことまで、目の前に突きつけられてしまうのではないか、という小さな不安のようなものがあった。
 この世には、秘められたものとして、誰からも秘匿され続けるべき事柄というものが、確かに存在する、と遠夜は知っている。一度そういった種類のことを知ってしまえば、もう知らなかった頃に戻ることはできず、どれほどに苦しんでもその事柄から逃れられることはない。
 そういった面からすると、今回の甚大達の試みは、大きな危険を孕んだものだとも思った。
 ――――例えばだ。
 見渡す限り、先の見えないほどの大地が広がっているとする。その大地の上に、これもまた数え切れないほどの数の箱が置かれているとする。この箱が、いわばこれから遠夜たちが調べようとしているものに等しい。
 自分たちは、知る必要がある、と思ったからこそ片っ端から箱を開けていく。だが、限りある人間の一生の中で、開けられる箱の数は一握りに限られていて、しかもその箱の中には、開けた瞬間に飛び出して開けたものを呪う、パンドラの箱のようなものが埋もれているのだ。
 そもそも、妖怪、という存在自体が、人の闇にひどく近いものであり、その一つ一つの蓋を開けていくからには、遠夜は闇を受け入れなければならない。そう考えてみると、この仕事はとても陰鬱な作業のようにも、思えた。
 では、何故この仕事を引き受けたのか。
 改めて自らにそう問うと、やはり知りたいと思ったからだ、と答える。
 この話を聞いた時に、純粋に遠夜は知りたいと思った。海にまつわる、人と魚の間の様々な話を。そして、それを今の自分がどこまで調べることができて、どこまで関わりを持てるのかを。
 そうして自らが調べたことは本として、確かな形を持って保存されるのなら、それは、きっと後に同じように思った人たちの知識欲も満たせるものになるだろう。
 知らなければ良かった、と思うこともきっとあるには違いないが、知らなかったからといって事実がなくなるわけではない。巻き込まれるように嫌な事実を知らされたくはないが、自分から渦中に飛び込むなら自分の責として接することもできるだろう。


■相違点と共通項□

 やがて一時間という時は駆け抜けるように過ぎ、二人は改めて顔を合わせた。
 お互いに、集めた文献やプリントアウトした資料などを手に、広大な閲覧室の一角に陣取る。
「ではまず、俺の方から纏めたことを順を追って話しますね」
 行きがけに何も持っていなかった紫桜は、実に大量の書物や、きちんと右端にホッチキスを留めた資料を何束も机に積み重ね、その一つずつの必要な部分をマーカーなどで整理しているようだった。
「まず、異国の人魚と、日本の人魚の相違点、ということについてですが、これはむしろ、西洋、ヨーロッパの人魚と、アジアの人魚の違い、と言った方がいいようです」
 紫桜はプリントアウトした束の一つを示してそう言った。
 纏めると、こういうことのようだ。
 総括的に、人魚として定義されるのは水中に存在する架空の生き物、という認識で、これは世界で共通している事項らしい。
 そして、西洋の人魚は美しい姿で描かれるが、日本や、中国などのアジアで言うところの人魚は不気味で、醜い姿をしていることが多い。
「現代では、西洋の人魚として、セイレーン、ジレーネ、ローレライなどの妖怪がひとくくりに”人魚”と呼ばれているようですが、元はまったく違うもののようですね」
 紫桜が纏めたところによれば、セイレーンと呼ばれるのは、元はギリシア神話に登場した上半身が人間、下半身が鳥の姿している半妖であり、現在のような姿で描かれてはいなかった。
 セイレーンが人魚へと変化したのは、大体7〜8世紀頃に、イギリスの修道士、マムズベリのアルドヘルムという人物が書いた『怪物の書』という書物が初めのものだという。中世初期のヨーロッパでは、魚と人の半妖、鳥と人の半妖、魚の鱗と鳥の羽を持つ女、という三種類のセイレーンが描かれていたが、時を経て次第にその魚と人の半妖としてのセイレーンが定着するようになり、セイレーン=人魚の図式が成り立つにいたったらしい。
「また、先程言ったセイレーン、ジレーネ、ローレライというのは、どれも違う地域の伝説なのですが、内容は非常に酷似しています。大体が、川や海を通る船に歌いかけるものがいて、その歌を聴いたものは美しさのあまり舵を誤り、船を沈められてしまう、というものです。実際、そういった伝説のある川や海では、よく船が事故を起こしているようですね」
 ここを見てください、と一際分厚い本を取り出し、紫桜はある一角を指差す。
「ちょっと、面白い記事なんです」
 見てみると、それは怪談、というものをテーマに編集された雑誌の中の小さな記事の一つだった。
「この東京の多摩川ダムは、魔を呼ぶダムである、という記事です。幽霊事件のメッカとして、”日本版ローレライ”と呼ばれる現象が起こっている、と書かれてあります。これは、ただ単に泳ぎが達者なものでも溺れてしまう水域である、ということに恐ろしさを感じた人たちが、先にある有名な妖怪伝説の名をつけただけのことなんでしょうが、俺は案外、オリジナルのセイレーンや、ローレライ伝説も、初めはこういったことから端を発したのではないか、と思いました」
 つまり、紫桜は逆のことが考えられる、と言いたいのだな、と遠夜は思った。
 人間を暗い水の底に沈ませるセイレーンという妖怪がいたから事故が起こった訳ではなく、まず事故が起こり、それが重なったからこそ、その水域が畏怖の対象となり、恐ろしい妖女の存在が囁かれるようになった、ということだ。
「……それは、考えられない話ではないね」
 遠夜も、同意を示した。
「西洋において、人魚は美しいものではあっても、やはり不吉の象徴です。人間を害する、恐ろしい妖女という印象を受けます。けれど、日本や中国のものとなるとまた少し変化が見られますね」
 次に、紫桜はアジアの人魚、という項目が書かれた資料を差し出した。
「中国においての人魚とは、詩集『楚辞』に拾遺されている『湘夫人』や、『洛神の賦』などのように、海底に棲む女神としてあらわされるものもありますが、『山海経』においては、人魚は河に住む生き物であり、オオサンショウウオの一種と見て間違いないらしいです。日本の書物である南総里見八犬伝では、この山海経に書かれた人魚を取り上げているのに、挿絵自体は西洋に見られる、美しい女の姿が添えられています。これは、恐らく里見八犬伝を編集した時期によるものでしょう」
 ちょうど、西洋の人魚像などが伝来し始めた時期だったのだろう、と紫桜は言う。
「ですが、日本で人魚といえば一番有名な伝説はやはり、彼らを食した、というものでしたね。俗に、八百比丘尼伝説と呼ばれるものです。榊さんも仰っていましたが……そちらは、どうでしたか?」
 日本での伝説の分布はどうだったか、と聞かれて、遠夜は先程日本地図をコピーして、書き込みを入れたものを広げて見せた。ところどころに、点々、と赤い丸をつけたものだ。
「……人魚の伝説で、一番有名なものは、この福井県の小浜。だけど、八百比丘尼、というキーワードで調べただけでも同じような伝説が日本の各地で見られたんだ。土佐・石見・美濃・飛騨そして佐渡島。その名をはずして、人魚を食した、人魚が現れた、という記録で調べると、津軽、能登、若狭、近江、出雲、伊予、九州から沖縄まで範囲が広がった。……沖縄の昔話に、面白い記述を見つけたよ」
 それは、二十三夜さま、という一見人魚とは何の関係もなさそうな昔話だった。
 二十三夜という、月の昇りを祝う日に現れた不思議な乞食の家で、ある主人が「ニンジュ」という大変珍しい魚を食する、という話だ。遠夜は、これは人魚のことではないか、と思う。
「乞食が料理している場面を、主人の連れの二人が覗き見るシーンがあるんだけれど、二人はその光景を、”まな板に赤子をのせて料理をしていた”、と言うんだ。二人は逃げ出してしまうけれど、主人は覗き見をしなかったので、そのまま料理を頂くことになった。ニンジュという魚は非常においしく、また、不老長寿の妙薬でもあるものだった、と書いてある。人魚の肉である、と明確に書いているわけじゃあ、ないけど」
「……こうして見ると、やはり随分広い範囲で同じような話が分布しているんですね」
 改めて地図の上で形として見ると、それは実に不思議な現象だった。確かに、日本は海に囲まれた国であり、海は繋がっているが、これほどに根を同じものとする妖怪の顕現の話が残されている。
 感心しながら、今度は紫桜がおもむろに地図を広げた。
 世界地図だった。ここにも、遠夜がつけたと同じように、広範囲にわたって同じ丸がつけられている。
「こっちもです。見てください。手元にあった資料だけでも、世界中で人魚の伝説や、物語が残されています。ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ギリシャ、アメリカまでは当然のこと、元ソ連やオーストラリア、それに、アフリカのアマゾン川流域や、エジプトにまで人魚伝説はあります。北欧神話の中にも人魚の話はあるそうですよ」
 口調こそ淡々としていたが、紫桜は少し興奮気味のようだった。目が輝いている。
 この短時間の間に、よくこれだけのものを調べ上げたものだ。
 その紫桜の手腕に感嘆しながら、遠夜は日本全国、そして世界各地に点々と刻まれる人魚の足跡を眺めながら、ふと既視感を覚えた。
 どこかで、同じような分布の仕方をする伝説を知っている。
 何だっただろうか、と考え込んで、すぐに思い当たった。
「これは、まるでフォークロアみたいだ……」
 ポツリ、と。雨の雫のように静かに響いた遠夜の声に、紫桜が一瞬目を見開いてから、ああ、なるほど、と頷く。
「Friend Of a Friendですか?」
 問われ、遠夜が頷く。
 一般に、フォークロアとも都市伝説とも呼ばれる物語は、どこが発信源か、ということが正確には突き止めにくい、本当のような嘘の話、と定義されている。
 友達の友達に聞いたような、その真偽を確かめられないけれども、実話だ、として口伝される物語たち。
 このフォークロアも、確かに一つの根となる話があり、それが幾重にも細かい設定や小道具、結末などを変えて全国に流布している。そしてそれは日本だけにとどまらず、何千キロも離れた国であるアメリカなどでも、まったく同じような話が伝わっているのだ。
 消えるヒッチハイカーや、ベッドの下の斧男などはその最たるものである。
「人魚、という存在自体を都市伝説、と分類してしまうのは乱暴でしょうが、分布の仕方だけを取り上げると、そういう見方もできますね。さっきあった、日本版ローレライなどが、どちらかという都市伝説、と言えるかもしれません」
「人魚はジュゴンやアザラシなどを見間違えたものだ、という説も、世界で共通のもの、だよね。日本でそういう見方を広めたのは、南方熊楠だった、というけど」
 遠夜は、アンデルセンの童話である「人魚姫」と、小川未明の「赤い蝋燭と人魚」を並べながら、少しだけ顔を曇らせた。
「……童話や、物語も調べてみたけど、人魚の物語で幸せになった人魚というのは、まずいなかった。やっぱり、不吉の象徴にされているからかもしれない。悲劇しかない、と言っていいくらいに見つけられなかった。特に、この”赤い蝋燭と人魚”なんかは、人間の醜さがひどく浮き彫りにされている話だった」
「――そうですか……。題材としているもの自体が不吉の象徴では、確かに物悲しい話になりがちでしょうね。それが人魚である、ということが、一層の悲劇を描くのには良い材料だったのかもしれません。何せ、日本の数ある妖怪の中でも、人間を脅かす妖怪は数あっても、人間に食される立場にある妖怪は人魚くらいのように思いますから」
 食う側と、食われる側と。食された人魚たちは、大体が不慮の事故などで、不老不死など望んでもいない少女に食された、という話が多いが、江戸の見世物小屋などが流行った時期には、人々はこぞって何の肉かもしれないものを、不老長寿、人魚の肉である、という触れで買い漁っていたのだ。
 明治時代になっても人魚が物悲しく描かれるのは、人にとって永遠のテーマである、不老長寿のときじくの木の実を体内に持ってしまったが故の悲劇だろう。
 頷きながら、遠夜は、これが今回ではあまり知りたくなかったことにあたるだろうか、と考えた。
 確かに、人は時として欲に目が眩み、弱い者の命さえも奪う。だが、一番弱いのは、きっとそうして他者を蹴落としてでも生き残ろう、とする人間であるはずだ。強く、確かなものを持つ人間は、奪わない。自分が、すでに持っているからである。


□夕暮れに■

 図書館を出る頃には、すでに日が遠く、ビルの向こうに沈みかけていた。
 空をいっぱいに照らす、赤い赤い光に目を細めながら、遠夜は紫桜を向き直った。
「……今日の調べ物はここまで、かな?」
 紫桜も眩しそうに目を眇め、頷く。
「実地調査などは、日を改めて、ということになるでしょうか。また、よろしければ都合のいい日などを決めて、今日調べた何処かを、実際に足で回って見ませんか」
 正直、と紫桜は付け加えた。
「俺としては、初め、ちょっとおもしろそうだ、という興味本位で受けた依頼ですが。こうして調べていくうちに、知らなかったことや、隠れていたような事実を発見できたりして、今日はなかなか面白かったもので。榊さんが良ければ、是非また」
 その言葉に、遠夜は、いつもに比べて、ひどく頬が柔らかくなるのを感じた。
 自分も同感だ、と思ったのだ。
 最初に感じた不安が綺麗に姿を消したわけではない。それでも。
「僕も、そう思った。櫻さんみたいに、テキパキ調べられるわけじゃないけど。……今日は、楽しかったよ」
「……それは、良かった」
 紫桜も、今日、会ってからほとんど動かさなかった表情を動かして、僅かだが笑みを作った。
 それでは、また、と言い合い、二人はそこで互いに別れる。

 赤すぎる光の中、一人きりになって、遠夜は自分の肩で姿を消したまま、雄雄しい羽を存分に広げる汕吏の気配に、咲き零れるような小さな微笑を漏らした。
「……なんとなく、窮屈だった? 今日は一日、おとなしくしていたものね……」
 猫の式神、響は暇にあかしてうろうろとしていたようだが、鷲の汕吏はそうはいかない。少しこの空を飛んでおいで、と上空に放ってやって、遠夜は自分も伸びをした。

 今日知った知らなかったことも、時を経て人に話すうち、きっと自分の知っていたこと、に変わる。だけど、知らない話をどんなにたくさん詰め込んで、自分のものにしたところで、世界のすべてを知ることは、人間にはできないのだ。
 でも、だからこそ、知ろう、と思うことは自分で選び取っていきたいし、知れる限りのことを知りたい。
 甚大と、その祖父が、自分たちにとって興味深い妖怪というテーマを取り上げて本を編集する、という企画を立ち上げた意味が、今カッチリとした形になって、遠夜の中で消化されているような気がした。
 自分がこうして知ったことが、彼らのそれと合致していれば本当に嬉しい。

 黒い影を長く伸ばし、響が二、三歩先をトコトコと歩いていく。
 遠く、汕吏が羽ばたいて起こす風に靡く髪を掻き寄せながら、遠夜は歩き出した。

 夕日はやがて完全に沈み、今日も夜が地に下りる。


END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0642/榊・遠夜(さかき・とおや)/男/16/高校生/陰陽師】


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■         ライター通信          ■
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榊様

この度は「百鬼夜行歩き」一の話、人魚をご発注いただき、誠にありがとうございます。
猫亞です。


こちらこそ、先日は依頼を書かせて頂いて、ありがとうございました!
榊さまは、ある意味雨のような方だなぁ、と思いながら書かせて頂きましたので、そういった意味を込めて雨が雪ぐ、としたのですが、少しでもお気に召していれば幸いです。

今回のお話は人魚のお話ですが、申し訳ありません。
現地調査の分まで、なかなか繋げることができず、どちらかというと序章? といった終わりになってしまったかな、と少し反省しています;
プレイングに、個人的に「お?」と反応してしまう部分があったもので、そちらを重点的に話を進めた結果、このような形に。
お叱りなどございましたら、ご遠慮なくお申し付けくださいませ。

もっと響さんや汕吏さんを盛り込んでいきたかった、という反省もありましたので、今後の物語構成への課題としたいと思います。

ただ、今回はもうお一方もそういった前哨、という形での終わりとなっておりますので、物語の流れ的にも、もう一度人魚現地調査編、などという形でシナリオを設けたいな、とも思っております。

まだどんな形で開くかは決まっておりませんが、もしシナリオがお気に召しまして、未消化な事柄や、今回ご調査いただいた内容で興味を持ったことなどがございましたら、お気軽にご覧ください。

この度はご発注いただき、本当にありがとうございました。
それでは、今回はこの辺で。

猫亞