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■CallingV sideU―Veronica―■

ともやいずみ
【5566】【菊坂・静】【高校生、「気狂い屋」】
 思っていたよりずっと深く。
 思っていたよりもっと陰湿。
 ココは、まともな人間が居られる場所ではない……。
 守れるだろうか。自分の大切な存在が。
 支えていけるだろうか。自分の大切な存在を。
CallingV sideU―Veronica―



 遠逆家に来てから三日が経過した。そう、今日は三日目の朝だ。
 欠月の身の回りの世話は菊坂静……自分が請け負っていたが、この家の中では自分ができないことも多い。
「うー、おはよー」
「おはようございます」
 欠伸をしながら布団から起き上がった欠月に静は苦笑する。
 と。障子の外から声が聞こえた。
「おはようございます、欠月様、静様。何か御用はございませんでしょうか?」
 鈴の音のような声だ。ここに来た初日に静を連れてこの部屋まで戻って来た……遠逆未星という娘だ。外見は静と年が変わらないように見えるが、実際は19歳だという。
「んーん。用事は特にありません」
 へらへらと笑う欠月が障子の外の廊下で正座している未星に応えた。彼女は「左様でございますか」と言うとそっと立ち上がって行ってしまう。頃合いをみて朝食を運んでくるのも彼女だ。
 障子に向けて、いや、障子の外にいた未星に対して今まで無表情を……相手からは見えていないのにしていた静の額を欠月が軽く小突いた。
「怖いよ顔」
「あ。すみません」
 すぐに柔和な表情になって静は照れ笑いする。
 だってここは敵だらけだ。欠月以外はみんな敵だ。
「ミホシさんは怖いお姉さんでボクも考えてることわかんないけど、ま、忠実だよ命令には」
「興味ないです」
「うっわ。すごいな」
 はっきりと言い放った静を見て欠月はくすくす笑った。
「どう? 慣れた? とは言っても初日はここに着いたの夕方だったし、昨日は屋敷の中を案内して一日潰れたからまだ無理か」
「…………確かにこの家は暗くて、役目のことを考えると吐き気もします……」
 静はあっさりと自身の心情を吐露した。ああ、と欠月もどこか憂鬱そうな表情をした。
「無茶言うでしょ、うちのオジイさまは。あれがフツーなんだよあの人は。ボクは慣れてるから気にしたことないけど、静君からすれば不愉快極まりないよね。ココで暮らす人はみんな人間の姿をしたベツモノって思ったほうが楽だよ」
 そう言う欠月もまた、うっすらと笑みを浮かべる。彼もその一員なのだ。だからこそ、わかるのだろう。遠逆家の歪みの酷さが。
「ヤならヤでいいんだよ。その分ボクがなんとかするし」
「ダメですよ! 欠月さんばっかり負担を……!」
「いーんだって。ボク、本当にそういうこととかなんとも思ってないもん」
 から元気でもない。正真正銘、欠月はそう思っているようだった。ここにきて欠月の性格の極端さが浮き彫りになった。
 静は力なく笑ってから言う。
「僕も欠月さんも……長生きできないかな、ここでは。それでも僕、一番いて欲しい人が傍に居てくれるから……後悔なんてしていません」
 真っ直ぐに欠月に向けて微笑んだ。彼は明るく笑い返してくる。その笑顔だけで静は救われた気持ちになる。
「言うね〜。愛の告白みたいだ」
「だから、種付けも……大丈夫です…………経験が、ありますから」
 最後の部分は小声になった。思い出したくないことだったからだ。
「へぇ。そうなんだ」
「無理矢理でしたけど……こんな事誰にも言った事ないです……。それに、もうずっと昔の事件で相手も死――」
 ハッとして静は言葉を切る。慌てた。
「ごめんなさい! 欠月さんに隠し事はしたくなかったけど、こんな時にこんな話……汚い話でしたよね……」
 静は苦笑いを浮かべて視線を逸らす。手が震える。震えるな、お願いだから。
 欠月は頬杖をつく。
「別に汚いとは思わないけど。キミは被害者、ってことでいいのかな」
「え?」
「だとしたら、加害者――そいつがもし生きてたら殺しに行ってるとこだよ」
 にっこりと微笑む欠月は静の頭を撫でた。
「偉いね。よく話してくれた。……うん。ほんとね、種付けってイヤなら別にいいんだよ、しなくて。その分ボクがガンバリマスからほんと」
 意味を考えていた静が「ええっ!」と大声をあげた。
「だ、だからダメですって! 欠月さんは別の役目があるって聞きましたよ!?」
「…………まぁキミが気に入る女の子がいたら話は別なんだろうけどねぇ」
「欠月さんちゃんと聞いてます?」
「まぁまぁ。ここはどーんとお兄さんに任せておきなさい。いつかは無理強いしてくるかもしれないけど、ボクの力が及ぶ限りは頑張りますからね。うんうん」
「……こんな時までおちゃらけて……」
 唇を尖らせると欠月が楽しそうに笑った。それにつられて静も笑う。ああ、こんな時も僕はこの人に護られているんだな……と実感した。
「そうだ。嫌なら逃がしてあげるよ?」
 欠月の発言に目を剥く。そんなことをしては、欠月はタダでは済まない!
「逃げるなんて嫌です! 僕が逃げたら欠月さんが……。絶対嫌です!」
「キミはいわば人質みたいなものなんだよ、ボクにとっての。逃げたキミを殺そうとしたら、ボクが責任もって長を抹殺します。安心しなさい。
 キミが逃げてもボクの扱いは変わらないよ。だから、そんなに気負う必要はないから」
 欠月は立ち上がって「顔洗ってくるー」と部屋の外に出て行った。静はきちんと身なりを整えていた。欠月が起きるより30分も早く起きたのだから仕方ない。
 部屋の中央で膝を抱える。
 欠月にとっての人質なら、自分はここに居ないほうがいいのだろうか。いや……そんなことはないだろう。遠い空の下で欠月の安否を思うより、ここに居て一緒に過ごしていきたい。そうしたいのだ、自分が。自分が選んだことだから、後悔なんて絶対しない。辛いことも我慢できる。欠月が傷つくことのほうが何倍も辛い。

 いつまでも帰ってこない欠月に静は不安になる。おかしい。昨日と同じなら寝巻きを着替えるために戻ってくるはずだ。
 障子の外に誰かが立っていた。ぎくりとして静は身体を強張らせる。
「ここを開けておくから逃げたほうがいいわ、坊や」
(? えっと、ミホシって人だっけ)
 静は声にまともな反応もできずに、障子越しに彼女を見た。彼女はふっ、と笑う。
「とんでもないことが起こるわ。だから逃げなさい。もう避難は始まってるもの」
 障子に手がかけられ、開いた。遠逆家の血を持っている者だけが容易く開くことのできる結界を、開けた。障子の向こうには未星が立っている。他人を挑発するような、嘲りの笑みを浮かべている。だがそれがひどく似合っていた。
「……僕を助けてくれるんですか?」
「助ける? 冗談じゃない。坊やは自分でここに来たんでしょう? そういう人間に、例えこの家が苦痛を強いているとしてもそれは選んだ人間の責任よ。覚悟がないならさっさと死ねばいい」
 変な女だ、と静はやっとここで未星を認識した。欠月が言っていたように、『読めない』人だ。
「……逃げるなら欠月さんと行きます」
「別にそんなこといちいち言わなくていいのに。変な子供ね。
 爆心地にいる人間に避難をするように勧告するのは当然の義務だと私は考える。それを実行しただけよ」
「爆心地……?」
 なぜだかひどく、奇妙に聞こえた。嫌な予感が、する。
「……欠月さんは、どこに?」
「欠月なら長のところよ。護衛に呼び出されたみたいね」
「呼び出された!?」
 だから戻ってこないのか! しかも護衛? ということは。
「何か起こったんですね……?」
 低い声で問うと未星は薄く笑う。外見は欠月に印象が近いのに、未星は毒のある香りを出していた。
「変革、とでもいうのかしら。私は観客だから」
 未星の言葉は理解できない。静に理解させようと思ってはいないのだろう。この娘は遠逆家の象徴のように歪みきっていた。
 人間の姿をしたベツモノ――だ。
「あなたもここにいます。観客なんかじゃない……!」
「舞台にあがるには役不足よ。逃げるも逃げないも坊やの勝手だけど、早く外に出ないと巻き込まれて一緒に破壊されてしまうかもしれないわ」
 他人事のように呟き、未星は手を軽く一振りして立ち去る。
 静は開けられたままの障子の向こう……庭を眺める。小さな庭の向こう側には別の建物がある。あそこにも誰かが住んでいるのだろう。もう避難したのだろうか。
(僕……どうすれば……)
 ここに居るべきか。それとも欠月のところに行くべきか。
 しかしそう簡単に決断できるものではない。欠月のところに行っても足手まといで終わりそうだ。
 静は泣きそうになる。信じる。信じるんだ。ずっと信じてきたじゃないか。あの人は僕との約束を違えたりしない。
(欠月さんは負けない。負けるもんか)
 あの人はいつだって。
 拳を強く握り、静は立ち上がる。そして障子を閉めた。
(あの人はいつだって、どの選択が一番いいかを決断してるんだから)
 だからきっと、僕を裏切ったりしない。



 身支度を整えたところで長からの呼び出しがかかった。欠月はそのまま長のところに向かう。下手に逆らえば静の命が危険だからだ。あの老人は遠逆の血族以外、なんとも思っていないのだから。
(まぁ、ボクもそれに近いわけだけど)
 しっかり自分も遠逆の者だと思い知らされる。自分だって、自分が大事だと思うもの以外はどうでもいいのだから。
 部屋に来ると背後に控えるようにと言われ、隠れた。
 欠月は思う。
(参ったな。静君、心配してないといいけど)
 侵入者は真っ直ぐここまで来たらしい。気配で何者かはわかった。やはり死んでいなかったのか。
(ボクとしたことが……。次は仕留める)
「欠月」
 呼ばれて欠月は長の表に立つ。見つめた相手はこの間仕留め損なった男だ。見たところ外傷は全くない。どういう身体をしているんだ、こいつ。
「長に触れることは許さない」
「そうだ。必ずわしを護れ」
 この老人を護ることは静を守ることだ。欠月は頷く。
 目の前の男は武器をこちらに向ける。そうか。戦う気か。殺る気か。
(ふふっ。笑っちまいそうだ)
 いいだろう。来いよ。おまえのせいで静君を心配させたんだ。許すものか。おまえのせいで。おまえのせいであの生活を捨てなきゃならなくなった。予定ではまだ先だったのに。
 死ねばいい、おまえなんて……!
 欠月は自身の影を浮かび上がらせ、手に掴んだ。
 どちらも待っていた。戦いの合図を。
 どちらが仕掛けるかじりじりとうかがう。
 先に仕掛けたのは敵だった。欠月は同じようにダッシュして相手に攻撃をする。激闘開始、だ。

 一体何分かかったのかわからない。長いようでいて、短いような気さえする。
 消耗が早いのは欠月のほうだった。自分の能力と同等の相手と戦う、その緊張感で通常の倍近くスタミナは消費される。
 荒い息を吐きながら欠月は脇腹の傷を手で触れて確認する。出血は予想よりは少ない。内臓に傷はないようだ。
 血が衣服のあちこちを汚している欠月と同じような格好なのに、敵の少年は無傷だ。傷を負ってもすぐに回復してしまうのだ。
(違う……あれは『回復』なんてカワイイもんじゃない)
 あれはおそらく『復元』だ。回復なんていう、本人の治癒能力を底上げした能力なんてものではない。自身ではなく外部からエネルギーを使って身体を復元しているのだ。
(どういうヤツなんだ。人間じゃないだろ)
 舌打ちしたくなる。このままではこちらが負ける。この男に弱点でもあれば話は違うのだが、戦っている限りそんな様子はない。
 だが。
(だからって、はいそうですかって諦めるわけにはいかないさ!)
 ここでの敗北はそのまま静の死に繋がるのだ。
 何度目かわからない撃ち合い。刃の形の影が衝突し、その度に双方にダメージが蓄積される。けれども体力が無尽蔵のような敵に比べて欠月はそろそろ息が続かなくなってきた。
 負けるなんて微塵も思えない。そういう不安は湧いてこない。それが欠月の『強さ』でもある。
 常人の目では追えない攻撃の数々。二人は繰り返し、互いを殺すために武器を振るう。
 長引けば欠月は殺されるだろう。相手はそれを見越している。
(嫌だ)
 激しい感情が渦巻いた。
 嫌だ。おまえなんかに殺されたら、あの子が悲しむじゃないか。死なないでくれと言ったんだぞ、こんなボクに。
 死ぬために生まれてきたのに、生きてくれと言われたんだ。例えそれが寂しさから生まれたものでも、誰かに必要とされたならそれに全力で応えて何が悪い!? ふざけるなよ!
(おまえなんかに)
「おまえなんかに」
 歯を軋ませ、欠月はぎらっと相手を睨みつけた。
 殺してやる。殺してやる――!
「凍て尽くせ――――、『月下凍夜』!」
 パキン、と音がした。一瞬で部屋の温度が下がり、二人の戦闘で破壊された畳が凍りつく。だが、それだけに留まらなかった。
 欠月の右瞳に収束された『力』が部屋を覆う。それに飽き足らず、侵食し続けた。
 畳についていた足が凍る。敵の少年は驚いたように欠月を見てくる。欠月自身も凍りつき始めているのだ。
「凍らせれば復元はすまいよ……!」
 不敵に笑う欠月に向けて少年は何か言おうとする。うるさい。黙れ。おまえの声など聞きたくない。みんな全て凍りついてしまえばいい!
「ちぃ……っ!」
 舌打ちした敵の少年も左眼に力を込める。どんな能力かわかりはしない。だが、異能の力がぶつかれば、そこに生まれるのは暴力的な衝突だけだ。
 その破壊のことを考え、欠月の力が緩んだ。動きが停止する。
 結界がある。だから大丈夫……だとは思う。けれどもそれを破壊されたら……? 部屋と部屋を仕切る結界など、脆弱なものだ。ここでこんな力が二つもぶつかれば、ただでは……。
(静君!)
 びくんと欠月が震える。恐怖で彼は『月下凍夜』を停止させてしまった。それが致命的だった。
 敵の放ったなんらかの攻撃に欠月が押され、そのまま『弾き飛ばされた』。部屋の外に。
 庭に身体が叩きつけられる。受け身もとれなかった。
「ごほっ、うえっ……」
 やられた!
 欠月は血を吐き出す。なんたる油断!
 しかしあれしか方法がなかった。嫌な予感が確実にしたのだ。そしてその予感は確信だった。
 肋骨が折れたのはわかった。重たい空気を正面から受け止めたような感触。
(あの野郎!)
 わかっていてやりやがった!
 起き上がる欠月の前に誰かが立っていた。気配でわかる。未星だ。
「未星……邪魔をするなら殺すぜ」
「懐かしい。その口調、似合わないからやめたと聞いたけれど」
 肩をすくめた未星はせせら笑う。
「とんでもないことが起こるのよ。あんたが最後だから一応言っておいてあげる。避難したほうがいいわ」
「なんだ突然」
「あんたが戦ってた男、あいつ面白いことやらかす気なの。ふふっ。だから早く逃げたら? あんたの可愛い弟くんを連れてね」
 その言葉と同時に欠月はすぐさま立ち上がって駆け出した。一直線に自分の部屋のある建物を目指す。
 未星は長い髪を後ろへと手で払う。そして冷たい表情で呟いた。
「それでいいのよ」
 さて、後は……。
 未星は建物を振り向いた。そこでは今まさに、あの少年と遠逆家を支配し続けていた老人が決着をつけようとしている。
「そろそろ『変化』が見たかったのよね。だってツマラナイんだもの」
 人を人とも思わず惨殺することで身内の中では有名な遠逆未星は、さっさとその場を去った。



 怖い。
 静はじわりと汗をかく。
 このままここに居ていいものか。それとも。
 先ほどから何度考えただろう。考える度に自分に言い聞かせる。大丈夫。きっと大丈夫、と。
 膝を抱えて頭を伏せていた、いつの間にか。
 怖い。怖い。怖い。
 静は一人になるのが怖い。欠月と一緒に居られないのが恐ろしい。
「静君!」
 呼び声と共に障子が乱暴に開けられた。人影を見上げ、静は歯を食いしばった。
「か、欠月さ……」
 涙が零れる。怖かった。本当に怖かったのだ。
「うぇ……っ、に、兄さん……、僕、僕……」
「バカだね。避難しろって言われたんじゃないの!?」
 焦ってそう言う欠月の姿は静をさらに不安にさせた。黒い衣服なのに血がべっとりとこびりついている。欠月もケガをしているのは明白だった。
「欠月さん! ケガしてるんですかっ!?」
「そんなのいいから早くここから逃げるよ!」
 欠月としては時間がない。長の護衛を投げ出してきたのだ。遠隔で自分に攻撃を加えられたらアウトだ。ここで倒れてしまっては静を一人にしてしまうことと同じことだからだ。
 静は首を横に振る。
「よくないですよ!」
「今はいいんだよ!」
 欠月が怒鳴り返した。静の手を掴んで引っ張りあげ、そのまま背負った。
「ちょっと急ぐよ。大きく息吸って」
「え? は、はい。すー……」
「吐かずにそこで息止めて。じゃ、行くよ」
 宣言した途端、欠月は静を背負ったまま一気に跳躍して屋根の上に着地する。そのまま屋根づたいに跳躍していく。まるでジェットコースターだ。それより酷い。上下運動が激しいので静は目を閉じて吐き気を堪えるのに必死だった。
 あっという間に屋敷を囲む塀の手前まで来ると、着地して欠月は正門を目指して一気に駆けた。そしてそのまま門を通り抜ける。
 途端、背後で唸るような音がした。静はそっと瞼を上げ、そして見た。
 竜巻だ。竜巻が目の前に。
「う……あ」
 迫力なんてものじゃない。あんなのに巻き込まれたらただでは済まない。
 ぎゅ、と欠月にしがみつく。欠月も呆然と成り行きを見守っていた。
 竜巻が消え去った後、騒がしくなった。静も驚いたことに、塀の外に避難していた遠逆家の人たちはかなりの人数だった。どうやってあの屋敷で生活していたのか疑問に思うほどだ。
「ど、どうなったんでしょうか……?」
「……わからない」
 静の問いに欠月は困惑して首を横に振る。
 事情がわかったのは三時間後だ。長のいた部屋があった建物が丸々竜巻に呑まれてしまったらしい。長の行方はわからない。
「で、さ」
 欠月の部屋があった建物は無事なので、二人はそこに戻っていた。欠月は首を傾げる。
「長がいなくなったのはいいんだけど……。生死不明ってのは痛いかも」
「え? どうしてですか?」
 元凶がいなくなったならかなりいいはずだ。少なくとも静にとっては嬉しい。あの不愉快な老人を見なくて済むと思うとかなり気が楽だ。
「死んでるなら死んでるで、はっきりして欲しいよ。ボクの身体に仕掛けてあった呪いとか諸々、どうなったんだって感じ」
 頬を膨らませる欠月はムスっとする。すぐさま障子のほうを見遣った。
「未星は『ばーか。そんなの気にしてないでさっさと消えろブタ』とか言ってたけどね」
「……あの人、綺麗な人なのにけっこうヒドいですよね……」
 口も悪い。
 欠月はばたばたと手を振る。
「あんなもんだって遠逆の人間は」
「欠月さんは違いますよ」
「いーや。ボクもあいつらと一緒。マトモに見えるようにしてるだけかもよ?」
 ふふんと笑う欠月は「さてと」と言ってからニカッと笑った。
「じゃあ、帰ろうか」
 唐突に言われて静は瞬きをする。というか、欠月さん顔にも血が散ってるんですけど。着替えなくていいんですか???
「か、かえる?」
「そ。キミの家に。あ、ボクとキミの家かな」
「…………………………………………………………」
 長い長い沈黙のあと、静はぼろぼろと泣いてしまう。うおっ、と欠月がのけぞった。
「な、なんで泣くかな。泣き虫だねぇ、キミは」
「だ、だっ……て! 帰れるんですか? 本当に? もういいんですか?」
「長がいない以上、ボクをここに置いておく理由はないでしょ。だから帰ろう」
「……っ」
 ぐっと堪えたが、無理だと感じた。欠月が頭を撫でてくれる。
「嫌なこといっぱい感じさせちゃったね。ごめんね」
 その声があまりに優しくて、静は無理に笑おうとして、見事失敗した。
「い、いいんです。いいんです、僕は」
「よくないでしょーよ」
「僕のことより、欠月さんケガは?」
 そこで欠月がわざとらしく「ん?」と可愛らしくニコッと笑った。瞬間、静が半眼になる。
「ちょっと欠月さん……まさか結構ひどいんじゃ……?」
「そんなにひどくないよ。アバラ折ったのと、あと脇腹切られてるくらいで」
「何やってるんですか! 早く手当てしてくださいよっ!」
「いや、まだ大丈夫かな〜って思って」
「大丈夫なわけないですよ! なんでそう自分のことには無頓着なんですかっ!」
「放っておいてもそのうち治るよ」
「そんなわけないでしょう! もうっ! 早く救急セットでもなんでも借りに行きましょう!」
 欠月が嫌そうな顔をする。どうしてこの人はこうなんだろう。先が思い遣られた。
 欠月の肩を押して部屋から外に出る。しかし彼はどうも足取りが重い。
「やだなぁ。医務室みたいなとこはあるんだけど、そこ……」
 欠月が嫌がる理由はすぐにわかった。薬が保管されている部屋に寄ろうとした時、そこに未星がいたのだ。
「塗り薬を取りにきたの? 残念ね。タダでは渡せないわ。そこに二人で土下座して犬のように乞いなさい」
 冷たい表情で言われて静は青くなり、欠月はうんざりしたような表情をとった。だが未星はすぐに小さく笑う。
「冗談よ。ふふ」
 顔を引きつらせる静はこそこそと欠月に耳打ちした。
「この人いつもこうなんですか?」
「命令されてない時はこんな感じだよ、いっつも」
 二人は、こちらに興味がないように薬の残りを調べている未星を見て、そこを後にした。
 欠月の傷が完治するまで遠逆家に居ることはしなかった。静は欠月と共に山を降り、そのまま東京に向かうことにする。それは欠月の優しさでもあった。



***



 世間は春休み。関係あるのは静だけ。欠月は学校に通っていないからだ。彼の傷は現在、ほぼ治っている。
 二人はのんびりと桜並木を歩いた。はらはらと舞い散る桜の花びらが綺麗だった。
「いい天気だねぇ」
「そうですね」
「兄さんって呼んでいいよ」
「ぶっ。なに言うんですか!」
 唐突のセリフに真っ赤になって反応すると、欠月はくすくすと笑った。その笑顔に静は「もう」と呟く。こういうやり取りが嫌いなわけはない。むしろ今は心地いい。
「もうすぐ新学期だね」
「そうですね……」
 すぐさま残念そうに言う静を横目で見て、欠月は「わかりやすい」と思う。
 欠月は両手を広げ、空へ向けた。
「いいじゃない。学校は貴重だよ。若いうちにできることはやっておいたほうがいいって」
「そうですけど」
「帰ったら、ちゃんとボクが家にいる。おかえりって言って、キミを迎える。それだけじゃ、寂しいかな?」
 意地悪な笑みを浮かべている欠月を見遣り、静は「もう」と、今度は降参したように呟く。けれども、嬉しかった。すごく。
 ああ、なんて。
(僕は幸せなんだろう……)
 不安が全てなくなったわけではないけれど、自分が欲していたものは確かに今、隣に在る――――。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【5566/菊坂・静(きっさか・しずか)/男/15/高校生・「気狂い屋」】

NPC
【遠逆・欠月(とおさか・かづき)/男/17/退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました菊坂様。
 Vを欠月の側面から見たこのお話を少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
 最後まで書かせていただき、大感謝です。
 菊坂様と欠月のこれから先の人生が良いものでありますように……!