■戯れの精霊たち〜火〜■
笠城夢斗
【3087】【千獣】【異界職】
 『精霊の森』にたったひとつだけ建つ小屋を訪ねると、中にはなぜか暖炉があった。
 しかも、火が入っている。
「やあ、いいところへ来たね」
 この森に住むという青年が、暖炉に木の枝をくべながらこちらを向いた。
「どうだい、あったまっていかないかい?」
 ――それ以前に、寒くないんだけれども。
 反応に戸惑っていたら、青年は意味を取り違えたらしい。
「暖炉は好きじゃない? じゃあこっちはどうかな」
 連れて行かれたのは小屋の外――裏側。
 そこには、なぜかごうごうと燃える焚き火があった。
「こっちの火力はまた凄いよ。あったまるよ」
 ――いやだから、寒くないんだけれども。
 青年は眼鏡を押し上げながら、上機嫌そうに言った。
「うん。今日は暖炉の精霊も焚き火の精霊も元気だ。きっとキミが来てくれたからだな」
 はい?
「つまりね。火の精霊がいるんだよ。暖炉と焚き火のそれぞれに」
 銀縁眼鏡のふちが、火に照らされて赤く染まった。
「彼らはそこからまったく動けない。ずっと燃えているだけっていうのも退屈らしくてね……だからさ。キミの体を彼らに貸してくれないかな?」
 火の精霊を体に宿す?……危なくないか?
「うん、まあ。ものすごく熱いと言えば熱い。宿らせた当人よりも、宿らせた人に触る人間のほうが熱いだろうねえ」
 爽やかに言うことじゃないと思うんだけれども……
「ついでに、彼らは気性も荒いよ。はは、やっぱり怖いかい? ならせめて、遊び相手になってやってくれないかな」
 眼鏡青年はどこまでも気楽に、そう言った。
戯れの精霊たち〜優しい炎の心に触れて〜

 精霊の森のある日、千獣がクルスの小屋にやってきた。
「どうした?」
 相変わらず白衣姿で研究中のクルスが声をかけると、
「暖炉……」
 千獣は万年消えない小屋の暖炉を見た。
「……ねぇ、暖炉の、火の、精霊……グラッガ……だよね……」
「うん? ああ」
「……お話……できる……?」
 それはインパスネイト《擬人化》の方かい、とクルスが尋ねると、千獣はちょこんとうなずいた。
「……この、前……クルス、怪我、させた、とき……私、じゃ、治せ、なかった……」
 暖炉の前に座り込み、千獣は炎の赤を自分の瞳の赤と同化させる。
「でも、グラッガ、が、教えて、くれて……だから、その、お礼……言いたい、な……」
「………」
 クルスは意外なことを言われたかのように、目をぱちくりさせたが、やがてくすっと笑った。
「そうか、グラッガか……」
「なに、か、変……?」
「いや」
 激しく嫌がっているからさ、とクルスは腕を組んでくっくと笑っている。
「怒って、る、の……?」
「――恥ずかしがってるんだろう」
 クルスがそう言った途端、暖炉の炎がぼうっと大きく揺れた。
 ははっとクルスは笑った。
「よしよし。お望み通り擬人化させてやろう」
 それは千獣に言ったのかグラッガに言ったのか、まるでいたずらっこのように。
 ごうごうごうごう炎の勢いが激しくなる。
「千獣、火には気をつけていろ」
「うん」
 クルスはグラッガの方に手を向けた。そして最近やり方を変えたという、インパスネイト――
 手の周辺に、金の光の粒子。
 クルスはパチンと指を鳴らした。

 粒子がその場で散った。

 そして千獣の目の前で、いつの間にか現れた光の粒子がきらきらとまたたき何かを形どる。人間の体の輪郭を。柔らかく柔らかく包み込むように粒子はどんどん増えていく。
 やがて、光はまばゆく光って弾けた。
 その瞬間、炎は金で彩られ、えもいわれぬ色が生まれて千獣の瞳を燃やした。
 そしてそのまた次の瞬間に訪れたものは、それを打ち消してしまう野暮なものだったけれど。

『てめ、こら、クルスーーーーー!!!』

 人間で言えば二十代前半だろうか――
 炎の中に、赤い体の不思議な青年が現れていた。
 しかし彼は、ひどく機嫌が悪そうだった。
『俺を擬人化させるんじゃねえと何度言ったら分かる何度言ったら分かる何度言ったら分かる!』
 クルスがあっはっはとおかしそうに笑った。
「悪いなあ。今回はこちらのお嬢さんがお前に会いたいとのことで」
『んなもん無視しろド阿呆ーーーむっつりすけべーーー』
「ははは。お前もたまには妙齢の女性と語り合え」
『どこが妙齢だまだガキじゃねえか、てかどこへ行くーーー!』
「僕がいたら邪魔だろう?」
 クルスは千獣を見る。千獣は逡巡してから、こくんとうなずいた。
「ごめん……ね……?」
「いいさ。たっぷりグラッガと話してくれ」
 僕は外の切り株のところにいるからね――と、白衣を脱ぎ、本を手にしてクルスは出て行った。
 千獣は目の前で憤然としている火の精霊を見つめる。
「……あなた、が、グラッガ……?」
『………』
 グラッガは腕を組み、あぐらをかいてそっぽを向いた。無視を決め込むつもりらしい。
 けれど千獣は笑顔になった。
「こう、して、会うの、は……初めて、だよね……」
 初め、まして……と千獣は囁くように、けれど炎を揺らすほどに強い心で挨拶をした。
「……あの、とき……ありが、とう……」
 ちょこんと頭を下げる。
『………』
 グラッガは必死にそっぽを向いて、無視を続けている。
 しかし千獣は気にせず、しゃべり続けた。
「グラッガ、が、治し、方……教えて、くれ、なかったら……クルスの、怪我……治るの、もっと、時間、かかった……」
 彼女の語りは紡ぎ糸のように、グラッガを捕らえていく。
「助けて、くれて、本当、に、ありがとう……」
『……別に』
 根負けして、グラッガはぼそっと言った。
『お前がとんちんかんな癒し方をしようとしたから、見ていられなかっただけだ』
 千獣は笑みを深くした。
「やっと……しゃべって、くれ、た……」
『うるせえよ!』
 グラッガは怒鳴る。『このアマ、俺たち精霊にとっちゃクルスを取りやがった憎たらしい女だっていう自覚あるのかよ!』
 千獣はちょこんと小首をかしげる。
「なあに……? それ……」
『……くそっ』
 そう言えば、と千獣は思い出した。
 以前樹の精霊ファードに聞いたことがある。精霊たちの中で一番甘えん坊なのはグラッガだと。
 そして、一番クルスになついているのもグラッガだと。
 ずっとずっと小屋の中で一緒にいるから、他に取られたくないのだろうと、そう言っていた。
 ファードとグラッガは、クルスによる『人に体を借りる』技を使わなければ永遠に会えない精霊だったけれど、会ってみて一目で分かったと言っていた。
 そっか、と千獣はグラッガを目の前にして納得する。
 確かに、クルスにすごくなついているような気がする。怒鳴れるのは、わがままを言えるのは、甘えているからだ。
 千獣はふふっと笑う。
『何笑ってやがる、小娘!』
 いらいらとグラッガは千獣をにらみつけた。
 それさえも、千獣は笑みで返した。
『この女は……っ』
 両手を拳にするグラッガの前で、千獣は少し考えた。
 炎はグラッガが人化した分、量が減っている。なぜだか知らないが、端っこに白い炎があった。他の誰かからの贈り物かもしれない。
「………」
 千獣はグラッガの前で完全に座り込み、足を抱えてゆらゆらと揺れる炎を見る。
「グラッガ、は、火……」
 ぽつり、と言葉が落ちた。
『ああ!?』
 グラッガは律儀に反応した。
「……火、は、熱い……」
『当たり前だろうが!』
 やっぱり律儀に反応する。グラッガは生真面目なのかもしれない。
 そんなことも思う一方で、言葉はとまらない。
「身を、焼く……少し、怖い、と、思って、いた、けど……」
 足を抱えるのをやめて、今度は膝を下にして座り直す。
 グラッガに触れるかのように、手を差し伸べた。
「でも、グラッガ、は……怖く、ない……優しい、ね……」
 にっこりと、笑った。
『冗談じゃねえよ』
 グラッガは鼻で笑った。
『火が怖くねえ? んなわけねえだろ。俺たちは永遠に、人間にとっては燃やすもんだ』
「人間、が、火、を、知った、時……」
 千獣はいつだったか、昔世話になった老子が言っていた言葉を思い出す。
「人間、は、進歩、したん、だって……」
『は!』
 グラッガは吐き捨てた。『そう言いながら、人間は結局炎を怖がるんだ!』
 必要としている一方で。
 火は怖いと、皆が言う。
「………」
 千獣はちょこんと小首をかしげる。
「クルス、は、怖がら、なかった、の、かな……」
『あの野郎のことはどうでもいい!』
「どう、やって、あなたと、仲良く、なったの、かな。知りたい、な」
『だからどうでもいい!』
「――クルス、は、火が、怖く、ないって、言った……?」
『いい加減にしろよ……!』
「じゃあ……」
 千獣は囁く。
 あなたに、焼かれても、きっと、怖くない。
 手をすっと炎に近づける。
『………! やめろ!』
 グラッガは怒鳴った。
 千獣は手を引っ込めて、
「ほら、ね……」
 と笑う。
『く……』
 グラッガがうめく。心底悔しそうに。
「ね……教えて。どうして、そんなに、クルス、が、好き、なの……?」
『………』
「だめ……?」
 千獣は手を合わせてちょこんと首をかしげてみせる。かわいらしいしぐさだった。
 グラッガはちらっと千獣を見てから、がりがりと頭をかいた。
『……さっきお前がやったのと、似たようなことをやったんだよ、野郎は』
「似た、ような、こと……?」
『あいつは暖炉に手をつっこんで焼きやがった。その後で、「やっぱり怖くない」って火傷だらけの腕で笑ったんだよ』
 千獣は微笑む。今は小屋の外にいるはずの彼女のパートナー。
「クルス、らしい、ね……」
 そして。千獣は思う。
「それで、クルスを、好き、に、なる……なんて、やっぱり、グラッガ、も、優しい……」
『ああ!?』
「信じて、る。……違う。目の前、で、見て、る、だけ、で、分かる……」
 あなたは、優しい。
 少女はそう繰り返した。
 グラッガは気が狂ったかのように頭を抱えて振った。
『やめろ……俺は優しいなんて言われたくねえ!』
 それを聞いて、初めて千獣は不安を感じた。
「そう、なの……? 何で……?」
『――俺は、火だからだ!』
 グラッガは泣きそうな声で言った。
『火は、恐れられていなきゃいけないんだ……! 優しいなんて言われたら、存在意義をなくしちまう!』
「何で……?」
 心底不思議だった。
 人と火は常に共にあるもの。優しいと思おうが何しようが、絶対に必要不可欠なもの。
 この火の精霊は、何を恐れているのだろう。
「大丈夫、だよ……?」
 千獣は微笑んだ。
「人間は、逃げる、かも、知れない、けど……本気で、火を、嫌い、には、ならない、よ……?」
『―――』
「元気、出し、て」
 思えばおかしな励まし。
 炎ほど活力に満ちたものはないはずなのに。
 けれどグラッガの火は今、力をなくしているような気がしたから……
 そのままではいてほしくないと、思ったから。
 千獣は手を伸ばした。
 グラッガが止める間もなく、彼女の手はグラッガの炎に浸った。
『―――! やめ、ろ……!』
 ほら、やっぱりグラッガは。
『火傷……するじゃねえか……っ』
 火で誰かが傷つくことを、怖がっている。
 千獣の腕は火傷を負った。
 けれど彼女の中にいる魔獣が、それを簡単に癒してしまった。
 何もなかったかのように元に戻った腕を見せて、千獣は笑みを深くする。
「ほら、私、も、グラッガ、怖く、ない」
『………』
 グラッガはうつむいた。“そんなのは一部の人間だけだ”――
 それでも。それでも。
『そう……言ってくれるやつがいるの……は』
 ――嬉しい。
 最後の一言を飲み込んで。グラッガは顔を上げた。千獣をにらみつけ、
『お前が俺たちからクルスを奪ったことには違いはないんだからな!』
 千獣は目をぱちくりさせ、
「奪った、って、なに……?」
『だからだな……!』
「クルス、は、精霊、皆、の、クルス、だよ……?」
 ――あの人は、私のことも精霊だと言ってくれた。
 だから私は、グラッガたち精霊の仲間だから。
 だから、ね。
「仲良く、しよ……?」
 あなたが信じられないと言うのなら、何度炎の中に腕をつっこんだっていい。
 そのたびにあなたは『やめろ!』と叫ぶのだろう。
 それでいい。あなたは優しいから。
 優しいあなただから、それでいい。
「グラッガ……グラッガ、の、こと、も、大好き……」
 千獣は心の内を素直に吐き出した。
 グラッガはそっぽを向いただけだった。けれど炎は大きく揺れた。
 きっとそれが、彼の感情表現。
 彼は自分を受け入れてくれる。
「また、何か、あったら……助けて、ね」
『ふん。自分で考えろ』
「グラッガ、が、いるから、安心、して、いられる、よ」
『人頼みにすんな!』
 何度怒られても怒られても。千獣の顔から笑みが消えることはなかった。
 なぜなら、彼女の心からも消えなかったからだ。
 瞳に映る赤い炎の、優しい優しいゆらめきが……


 小屋の外に出ると、
「もう終わったのかい?」
 切り株に座って読書をしていたクルスが顔を上げた。
「うん……」
 千獣は立ち上がるクルスの傍によって、
「あのね」
 耳打ちをするようなしぐさをした。
 クルスがそれに合わせて身をかがめる。
「グラッガ、は、ね。クルス、が、大好き、だって」
「―――」
 クルスは声を立てて笑った。
 千獣はむくれて、
「笑っちゃ、だめ。受け止め、て、あげ、て……」
「ああ、もちろん」
 さあ小屋に戻ろうかな。クルスは身を翻す。
 小屋に戻ったら、グラッガとクルスはどんな会話をするのだろう。
 そう考えたらやっぱり笑みがこぼれてきて――
「今日、一日、だけで、笑顔、使い、果たし、ちゃい、そう」
 千獣は顔をもにゅもにゅした。

 それは精霊の森のある日のこと。
 火は優しいと信じてやまない少女が、火の心に触れた日のこと――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
こんにちは、笠城夢斗です。今回もゲームノベルへのご参加ありがとうございます!
千獣さんにとっては初めてのグラッガノベルになりますね。グラッガは書きやすい精霊の一人なので嬉しいです。
グラッガに優しく対応してくださって、ありがとうございました!
よろしければまたお会いできますよう……

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