■妖精と茨の輪■
紺藤 碧
【2470】【サクリファイス】【狂騎士】
 少し町外れの広場にそれはそれは綺麗な輪っかの模様が浮かび上がるんだってさ。
 最近になってよく見られるようになったが、数日すると消えちまうから、噂を聞いて見物に行くころには消えちまってる。
 でもよ、そこに輪っかがあったって言う証拠だけは残ってるんだ。
 何かって?
 模様自体は消えちまってるが、その一番ふちっこの丸い形に草が枯れてたりキノコが生えてたりするんだとよ。
 実際見た奴の話じゃ、キラキラしてたって言ってたなぁ。

 あぁ、そうだ! もう1つ。
 どうやら模様がある内にその輪っかに入ると、なんてーか別の場所に出るだか、変な事が起こるだか、あるらしいぞ。
 だからかねぇ、仲間内ではその輪っかの事を、

『フェアリーリング』

 てぇ、呼んでるんだってよ。
 もし出くわしたら、一度入ってみるのも面白いかもな。


妖精と茨の輪 〜太陽の帰還





 あまりの強い力に、サクリファイスは困惑の色を瞳に浮かべ女性を見た。
「あなたは……?」
 髪の色、瞳、面影、全てが二人に良く似ている。
「……ああ、いや、今はそんなことを言っている場合じゃない」
 サクリファイスは現状を思い出すようにはっとして振り返れば、ソールはもう幾ら手を伸ばしても届かない場所へ行ってしまっていた。
「ソール!」
 ソールが連れて行かれる!
「綺麗な蒼い髪…翼も綺麗ね」
 この人は何を言っているんだと思った。
 今目の前で起こったことが見えていなかったのだろうか。それとも、あの広場の人々のようにただ無関心なだけか。
 ソールは言ったのだ。マーニは捕らえられていると。このままソールが連れて行かれてしまったら、二人とも助けられない。
「手を離してくれ!」
 サクリファイスは女性の手を振りほどこうとするが、にっこりと微笑んだ女性の手は、まるで吸い付いているかのようにサクリファイスを捕らえて放さない。
「だめ」
 女性は静かに首を振る。
「だってあの子がつれてきた子なのよ? とても興味があるわ」
 あの子…? 
「二人を助けたいんだ。だから手を離してくれ!」
「助ける? 何から?」
 愕然とした。この人もソールを連れて行った集団に組していないだけで、その根本は同じなのだと。
「あなたが何を心配しているのか分からないけれど、あの子は分かっていて彼らと共に行ったのよ」
 共に行ったと言うよりは、捕らえられていったの方が正しい。
 気にせず、女性はくすくすと笑う。
「だってそうすれば、『交わりの間』へ連れて行ってもらえるもの」
「その『交わりの間』にソールが居るんだな」
「うふふ、あの子ったら開放されて直ぐに知識を引き出したのね。『交わりの間』を知っているなんて。ソフィストですもの。当たり前かしら」
 会話がかみ合わない。
 このまま意思の疎通が叶わずにただ時間だけが経っていきそうで、サクリファイスは焦りと苛立ちで顔をしかめる。
「そんなに怖い顔をしないで。綺麗な顔が台無しだわ」
 女性の手がぱっと離れる。
 突然の解放にサクリファイスは一瞬虚を衝かれ、もう遅いと分かっていながら広場へと走り戻った。
「……マーニ!」
 ついさっきまでの騒動など嘘のように静まり返った広場で、眠るように瞳を閉じたマーニが一人、倒れている。
 サクリファイスは倒れるマーニに駆け寄り、その身を抱きしめた。
「“あなたは?”って聞いたわよね」
 ゆっくりとした動作で二人の元に歩み寄り、その傍らで膝を折った女性は、そっとマーニの頬を撫でる。
「私はソフィスト。そうね……言い方を変えれば、『親』かしら」
 女性を始めて見たときに感じた戸惑い。もしかしてという予想はしていたが、それと同時に怒りを越えた悲しみが押し寄せた。
 だって、聞きたい。
 親ならば、どうして子供を助けないのか。
「興味深いわね。この子まだ生きてる」
 そんなサクリファイスの思いなど女性は知りもせず、どこか嬉しそうな声音で呟いた。
「器を維持すればそれだけ光が持続するのね。この論理を証明できれば、大きな発見になるわ。長老に教えてあげなくちゃ」
 触れるその手はとても優しい暖かさを持っているのに、その口から出る言葉は彼らを“人”と見ていない。
「親なのだろう!? なぜ彼らを助けようと思わないんだ!」
 堪えきれなくなってサクリファイスは叫んだ。
「この街には“この子”達が必要だもの」
 どう必要なのか自分は知らない。けれど、それがあの二人に辛い宿命を負わせたことだけは分かる。
「あの二人のことは、全てではなくても、境遇は聞いた。ソールとマーニは、誰にも心開けず生きてきた。それがやっと、誰かに心開き、共に生きることを望めるようになったんだ」
 サクリファイスは泣きたい気持ちをぐっとこらえ、マーニを抱く手に力がこもる。
「太陽になるとか月になるとか、よく分からないが……」
 このまま放っておいたら、二人とも失ってしまう気がして。
「“ソール”と“マーニ”は名前じゃないわ。役割」
 代々この街の太陽と月を維持し、もたらす役目を負った双子に付けられる、役職の名。
「どちらにせよ、このままではまた彼ら兄妹が何かの犠牲になるんだろう?」
「……犠牲。面白い考え方だわ」
 街に中に居るだけでは決して生まれない考え。女性は立ち上がり、その発見が嬉しくてしょうがないとでも言うかのように微笑む。
「そうね、あの子に会いたいのなら『交わりの間』へ連れて行ってあげてもいいわ」
「あなたは一体何を考えているんだ?」
 ソールの元へ連れて行ってくれるならば願ったり叶ったりだ。だが、この女性もあの老人たちとそう変わらない思考を持っているように感じる。双子に宿命を背負わせ、それを何とも思わず、街の維持だけを望んでいる。そんな歪んだ考えを。
「私が信じられない? 敵とか、味方とか…そんなことは小さなことだわ。全ては真理であり、知識ならいいの」
 裏も表もない。ただ純粋な興味。この女性の中にあるのはそれだけ。
「おかしいでしょう? 私達。それが全てなんですもの」
 微笑んでいるのに。何故だろう、その顔が泣いているように見えるのは。
「あなたを信じよう…」
「こっちよ」
 サクリファイスはマーニを抱え、女性の後をついていった。





 女性の興味が赴くままではあるが、結果的に助力を得ているような形になってしまっている。その真意が分からぬまま、それでもサクリファイスは女性に導かれ、かの『交わりの間』へと降り立った。
 そこは、街の空を走っている二本の線が、床からちょうど眼の高さで交差し、その交差点を中心点としている機械文字が幾重にも重なった不思議な部屋だった。
 ソールはその交差の前で立っていた。
「ソール!」
「サクリファイス…っ!」
 名を呼ばれたことに驚き振り返ったソールは、そのまま表情を硬くして叫んだ。
「その女から離れろ!」
「女…とか、失礼ね」
 サクリファイスの後ろから微笑を湛えていた女性が、肩をすくめるように息を吐き出す。
 走りこんだソールはサクリファイスをその背にかばい、女性をきつく睨み付ける。
「覚えているぞ…、あの日俺たちを捨てたことを」
 搾り出された言葉に、サクリファイスはソールを見やる。
「捨てた…? よく意味が分からないけれど。太陽と月を維持するための旅に出させた事がそれに当たるの? だってそんな考え方ソフィストには無いもの」
 本当に意味が分からないという風に口元に手を当てて首をかしげる女性のしぐさに、わざとらしさは感じられない。
 罪の意識というものがまるでないその言葉に、サクリファイスの背筋がぞくりと震えた。
(壊れている…ここに居るソフィストと呼ばれる人たちは…)
 その高い知能と、深い知識を得る代わりに、人としての何かが欠けてしまった者たち。
 尚も何かを言い募ろうと薄く口を開いたソールだったが、ぐっと唇をかみ締め、気持ちを切り替えるようにゆっくりと瞬きした。
「……ありがとう。サクリファイス」
 ソールは振り返り、サクリファイスからマーニを受け取る。
「いや、私は何も……」
「一緒に来てくれた。こんな…ところまで」
 言葉と共に、サクリファイスに向けて、少々困ったような、しかし嬉しそうな微笑を浮かべる。
「だから帰ってきちゃダメなのよ。“ソール”と“マーニ”は。最後には自責の念から自ら太陽と月にならなくちゃ。あなたみたいにこの街に可笑しな真理を持ち込むから」
「可笑しくなどない!」
 反射的に叫んだサクリファイスに、女性の目が微かに見開かれた。
「人は、何かの犠牲になるために生きているんじゃない!」
 おかしいとすればこの街のほうだ。まるで誰かの命を糧として維持しているような、こんな街のほうが、何倍もおかしい。
「本当ならば、ソールにはソールの、マーニにはマーニの人生があったはずだ。こんな…こんな過酷な運命の渦中ではなく、人としての幸せがあったはずだ」
 旅に出なければ、この女性のように知識と興味を第一に考えるような人になっていたかもしれない。それでも自らの手を血で染めるような生よりはいい。
 女性を睨み付けるサクリファイスの後ろで、ソールの“言葉”が響く。
 見た目は何も変わらない。だが、今まで土気色に近かった肌が、微かに赤みを帯びたように見えた。
「……にいさん…?」
「マーニ!」
 喜びもつかの間、マーニがうっすらと瞳を開けたのと同時に、街から一気に光が消えうせる。
「あまり時間がない」
 日が消えたことは、街に住む全ての住人が気がついただろう。
 長老たちが人を引き連れてこの『交わりの間』に押し寄せるのも時間の問題。
「立てるか? マーニ」
 今まで眠っていた神経を動かすことは容易ではない。だが、マーニは決意を込めた強い瞳で頷いた。
 ソールは小さく「よし」と呟いて、その口元に微かに笑みを浮かべる。そして、振り返り、サクリファイスに手を差し伸べた。
「行こうサクリファイス」
「ああ」
 サクリファイスは差し出された手を取って、走り出す。
 その先に、あの女性が立っていた。
「邪魔…するのか?」
 ソールの瞳には、今まで何もしなかったのに“今更”という色が浮かんでいる。
 しかし、そんなソールの心配はよそに、女性は微かに肩をすくめて微笑を浮かべると、小首をかしげた。
「止めないわよ、私。だって興味がわいてしまったんだもの」
 街の住人らしからぬ言葉に、ソールだけでなくマーニも驚きに眼を見開く。
 ああ、この女性も不器用な人なのだとサクリファイスは思った。
「ハティとスコールが居なくなったこの街がどう進むのか、をね」
 貴方達に本当は死んでほしくない。と、それだけのことなのに。
 女性を横切り、3人は走る。
 街から外へ出るために、空の見える場所へと向かって。
 女性はその背中を見送りながら、うっすらと唇を動かした。

 さようなら。私の可愛い――――

「!!?」
「!!」
 弾かれたようにソールとマーニが振り返る。
「どうした?」
 ソールはただ唇をかみ締め、マーニは深く顔を俯かせた。










 『天空儀』に行くために最初に訪れた海岸に3人は戻ってきた。
 糸が切れた人形のように、マーニは膝を折り、砂浜に崩れるように座り込む。
「うっく…うあぁああああ」
「どうしたんだ、マーニ!?」
 解放に喜ぶような泣き方ではない。
 サクリファイスは砂がつくのも構わずに、その傍らに腰を下ろし、マーニの顔を覗き込む。
 あの1回きりの邂逅だったが、どこか大人びていた顔とは違う、歳相応の少女の姿がそこにはあった。
 マーニは涙に濡れた瞳で一度サクリファイスを見上げ、そのまましがみつく。
 当のサクリファイスは泣いている理由が分からずに困惑するも、何とかなだめようとポンポンと背中をあやす様に叩く。
「……名前」
「名前?」
 ぼそりと呟いたソールの言葉に、サクリファイスは顔を上げた。
「覚えてたんだ。俺たちの……本当の名前」
 太陽と月になると決まったときに捨てられた、本当の名前。
 それを、女性―――母は、ちゃんと覚えていた。
「…愛されて、いるじゃないか」
 地上に住む自分たちとは違う考え方で生きているから、“愛する”ということを知らなかっただけ。加え、それを表現する方法も。
 あの女性も、この地上に生まれていたならば、きっと幸せな母親になっていたに違いない。
 そう思うと、何故だかとても切なくなった。
「……………」
 突然、腕の中に居たマーニが遠ざかる。
「??」
 サクリファイスはきょとんと瞳を瞬かせた。
 マーニもきょとんとしつつ、ソールの足元に。
 ゆっくりと見上げれば、ソールは眉根をよせ、眉間にしわを寄せながら、唇を引き締めていた。
「…ソール?」
 名を呼べば、ぶすっとしかめっ面でそっぽを向くソール。
 マーニも何事かとソールを見上げている。
 サクリファイスは、なんとなく理由が分かって、ふっと優しい笑みを浮かべる。そして、スカートについた砂を払いながら立ち上がった。
「もう、一人ではない。それに、今度こそ本当の自由だ」
 仏頂面のソールをその腕で包み込んで、サクリファイスは言葉を投げかける。
 こつんと、サクリファイスの肩に、ソールの額が当たる。
「共に生きていこう」
 肩に顔を預けたまま、ソールは小さく頷いた。










 数日後、落ち着きを取り戻し、マーニは今度こそ自分のために世界を見るのだとエルザードを旅立っていった。
 そして、ソールは共に生きるために、新たなる住処に腰を落ち着けた。














☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 妖精と茨の輪にご参加くださりありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 もう忘れられてしまうくらい間が空いてしまい真に申し訳ありませんでした。
 覚えていただけていたことが単純に嬉しくて嬉しくてたまりません。本当にありがとうございました。
 これにて昼夜は完全に完結です。
 それではまた、サクリファイス様に出会えることを祈って……


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