■ベルベットクイーンへようこそ■
羽鳥日陽子
【1854】【シノン・ルースティーン】【神官見習い】
アルマ通りの一角にある、木彫りの向日葵の看板が目印の薬屋、『ベルベットクイーン』──通称『向日葵薬局』
扉を開けると、まず鼻を突くのは花や草など様々な物が微妙に混ざり合ったような何とも言えない匂い。
店内はさほど広くなく、目につく所に並んでいるのはドライハーブやそれらを用いたポプリ、薬用の茶葉などの類が多いので、薬屋と言うよりは寧ろ雑貨屋に近い雰囲気が漂っているだろう。

店の奥、カウンターの向こう側に、一人の店員。向日葵印のエプロンをつけた娘が、紅茶と本を手に閑古鳥対策を練って、もとい、暇を潰している様子。

来客を知らせる扉のベルの音に、娘──フィネは顔を上げて笑いながら立ち上がる。
「──いらっしゃいませ、ベルベットクイーンへようこそ!」

さて、本日のあなたのご用件は……?
ベルベットクイーンへようこそ 〜Two of a kind.〜


「シーノーン! たっだいまー!」
 スラム街の孤児院には、今日も元気な声が響き渡る。
「おかえりー! ……って、こら、また怪我して!」
「怪我じゃねーよ、オトコの勲章だって!」
 我先にと駆け足で飛び込んでくる子ども達は、顔や手や膝小僧に各々の『勲章』──怪我を抱えていた。
 そんな子ども達を相手に大活躍を見せる、沁みない傷薬がある。いつものように薬箱から取り出して蓋を開けた時、シノンは、その薬が残り少なくなっていることに気がついた。
(……そろそろ、買いに行った方がいいかな)
 子ども達の傷の手当てをしてやりながら、シノンは、この薬を買った店と店員である女性の姿を思い出す。
 何となく、お店に『遊びに』行くのはどうだろうと思っていた。
 けれども、例えば『暇に効く薬を探しに来た』というような理由でも、彼女はきっと喜んで出迎えてくれるだろうと、そうも思っていた。
 それでもあれこれと思い悩む内についつい行く機会そのものを逃してしまっていたのだが──
 今日は、ちゃんと『薬を買いに行く』という口実も出来た。
 ならば、行かない手はない。
「──よし、ちょっとお薬買いに行ってくるね」
 そうと決まれば、準備も早かった。
 シノンの故郷の特産品である、アッサムに似た癖の少ない茶葉とスパイスで作った、特製のチャイを手土産に。
 やはりどうしても、薬を買いに行くよりもお茶を楽しむことに重点を置いているような気がしないでもないのだが──そこは、目を瞑ることにした。





 アルマ通りの一角に、その店はある。
 古びた向日葵の看板が、何よりの目印だ。
 ベルベットクイーン。通称、『向日葵薬局』
 ドアプレートには『Open』の文字が踊っている。逸る気持ちを抑えながら、シノンはそっと扉を開けた。
 覚えのある、花や薬の混ざった香りが鼻腔をくすぐる。
「──フィネさん!」
「はい、いらっしゃいませ……シノン?」
 カウンターの向こうから、やわらかな声が返ってくる。シノンが名を呼んだその人は、およそシノンが想像していた通りの姿で笑っていた。

「フィネさん、こんにちは。……お久しぶり、です」
「ええ、こんにちは。お久しぶりね、シノン」
 シノンと同じ深い緑色の、緩くウェーブのかかった髪が揺れ、青い瞳が笑う。暇に任せて読んでいたらしい本を片付けながらフィネは立ち上がり、カウンターの裏から出てシノンを出迎えた。
「……うん、元気そうで何より」
 上から下までシノンの様子を確かめるように眺めやってから、フィネが満足そうに頷き、笑みを深める。
「あのね、前に貰ったお薬を買いに来たのと……今日は、これも。──シノン特製、スペシャルチャイ」
 自分で言っておきながら、どことなく心がくすぐったくなるのを感じる。シノンはつられるような笑みを浮かべながら、持参したチャイの袋を掲げてみせた。

 シノンが手ずから淹れたチャイの甘い香りが、室内に満ちる。
 傍らのバスケットの中にはフィネの手製だという焼き菓子が所狭しと顔を覗かせ、店のカウンターはすっかりティーテーブルと化していた。
「……お口に、合うといいんだけど」
 癖のない茶葉の香りに、ミルクのそれが違和感なく交じり合っているそれは、シノンのちょっとした自信作でもあった。
「美味しそう。──いただきます」
 フィネがカップを手に取り、口をつける。その様子を、シノンは固唾を呑んで見守る。
 すぐにフィネの表情が綻ぶのがわかった。にっこりと笑って、真っ直ぐにシノンを見つめながら、
「うん、……とっても美味しい」
 その一言が、シノンにとって何よりも嬉しくて美味しいスパイスだった。シノンは頬が緩むのを抑えることが出来ないまま、照れくさい気持ちを誤魔化すように自分で淹れたチャイを飲む。
 そうして、ふと、フィネがこちらをじっと見ているのに気づいた。
「な、何か、ついてたりする……?」
「ううん、そういうのじゃなくて……髪が伸びたからかな、随分大人っぽくなった感じ」
「……そ、そうかな。うん、でも、そう言って貰えると、嬉しい。……フィネさんには、敵わないけど」
「どうして? 全然、そんなことないのよ。大人っぽくなって、……そうね、綺麗になった」
 無論、フィネが恥ずかしがる理由などどこにもないのだが、恥ずかしげもなく言われて、シノンはますます照れくさい気持ちでいっぱいになった。
 やはりそれを誤魔化すように──という訳ではないのだけれど、シノンの口から自然と、続く言葉が溢れていた。
「あ、あのね、……あたし、昔はね、もっと髪が長かったの。それこそ、今のフィネさんよりもずっと長かったんだ。……ここに来るときに、ばっさり切って……それで、また伸ばし始めたのは最近。──昔と同じ長さになったら……神殿に戻って、神官見習いの卒業試験を受けようって思ってて」
 フィネはシノンの言葉に目を瞬かせ、納得したような面持ちで頷いた。
「神官……シノンが信じる、神様のお名前は?」
「──春風と恵みの神、ウルギ様」

 シノンはフィネに、『春風と恵みの神』であるウルギ神のことを語って聞かせた。

 風と共に生きること。
 風の巡りを正すこと。

 自分だけの風を創り出し、それを、出逢った人達に渡すこと──

 想いを辿り、交え、遥かな未来へと繋げてゆく。

 人と人の交わり。この世界に生きる人々の、様々な想い──それこそが、ウルギ神の言う『風』なのだと。

 かつて教えられた言葉を一つずつ思い出しながら、シノンは、ゆっくりと胸の内にある『想い』を、今、自らの言葉という、形にした。
 そうして紡がれるシノンの言葉を、フィネは穏やかな笑みと相槌と共に聞いていた。
「なるほど……切った髪の長さは、決意のしるし……かしら」
「うん、……そんな感じ」
「ここに来て、シノンは……本当に多くの物を学んだのね。……目に見えることも、見えないことも、すべてがシノンの中に確かな形を持って──息づいている。今のシノンなら……うん、そうね、──大丈夫だと思う。お世辞じゃないのよ? 本当に、そう思う……頑張って。シノン、貴女の望む、未来のかたちを」
 シノンはどんな言葉を返せばいいのか、咄嗟に見つけることが出来なかった。やっぱり先程と同じように照れくさいやら嬉しいやら、色々な気持ちがぐるぐると頭の中を回ってしまって、言葉という言葉がさらわれてしまったような、そんな気持ちになった。
 穏やかに、ゆっくりと、流れていく時間がある。時折耳に飛び込んでくる時計の針の音すらも、二人の話に対する相槌のように聴こえてくるから、不思議だ。
「私もね、昔は、髪が短かったの。それこそ、肩につかないくらい」
 今は長い髪を一房、指に巻きつけて滑らせながら、フィネは目を細めた。
「フィネさんも?」
 青い目を大きく瞬かせるシノンに、フィネはゆっくりと頷く。
「そう、ずっと長いこと旅をして、ここに腰を落ち着けることになって……それこそ、エルザードに来てからね。髪を、伸ばし始めたのは」
「……どうして、ずっと短かった髪を伸ばそうって思ったの?」
 興味津々と言った眼差しを、シノンはフィネへと注ぐ。フィネはどことなく──それこそ、シノンの先程のそれがうつってしまったかのように──照れくさそうにはにかむと、そっと、答えを口にした。
「……帰る場所を見つけたから。だから、かな」

 ──そんな風にして。
 やはり、今日も薬だけではない、多くの土産物とあたたかな気持ちを胸に、シノンが店を後にしたのはすっかり日が暮れてしまった頃だった。
 いつの間にやら濃い藍色へとその色を変えた夜空には、いくつもの星が瞬いて世界を見下ろしている。そんな中を、シノンは急ぎ足で辿って行く。
 冬の息吹を伴う風は冷たいけれどどこかあたたかくて、──優しく、背中を押してくれたような気がした。



Fin.



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     登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1854 * シノン・ルースティーン * 女 * 18歳(実年齢18歳) * 神官見習い】
【NPC * フィネ・ヘリアンサス * 女 * 20歳(実年齢20歳) * 薬屋店員】

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     ライター通信
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いつもお世話になっております…!再度のご来店、まことにありがとうございました。
毎度ながらシノン嬢にはとてもとても癒しを頂いております。書かせて下さいまして、本当にありがとうございます。
おまかせに任せてこんな展開になってしまいました…の典型ではありますが、そして相も変わらず拙さ全開という話でもありますが、少しでも、お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、またお逢いする機会に恵まれましたら、どうぞ宜しくお願い致します。

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