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■貴方のお伴に■

伊吹護
【1252】【海原・みなも】【女学生】
 人と人とは、触れ合うもの。
 語り合い、分かり合い、時にはぶつかって、支え、支えられて生きていくもの。
 けれど、だからこそ。
 誰にも打ち明けられないことがある。
 癒したいのに、見せることすらできない傷がある。
 交わることに、疲れてしまう時がある。

 そんなとき、貴方の元に。
 人ではないけれど、人の形をしたものを。
 それらは語る言葉を持たないけれど、貴方の話を聞くことができます。
 貴方の痛みを、少しだけ和らげてあげることができるかもしれません。
 どんな人形が欲しい、と具体的に決まっていなくとも構いません。
 貴方の悩みを、これまでの色々な出来事を、思いを教えていただけますでしょうか。
 ここには――たくさんの、本当にさまざまな人形をご用意しております。
 男の私に話しにくいことがあれば、代わってアンティークドールショップ『パンドラ』店主のレティシア・リュプリケがお聞きいたします。

 きっと、貴方に良い出会いを提供することができると、そう思っております。
 人形博物館窓口でも、『パンドラ』の店主にでも。
 いつでも、声をおかけください。
 すぐに、お伺いいたします。

貴方のお伴に 〜人形にしてください〜

「ほんとに、後悔しないのね?」
 もう一度、念を押すようにしてレティシアが聞いてくる。
 そこは、毎度のごとく久々津館の応接間。暖かな部屋に、ゆったりとしたソファー。目の前のテーブルには湯気を立てるカップ。口をつければ芳醇な香りが身体いっぱいに広がり、芯まで暖まっていく。
「はい。先輩たちと約束したんです、ちゃんと調べてくるって」
 カップを置くと、みなもはゆっくりと返事をした。本当は押し流されるようにしてここへ来たのだが、それは口に出さずに胸にしまっておく。もう、そうすると決めたのだから。
 目と目が合う。レティシアの、深い、海の底のような青い瞳に吸い込まれそうになる。心の中を悟られないように、しっかりと見つめ返す。
 でもそれも長くは続かない。
 レティシアが、目を伏せる。大きく一つだけため息をつく。
「強情なんだか、流されやすいのか、わかんない子ね、あなたも。まあ……どっちも、なのかしらね」
 そんな言葉に、みなもはただ苦笑とも微笑ともつかぬ笑みを浮かべるしかなかった。
 ――お人形になる方法を教えてください。
 それが今回の依頼だった。前回に鴉に頼んだことと、全く同じ。演劇部の新入部員歓迎会のそのときに、人形に扮して後輩達を驚かす。みなもは本来驚かされる側のはずなのだが、前にした人形博物館の話もあってか、その準備をするように言われた。そこでみなもは、人形に扮する方法を自らが実験台になって体験しにきたのだった。
 今日の体験談を先輩達に話し、改めて本番の際の人形役を決める――一応、先輩達はそう言っていた。
 ならそれを信じる。信じることは美徳だ。
 そう思いたい。言い聞かせてるだけだって、分かってはいるけれど。
「ないことはないんだけどね、前に一度、似たような依頼を受けたことがあるから。でも、注意点がある。いくつもね」
 その話に、一も二もなく、お願いしますと返答する。
「まあ、ちゃんと聞きなさい。どんなリスクがあるかも分からないのに、気軽に答えちゃだめよ。まず、ちゃんと話を聞いて」
 かなり不自由になのよ。そう言って苦笑しながら、彼女は順番にその内容を話していった。
 方法としては、特殊メイク、ギミック、そして呪術的な技を使った目くらましを複合的に使うそうだ。
 まず、顔の筋肉が動かせないため、呼吸はなんとかできるが飲食はできない。ストローで吸い込もうにも気管に入る。特殊なコンタクトをつけるが目は異常に乾いてしまう。また関節を自在に動かせないため、動作は非常にのろく、歩くくらいはできても複雑なことや即座の反応はできない。
 我慢強い人間でも、半日が限度だという。
 呪術的なことも施してあるため、元に戻すにはレティシアでないとできない、ということもあった。
「どう、それでも……試してみる?」
 言わずもがな、だった。もう、決めてきたのだからそれくらいで引くつもりもない。
 もう一度、深く、強く頷く。
 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、やれやれ、という言葉が耳に届いた。
 それに続いて、準備をするから、と言って彼女は部屋を出て行った。何の香りか、紅茶の漂わせるそれとは違う、香水の仄かな残り香を揺らがせて。
 どれだけ待っただろうか。
 紅茶は炬が淹れなおしてくれたけれど、それもなくなって。少しだけ胸の裡に残る不安を紛らわすかのように、炬を引き止めて、他愛のない話を向ける。
 最初に会ったときは受け答えの内容もどこか的外れで無機的だった彼女も、最近ではこうした雑談にすら、きちんとまともな応答を返してくれる。話のキャッチボールができるようになっていた。
 この久々津館に訪れるたびに、炬はそうと分かるくらい変わっていっている。
 自分はどうなんだろう。
 変わってるんだろうか。そもそも、変わりたいのだろうか。考え出すと、きりが無い。頭の中に多種多様な単語たちが飛来しては去っていき、渦巻く。
「準備ができたから、案内するわ、こっちよ」
 思考の淵に沈んでいた意識が、そんな声で現実に引き上げられた。
 ドアを少しだけ開けて顔を覗かせたレティシアが、こちらに向かって手招きしている。ごめんなさい、すぐ行きます、と返答して立ち上がる。
 すぐ前を歩く彼女の背中を追いながら歩く。相変わらず、何度も歩いている館の中なのだが、いまだよく分からない。外から見ているのよりは明らかに広い気がする。何か特別な力でも働いているのだろうか。
「足元に気をつけてね。ちょっと暗いから」
 注意を促してくるレティシアの言うとおり、先が急に薄暗くなっていた。下り階段だ。
 その奥から、湿ったような空気が流れてくる。まとわりつくような、じっとりとした重い空気。肌が粟立つ。応接室のあの暖かく心地よいそれとは真逆なそれは、不快感しか抱かせない。
 恐る恐る足を踏み出す。絨毯から石畳に変わる。いかにも地下といった風情だ。
 階段の行く先は、行き止まりになっているようだった。レティシアの背越しに、そこにものものしい風体の鉄扉があるのが見える。
「倉庫を兼ねてるから、ちょっと無愛想なところだけど、我慢してね。さ、どうぞ」
 その重そうな扉を身体全体を使って押し開けるようにしながら、レティシアが声を掛けてきた。
 彼女の脇をすり抜けるようにして部屋に入る。少し埃臭い。
 装飾の欠片もない、石造りの壁と床。隅に固めて置いてある木箱、ダンボールの類。しかし目立つのはそれらではない。倉庫とは言うが、それほど雑多に物が溢れているわけでもなく、目立つのは、用途不明の器具、機械。無骨な、シンプルで質素な寝台。
 どちらかと言えば――研究室、手術室。そんな表現がぴったりと当てはまるように見えた。
「今暖房を入れたから、少し待っててね」
 そこへ座っていて、と寝台を指し示される。
 固い寝台のマットに腰を掛け、レティシアの様子を眺める。何の用途に使うのかもさっぱり分からないような器具を次々に取り出していた。
「じゃあ、まずこれを飲んで。飲んだら、横になってね。で、力を抜いて。かなり時間かかるけど、我慢だからね」
 渡されたのは、陶器のカップ。粘性の高そうな、鈍色の液体が入っている。匂いはしないが、あまり気の進まない飲み物だ。
 でもここまで来て止めるだなんて言えない。軽く息を吐いた後、一気に飲み干す。味はない。どろりとした感触と、舌が痺れるような違和感。
 それを見届けて、レティシアは作業を始めたようだった。
 まずは顔のメイクらしきこと。素人目にも、その手際のよさがよく分かる。そうすると次に、膝や肘に何かを取り付けられる感覚。冷たさを感じる。
 気にはなるが、動かないようにと言われている。
 それに。
 いつのまにか、身体が言うことをきかなくなっていた。まぶたさえぴくりとも動かせない。ただ視界いっぱいに映るのは、無愛想な石の天井だけ。いくつかの蛍光灯が明るさを伝えるのみの、それ以外には何もない、ただの灰色。そんな訳はないのに、じわじわと迫ってくるように思えてくる。ただ、身じろぎも、瞬きすらできないので逃げることもできない。
 どれだけの時間が経ったろうか。薬のせいか、身体を触られていてもほとんど何も感じない。だから、余計に時間の感覚が薄れてくる。
「よし、と。これでおしまい。薬の効果は切れてるから少しは動けるわよ。ま、その間に他に色々とさせてもらったから、かなり不自由になってるはずだけどね」
 言われて、さっそく起き上がろうとしてみる。
 動かない。
 膝が、肘が重い。曲げられないので、腹筋だけで起き上がる他ないのだけれど、それが思ったよりもきつい。
「起き上がれないでしょう? 本当なら関節はもう少し緩めてもいいんだけど、そうするとね、途端に動きが人間に見えちゃうからね」
 視界の外から響くその声に助けを求めようとするけれど、声も出ない。ただ、さすがに察してくれたのか、背中に手を回し、助け起こしてくれる。
「色々動かそうとするんじゃなくて、一箇所だけ、集中して、力を込めてみて、うん、そう」
 言われながら、右肘に神経を集中させる。全力を振り絞る。
 突然。
 スイッチを入れたかのように、右の上腕が跳ね上がる。目の前に掌が飛び込んできた。
 ――え。これ……あたしの……手?
 いまだ感覚の繋がらない、その目前にある手を凝視する。指の形、長さ、手の大きさ。確かに、形は自分の手だ。でも、現実味がない。感覚がいまいち繋がらないというだけではない。明らかに人間のそれではないのだ。皺のない、白すぎる肌。関節は球体関節になっている。
「ええ。紛れもなく、あなたの手よ。ただ、本当のあなたの手じゃない。服に隠れるところ以外には、呪術を織り交ぜた化粧がしてあるの。本人の視覚も例外じゃなく騙すのね」
 ちょっと見てみる? とレティシアが身体の向きを変えてくれる。スライドする視界の正面に、姿見の鏡が入ってきた。
 体形、髪型、顔の作り。どれも似ている。そっくりだ。でも、手と同じように、明らかに人形と分かる。
 等身大の、精巧な、自分をモチーフにした人形。そこにはそう言うしかないものがあった。
「どうかしら? て言っても今は感想は聞けないわね、ってそうだ、もうすぐ約束があるんだった。二時間くらいしたらまた来て戻してあげるから、それまでここでたっぷり人形気分でも味わってて」
 直後、重い音が響く。扉の閉まる音だ。それを最後に、部屋が静まりかえった。
 沈黙というよりは、無音。自分の鼓動の音だけが大きく響き渡る。
 ――まずは、色々試してみよう。
 肘を動かしたときと同じように、一つ一つ、関節ごとに力を入れてみる。十数分もかけ、ようやく膝を伸ばして立ち上がることができた。
 しかし、これは――本当に辛い。
 もちろん身体を動かすだけで相当の力は要る。でもそれだけじゃない。身体は固定されているが、動けないというだけで支えられているわけではない。疲れてきても、そのまま。もたれかかることもできない。あっという間に全身が疲労感に包まれる。
 視界もぼやけてくる。瞳が乾いているだけではない。視線が変えられないというのは、予想以上に意識を蝕んでいく。焦点が結べなくなり、意識がまともに集中できなくなる。
 このまま考えることもできなくなり、人形そのものになってしまうのではないか。そんな思いが心の中を支配してくる。
 我慢強い人間で、半日。そう言っていたのも頷ける。こんな状態がいつまでも続けば、身体より先に気が狂ってしまうだろう。
「あら、動けてるじゃない。頑張ったわね」
 扉が開く音とともに、そんな声が響いた。すぐに、レティシアの姿が前をよぎる。
「それじゃあ、元に戻すわね。もう少し、我慢しててね」
 再び寝台に寝かされて。身体が軽くなったのは、そこからさらに小一時間ほど経ってからだった。
 横になったまま、天井に手をかざす。何度も、掌を握っては開く。意のままに身体が動く。当たり前のことなのに、軽く感動してまう。
「シャワーも貸すから、ゆっくり休んでいって。思ったより消耗してるでしょう?」
 レティシアのその申し出は、願ってもないものだった。ありがたく受けることにする。
 ――今日の体験を元にどうするか決めるといいわ。もしそれでも、と言うのであればまた来てね。人形役の子と一緒に。
 意外と新しく綺麗なシャワールームでゆっくりと身体を温めながら、彼女が残した言葉を思い出す。
 先輩達に今日のことを話しても、信じてもらえるだろうか。
 まず、信じてもらえないだろう。
 それでも、今日の体験は貴重だったかもしれない。当たり前のように身体が動くことの有難さ、動かせないことの不自由さ。それがよく分かった。
 明日のことは、明日考えよう。
 そうして、みなもは帰途に着くのだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、伊吹護です。
 依頼ありがとうございます。前回に引き続いてのテーマということで、今回は人形化についての描写のみに絞っています。引き続き同テーマでいただいているものについては、さらにこの話の続き、という形で執筆させていただきます。