■音の始まりと終わり■
水綺 浬
【3368】【ウィノナ・ライプニッツ】【郵便屋】
「いい日ですね〜」
 青天の空を見上げて呟く。
 サーディスは週に一度の買い物で村へ降りてきていた。
 すると、いつもの音色が耳に溶けていく。笛の音だ。
 最近、頻繁に村の中で風にのって流れてくる音。だが、始めに聞いた音色とは明らかに違う。奏でる音楽は同じだけれど、リズムと音程が違うのだ。
 サーディスは不思議に思いながらも、太陽の下で売られている野菜を吟味していた。
 そこに、ふと笛の音色が止まる。ぷつりと途切れたように。

「おーい! 魔導士さんー!」
 遠くから魔導士を呼ぶ声。村でもその近郊でも、魔導士はサーディスしかいない。
 道衣をひるがえして振り返った。
 やはり、声の主はまばらに行き交う人の中でこちらへ走って向かってきていた。
 息荒く恰幅のいい男が慌てて言う。
「大変だ!」
 その一言で終始笑顔で通していたサーディスの瞳に真剣が帯びた。
 眼前で立ち止まり。
「た、大変だ」
 もう一度、繰り返す。
「どうしたんですか?」
「村の入口で旅人が倒れてる!」

音の始まりと終わり - 偶然の邂逅 -



「この先の、村だよね」
 少し息を切らせながら、足を止めた。その瞬間、くらっと頭が傾く。
 いつもならソーンの端から端まで走ってもへこたれない。それが最近では体調がおかしくなっている。気にはかかるが、今それどころではないのだ。
 一瞬で頭の隅に追いやって、スピードを上げる。
 手元には村の宛名が書かれた手紙。今日中に渡さなければならない。緊急ではないけれど、一通の手紙に想いを込めた人は早く届けてほしいだろうから。一日も早く、それが痛く分かるからこそ、足取りは速くなる。もうずいぶん長い距離を走っていた。
 ウィノナ・ライプニッツは郵便屋の仕事で配達専門に世界を駆け回っている。手紙をどこにでも送り届けることが仕事だ。
 銀色の髪を輝かせ、走る風にさらさらとなびく。漆黒の瞳は村を目指していた。

 少女の体は悲鳴をあげ、その声を大きくしていく。だが、その深刻化していく変化に本人は仕事に夢中で気づかない――。

  *

「ここ、だ……!」
 大きく息をついて、村の入口に立った。
 百人も満たない小さな村。木造のこじんまりとした家並が肩を触れ合うように寄り添っていた。遠くに背の低い時計塔が見え、三時の知らせを鐘で鳴らす。
 朝から駆けずり回って、この手紙で今日の配達は最後。ほっと息をつく。――もう少しだ。

「ん?」
 どこからか笛の音が流れ、思わず耳を傾ける。
 拙くて音色を間違えながらも、それは気持ちが込められていて、ふわりと安らぐ。不思議と胸に染み込む温かさ。羽で飛んでいるように気持ちいい。
 つい、目を閉じた。

 気を緩めた瞬間。体から魂が抜けるように力が入らなくなり。
 ドサッ
 思考が追いつかないうちに倒れた。

「あ、れ?」
 頬にざらついた土の感触。ひやりと冷たくて、体温を奪っていく。
(体が、動かない……)
 石のように重かった。指先すらピクリともしない。
 そして、とても眠い。睡魔が怒涛の勢いで全身を襲って、夜の海に腕を無理やり引っ張られる。

 遠くで村人が「誰か倒れてるぞ!」と騒ぎ始めたのを最後に。ウィノナは意識を手放した。

  *

「――心配ないかと。思う存分、休ませてあげましょう」
「そうですね」

 寝台で寝ていたウィノナの傍らで、二人のささやく声。覚醒しかけた五感に入りこんできた。
 耳を澄ませながらその内容を聞いていくうちに、自分の置かれた状況が蘇ってくる。
 そういえば……

 ガバッ
 体を跳ね上げ、シーツをぎゅっと掴む。
「はやく、渡してこなきゃ……っ!」
 そのまま部屋の扉へと急ぐ。

「あ……」
 足が思い通りに動かず、ふらつく。めまいが頭の中を駆け巡った。
 倒れそうな体をレナは、とっさに支える。
「まだ休んでいなさい」
 横から澄んだ男の声。その主は同じ銀の髪を長く背中に垂らして、紫の瞳が印象的だ。
「あなたは昨日、村の入口で倒れていました。診させて頂きましたが疲労が原因のようです」
 疲れていると宣言された。確かに思い当たるところはある。
「助けて下さって、ありがとうございます。――だけどっ、ボクは! 手紙を待ってる人がいるんだ……っ。はやく、渡してこなきゃ……っ!」
 なんとか声を張り上げる。
 レナは心痛な面持ちでウィノナの肩に手を置く。
「だめよ。あなたの心は大丈夫でも、体は酷使続けて壊れてしまう寸前なの。今はたくさん休んで」
「それからでも遅くはありません。火急の用というわけではないのでしょう?」
 二人は優しく声をかけた。
 ごく間近に紫と深緑の瞳に見つめられ、なおかつ抵抗できない空気にのまれ。
「は、はい……」
 ウィノナはしぶしぶ寝台へ逆戻りした。
 横になると、レナが乱れたシーツを整える。
「今、薬湯を持ってきますね。それを飲んでしばらく休めば体の疲れはとれますが、二〜三日ゆっくりしておくといいでしょう」
 そう言って、サーディスとレナは部屋をあとにした。

 ウィノナは部屋を見回す。
 寝台とそれよりも少し高い戸棚が置かれただけの小さな作り。荷物は寝台の横にそっと添えられていた。簡素な部屋の窓から見える空に小鳥が横切り、朝を指していた。
 男は「昨日」と言っていた。ということは半日以上眠っていたのか。この十四年間、これほど眠りにとらわれたことはない。倒れたこと自体、一度もなかった。それだけ、体が限界を超えていたのかもしれない。
 魔女の屋敷に居候するようになってから、睡眠を削り勉強と仕事に忙殺されている。疲労がたまるのは当然の成り行きだ。

 再び扉が開いた。
 薬湯をトレイにのせて、サーディスが現れる。森の香りが部屋いっぱいに広がった。
 隣の戸棚に一旦置き、カップだけを差し出す。
 ウィノナは素直に受け取って、恐る恐る口に含む。
「!」
 ごくりと喉を鳴らして、すぐに飲み干した。乾いた喉を潤す、旨味――。
 薬草から作られる薬湯は苦いイメージがある。いや、事実苦いのだ。病み付きになるほどではないにしても、そのイメージを打ち崩していく。甘さ控えめで、すうっと体に浸透していく。全身が洗われるかのよう。
「ふうっ」
 疲れを吐き出すように息を吐く。
 礼を言って、カップを返した。
「……ねむい……」
 とろんとまぶたが重くなる。波にさらわれていく意識。
「体がもう一度、休みたいのでしょう。もう一眠りしたら元気になりますよ」
「は、い……」
 気を抜くと、一気に眠りの淵へと引きずりこまれた。

  *

「こんにちは」
 部屋からウィノナが顔を出す。居間にはサーディス一人。始めに会った少女はいない。
「こんにちは。体の具合はいかがですか?」
「だいぶ、いいみたいです。ありがとうございました!」
 ウィノナはぺこりとお辞儀をする。銀の髪が零れ落ちた。
 すっかり顔色も良くなり、だるさとめまいもない。体から何か澱んだものが抜け落ちたかのように、すっきりとしていた。
 薬湯をもらってから、数刻が過ぎていた。一日も部屋を占領していたことになる。申し訳なくて、何度も礼を言う。
「いいのですよ、魔導士の務めですから」
「魔導士?」
「ええ。私は、サーディス・ルンオード。この家に住む魔導士です。あなたが最初に出会った少女がレナ・ラリズ。私の弟子……ですね」
「ボクはウィノナ・ライプニッツ。郵便配達の仕事をしています」
「配達……。そうですか、だからあれほど、お手紙をお渡ししたかったのですね」
 柔らかく微笑む。
「はい。遅れましたけど、今から行ってきます」
「用が済んだら帰ってきて下さいね。まだ本調子ではありませんので」
 頷き、元気に家を飛び出す。
 森に囲まれた一本道を抜けると村はすぐそこだ。

(魔導士……)
 清らかな森の息吹を吸い込むと、終始笑顔のサーディスが脳裏に浮かぶ。
 友人を助けるために、ウィノナは魔術を習っている。時間を惜しむほどに。一刻も早く、助けなくてはならない。
 手首にはめられた銀の腕輪を見つめた。
 ――魔術。
 サーディスの存在はウィノナにとって惹かれるものがあった。あの紫の瞳を持つ魔導士は、魔女とは違った魔法形態なのだろうか。それとも――

「お嬢ちゃん、大丈夫か?」
 恰幅のいいおじさんが声をかけてきた。
「入口で倒れていたのを見た時はぎょっとしたよ。村中が大騒ぎだ」
「もしかして、おじさんが見つけてくれたんですか?」
「おおともよ!」
 ドンッと胸を叩き、背中をそった。
「ありがとうございます。とても体が疲れていたみたいで……」
「そうか、無理すんなよ!」

  *

「すまんね、ありがとう。息子からの手紙だよ」
 久方振りの手紙なのか涙を流す、おばあさん。ウィノナの手を握って、大袈裟すぎるほど感謝した。
 手の温かみがじわりと伝わってくる。
 おばあさんもウィノナが倒れたことを知っていたらしく、最後に「手紙のためにありがとう」と何度も伝えた。
 一日遅れたのにそれを咎めもせず、逆に気遣ってくれた。
 ウィノナは嬉しくて胸が熱くなる。手紙がもたらした笑顔。体の芯から喜びが溢れて止まらない。


「あ、サーディスさん」
 村を見て回ろうとしていたら、魔導士の姿を見かけた。
「お手紙は無事届けられましたか?」
「はい」

 その時。
 笛の音が風に乗って耳に届く。
 昨日、倒れたきっかけを作ったもの。だが、昨日とは明らかに違う。メロディは一緒でも何かが違う。吹いている人物が別人なのだろうか。

「あの、この笛の音は……」
 村を手を広げて包む独奏。
「つい最近、聴くようになりました。日によって演奏者も異なるようです」
「やっぱり……。サーディスさんはいつから、この村に?」
 魔導士は彼方の青い空を一瞥して。
「そう、ですね。八年前から、でしょうか」
 ウィノナは僅かに目を見開く。
「え、昔からではないんですか?」
「ええ。それに、レナさんが弟子に入られたのは五年前です」
 にっこりと朗らかに笑う。
「弟子……かぁ。ボクも魔女から魔術を習っています」
「ほぅ。そうですか、通りで」
 感心したように頷くサーディスに首をかしげた。
「強大な魔力をその身に宿しているようですから」
 ウィノナは目を丸くした。
 なぜ、魔術を使用してもいないのに、そこまで分かるのか。魔力があると感じても、それが”強大”だと理解する者は少ないだろう。
 サーディスは食えない笑顔で、少女の漆黒の瞳を覗き込む。
「体のオーラで分かります。それから……」
 ふっと笑みを作って、ウィノナから離れた。買い物の続きがあるからと。

 魔導士は魔女並みにとんでもない力を秘めているのではないかと思った。オーラだけで分かるはずがない。感情の起伏がオーラとなって表面に表れるのだから。しかし、……分かるかもしれない。まだ半人前のウィノナには知らない事が無数にある。首を捻って考えても答えを見つけ出せそうになかった。
 「それから……」と言葉を濁したサーディス。他に何か要因があるのかもしれない。

 ウィノナは配達の途中で、意外な人物と出会ってしまった。



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■     登場人物(この物語に登場した人物の一覧)    ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 3368 // ウィノナ・ライプニッツ / 女 / 14 / 郵便屋

 NPC // サーディス・ルンオード / 男 / 28 / 魔導士
 NPC // レナ・ラリズ / 女 / 16 / 魔導士の卵(見習い)

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■             ライター通信               ■
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ウィノナ・ライプニッツ様、発注ありがとうございます。

続きがある形で終わらせて頂きました。
もし次回があれば、笛の音の正体に迫ってみても、サーディスに詰め寄っても構いません(笑)。
その時は現在の治療中の状態なのか数日後に訪れたのか、書いて下さると嬉しいです。


少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。


水綺浬 拝

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