■月の紋章―戦いの果てに―■
川岸満里亜
【2787】【ワグネル】【冒険者】
目を閉じても、月が見えた。
脳裏に浮かぶ鮮やかな月は、未だ消えない。
『月の紋章―戦いの果てに<思考の渦>―』

 古びた診療所の一室で、色とりどりの花が、明るい輝きを放っていた。
「ワグネルさん、傷痛みますか? ファムル先生は、一瞬で傷を治す薬も調合できるらしいんですけれど、材料がないんですって。ワグネルさんが元気なら、ワグネルさんを治療する薬草を採ってきてくれるのにーって嘆いてましたよ」
 花よりも可愛らしい少女が、ベッドの側に椅子を持ってきて、腰かけた。
 気のない返事をしたあと、ワグネルは小さく吐息をついた。
 そんな様子に、少女の瞳が雲っていく。
「元気、ないですよね……やっぱり傷痛むんですか? 痛み止め貰ってきましょうか?」
「いや、違うんだ」
「それなら……もしかして、お花嫌いでした? ……それとも、私……迷惑でしょうか」
 ネガティブな言葉に、ワグネルは思わず苦笑する。
 同じ気持ちにさせてしまったようだ。
「いや、違うんだ」
 同じ言葉を繰り返し、ワグネルは少女――ミルトを見た。
 不安そうに自分を見つめている。
 彼女はいつも、そんな顔をしている。
 本当は笑顔が可愛い子なのに。
「ミルト……すまない」
「え?」
 不思議そうにミルトが声を発した。
「いや……約束、ちゃんと守れなくて」
「だって、キャトルちゃん、無事だって……元気だって手紙もらったし……だから、ワグネルさん、約束守ってくれたでしょ?」
 ミルトが受け取った手紙には、詳しいことは何も書かれていなかった。
 ミルト自身も、ワグネルにまだ説明を求めてはいない。
 話すべきか、言わずにおくべきか。
 ワグネル宛の手紙からも、非常に元気なキャトルの姿が窺える。
 しかし、それは嘘だとワグネルは気付いていた。
 聖殿で会った彼女の様子。
 その後に受けたダメージ。
 彼女の華奢な身体が、悲鳴を上げていないはずはない。
 キャトルは虚勢を張る女だ。
 年下であるミルトには、決して弱さを見せたりはしないだろう。
 ミルト宛の手紙を見たわけではないが、自分あての手紙よりも、明るい話が書かれているのだろう。
 キャトルが知られたくないと思っているのなら……今は、言わない方がよさそうだ。
 ワグネルはそう考えて、こう言葉を発した。
「いや、元気な姿のアイツを、連れて帰るつもりだったから。俺はそう契約したつもりだった」
 そして、もう一度謝る。「ごめん」と。
 その言葉に、しばらく考えた後、ミルトはこう言った。
「うん。そう、ですね。私が考えていた契約ともちょっと違う終りかただった」
 ミルトは手を伸ばして、ワグネルの傷に触れようとして……直前で手を引いて、俯いた。
「キャトルちゃんに関しては、会えなくてもいいって思ってた。無事で元気でいてくれれば、それでいいって。身体、強くないって聞いてたから、街の中にいるより、暮しやすい場所で暮せていればそれでいいって……たまに、遊びに行きたいとは思ってたけれど。だけど……」
 ミルトは悲しげな目で、ワグネルを見た。
 ワグネルは視線を反らしたい衝動に駆られる。だけれど、反らしてはいけない。彼女の心を受け止めなければならない。小さな口から、叱責の言葉が出てきたとしても。
「だけど、ワグネルさんが怪我をするのは考えてなかったんです。そういう姿、思いつかなくて……。キャトルちゃんが無事ならそれでいいなんて思ってなかったんです。ワグネルさんも、元気で帰ってくることは、私にとって当然のことだったんです。だから、今の状況は契約外で……そんなことになるなんて、思ってなくて……私、本当に申し訳ないことをしたと思ってるんです。ごめんなさい。ごめんなさいっ」
 最後は、泣き声になっていた。
 また、泣かせてしまった。
 結局、泣かせてしまった。
 ……果たせない依頼など、受けるんじゃなかった。
 そんな気持ちが、ワグネルの中に浮かび上がっていた。
 言葉が出てこない。
 慰めの言葉など、なにも思いつかない。
「私に出来ること、何でもしますから……許してください」
 何故、この子はこうも自分の所為にしたがるのだろう。
 ふと……キャトルの顔が浮かんだ。
 一緒に薬草を採りに行った時。
 花火を見た時。
 祭りで会った時。
 輝く笑顔を見ていた彼女の顔が。
 この場に現れて、あの笑顔で笑い飛ばしたのなら――自分達の心は軽くなるのだろうか。

 ワグネルが横たわるベッドの傍らで、一頻り泣いた後、ミルトは帰っていった。
 ろくな慰めの言葉はかけられなかったが、怪我はミルトの所為ではなく、自分の所為だということは、精一杯伝えたつもりだ。
 報酬は貰ってやらねばならないだろう。
 何をもらうべきか――。
 今日、何度目かのため息をつく。
 身体を動かせば痛みを感じるが、動かなければ殆ど痛みはない。
 何もせず、天井だけをみて毎日を過ごしている。
 それでも、考えなければならないことは、いくつもある。
 テーブルの上の手紙に、目を留める。
 レノアとは……どうやって会うべきか。
 ここで治療を受けているワグネルには、情報が入ってこない。
 あの騎士団はどうなったのだろう。混乱しているようなら、それに乗じて脱走することも可能かもしれないが……。
 それでも、いずれ追っ手を差し向けられるだろう。
 下手に落ち合えば、共に危険な目に遭う。
 場所はどこが適切だ?
 聖都では、レノアは既にお尋ね者になっている。彼の素性はあってないようなものだから、変装すれば、簡単には捕まらないとは思うが。
 そして、あの時は咄嗟にあんなことを言ってしまったが、集落から連れて来た幼子がレノアの妹だという確証はない。
 保護先も知ってはいるが、保護後の事は気にしていなかった。今、どんな境遇にあるのかは知らないのだ。
 たとえ、2人共、どんな状況であっても、生き延びて欲しいと――その幼子が、レノアの妹であることを、心から願っていた。

 また、ため息をついていることに気付く。
 診療所は今日も暇なようだ。
 研究室からは、時折物音が響く。
 ファムル・ディートはキャトル達の為に、新薬の研究に勤しんでいるそうだ。
 俺、は。
 動けるようになったら、俺は――。
 何をするのだろう。
 何ができるのだろう。
 何を、成したいのだろう。何のために。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2787 / ワグネル / 男性 / 23歳 / 冒険者】

【NPC】
ファムル・ディート
キャトル・ヴァン・ディズヌフ
ミルト

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸です。
月の紋章後日談にご参加いただき、ありがとうございます。
キャトルが元気だったら、2人の背中をバンバン叩きにやってきたと思います。
だけれど、キャトルが元気だったら、ミルトも元気であり、ワグネルさんも沈み気味ではなかったのでしょうね。
この後の物語も楽しみにしています。

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