■月の紋章―戦いの果てに―■
川岸満里亜
【2787】【ワグネル】【冒険者】
目を閉じても、月が見えた。
脳裏に浮かぶ鮮やかな月は、未だ消えない。
『月の紋章―戦いの果てに<妹>―』

「っ……」
 思わず、民家の塀に手をつく。
 段差で軽く体勢を崩してしまった。
 外傷はほぼ完治したのだが、変に身体を動かせば、体中の筋肉が悲鳴を上げる。
 傷が治っていないから、というのもあるが、しばらく使っていなかった所為でもある。
 待ち合わせの場所が、偉く遠くに感じる。
 場所を指定したのは、ワグネルの方だ。
 余裕を持って診療所を出発したが、相手が相手だけに、待たせるわけにはいかない。
 裏道を、郊外へ向って歩く。
 草臥れた帽子に、フレームが歪んだサングラス、付け髭をつけた姿でワグネルは一人苦笑した。
 思い起こせば、アイツとは何度か今回のように、変装をして会ったことがある。
 危険な情報を交換する時だ。
 待ち合わせ場所は、そんな時に落ち合う――2人が3番目によく使う連絡場所にした。

 エルザード郊外。
 そこは、物乞い達が寝床とするような場所だった。
 細い道路を挟んで、外側に浮浪者達が溢れている。
 ワグネルは元々怪我人ではあるが、ゆっくりとふらつきながら浮浪者を装って、その場所へと歩みを進めた。
 青いシートを被って横になっている男の側に近付き、座り込んだ。
「よお、生きてるか?」
「……ああ、今のところな」
 言って、その人物はシートを下ろし、顔を出した。
 顔を合わせた二人は、目で笑い合い、軽く頷きあった。
 それは、符丁――2人の間の合言葉であった。
 シートを被っていた男が起き上がる。子男だ。外見は中年に見えるが、彼はまだ10代半ばの少年である。
「いい稼ぎ口があるんだ、来るか?」
「もちろん」
 ゆっくりと立ち上がり、2人は連れ立ってその場所を後にした。

**********

 変装を解かぬまま、2人は裏道を進み、住宅街へと出た。
 男――レノアは、緊張した面持ちで、無言であった。
 追手に対する警戒からか。
 それとも、エルザードの警備隊に対しての警戒か?
 いや、多分、彼自身のことではなく……おそらく、妹の安否についての緊張だろう。
 一人、先走りそうになるレノアの服の裾を掴んで諌めながら、ワグネルは調べておいた場所に、レノアを案内する。
 そこは、民家であった。
 施設ではない。
 特に特徴のない、大きくも小さくもない家だ。
「子供のいない家に、引き取られたって話でな。俺もまだ、確認はしてねぇんだが」
 家の中から、子供の笑い声が聞こえた。
「同じ施設から、2人引き取られたそうだ。男の子と、女の子」
 届いた声の様子から、子供達の位置と向きを把握し、ワグネルとレノアは窓に近付いて、中を覗いた。
 1歳くらいの女の子と、少し年上の男の子がいる。
 男の子の方は、少しだけ言葉を喋れるようだ。
 2人、積み木で仲良く遊んでいる。
「ご飯出来たわよー」
 若い女性の声が響いた。
 男の子が、ちょこちょこと歩き、女性の声の方へと向う。
 女の子は、一人まだ積み木で遊んでいた。
 崩して、重ねて、崩して、重ねて、崩して、重ねて……。
 レノアが窓をコツンと叩いた。
 女の子が小さな身体を向けて、こちらを振り向く。
 瞬時に、ワグネルはレノアの腕を引き、身を隠した。
 一瞬、目にした彼女の顔は――。
「妹、だったか?」
 ワグネルの問いに、レノアは長い間沈黙した。
「さて、リリンちゃんも、ご飯にしましょうねー」
「きゃっきゃっ。あーあー」
 若い女性の声と、女の子が笑う声が響いた。
 レノアは、視線を落として浅く笑いながら、こう言った。
「妹、じゃない。……あの子には、両親も兄もいる。あの小さな兄貴と普通の道を歩むんだ」
「……そうだな」
 窓から身体をずらして、立ち上がる。
 少し、歩いて振り返る。
 部屋の中には誰もいない。
 だけれど、僅かに聞こえる。
 明るい母親の声が。
 兄妹の騒ぎ声が。

**********

 再び無言で、郊外まで歩いた。
「……レノア、これからどうするんだ?」
 ワグネルの問いに、レノアは自嘲気味な笑みを見せた。
「何も、することがない。だけど、ここにはいられない。だから……」
 レノアはワグネルを見上げて、手を差し出した。
「考えることにする。時間をかけて」
 差し出された手を、ワグナルは握った。
 それは、別れの握手であった。
 手を離すと、レノアは歩き出す。
 エルザードの外へと。
 呼び止めはしない。
 ワグネルは黙って見送った。
 アセシナートへ行くのだろうか?
 それとも、他の土地へ向うのだろうか?
 分からない。
 しかし、聞かずとも、またいつか会うことがあるだろう。
 そんな気がしていた。

**********

 研究所に戻ると、ワグネルはすぐにベッドに横になった。
 鈍い痛みから解放され、大きく息をつく。
「ワグネル君、この薬だが……」
 研究室から、ファムル・ディートが顔を出す。
 治療費の一部として、聖殿で入手した赤い薬をファムルに渡してあった。
「なんだ? 怪我の治療薬かなんかだろ」
「まあ、そうなんだが、私と手法が似ていてな。色々と参考にもなった。是非とも調合者にお会いしたいものだ」
 調合者……アセシナートの医療関係者だろう。
 紹介はできない。無論、連れてもこれない。
「会う機会があったら、伝えておく」
「そうか、よろしく頼む」
 ファムルの言葉に、ワグネルは適当に頷いておく。
 会う機会など、ないに越したことはない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2787 / ワグネル / 男性 / 23歳 / 冒険者】

【NPC】
レノア
ファムル・ディート

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸です。
レノアは一人、旅立っていきました。なんだか少し切ないですね。
でもきっと、彼の願い(妹の幸せ)は叶うのだと思います。
ご参加、ありがとうございました!

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