■いたずら決行!■
水綺 浬
【3368】【ウィノナ・ライプニッツ】【郵便屋】
 穏やかに晴れ渡った日だった。日に日に寒くなってきていても、珍しく気持ちのいい日。昨日、一日中雨が降り続けたからこそ、実感できるこのぬくもり。
 少女の手で次々と干されていく洗濯物も風にさらわれ泳いで喜んでいた。
 だがその下で。地面はぬかるみ足を飲み込もうと言わんばかりに沈む。これさえなければ――そう思った刹那。

「きゃっ」
 ベチャッ!
 足をとられ顔から一気に倒れた。
 無残にも待ち構えていた泥の中へ飛び込んでしまったレナ。考え事をしていて注意が散漫になっていた。洗いたての水分を含んだ洗濯物も汚く黒ずむ。
「いった〜」
 顔を上げれば、何者か分からぬほどに土色でまんべんなく塗られていた。
 自分の姿を見下ろして。
(汚い……。最悪だわ)
 服はびしょぬれである。
(こんなところ、誰にも見られたくない。特にあいつ! 早く――)

「うわ!」
 そこへ運悪くエリクが庭を通りかかる。師匠からの言伝をもって。
 聞き覚えのあるその声。レナは苦虫を噛み潰したかのような顔のまま動けない。後ろを振り向くことすら出来なかった。
「なんだよ、誰かと思えばレナか」
 そして律儀に少女の前へ回り込む。予想される事態にレナは拳を握る。
 数秒もしないうちに腹がちぎれるほどの笑い声が辺りに響く。どうやらひどくツボにはまったらしく、一向におさまらない。
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
 恥ずかしくて俯きながら、拳にぎゅっと力が入った。本人の前で笑うエリクに怒気が増してくる。
 顔の泥を指ですくい、エリクに投げつける。それを笑いながらも軽く避けるがピッと飛沫が服にくっついた。
「なにするんだよ!」
「笑った罰よ!」
「そんなこと言ったって……ぷ、くくくっ」
 今度は抑え気味に肩が震え始める。
 レナは恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。もう人の視界に入ることが耐えられなくて、裏手にある森の方向へ走り去る。湖で泥を落とすために。

いたずら決行! - 虫の居所 -



 ウィノナ・ライプニッツは数日前からフィアノの家で静養している。疲労で体が限界を超えてしまい、倒れてしまった。その縁で、サーディスとレナの二人の魔導士と出会う。

 あと数日で完治だと言うサーディス。ウィノナ自身、精神的にも体力的にもみるみるうちに回復していることを実感していた。
 もう少しで配達の仕事にも復帰できる。それに友人たちも心配しているだろう。居候している屋敷の主人には、ウィノナの手首にはまる銀の腕輪を通して筒抜けだが。
 今は体がなまって激しく運動したい気分だった。動けるようになってからは暇があれば散歩に出ているが、それだけでは物足りなくなっている。一昨日、村の子供たちとかけっこやかくれんぼした時は、全身の細胞が喜んでいた。

 サーディスに一言断って外に出ると、昼の陽気に変わろうとしている空気と森のささやきが心地よい。まるで生気を分けてもらってるかのよう。元気になりつつある体に溜め込むように、深呼吸で肺を満たす。

 村に一歩入ると、のどかな雰囲気の中、笛の音が聴こえてきた。また、いつかの音色だ。
「やっぱり……違う」
 ウィノナはこれまで二回、笛の音を聴いている。それが今度も全く違うのだ。メロディは同じなのに、別の三人目が吹いている。いったい、何人もの人が吹いているのだろうか。
 無意識に笛の歌が聴こえる方角へと足が歩く。
 音を頼りに源へと引き寄せられ、村と森の境へ来た時。

「メェ〜」

 びくっとウィノナは立ち止まる。天敵の声だ。
 さっと辺りに目を走らせると、木造の家を挟んだ通りに白ヤギが一頭いた。
 ヤギはウィノナを見ていない。気づいてもいない。どうやら飼い主を呼んでいるらしい。その隙に音をたてず、その場から逃げ出す。探している音の方角へと。
 ウィノナは本業である配達の途中、ヤギと遭遇する確率が同僚より高い。今まで度々ヤギに手紙を食べられては上司に叱られている。ヤギを見れば、逃げる癖が自然と身についてしまっていた。
 じゅうぶんなくらいヤギと距離を置き、ほっと一息つく。静養している地でまたヤギに追われるなんて考えたくもない。手紙は持っていないが、いつ襲われるとも限らない。ウィノナはヤギを恐れていた。

 そんなつかの間。
 湖から一人の少女が歩いてくる。力一杯足を踏みしめ眉を吊り上げて。レナだった。
 服は泥まみれ、顔周りの髪は濡れている。雫が光に触れ煌いていた。
(何があったんだろう?)
 そう思いつつ、声をかけるはずだった。ところが、レナが風に揺れる銀の髪に気づき、ぱっと顔が晴れたと思いきや、ずんずんと大股で近づいてくる。宝物を見つけた子供のように。
 むんずとウィノナの腕をつかみ、言い放つ。
「良いところに来たわ! 力をかして!」
「何、を」
「エリクをぶちのめすのよ!」
 鼻息を荒くして興奮している。
 ウィノナは知らない名前にきょとんとした。
「エリ、ク?」
「あ、そうよね。まだ会ったことがなかったわよね。時々、師匠の家に無断で入ってきて引っ掻き回す男なの。今日の朝なんて私のことを笑い放題だった!」
 顔から火が出そうな勢いでまくしたてる。紅色の髪が真っ赤に燃えていた。
 レナが今朝、洗濯物を干していたところ、ぬかるみに足をとられて顔から転んだらしい。その直後運悪く、エリクが訪れ、レナを爆笑したという。
(それで服が……)
 水に濡れているのも湖で顔を洗ったからだった。
「分かった。少し痛い目にあわせないとね」
 とても恥ずかしかったことだろう。レナのことを大声で笑ったエリクだ。倍返しにしなければおさまらない。ウィノナはにんまりと微笑む。
 強力な味方を得て嬉しいレナは礼を言う。
 ウィノナは同情しながらも、半分は久々にいたずらができてわくわくしていた。以前は銀狼というチームを作っていたから、いたずらはお手の物。体の底からうずいてくる。
「ふっふっふー♪ どんな風に罠を仕掛けよっかなー♪」
 久し振りの獲物を仕留める狼の気分だ。頬を紅潮しながら策をめぐらせる。
 もし、ウィノナにしっぽがあれば激しく振り回していることだろう。

   *

 数分後。
「こんなのはどう?」
 こそこそと耳打ちする。
「OK! それでいいわ」
 レナの顔が輝く。今から始まるいたずらに期待で胸を膨らませる。

 少し準備を整え。
 ――さぁ、決行開始。

   *

 レナからエリクの容姿を聞き出していたウィノナは早速、エリクがバイトしているという店に訪れることに。
「あの店だね」
 他の木造の家と変わらない、一階建ての三角屋根の家。店らしく入口には薬屋の名前が彫られた木の板が掲げてあった。軒下には薬草らしきものが鉢に植えられ並べられている。
 店の前の通りに出て、周囲に目を配った。エリクの姿は見えない。北から南へ突き抜けている通りを村人が歩いたり、店の窓を拭いていたり、二〜三人の子供が遊んでいるだけだ。いろんな店がいくつか寄り添い、旅人が数人うろうろしていた。
 ドキドキと鼓動が聞こえる。周囲にばれてしまうんじゃないか、というくらいの高鳴り。――ここからが肝心だ。失敗すれば、いたずらは成功しない。
 慎重に薬屋へと入る。扉を開けるとチリンと鈴が鳴った。
 一歩踏み込んでみると、何の匂いもしない。匂いが掻き消えたかのように、何も。たくさんある薬草の香りが混じりあうはずなのに。どういうことだろう? と疑問が浮かぶが意識は店内に移る。
 狭い部屋には天井まで届く棚が占め、けれど窓は塞がないように配慮してあった。大中小のビンが前後に並び、几帳面に陳列されている。透明なビンの中身は薬草だ。知っている薬草から摩訶不思議な薬草まで、赤、黒など怪しきものがある。乾燥されたものは部屋をぐるっと囲むように天井から吊り下げられていた。

「いらっしゃい」
 店主らしき、四十代の男性が奥から顔を出す。
「おや、いつぞやの娘っ子か」
「ボクのこと、ご存知なんですか?」
「君はもう有名だよ。俺もあの騒ぎで店から飛び出して、抱えられる君を見た」
 ウィノナは苦く笑う。少し恥ずかしい姿を村人全員に見られてしまったことを思い出した。けれど、ここの村人はそれをネタに指をさして笑うような人たちではない。たった数日しか滞在していなくても、それだけは分かっていた。

「あの、エリク、いませんか?」
「今はいないね。ちょっと届け先に行ってるよ。もうすぐ帰ってくる頃だと思うが」
 絶好のチャンスだ。もしエリクがいたらいたで他の手に変えるつもりだったが、その必要はないらしい。
「じゃあ、外で待ってます。しばらくエリクを借りますね」
「何か用事かい?」
 主人は怪訝な顔をする。
「ええ、ちょっと……」
 口を濁して、そそくさと外へ出た。追求を避けるために。

 店の前の通りを見張れそうな場所がないか探す。向かい側、といっても横に二〜三軒隔てた建物の影に身をひそめた。
 数分もしないうちに、通りの角から少年の姿が現れる。レナから聞いていた容姿と同じだ。黒髪に青い瞳。幸いなことに、ウィノナが視認できる範囲では黒髪はただ一人、少年しかいなかった。決定的だったのは真っ直ぐ薬屋へ足を向けていること。
 ウィノナは物陰から飛び出して、周りをきょろきょろしながら近づく。

 ドンッ
「きゃっ、ごめんなさい」
「あ、いや、いいよ」
 エリクは肩がぶつかった程度どうってことない、と手を振る。その背中に。
「ま、待って!」
 村人ではない少女が慌てて声をかける。
「何?」
「サーディスさんの家、知らない? 迷ってしまって……」
 少年ははっとして、少女を上から下まで見つめる。
「ああ、あんたか。師匠の厄介になってるという女は」
 その言い方にウィノナはかちんっと頭にくるが、作戦のことが脳裏によぎる。
「案内してくれないかな?」
「でも、まだ仕事が残ってるんだ」
 困った顔で返す。
「そう……」
 このままでは準備が台無しなってしまう。
「あ! そういえば……家を出る前、サーディスさん。エリクって人に会いたがってたなぁ……」
 遠く空を見上げて、ぼそっと呟く。
 ピクッと少年が反応した。それを目の端で確認して。
「その人、知らない?」
「それ本当か!?」
 ウィノナに迫る勢いで顔を近づける。背中を反ってためらいがちに「う、うん」と答えた。
「オレがエリクだ! あんた、ついてこい」
 そのまま、フィアノの家へと足早に歩いていく。騙されているとも知らずに。
 ウィノナは内心、ほくそ笑む。
(ふふっ、第一関門突破ね)



「ここから一本道の先が師匠の家だ」
 まだ森になっていない木々で囲まれた林道は人が横に並んで四人分の幅がある。昨日降った雨の跡が残り、ところどころ小さな池になっていた。
 さりげなくウィノナは左側を陣取り、二人は先へ進む。
 空を鏡に映す水たまりを乗り越え、もう少しでフィアノの家が視界に入ってくる頃。途中で草が生い茂り、地面が僅かしか覗かない場所に差し掛かる。

「うわっ!」
 何かにつまずき、エリクが転ぶ。そのとたん、水音がひびき顔面にびしゃっと泥水がひかかった。
 服にも泥がまんべんなく付いて、白地の面影もない。全身が汚れていた。
「ちくしょ、何だよ」
 投げやりに吐き、地面を見回す。
 転んだ先はちょうど雨水でぬかるんでいた。しかも、ねちょねちょに、これでもかというほど。その範囲は思ったより広い。

「引っかかったー!」
 突然、林の中からよく耳にする声。
 想像通りの人物が二人の前に姿を現す。お腹をかかえて笑いながら。
「なっ」
 四つんばいになったまま、どういう事だ、と訴えようとした時。そばからクスクスと笑い声。横に視線を動かすとウィノナが肩を震わせていた。
「まさか……」
(グルだったのか! ……くそっ!)
 道に草が生えているせいで気づけなかった。土が相当ぬかるんでいることも。つまずく木の枝があることにも。
 ――ウカツだ。注意していれば分かったかもしれないのに。

 泥まみれになりながら体を起こそうと地面から手を離す。ところが、重心を置く足に何かがかけられた。
「うわわっ」
 また落ちそうになる。一度ならず、二度までも。
「っと。……ふぅ。あ、危ねぇ」
 今度は手をついただけで胴体や顔は死守できた。だが、つまずくのを未然に防げなかった。視界の隅で足元にかけられたものを垣間見たのにも関わらず。悔しくて考え事に意識がとられていたからだ。
「あ、あんた! 何か恨みでもあるのかよ!」
 手を後ろで組んだウィノナに噛み付く。当の少女は笑顔で見下ろした。
「ないよ。ただボクはレナの味方だってことだけ」
 クスリと笑う。
「そうよ!」
 レナはエリクの正面で仁王立ちし、手を腰にそえる。
「でも勘違いしないで。ウィノナは力を借してくれたの」
「……そっか、レナが悪いってんだな」
 ゆっくり体を起こして、レナと真正面から向き合う。二人の間で火花が散った。
 いがみあったまま、微動だにしない。しかし、その均衡はすぐにレナから崩された。
「ふん、元々はエリクが悪いのよ」
「は?」
 一瞬、過去を振り返り、今朝のことにぶち当たる。エリクの中でまざまざと思い出されたそれ。
「ああ、アレか。あんなことで復讐しようなんてガキだな」
「な、なんですって!」
 聞き捨てならない台詞だ。怒りに渦巻き、体がわなわなと震えた。
 レナが我を忘れて魔法を行使しようと右手を上げる。少年は身構えた。

「――レナ」

 ウィノナが二人の間に立ち、静かにそれを制する。
 魔法は暴力にもなるのだ。一度始まってしまえば、エリクも黙っていられない。そして、二人の問題ではなくなってしまう。
「ちょ、ウィノナ!」
 頂点に昇りつつある憤りに燃えるレナ。自分を止めた少女の肩を掴む。
「レナ、待って。レナの気持ちはすごく分かる。でもエリクは全身泥まみれで、すべきことは果たしたと思う。だから、――もう、帰ろう?」
「そんなっ」
 レナは納得できなかった。しかしウィノナに強引に背中を押されて、その場を離れてしまう。

 だが十歩目で突然ウィノナは立ち止まった。弱まった力にレナは訳が分からず呼びかけるが反応はない。
 銀の髪はエリクに振り向く。少年は事態が飲み込めず、ぽかんと口を開けている。その姿は一見、無様だ。緩みそうになった頬を気取られぬうちに引き締める。

 エリクに駆け寄り、眉を八の字に下げ。
「ごめん、ね」

 その刹那、バンッと力強く押す。
「うおっ!?」
 重心が崩れ、後ろへ転倒しそうになる。片足で何とか前へ体重移動しようとするが、なかなか思い通りにいかない。必死に倒れまいとしている時。ウィノナがエリクの横に回り込む。
「ま、待て待て。やめろ〜!」
 エリクは真っ青になった。ウィノナはそれに構わず、足をひっかける。

 ドシンッ
 結局、少年はお尻から落ちた。前も後ろも足は泥まみれ。上半身だけ免れたことが救いだ。
 ふふふっと笑って、ウィノナはその場を去る。

   *

 置いていかれたエリク。
「くそっ!」
(ごめん、というのはコレだったのか)
 また油断しきっていた自分が悔しい。最後のウィノナの微笑みは恐ろしかった。演技がとても上手く、エリクには見抜けそうにもない。
 遠く、はしゃぎながら前方を行く二人を睨みつつ。

「ただじゃおかないからなー!!」

 大声で叫ぶ。少女たちに聞こえるように。
 だがそれすらも無視して振り返ることもしない二人。
 エリクはぎゅっと拳を作って、足元のぬかるみに打ちつけた。

   *

「ウィノナ、止めたのはこういうことだったのね」
「うん、そう」
 もう一つ意味があったが、レナにはあえて言わない。
 二人は泥をかぶった姿を思い出して笑いあう。

「ありがとね、ウィノナ。あなたのおかげよ。これでスッキリしたわ」
「どういたしまして」
 エリクの報復など気にしてない。されたとしても倍返しにするだけ。女を敵にまわしたらこうなる、と。

 少女たちの団結は固い。友情が更に深まった――


------------------------------------------------------
■     登場人物(この物語に登場した人物の一覧)    ■
------------------------------------------------------
【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 3368 // ウィノナ・ライプニッツ / 女 / 14 / 郵便屋

 NPC // レナ・ラリズ / 女 / 16 / 魔導士の卵(見習い)
 NPC // エリク・ルーベルト / 男 / 16 / 薬屋のバイト
 NPC // サーディス・ルンオード / 男 / 28 / 魔導士

------------------------------------------------------
■             ライター通信               ■
------------------------------------------------------
ウィノナ・ライプニッツ様、二度目の発注ありがとうございます。

哀れなエリクですね(笑)。徹底的にして頂きました。やり過ぎだったらすみません;


少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。


水綺浬 拝

窓を閉じる