■戯れの精霊たち■
笠城夢斗
【3087】【千獣】【異界職】
「お願いが、あるんだ」
 と、銀縁眼鏡に白衣を着た、森の中に住む青年は言った。
「この森には、川と泉、焚き火と暖炉、風と樹、岩の精霊がいる――」
 彼の声に応えるように、風がひらと彼らの横を通り過ぎ、森のこずえがさやさやとなった。
「彼らは動けない。風の精霊でさえ、森の外に出られない。どうかそれを」
 助けてやってくれ――
「彼らは外を知りたいと思っている。俺は彼らに外を見せたい。だが俺自身じゃだめなんだ……俺が作り出した、技だから」
 両手を見下ろし、そして、
 顔をもう一度あげ、どこか憂いを帯びた様子で青年は。
「キミたちの、体を貸してくれ。キミたちの体に宿っていけば、精霊たちも外に出られる。もちろん――宿らせた精霊によって色々制約はつくけれど」
 お願い、できるかい――?
「何のお礼もできないけれど。精霊を宿らせることができないなら、話をしてくれるだけでもいい。どうか、この森にもっと活気を」
 キミの言うことは俺が何でも聞くから――と言って、青年は深く、頭を下げた。
あなたの心、私の心

 クオレ……記憶から生まれる、不思議な結晶体。
 それは何らかの形となって生まれる。あるいは宝石として。あるいは道具として。
 ――先日千獣は、とある青年との記憶をクオレ細工師たる少年に見てもらった。
 その際に出来上がったクオレは2つ。
 2つの懐中時計。
 対になるように、蓋の部分の絵柄が違っていた。1つは青年の横顔。1つはクオレ細工師いわく、千獣の横顔。
 その時計2つを渡されて……
 千獣は、精霊の森に帰る前に、ぼんやりと思い悩んでいた。

 2つの時計。
 どちらを彼に渡そう?

 元々は。
 精霊の森の守護者である青年の、誕生日プレゼントとして贈ろうと思って、クオレを作ってもらうつもりだった。
 けれど、2つも出来あがるなんて予想外だった。
 まるで2人の間に流れた刻を刻む象徴かのような、時計という形のクオレ。
 ……蓋の図柄、横顔。
 青年の横顔は、千獣の想い人の顔だ。……精霊の森の守護者、クルス・クロスエア。
 大切な、大切な。
 ――これは自分の想いの結晶だ――
 きゅっと掌に握りこんで、千獣は切ない想いになる。
 自分の心そのままのものだと思った。
 一方――
 もうひとつの、懐中時計。
 蓋の図柄は、天使の翼をはやした女性の横顔。
 千獣には信じられなかったけれど、これがクルスから見た千獣なのだという。
 自分の目に映ったクルスの、クルスが見つめていたものからできあがったもの
 自分には獣の翼しかないのに、と千獣は心底不思議に思う。
 ――これは、彼から見た自分の姿。
 でも、それならこれはクルスの心から生まれたものというわけで。
 彼の想いの結晶?

 だったら……

「返す……返さ、ないと……」

 贈り物はどっち?
 私の心? 彼の心?
 いいえ、もはや『贈り物』ではなくなってしまった。
 彼の心は返さなきゃ。その扱いは私が決めて良いものではない。

 そう、返さなきゃ……
 でも、自分の心は……

 ■■■ ■■■

「お帰り、千獣」
 穏やかな声が、千獣を迎えてくれた。
 クルスの声だ。もう耳慣れた声。するっと滑り込んできて、心にまで染み渡る声。
 小屋の中では冬の肌寒さを暖めるように、精霊の宿る暖炉がこうこうと燃えている。
「街へ何しに行っていたんだい?――ああ、訊いちゃだめなのかな」
 森の色の瞳をした青年は、笑って千獣をテーブルへと導いた。
「何か飲むかい」
 問われて、首を横に振った。
 クルスは首をかしげて、
「夕食作ったんだけど……これから温め直すんだけど、いらないか?」
「た、食べ、る」
 クルスの作ったものをいらないなんて言いたくない。千獣は慌ててこくこくうなずいた。
 青年は台所に向かって、フライパンに入れっぱなしのものを温め始めた。
 こんがりとした匂いが千獣の鼻に届く。
 ――今日は肉料理だ。
 味覚がないために食事にあまり頓着しない千獣だが、それくらいは分かった。
 珍しいな、と千獣は首をかしげる。この青年は、野菜料理の方が好きなはずなのだけど。
 千獣がじっと彼の背中を見つめていると、その視線に気づいたらしい、クルスは肩ごしに振り向いた。
「今日は差し入れがあったんだよ。街の人から……」
「………」
 千獣はこくりと納得のうなずきを返した。
 ――この森には、万能薬となる樹液を生み出す樹がある。精霊ファードが宿る樹。
 その樹液によって救われた人々が、お礼として時々こうやって森に差し入れにくるのだった。
 それだけではない。最近ではクルスが作った薬で救われた人間が精霊の森に来ることもある。
 ファードを傷つけることは許せないけれど、それでも救われたありがたいと、礼の品を笑顔で持ってくる人々を拒むことを、クルスにも千獣にも出来なかった。
 ――他ならぬファードが、喜ぶことだから。
 クルスがフライパンから中身を皿に移す。2皿。それからお茶。2カップ。
 まず肉料理をテーブルの上に置く。
 それから、お茶を並べた。
 千獣はちょこんと手を合わせた。
「いただき、ます……」
 ――この「いただきます」という意味に、“命をいただきます”という意味もあるんだと教えてくれたのは、誰だったっけ――
 ゆっくりと、ようやく慣れてきたフォークを使いながら食事をする。
 クルスが穏やかな目でこちらを見ていた。
 何だか落ち着かなかった。千獣は頬を染めて、
「見ない、で……」
 とつぶやいた。
「いや、かわいいから」
「………っ! クルスの、ばか!」
「ははっ」
 彼は笑った。
 千獣を見る眼鏡の奥の緑の瞳。
 ――その目に映る千獣の姿は、天使の翼を持つ女。
 私はそんなじゃないのに。
 食事はクルスに終始からかわれて終わる。というか、単純にクルスの視線から千獣が逃げようとするだけなのだが。
 お茶を飲み、心を落ち着けて。
 洗い物のお手伝いをして。
 それから……改めて、彼に向き直った。
「あの、ね、クルス……」
「なに?」
 待っていたかのように、クルスは千獣を見つめる。
 千獣は、懐から2つの懐中時計を取り出した。
「クルス、の、誕生、日……に、って、思って……」
 青年が目を丸くする。千獣はクオレ細工師のことを説明した。記憶を見ることが出来ること。記憶から物を作り出すことが出来ること。
 そしたら――
「そうし、たら、これ、が、出来た」
 両手に1つずつ。懐中時計はのせられている。
 蓋。片方には青年の横顔。片方には……千獣の横顔。
「こっち、は」
 青年――クルスの横顔の方を持ち上げて、千獣は言う。
「私、の、心から……出来た……もの」
 クルスが目元を和らげてそれを見る。
 蓋に刻まれた青年の横顔が安らかなことを、彼はどう思うだろう。
 千獣は続いて、頬をほのかに赤らめながらもうひとつを持ち上げた。
「こっち、は……」
 天使の翼の――
「クルス、から、見た、私……だって……」
 青年はくす、と笑った。
「そうか……俺の本心が見抜かれたか」
「っ」
 クルスは愛おしそうに、天使の翼を持つ美しい娘の横顔の図柄を指で撫でる。
 まるで自分の肌を愛撫されているような気分になって、千獣はかあっと赤くなった。
「こ、これは、私の、目に、映って、いた……クルス、から、見た、わ――た、し」
「そうか」
「だ……か、ら、これ、は……クルス、の、心」
「うん」
「クルス、の、心、だから」
 千獣は小さな声で囁く。
「……クルス、に、返さ、なきゃ、と、思って」
「俺に『返す』?」
 不思議そうな響きを帯びた声。千獣はこくりとうなずいた。天使の翼の娘の時計を、彼の胸の前に差し出す。
 クルスはそれを受け取ろうかどうか迷っているようだった。
 千獣は続けた。
「でも……代わり、に」
 青年の図柄の懐中時計は胸に引き寄せ、
「これ、は……私の、心、だから……」
 ねえ――、
「もう、少し……私、の、心、で……温めて……おきたい……」
 あどけない赤い瞳で、青年の森の緑の瞳を見つめる。
「私が、持って、いても、いい……?」
 大切にするから。
 他ならぬあなたの顔が刻まれた懐中時計。
 私の心の象徴――……
 だから。
「………」
 クルスはそっと、手を伸ばしてきた。千獣が胸に引いた方の時計に向けて。
 そして、それを包み込むように、千獣の掌に掌を重ねる。
「……ありがとう」
 なぜお礼を言われるのか、千獣には分からなかった。
 けれど、そう言った時のクルスはとても幸せそうで。
「こっちは、受け取るよ」
 重ねていた手をほどいて、千獣が青年の前に差し出していた天使の娘の懐中時計を手に取る。
 しゃら、と鎖が鳴った。
「大切にしないとな」
 愛おしそうにその時計を見つめる目。優しい……視線。
 まるで時計に彼の視線を奪われたようで、千獣の胸にほんのわずかにくすぶりが生まれる。
 我慢できなくて、彼の胸の中に飛び込んだ。
「クルス……! クルス!」
「千獣?」
 片腕で千獣を抱き止めながら、青年は優しい声で千獣を呼んだ。
 ――あなたが見ているのは、私がいい。
 時計の中の、私ではなくて。
 小さく身を縮めて彼の胸にくっついた千獣を、クルスは抱きすくめる。
「大丈夫だ、千獣。――大丈夫」
 子供をあやすような声に、ふいに涙がこみあげた。
「俺はキミだけを見ているよ」
「……ふ、う……っ」
 千獣はすすり泣いた。彼の腕の中で、彼のぬくもりの中で、訳も分からず泣いた。
 左腕で千獣を抱きながら、右手に持った懐中時計をクルスは器用に開く。
 中で、チクタクと時を刻む、針。
「……俺たちの間に流れる刻は、悠久」
 千獣は夢心地でその言葉を聞いていた。
「永遠。永久。久遠。……そして、2人で作っていく時間だ」
「クルス……」
「離れていても、この時計を開けば同じ刻を生きていることが分かる」
 流れる水のように、千獣の耳に染み渡る声は。
「離れていても、この時計を見れば相手の姿を思い出す」
 やっぱりやっぱり、焦がれて仕方のない声で。
「同じ、刻、を、過ごす……?」
「そう、同じ刻を」
 千獣。と優しい声は囁いた。
 俺の精霊――
 パタンと時計の蓋を閉め、その腕をも千獣の背中に回し、クルスは千獣の額に口付けを落とす。
 千獣が顔を上げると、今度は唇に唇が降ってきた。
 甘い甘いキス。――食事にだって必要以上の味覚を要さない千獣が、なぜかこの時だけは……とても、心揺さぶられる。
 吐息を交換すると、不意に恥ずかしさがこみあげてきて、千獣は顔を伏せた。
「千獣?」
「な、んでも、ない」
 顔がほてっている。涙なんかとうの昔に蒸発してしまったようだ。
 平静でいられない――彼の前、では。
 でも。
「これから、も」
 切ない想いだけは、告げておこう。
「一緒、に」
 届けずにいられない想いだけは。
「――いて、くれ、る……?」
「もちろん」
 即答だった。
 青年の腕の中で、千獣はとくんとくんと軽やかに跳ねる己の心音を聞きながら、とても穏やかな気持ちになった。
「誕生、日……」
 ――彼が、この世に生まれてくれたことを。
「おめで、とう……」
 心から、感謝します。
 そうして、彼が私を見つめてくれていることを、感謝します。
 彼のために――私は尽くそう、この命の限り。
 ちゃら……と鳴ったのは懐中時計の鎖。
 ――離れていても、同じ刻を生きる。
 でも、
「離れたく、ない……」
 微笑んだ。
 クルスが、長い黒髪をすくように撫でてくれた。
 優しい指先が、嬉しかった。

 ねえ、これからも一緒に。
 同じ刻を歩んでいこう……?
 大好きなあなただから、私は信じてる。あなたの心、何もかも。
 だから、ねえ。
 あなたの心、私の心。
 共に、心を寄せ合って……


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/外見年齢17歳/獣使い】

【NPC/クルス・クロスエア/男/外見年齢25歳/精霊の森守護者】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
お久しぶりです、笠城夢斗です。
今回もゲームノベルへのご参加ありがとうございました。
プレゼントの扱いにはとても迷われたかと思います。でも千獣さんらしく大切にしてくださって嬉しかったです^^
また次に、よろしくお願いします。

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