■春のお祝い■
川岸満里亜
【3317】【チユ・オルセン】【超常魔導師】
「ただいま、パパ」
 そう笑顔で診療所に現れたのは……男の子であった。
 ファムル・ディートは訝しげに眉を寄せる。
 自分には子供はいない。
 若気の至りで……ということも、断じてないっ!
「あたしだよ、あたし。声で分かるでしょっ!」
 言って、少年はファムルに駆け寄り、ぎゅっと抱きついた。
 ファムルは表情を変えぬまま、少年を見下ろす。
「まさか、キャトルか?」
 その言葉に、少年――に変装したキャトル・ヴァン・ディズヌフは大きく頷いた。
「せんせーの薬飲んだら、男の子になっちゃった!」
「なわけないだろ!」
 笑いながら言って、ファムルはしばらくぶりに帰ってきた少女を、優しく抱きしめ返した。

 事情については、おいおい話すと約束をし、キャトルはファムルに診てもらうことにした。
 ベッドに横たわりながら、診療室をきょろきょろと見回す。
 随分散らかっている。
 片付けたいところだが、それよりも先にキャトルとしてはファムルの身嗜みをなんとかしたかった。きちんとしていれば、なかなかいい男なのに、すっかりおっさん化してしまっている。
「そういえば苺が沢山手に入るんだが、キャトルは苺好きか?」
「うん、大好きだよ! ……じゃなくて、だぜ!」
「だぜ?」
「見かけに合う喋り方しようと思ってな!」
 作り声でキャトルが答える。普段から男の子になりきるようだ。
 出会った当時は幾分乱暴な言葉遣いであった彼女だが、最近では随分と口調が柔らかくなっていた。しかし、それを逆戻りさせるらしい。
「なるほどな……というか、その格好どうにかならんのか? 家の中では普通でいいだろ」
「うん、でも、外に出るたびに変装するんじゃ大変だから、なるべくこの格好でいようと思ってさ!」
「そうか」
 詳しい事情を知らないため、ファムルにはそれ以上何も言えなかった。
 しかし、ファムルは知っている。キャトルが女性らしい服装に憧れを持っていること。大人の女性になりたいと切望していることを。
「で、そんなことより苺、苺! どれくらい手に入るんだ? お礼したい人沢山いるから、配って回りたいんだけど」
「ああ、それなら招待したらどうだ? 草刈りをすれば、庭で振舞えるだろ」
 診療所の周りは広場になっている。決してファムルの私有地でも庭でもないわけだが。
「苺っていってもな、私が新種開発に携わった苺だ。大きいのから小さいものまで、はたまた面白い形や味のものも、沢山あるぞ」
「えー、どんなの? どんなの?」
「例えば、お前の背より大きい苺とかだな」
 その言葉に、キャトルは目を輝かせる。
「すっごーい、食べ放題だし、いろんなもの作れそうーっ!!」
 即座にベッドから飛び降りる。
「皆に話してくるっ!!」
「あ、こら、診察はまだ終わってないぞ!」
 呼び止める声も虚しく、キャトルはドアを開け放して飛び出して行った。
『春のお祝い』

 ドン
 バン
 ドカドカ
 バタバタバタ
 バタバタバタバタ
「春だ、春だ、春だよーーーーーー!!!!」
 診療所がいつになく騒がしい。
「緑が増えたよ、花が咲いてるよ、ああーっちょうちょがいーるーーー!!」
 バタンと音が響き、ジャッとカーテンを開く音も響く。
 眩しい光が顔に当たった。
 毛布を被ろうとするが、抵抗むなしく引き剥がされる。
「おはよう、ファムル!」
 嫌々目を開けば、少年の姿がある。……いや、少女だ。
 キャトル・ヴァン・ディズヌフ。最近まで行方不明になっていた女の子である。
「さーて、部屋も片付いたし、今日は腕によりをかけてパパを磨いてあげるんだから!」
 キャトルの言葉に、苦笑しながらファムルは起き上がる。
 昨晩遅くまで研究をしていたため、もうしばらく眠っていたいのだが、どうやら許してはもらえないらしい。
「ほら、しゃきっとして! 忘れたの? 今日は皆が遊びに来てくれる日だろっ」
「あー、そうだったな」
 コンコン。
 早速ドアをノックする音が響いた。
「おおっと、最初のお客さん到着ー!」
 バタバタとキャトルは駆けていく。本当に騒がしい子だ。

 ドアの外には、見知らぬ女性がいた。
 女性はキャトルを見るとにっこり微笑んでこう言った。
「初めまして。キャトルちゃんよね?」
「う、うん。お姉さん……誰!? この診療所に“ギャル”が来るなんて!!」
「あははははは」
 思わず笑いながら、チユ・オルセンはキャトルに「入っていいかな?」と訊ねる。
「どうぞどうぞ〜。女性客1名ご到着〜」
「おじゃまします」
「チユさんっ!」
 チユが診療所に入るなり、ファムルがどたどたと近付き、その手を取った。
「この度は私の遠縁の妹の為に、はるばるお越しくださり感謝の極みに……」
「何言ってんの、パパ?」
「パパじゃない!」
 キャトルに間髪いれずそう言って、ファムルはチユを研究室へと招き入れる。
「ねえねえ、だれ、誰なの〜?」
 キャトルはファムルの服の裾を引っ張りながら、2人についていく。
「あー、この人はだな」
 研究室で女性にしか出さない特性ホットチョコレートを入れながら、ファムルはキャトルに説明をする。
「私の未来の妻になるかもしれない人だ」
「えっ? それってあたしのママ?」
「いえ、それはありえないけど」
 チユはファムルの妄言に慣れている。軽く笑いながら、言葉を続けた。
「あなたのことは、ファムルさんから聞いてるわ。身体、もういいの?」
「うん! 元気元気っ!」
「そっか。お姉ちゃんも元気になったみたいよ。よかったね」
 チユはキャトルが一緒に暮していた姉、クレスタと面識がある。
「お前が行方不明になってる時にな、クレスタさんが危ない目に遭ってね……。チユさん達が助けてくれたんだぞ」
 ファムルの言葉に、キャトルは目を見開いた。
「え!? そうなの……? お姉ちゃん、何も言ってなかったから」
 チユに向き直って、キャトルは頭を下げた。
「迷惑かけてごめんなさい。お姉ちゃんを助けてくれてありがとー!」
「いえいえ。お礼を言われるほどのことじゃないって。はーい、これお土産」
 チユは袋から、ボールや泡だて器などを取り出す。
「こ、これは……!」
「お菓子作りに必要な器具や型よ。ファムルさん家って、この部屋が調理場もかねてるのよね?」
「ええ、ではでは、一緒に愛の料理を作りましょう〜!」
 ファムルは上機嫌で材料を取りに向う。
「なんか……パパ、変人バージョンになってるーっ」
 そう言いながら、キャトルも笑みを浮かべていた。 

 チユは一通り料理の下ごしらえを終えると、診療所の外へ出て、スペルカードを取り出し、魔法で草刈を行なっていた。
 キャトルは興味深げにチユの魔法を見ていた。
「あた……じゃなくて、僕、魔法の知識はそこそこあるんだけど、使えないんだ。でもそのカードなら使える?」
「うん、使えるんじゃないかな。やってみる?」
 そうチユが言うと、キャトルは目を輝かせて手を出した。
 チユはスペルカードを一枚キャトルに手渡す。
「えいっ!」
 キャトルがカードを使うと……。
 ズガガーーン!!
 激しい落雷が診療所の前に落ちた!
「うぎゃー!」
 驚いてキャトルは腰を抜かす。
「あっ、雷が入ってたんだー。何枚か中身を把握してないのよね、実は」
 チユが照れ笑いを浮かべる。
「で、ででででもすごい。あたしが使っても、こんなこと出来るんだ……なんか、嬉しい」
 キャトルは尻餅をついたまま、感慨にひたっていた。
「なんだ、なんだ何事だーーーーーー!」
 突如、大声が響き、街の方から少年が駆けてきた。
「今の魔法だろ! アンタがやったのかっ!?」
 息を切らせて駆けてきたのは、ダラン・ローデスであった。
 診療所に良く顔を出す少年であり、チユとも面識がある。
「んー、そうよ」
 ナイショにしてほしそうなキャトルの顔を見て、チユはそう答えた。
「ふーん。なあ、俺にも教えてくれよー」
「機会があったらね。それより今日は何しに来たの?」
「ああ、そうそう」
 ダランはくるりと背を向けて、手を大きく振った。
「こっちこっちー!」
 見ればダランが来た方向から、馬車や職人達と思われる人々が歩いてくる。
「この辺りに花を植えようと思ってさ。毎年雑草ばかりで邪魔だしな。誰かのお祝いだってゆーから、丁度いいと思ってさ」
 言って、ダランはチユと、その隣にいた男の子に扮したキャトルを見た。
「うん。それとても素敵だ」
 キャトルは嬉しそうに笑った。

 診療所の周囲が花畑になるまで、数日かかりそうだ。しかし、すでに植木や花瓶に活けられた花々が鮮やかな色を放ち、周囲を美しく彩っていた。
 倉庫から丸テーブルを持ち出し、真っ白なテーブルクロスをかける。
 その上に、チユは苺をたっぷり使って作った、数々のスイーツを並べていた。
「あたしのお祝いにあたしが誘うのって何か変だけど、あた……僕らしいかもな!」
 そう笑いながら、キャトルもチユと一緒にスイーツを並べる。
 ダランは花の手配をした後、自宅に帰ってしまった。でも、それでよかったのかもしれない。
 祝いの対象が自分だと知ったら、花を持ち帰りかねない。
 そうキャトルがファムルに言うと、ファムルは少しだけ笑みを浮かべてこう言ったのだった。
「多分、分かってたんだろ。だけど、素直に祝えないから、知らない振りして早々に帰ったんだよ、アイツ」
 その言葉をチユは不思議に感じて、キャトルにこう問いかけた。
「ファムルさんと、キャトルちゃんとダラン君?って一体どういう関係なの?」
「ファムルはあたしのパパで、ダランはあたしの弟」
 キャトルが即答する。
「なるほど」
「いや、違う違う!」
 慌ててファムルが否定をする。
「キャトルは、私を父親のように慕ってくれている、親戚の子のような子だ。ダランは私の元弟子で、富豪のローデス家の御曹司。キャトルとはやっぱり親戚のようなものってところか」
「ふーん、そうなの」
 チユはキャトルとファムルの顔を見るが、確かに似てはいない。血のつながった親子ということはなさそうだ。
「キャトル! 元気そうね」
 女性の声に、キャトルが振り向く。
 酒瓶とバスケットを持った女性の姿があった。
「エスメラルダー! 着てくれたの!? お店大丈夫?」
「まだ開店前だから、少しだけね。でもあたしの代りに、この人残していくから勘弁してね」
 軽くウインクして、エスメラルダが身を引いた。
 エスメラルダの後ろから姿を現したのは、キャトルもよく知る人物――リルド・ラーケンであった。リルドは軽く手を上げて、キャトルに挨拶をする。
「リルド? 柄じゃないぞー!?」
「うるせー」
 苦笑して、キャトルの肩を軽く叩くと、リルドはファムルに歩み寄った。
「例の薬、出来たか?」
「ああ、出来てるぞ」
「なーんだ、リルド薬買いにきたのか」
 2人の会話に、キャトルががっかりしたように言う。
「いやいや、照れ隠しってやつだろ。男の事情だよ、キャトル」
 ファムルの言葉に、キャトルの表情が笑顔に変える。
「そっかーっ。リルド、今日はね、苺がたっくさんあるんだ。お腹いっぱい食べてってよ!」
 リルドは苦笑しながらも頷いた。
 冬祭りの日よりも、キャトルはずっと元気そうであった。
 そして……額にあったはずの、魔術の痕も消えてなくなっている。
 誰かが彼女を癒したようだ。
 ポロン……。
 小さな音色に、皆が振り向いた。
 微笑を浮かべた男女が、花束を手に近付いてくる。
 山本健一と……エルファリア王女であった。
「健一と王女様だー!」
 キャトルは喜んで駆け寄ったが、ファムルは驚いて身を引いた。
「ななななななななななななんで、王女がここここここここここんなところにににに」
「キャトルはずっと城に匿われていましたから、その関係ですよ」
 そう言って、ファムルに近付いたのは、女天使姿のフィリオ・ラフスハウシェであった。健一達と違う方向から訪れたフィリオは、明るい笑顔を浮かべているキャトルを見て……一人、目を細めた。
 胸が痛かった。
 彼女は決して、元気なわけではない。
 ファムルの薬で、一時的に元気でいるだけで……。
 彼女を縛っていた魔術は、カンザエラの姉妹達により、解かれたと聞いた。
 あの魔術は、自分の所為だ。フィリオを守るために、キャトルは己の信念を曲げ、アセシナートの女魔道士に屈したのだろう。
「フィリオー!」
 フィリオに気づいたキャトルが駆け戻ってくる。
「今日は天使さんなんだね。……でも、ちょっと元気ない?」
「あ、いえ、そんなことないです」
 そう言った後、フィリオは苦笑しながらこう続けた。
「大嫌いな黒い虫のことを、想像してしまって」
「ふーん、フィリオの苦手な虫かー。あた……僕は虫は全然平気だぜっ。ふふふ、じゃあ、虫が出た時は男の子の僕が、女の子のフィリオを守ってあげるね」
「そうですね」
 そう言って、二人は笑い合った。
「おおおおおうじょ様、ききき汚い家ですが、どどどどうぞ、入ってください」
 ファムルは緊張しながら、両手を家へと向けた。さすがに相手が王女では、突然手を握ったりはしないらしい。
「いえ、今日は外でお祝いを行なうとお聞きしてきましたので、皆様と一緒に、お外で楽しませていただきます」
 そういいながら、エルファリアは手に抱えていた花を、ファムルに渡した。
「あ、これは“いかりそう”ですな」
「はい、今朝、別荘に届いたのですが、滋養・強壮剤の材料にもなるとお聞きしたので、キャトルさんにプレゼントしようと思いまして」
「ありがとうございます。さっそっく、飾らせてもらいます」
 その花は王女からのプレゼントにしては豪華さに欠けるものではあったが、逆に抵抗なく受け取ることができた。

 健一はお菓子作りの仕上げを手伝うことにする。
 診療所のキッチンはとても変わっており……というより、キッチンといったものはなく、研究室にある器具でお菓子を作っていた。
 なんとなく、普通のお菓子ではなく、健康食品が出来上がりそうな気がしてしまう。
 チユが焼いたスポンジに健一はスライスした苺を並べ、生クリームを塗っていく。
「起用ね、男性なのに」
 チユが感心する。健一だけではなく、ファムルの菓子作りの腕もなかなかのものであった。
 尤もファムルに関しては、惚れ薬菓子を作り続けているからだが。

「キャトルちゃーん!」
 可愛らしい声が響く。
「あ、ミルト!」
 キャトルの友人である、資産家の娘、ミルトだ。
 春らしい明るいドレスを着て、ボディガードと一緒に姿を現した。
 ぱたぱたと走りより、ミルトはキャトルの両手をとった。
「退院おめでとー!」
「え? あ、うん。ありがとー」
 ミルトはキャトルが城の病棟に入院していたと思っているらしい。
「それじゃ、そろそろ戴きましょう」
 チユがグラスを手に現れ、皆に言った。
 用意された簡素な椅子に、身を寄せて座る。
 エスメラルダが自家製の苺酒を大人に注いで回る。
「キャトルちゃん、私達はこっちね!」
「うん」
 お酒の飲めないミルトは苺ジュースを自分とキャトルに注ぐのであった。
「それじゃ、乾杯ー!」
「乾杯ー。キャトルちゃん、退院おめでとー!」
 チユの言葉の後、ミルトが言った。
「退院おめでとー」
 チユもミルトにあわせた。
「おめでとう、キャトル」
「お帰り、キャトル」
「キャトル、無理はしないでくださいね」
 祝いの言葉や、気遣いの言葉に、キャトルは少し恥ずかしそうにうなずいて、ジュースを一気に飲み、空のグラスを上に上げた。
「皆ーっ、ありがとーーーーーーーー!!」
 広場中に響き渡る大きな声でキャトルは叫んだ。
 拍手が起こると、やっぱり恥ずかしそうに、キャトルはぺたんと椅子に座った。
「さ、皆食べて食べてー。色んな苺があるよ。ほら、これなんか、加工してないんだよ」
 キャトルがつまんだのは、星型の赤い果物であった。それも苺のようだ。
「えー?」
 不思議そうにしながら、ミルトが奇妙な形の果物を口にいれる。
「ホントに苺だー。王女様も食べてくださいっ」
 ミルトがお皿に苺をとると、エルファリアに差し出す。
 リルドは一番隅に腰かけて、苺酒の入ったグラスを手に、苺をほお張るキャトル達を見ていた。
 一口酒を飲んだ後、目を伏せ、浅く微笑む。
 良かったじゃねぇか。
 リルドにとってその場は少し居心地が悪い場所ではあったが、喜ぶ少女達の姿は、微笑ましかった。
「リルド君、リルド君」
 隣に座っていたファムルがリルドの耳に口を近づけた。
「話しに入りにくいようなら、いつでも言ってくれ。笑い薬も、踊り薬も、直ぐに用意できるぞー」
「いらねーっ」
 そう言うとファムルはにやりと笑って懐に手を伸ばした。
 リルドは自分のグラスを握り、ファムルの手の届かない位置へと移動させた。油断ならない相手の隣に座ってしまったようだ。
「ところで、リルド君、君はキャトルと知り合いだったのかね? あの姿を見ても何も言わんということは、ある程度の事情を知っていそうだが」
「まあな。あいつ今、ここで暮してんのか?」
「ああ。私の患者でもある。ほら……先日話した親戚の女の子。それがキャトルだ」
 その言葉に、苺をつまもうとしたリルドの手が止まった。
 リルドが聞いた話では、ファムルには助けたい親戚の子がいるとのことだ。その子はもう長くは生きられない。
 そのために、リルドの血が役に立つかもしれない。そう聞いていた。
「なるほど……。痩せてるしな、アイツ」
 この場では相応しくないので、それ以上何も言わなかったが、また別の機会にでも話を聞いてみるべきかもしれない。
 リルドはキャトルと一緒に仕事をしたことがある。そして、彼女はあの聖殿で苦しめてしまった相手であり、自分のことを友として好いてくれている娘だ。気にならないわけがない。
 ポロン
 竪琴の音が響いた。
 健一が、演奏を始める。
 場の雰囲気に合わせた、明るい音楽であった。
「キャトル、せっかくだからまた歌いましょうか」
 女天使のフィリオが立ち上がった。
「うんっ、歌おう歌おう〜」
 フィリオが手を差し出し、キャトルがフィリオの手を掴んだ。
 2人は、並んで皆の前へ出る。
「何を歌いますか?」
 健一の問いに、フィリオとキャトルは同時に答えた。
「風の歌で」
 微笑んで頷き、健一が演奏を始める。
 フィリオは半眼を閉じて、柔らかな風を起こした。
 2人、同時に歌い始める。
 天使が奏でる歌声は、人々に安らぎを与える。
 澄んだ美しい声だった。
 キャトルの歌声はとても明るい。エネルギーを含んだ声だ。
 フィリオは風を操って、広く彼女の声を響き渡らせる。
 広場を横切る人々にも。
 先に帰ったダランの耳にも入るように願いを込めて。
 エスメラルダもまた立ち上がり、皆に軽く礼をすると、柔らかな踊りを踊り始めた。
 そして、エルファリアに目配せをする。
 健一がエルファリアに手を差し出す。頷いてエルファリアは健一の手をとって、立ち上がった。
 皆の前へ出ると、エルファリアもエスメラルダと共に、優雅な踊りを踊るのだった。
「それじゃ、私も踊ろうかな。あなたもどう?」
 チユがミルトを誘うが、ミルトは恥ずかしそうに首を横に振った。
「私、そういうの苦手で。でも、見るのはとっても好きです!」
「そっか」
 立ち上がって、チユも皆の中に入っていった。
「……華やかだな。ただ、キャトルが浮いてるが」
 ファムルが穏やかな笑みを浮かべて言った。
「男の格好してるからだろ。普通にしてりゃ、そこそこ見れる顔だ」
 リルドはそう言って、苺酒を飲み干した。

 歌と踊りが終わった後、エスメラルダは帰ってしまったが、彼女が置いていった苺酒の瓶を持って、キャトルは皆に注いで回っていた。
「ファムルは今晩もバリバリ働かないと、生活できないからちょっとだけだよー。チユもほどほどにしないと、狼のいる診療所に泊まっていくことになっちゃうぞー、寧ろ泊まっていって〜。リルドは酔いつぶれて二日酔いで寝込んでくれれば、危ないことしないだろうから、どんどん飲め飲め」
 そういいながら、キャトルはリルドのグラスがだばだば酒を注いだ。
「おいおい」
 苦笑しながら、リルドは注がれた酒を一口飲むと、思い出したように袋を取り出した。
「ほら、土産だ」
 ポンとキャトルに投げる。
「うわっと」
 キャトルは抱えるように身体で紙袋をキャッチした。
「ぬいぐるみ……!? リルドがー? 似合わなーい!」
 紙袋の中のモノを見て、キャトルが驚く。
 リルドはそのウサギのぬいぐるみの首に指を差す。
「あ、ブレスレッド。こっちか」
「残らないもんとか下らねぇ言葉遊びは野暮だと思ってな、破魔だか守護だかとにかく魔法の品だ」
「えへへへへっ」
 キャトルはぬいぐるみからブレスレッドを外すと、自分の腕に嵌めた。
「残らないものも、言葉だって嬉しいよ! でもでも、魔法具ってさー。なんか守ってくれているようで、嬉しいんだよね、うん。ありがとーーーーーリルドーーーーー」
 がばっとキャトルがリルドに抱きついた。
「こらこら!」
 ファムルが慌てて引き離す。
「若い男に抱きついたらイカン!」
「なんでー? んじゃ、ありがとー、パパー。あたし、今凄く幸せだよーーー!」
 キャトルは代わりにファムルに抱きつく。
「あー、うん、皆に感謝せねばな。本当に」
 ファムルが頭を掻きながら、皆を見回す。
「うん! ありがとね、みんな!」
 キャトルが輝く笑顔を見せる。
 少年の姿をしているが、それはキャトルにしか出せない、本当に明るく、他人に力を与える笑みであった。

    *    *    *    *

 夕方になっても、皆は外で苺を食べながら、談笑を楽しんでいた。
 そんな中、ファムルは診療所に戻り、最後の仕上げを行なっていた。
 今日キャトルにプレゼントするはずの、とっておきの薬を薬瓶へと入れていく。
 コンコン――。
 研究室のドアがノックされる。
「菓子なら全部運んだぞ」
 ちらりとドアを見て、ファムルはそう返答をする。
「ファムルさん」
 小さな音を立て、ドアが開いた。
「話があるのですが……いいでしょうか?」
 ワインを片手に現れたのは、フィリオであった。
「構わないが、診療室で待っててくれ」
「わかりました」
 ファムルは手早く薬を瓶に入れると、診療室へ向うのであった。

 ファムルを待っていたフィリオはどことなく悲しげであった。
 フィリオの向いに腰かけて、ファムルはワインの注がれたグラスをとった。
 フィリオもグラスをとり、同時に口をつけた。
 甘酸っぱい味が、2人の口の中に広がっていく。
「私は……」
 フィリオがぽつりぽつりと自分の思いを語り始める。
「キャトルを助けたいと言っておきながら、何もできていません。寧ろ、彼女を苦しめてばかりです」
「君がいつ、キャトルを苦しめた? 君はキャトルを何者かの手から助けてくれたのだろ?」
 ファムルの言葉に、フィリオは首を左右に振った。
「いいえ、キャトルがしばらくここに顔を出すことが出来なかったのは……私の所為でもあるのです」
「しかし、キャトルは君達に助けられたと言っていたぞ。君達がいなければ、自分はここに戻ってこれなかったと」
「違います。未然に防ぐこともできました。もっと負担をかけずに取り戻す手段もあったはずです」
 その言葉に、ファムルは深く吐息をついて、軽く眉を寄せた。
「フィリオさん……いや、フィリオ君。君は真面目すぎる。そういう時は逆に考えてみろ。君達は友達だろ? 君とキャトルの立場が逆だったら、君はキャトルが自分の為に一生懸命な姿をどう思う? キャトルは今、君に多大な恩を感じている。元気になったら、君にはナイショで君の為に無茶な行為に走りそうだとさえ私は感じている。君はキャトルの保護者ではないだろ? 一方的に尽くすのが友達じゃないはずだ」
「わかっています。だけれど、彼女には時間がない」
「それなら多分、乗り越えられる。いい素材が色々手に入ってな。彼女の身体用に作ったこの薬を使えば、彼女の人間の身体を強化することができるはずだ。恐らく、第二次成長期は乗り越えられる」
 ファムルがテーブルに薬瓶を置いた。
「そこまで研究が進んでいましたか」
 フィリオは軽く吐息をついた。そして、言葉を続ける。
「実は、私の方も1つ、方法を考えたのです」
 そして、フィリオはファムルに話して聞かせる。
 キャトルの身体を浄化する手段として、自分が考え出した方法――。
 それは、聖獣ユニコーンに頼るという方法だ。
 ユニコーンの回復、浄化の能力で彼女を癒せないかと考えた。
「ユニコーンにお会いする機会もいただきました。……ファムルさんはどう思います?」
 フィリオの説明にファムルは眉根を寄せる。
「聖獣は一人の人間の為に力を貸してくれる存在なのか?」
「それはわかりません」
「もしも最大限の協力を得られるのなら……ユニコーンはキャトルの身体を癒すだけの力を持っているだろう。しかし、その対価となるものを君がユニコーンに提供するというのなら、先の理由で私は賛成できかねる」
 そう言った後、ワインを飲み干して、ファムルはこう続ける。
「だが、全ては君次第だ。君が決めることだよ。キャトルへの同情や彼女の為と考えているのなら、やめるべきだ。キャトルはそれを望んではいない。しかし、キャトルが君にとって必要な存在だというのなら、君の為に動けばいい」
 しばらく沈黙した後、フィリオはグラスを手にとった。
「わかりました」
 ワインを飲み干して、微笑みを見せる。
「片付けが済んだ後……今日は飲みたい気分なので、お酒に付き合ってもらえませんか?」
 フィリオのその言葉に、ファムルは苦笑した。
「出来れば飲み明かす時は男同士の方がいいんだがな。だがまあ、君の奢りならいくらでもつき合わせていただこう」

    *    *    *    *

 すっかり日が暮れた頃、キャトルは診療所に運び込まれた。
「うにゃーん、ママー。もう飲めないよ〜」
 酒は飲んでいないはずだが、すっかり出来上がっている。
「はいはい、良い子は寝る時間ですよー」
 笑いながら、チユは健一と共に、キャトルを彼女が使っている部屋へ運び込んだ。
「では、僕達はこれで」
 健一が自分の荷物を手に取り、ファムルに会釈をした。
「キャトルさん、お元気そうでよかったです。今日は楽しませていただきました。お土産までいただいてしまい、なんだか申し訳ないくらいです」
 苺やケーキが入った籠を抱えて、エルファリアが微笑んだ。
「いえいえ、薬も入っていない残り物のケーキですが、別荘の方々と召し上がってください」
「はい」
 エルファリアは深く頭を下げ、健一と共に診療所を後にした。
「それでは私も」
「チユももう帰っちゃうのー!? 今晩は泊まっていきなよー」
 腰を上げたチユの手をキャトルが掴んだ。
「それじゃ、ファムルさんの娘が眠りにつくまで、ここにいようかな」
 笑いながら、キャトルが横たわるベッドの傍に膝をついた。
「キャトル」
 ファムルが薬瓶をキャトルに手渡す。
「この薬はな、ここにいるチユさんや、お前の友達や、リルド君といった沢山の人々の協力により作り出したお前専用の薬だ。これでお前の肉体を強化させることができる。皆にちゃんとお礼を言うんだぞ」
 キャトルは薬瓶を見ながら頷いた。
「でも――お礼、言い足りない。言葉だけじゃたりない」
 薬瓶、そして苺のクッションをぎゅっと握り締めたまま、キャトルは目を閉じた。
 そして呼吸のリズムが変わる。眠りに落ちたようだ。

    *    *    *    *

 リルドは依頼してあった薬を受け取った後、成り行きでキャトルの友達、ミルトを送ることになった。
 ミルトはキャトルとは違い、控え目な女の子であり、2人の間に会話はなかった。
 しかし、ちらちらと時折ミルトはリルドを見ていた。
「あのっ」
 勇気を振り絞るかのように、ミルトが声をかけてきた。
 出来る限り、極力優しい目でリルドはミルトを見た。
「も、もしかして、伝説の焼そば屋さんではないですかっ? 冬祭りの時に大活躍だった!」
 その言葉に、リルドは思わず吹き出す。
「なんだそりゃ……」
「や、やっぱりそうですよね? こ、今回は苺パーティだったけど、今度の時は是非焼きそば作ってくださいね。キャトルちゃん喜ぶと思うし!」
 別に焼そば作りが得意なわけでも、好きなわけでも、まして本職なわけでもないのだが。
「ま、気が向いたらな」
「はいっ」
 半歩後ろを歩いていたミルトが、リルドに並ぶ。
 ほんの少しだけ打ち解けることができたようだ。

    *    *    *    *

「そういえば王女、あのお花どうしたんです? お誘いしたのは今朝ですので、用意する時間はなかったと思うのですが」
 王女を別荘まで送り、帰りがけに健一は訊ねた。
 花屋で見かける花ではなかった。薬に使える花だというが……。
 それは、本当にちょっとした疑問だった。
「今朝、別荘に届いた贈り物の中に、丁度いいものがありましたので、持って来たのです」
「そうですか。しかし……変わった贈り物ですね」
 エルファリアに花を贈るのであれば、高級な花を贈りそうなものだが。
「どこかの研究所の所長さんかららしくて……あ、でも待って!」
 慌てた風に、エルファリアはロビーに駆け込んだ。健一も後に続く。
「そう、この包装紙……あ、ごめんなさい」
 エルファリアは花に巻いてあったと思われる包装紙を取り出して、健一に渡した。
「てっきり私宛だと思っていたのですけれど、ここに」
 宛名の欄に、名前が二つ書いてある。
 1つはエルファリアの名前。
 もう一つは……健一の名前だった。
 送り主の名前は書かれていない。
 K研究所所長と書かれているだけだ。
 健一はすっと目を細める。
 あれは、確かに花であった。
 魔法などは帯びていない、何の力も感じない普通の花だった。
「ごめんなさい、勝手に。健一さんのお知り合いの方からでしたのね」
 黙りこんだ健一に、エルファリアが頭を下げる。
「あいえ、いいんです。……この包装紙、頂いて帰りますね。今日はありがとうございました」
 健一もまた、エルファリアに頭を下げ、その場を後にした。
「花……何の花でしたっけ」
 さして珍しくもない、野山で見かける花だ。
 花言葉でも調べてみようか。
 そう考えながら、健一は図書館へと向うのだった。

    *    *    *    *

 ベッドの中、キャトルはそっと眼を開けた。
 もう、部屋には誰もいない。
 でも、隣の部屋から大人達の声が聞こえる。
 ファムルと、チユと、フィリオが酒を飲んでいるようだ。
 一人、ぎゅっと苺のクッションを抱きしめた。
 それはフィリオがプレゼントしてくれたものだ。
 それから、ブレスレッド。
 魔法具は身体に悪影響を及ぼすので、実はあまり長くつけていられない。
 ブレスレッドを外して、ぬいぐるみの首に嵌めなおした。
「……リルド、このウサギさん、あまり可愛くないよ……」
 愛嬌のある顔に笑いながら、キャトルはウサギのぬいぐるみとクッションをぎゅっと抱きしめて、頬を寄せて……目を閉じた。

 診療室からは、変わらず暖かな声が響いてくる。

 こうしてずっと、近くで皆の声が聞けますように。
 この幸せが、長く続きますように……。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0929 / 山本建一 / 男性 / 19歳 / アトランティス帰り(天界、芸能)】
【3510 / フィリオ・ラフスハウシェ / 両性 / 22歳 / 異界職】
【3317 / チユ・オルセン / 女性 / 23歳 / 超常魔導師】
【3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳 / 冒険者】
【NPC / キャトル・ヴァン・ディズヌフ / 女性 / 15歳 / 無職】
【NPC / ファムル・ディート / 男性 / 38歳 / 錬金術師】
【NPC / ダラン・ローデス / 男性 / 14歳 / 駆け出し魔術師】
エスメラルダ(黒山羊亭店主、踊り子)
エルファリア(エルザード王女)
ミルト(資産家の娘。キャトルの友達)

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸満里亜です。
春のお祝いにご参加いただき、ありがとうございました。
ゲームノベルで起きた様々な事柄や関係について描くことができ、とても楽しかったです。
ただ、ご自身が関わっていない事柄に関しましては、ちょっと解りにくかったかもしれません。これを機会に興味を持っていただけたら幸いです。
それでは、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!!

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