■街のどこかで■
神城仁希
【2366】【ゼラ・ギゼル・ハーン】【魔導師】
 あなたが『明日に吹く風』という酒場に足を踏み入れたのには、大した理由は無かった。この街に来て、何も頼る術がなかっただけの事である。
 だが、テーブルでとりあえずの酒を飲んでいると、なかなか面白い連中が集まってきている事に気がついた。


「ジェイクさん。週末なんですけど……俺らの冒険に付き合ってもらえませか? 色違いの飛竜が手ごわくて……俺らだけじゃ突破できないんすよ」
「付き合うのはかまわんが……。あそこはまだ、お前らには早いぞ? 西の洞窟に獰猛な巨大猿が住みついたっていうじゃないか。そっちの退治が適当なとこじゃないのか?」
 歴戦の風格を漂わせる戦士に話しかける、若い冒険者たち。

「じゃ、頼んだよ。レベッカちゃん」
「うんうん。山向こうの村に手紙を届ければいいのね? 待ってるのって、彼女なんでしょ〜? 羨ましいなぁ……。OK、任せて! グライダー借りて、行ってくるよ!」
 手紙をしまい、肩までの髪をなびかせて、軽やかに走り出す少女。あなたのテーブルにぶつかりそうになったが、風のようにすり抜けていった。

「いや、会ってみてびっくり。そこの歌姫ときたらメロンが2つ入ってんじゃねえのかって胸をしてるのさ。だから、俺はハゲ親父に言ってやったね。あんたじゃ、あの子の心を射止めるのは無理だって。キューピッドの矢も刺さらねぇ、ってさ」「おいおい、カイ。いい加減にしとかないと、また彼女に相手にしてもらえなくなるぞ!」
「おっと、それだけは勘弁な!」
 背の高い男を中心に、酔っ払った男達が集まって何やら話に夢中になっているようだ。中心の男はよく口の回る軽いノリの男であったが、周りの男達もその話を楽しげに聞いているようだった。

 
 どうやら、この酒場にいれば退屈しのぎにはなるらしい。さて、誰のところに話を持ちかけようかな……?
 あなたが踏み出したその一歩は、新たな冒険譚の始まりであった。



『グリムの決意』

●異変
「もう、いいのか?」
「ん……ごめんね、カイ」
 いつもと変わらぬ朝食の光景。
 だが、グリムの様子がおかしい事に、もちろんカイは気がついていた。
 妙にテンションが高いかと思えば、今みたいに低くなる時がある。それでも、敢えてどうかしたのかとは聞かない。
 自分に言える事であるなら、すぐに言うはずだ。二人の関係は今に始まった事ではない。
「ふぅ……」
 それでも、自分の愛する女性が、何か秘密を抱えながら苦悩しているのを見ているのはきつかった。
「ほらよ」
「ん、ありがと」
 甘めのミルクティーを差し出され、束の間、グリムの顔に微笑が戻る。
 朝食の用意はずっとグリムの担当だったのだが、カイは気を遣って交代で行うようにしていた。彼女には言っていないが、夜の仕事もしばらく抑え目にしているのだ。
「美味しい……」  
 とりわけ、ミルクティーはグリムのお気に入りだった。
 絶妙の甘さが、カイにしか出せないと、いつも言ってくれる。 
(これくらいの事しかしてやれないとはな……)
 朝の陽射しを背に受けながら、カイは心中で溜息をついたのであった。
 

●帰還
 可愛い弟子からの手紙を受け取り、ゼラは久しぶりにレクサリアの街へとやって来た。
(大分、復興も進んだ様ね……)
 あの戦いの後、すぐに街を離れたゼラにとっては、活気を取り戻した街並みを眺めるのは嬉しかった。
 グリムだけではなく、読み書きなどを教えていた子供達もここにはいるのだ。
(と、言っても、今回は真っ直ぐあの子のところかしらね)
 会いたいという手紙を寄越してきたのは初めての事だ。
 復興作業の手伝いをする合間に、何通かの手紙を書いてくれてはいたが、それらは近況報告の様なものが殆んどだった。
「待たせたかしら?」
「いえ……お久しぶりです」
 グリムが指定してきたのは、いつもの酒場ではなく、ジェントスのギルドであった。
 さっと視線を走らせるが、やはりいつもの元気がないようだ。笑顔を浮かべてはいるが、どこか作り物めいて見える。
「それで? 話とは?」
 だから、ゼラは前置き無しで単刀直入に聞いた。
 可愛がっているからこそ、甘やかすつもりはない。それが、どちらにとっても不幸である事を、長命である彼女はよく知っていた。
「え……と」
 周りをきょろきょろと見回し、グリムは控えめに口を開く。
「実は、『混沌の迷宮』について来て欲しいんです。あたし一人では、帰れないかもしれないので」
 迷宮の話は手紙で既に聞いている。内部で時空間の歪みが見受けられるため、転移系の術師を伴わない探索は禁じられているとの事だったはずだ。
「もう、ジェイクにも許可は取ってあるんです。先生が一緒なら、大丈夫だろうって……」 
「私は構わないけれど?」
 個人的に興味もあった。
 まぁ、誘いがなければ敢えて行くほどのものでもなかったのだが。
「それじゃ、お願いします。ちょっと報告してきますね」
 軽やかに階段を駆け上がっていく少女の背中を見送り、ゼラは小さく首を捻ったのであった。


●迷宮
 入り口に魔法で目印を付けると、二人は地下へと進んでいった。
 カイに聞いていた通り、最初のうちは遭遇したとしても雑魚ばかりだ。遅れをとるような相手ではない。むしろ、ゼラが抑えている『気』を本能的に感じ取ったか、近寄る気配すらなかった。
「……それで?」
 魔法の灯りに照らされた、少女の横顔に問いかける。
 迷宮に潜るという言葉通りの意味を取るほど、ゼラも鈍くはない。誰にも聞かれたくない話だったからこそ、ここを選んだのだろう。
 長年苦楽を共にした仲間にも、打ち明けられないということだ。
「はい……」
 少女の右手が自身のお腹をそっと撫でる。
 愛しげに、そして大事そうに。
「子供が……出来たみたいなんです」
 誰の、とは聞かなかった。
 短い間だったが、一緒に冒険していれば大概の事は解かる。あの、カイとかいう冒険者との子供だろう。
 地域にもよるが、人間とエルフの間で子供が出来る確率はそう高くない。
 ハーフエルフと呼ばれる、彼らの少なさがそれを物語っている。
(それにしても……)
 と、ゼラはもう一度グリムの肢体を眺める。
 エルフという種族の特性を差し引いても、まだまだ少女の体つきだ。母親と呼ぶには、少々違和感があるかもしれない。
「親になるのは不安?」
 ゼラが問いかける。
 彼女自身には子供がいない。作ろうと思った事もない。気まぐれに戦災孤児を拾って育てる事もあるが、それは母親としての感情とは似て非なるものであった。
「あたしには……家族の記憶が無いんです」 
「野盗に襲われて……ショックで記憶を失って……」
「ボロボロになって、野垂れ死ぬ寸前で助けてくれたのが、旅芸人の一座でした」
 ぽつり、ぽつりと過去を語るグリム。
 いつも明るく振舞っている彼女にも、こんな過去がある。
 ゼラはそれを珍しい事だとは思わなかった。いや、むしろどこにでもある話だとすら思いながら聞いていた。彼女が聞きたいのは、その先なのだから。
「命を救ってもらって、生きる為に毎日がむしゃらに働いている内に、踊りを覚えました」
 旅芸人として独り立ちできるようになった頃、彼女が考えた事は一つだった。
「そして、家族を捜しに行こうって思ったんです。どこかできっと、生きているはずだって……」
 楽な旅路ではなかった。
 身の危険を感じた事も、一度や二度ではなかった。
 それでも、捜す事を止めなかったのは……。
「たとえ、会えなくても。記憶が欲しかった! 幸せだったと思いたかった! あたしにも、お父さんやお母さんが居たんだって……!」
 だが、糸口は見つからなかった。
 その内に、大陸の情勢は一気に悪化の一途を辿り、彼女は旅を断念せざるを得なくなった。
 そして……あの仲間達に出会ったのだ。
「初めて……初めて家族が出来たような気持ちでした。旅芸人の一座でも、皆優しかったけど。それとは違う、何かがあった」
 満たされたはずだった。
 失ったものを取り戻したつもりだった。
 大切な人が出来て、共に暮らすようになって。今度こそ、家族を手に入れたつもりになっていた。
「でも……」
 自分の中に、新しい生命が誕生したと知った時。グリムが覚えたのは、『恐怖』だった。
「母親を知らないあたしが、ちゃんと『母』になれるのかなって。家族になれるのかなって……」
 声に嗚咽が混じるようになった頃、ゼラはそっと彼女の頭を撫でてやった。
(恐らく……)
 グリムの中で生まれた恐怖には、別の要因も絡んでいる。そう、ゼラは見ていた。
 『天空の門』騒乱の際に、彼女は愛する者を一度失い、また自身も命を落としている。
 その喪失感が、心の中に影を差しているのだろう。 
 心底愛しているからこそ、もう二度と失いたくないと無意識に感じている。それが、母になるという重圧と共に、彼女の小さな肩に圧し掛かっていたのだ。
 冒険者である事を止めれば、その心配も多少は薄れるのだろうが。
「貴女はまだ、平穏無事な生活を送れないと思うわ。でも……」
 この迷宮に入る前から、時折、何者かの視線をゼラは感じ取っていた。それは『監視』だ。
 自分にではない。この、エルフの少女に対するものであった。
 ゼラは敢えて、シンプルに問いただした。
「子供に会いたい?」
 瞬間、グリムの瞳の中で、さまざまな感情がせめぎあう。だが、口から出た言葉には、強い信念が込められていた。
「会いたいです! だって、あたしはこの子のお母さんだから!」
 言った本人が、一番びっくりしたように見えた。
 ゼラはゆっくりと、静かに語りかけた。
「覚悟なら出来ているのではなくて?」
 この子には力が必要だ。
 そう、ゼラは感じていた。単純な戦闘力の話だけではない。苦難の道を切り開いていく、その強さだ。
 母親としての強さが、その力になってくれるだろう。
 それが、幾つもの母子を見てきた彼女なりの考えであった。
「信じてあげなさいな、貴女とカイの子を」
「はい……!」
 頬に流れる涙はまだ消えていない。
 だが、言葉には力が戻っていた。そして、あの笑顔もまた。
「さて、悩みも解決した事だし……」
 迷宮から出ようかと、呪文を唱えかけたところで、ゼラの表情が曇った。
「先生?」
「いえ……ちょっとおかしな『気』を感じたものだから」
 一瞬で、グリムの表情が母親のそれから冒険者のものへと変わる。ジュエルアミュートとエクセラが展開された。
(あの子のはずはない……ではこれは一体……?)
 ふと思い立って、ゼラは探知系の呪文を唱えた。
 名称で相手を特定する、限定的な術だ。
「あら、まぁ」
 珍しく。本当に珍しく、彼女は驚いていた。まさかとは思っていたのだが……。
「あの子も、意外と乙女よねぇ……」
「?」
 危機が迫っているのでない事は理解できたが、言葉の意味はさっぱりつかめない。
 戸惑うグリムをちらりと見て、ゼラは悪戯っぽく笑った。
「ちょっと『跳ぶ』わよ」
 グリムの返答を待たず、転移の呪文が二人の体をその場からかき消していった。


●運命
「え?」
 視界が元に戻った時、そこは小さな部屋の片隅であった。
 怪物が、彼女の横を駆け抜けようとしていた。
「くっ!」
 咄嗟にエクセラを構える。しかし、その影はすぅっと彼女の脇を通り抜けていった。 
「え? え?」
「心配しなくてもいいわ。あれは空間は同じでも、時間は異なる世界の光景だから」
 なるほど。
 確かに、透き通って見える姿は、現実感に乏しいものであった。
 そして。
「また……?」
 今度は、二つの影が擦れ違おうとしていた。
 一人は巨漢の戦士。
 背中に長大な太刀を背負った、野性味溢れる青年だった。だが、少しびっくりした様にこちらを眺め、にっと笑った顔には、年相応の愛嬌が浮かんでいた。
 もう一人は、対照的に小さな影だった。
 尖った耳が、エルフである事を表す少女。同じく、びっくりした様にグリムの顔を眺め、一瞬だけゼラに視線を向けた後、もう一度グリムに微笑みかけた。
 それは、大輪の向日葵を思わせる、そんな微笑であった。
 風のように彼らは二人の横をすり抜け、消えていった。
 小さな部屋に残されたものは、静寂。
「今のは……?」
「さぁ? 私にも判らないわ。記憶には無い顔だったけどね」  
 一瞬、遠くを見つめるゼラ。
 だが、グリムに視線を戻した時には、いつもの彼女に戻っていた。
「さ、今度こそ帰りましょう。貴女も気持ちの整理がついたようだし」
 もう一度、転移の呪文を紡ぐ。
 魔法の力場が広がる中で、ゼラは少女に囁いた。
「貴女の子供ね? もしも女の子だったら、『アンリ』なんて名前はどう?」
「いい名前ですね。でも、何か意味があるんですか?」
 長命の魔導師はひっそりと微笑んだ。
「あるような、無いような……といったところかしらね」
 そして転移の魔法が、二人を入り口へと運ぶ。
 後に残されたものは、乳白色に輝く魔法の灯りだけであった。


●記憶
 何度もお礼を言うグリムに手を振り、ゼラは『混沌の迷宮』から離れた。
 別に、しばらく街に留まってもよかったのだが、グリムにも報告しなければならない相手がいるのを思っての事である。
 他の子供達の顔でも眺めてから行こうかと歩いてる内、不意に彼女は吹き出してしまった。
「本当にラゴウって名前をつけるとはねぇ……」
 それは昔の事だ。
 ジルが何かの話のついでに、つい口を滑らしたのであった。
 男の子が産まれた時は、ラゴウという名前にするんだ、と。
 彼らの顔に見覚えは無かった。それは嘘ではない。
 しかし、彼女から見れば、確かに愛弟子達の面影を見出す事が出来たのである。
 向こうはゼラの顔に反応していた。恐らくは、未来の自分に関わりがあるのだろう。魔法でそれを確認する事も可能ではあった。だが、彼女はそれをしなかった。
(楽しみは後に残しておかないとねぇ?)
 口元に小さく笑みを浮かべ、彼女はいつもと変わらぬ足取りでジェントスの街を歩いていった。


●家族
 その日、いつもより早く帰ってきたカイを、グリムはとっておきの店に連れて行った。
 二人は特に贅沢な暮らしをしているわけではない。蓄えは十二分にあるが、もともと質素な生活が身についているだけだ。
 それでも、いつもよりいいワインを開け、顔馴染みのシェフにとびっきりの料理をお願いする。
(なんだなんだぁ?)
 カイの困惑はもっともであったが、グリムの表情がいつも通りだったので、何も言わずに付き合う事にした。
「あの……ね。カイに言わなきゃならない事があるの」
「うん? 何だよ、やぶからぼうに」
 ここしばらくの異変が、いい方向に解決したのだろうか。
 ワインを一口飲むカイだったが、味はよく分からなかった。
「あたし達のね……子供が、出来たみたいなの……」
 頬を染めて俯くグリムの姿は可愛かったが、それを眺めるだけの余裕が、今の彼には無い。
「お、俺達の……?」
コクリ。
 もう一度頷くグリム。
 惚けたように彼女を見つめていたカイの瞳に、ようやく理解の色が浮かぶ。同時に、彼は立ち上がった。
「グリム!」
「きゃっ!?」
 おもむろに、カイは少女の華奢な体を抱き上げていた。
 そのまま、ぐるぐると回りながら歓喜の声を上げる。
「そっか! 子供か! はははははっ……!」
「ちょ、ちょっと……」
 先程とは別の意味でグリムの頬が染まる。ここはいつもの酒場ではない。周りのお客達が怪訝そうな顔で二人を見ているのだ。
 ようやく降ろされた時、周囲の視線は釘付けになっていた。
「もう……」
 そのままのテンションで、周囲の客達に話しかけていくカイを見ながら、グリムは小さく頬を膨らませた。
 だが、それも束の間。笑みがゆっくりと漏れるのを、彼女は自分で感じていた。
 もちろん、喜んでくれるだろうとは思っていた。
 それでも、嬉しかったのだ。
 家族が産まれるのを、カイが何の迷いも無く喜んでくれている事が。
「おめでとうございます。これは当店からのお祝いのワインでございます」
 ついにはお店の人からまで祝福されてしまった。
 店を一周して帰ってきたカイが、興奮も冷めやらぬまま、グリムに聞いた。
「なぁ、男の子かな? 女の子かな?」
 グリムはちょっとだけ考えて、微笑みと共にこう答えた。 
「きっと女の子だと思う」
 迷宮の中で会った少女の事を思い出す。
 あんな風に、笑顔が素敵な子に育ってくれればと思った。
 いろいろと名前の候補を挙げていくカイに笑いかけながら、グリムはそっと幸せに浸っていた。
 『アンリ』という名前を胸に仕舞ったまま、いつまでも彼女は微笑んでいた。





                                      了





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2366/ゼラ・ギゼル・ハーン/女/28歳/魔導師
3127/グリム・クローネ/女/17歳/旅芸人(踊り子)

【NPC】

カイ・ザーシェン/男/27歳/義賊

※年齢は外見的なものであり、実年齢とは異なる場合があります。

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■         ライター通信          ■
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 どうも、神城です。
 いつもながらお待たせしました。申し訳ありません。
 しかし、あのグリムがお母さんですよ。月日の流れるのは(現実でも)早いものですw 
 ここまで書く事になるとは、当時は思ってもいませんでしたが。
 
 次、開ける事が出来るのがいつになるかは未定ですが、またよろしくお願いします。
 それでは。

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