■戯れの精霊たち■
笠城夢斗
【3087】【千獣】【異界職】
「お願いが、あるんだ」
 と、銀縁眼鏡に白衣を着た、森の中に住む青年は言った。
「この森には、川と泉、焚き火と暖炉、風と樹、岩の精霊がいる――」
 彼の声に応えるように、風がひらと彼らの横を通り過ぎ、森のこずえがさやさやとなった。
「彼らは動けない。風の精霊でさえ、森の外に出られない。どうかそれを」
 助けてやってくれ――
「彼らは外を知りたいと思っている。俺は彼らに外を見せたい。だが俺自身じゃだめなんだ……俺が作り出した、技だから」
 両手を見下ろし、そして、
 顔をもう一度あげ、どこか憂いを帯びた様子で青年は。
「キミたちの、体を貸してくれ。キミたちの体に宿っていけば、精霊たちも外に出られる。もちろん――宿らせた精霊によって色々制約はつくけれど」
 お願い、できるかい――?
「何のお礼もできないけれど。精霊を宿らせることができないなら、話をしてくれるだけでもいい。どうか、この森にもっと活気を」
 キミの言うことは俺が何でも聞くから――と言って、青年は深く、頭を下げた。
爽やかな、それは音の魔法

 精霊の森。その名の通り、精霊が棲む森である。
 常緑樹のこの森には、あまり季節感がない。
 そして彼女も、『季節』というものについて、それほど強い関心を持っているわけではなかった。
 ただ、「はる」はあたたかく植物が豊富で、「なつ」は暑く、生き物が活発で、「あき」は涼しく、いつもと違う獲物が獲られて、「ふゆ」は寒く、あまり動かないほうがいい。
 そんな感覚でいたから。
 けれど人里を歩くようになって、人々が季節によって違うことをすることを知った。
 ――千獣は。
 いつもそれを、不思議な気持ちで見ていたのだ。

 ■■■ ■■■

『季節……ですか?』
 頭の中で、優しい声がする。
『よく……耳にはしますね。ええ……私の外側は、その「季節」によって色々と表情を変えているような気がします』
「表情……?」
 千獣は小首をかしげた。変な言葉だと思った。
 今、彼女は、精霊の森の樹の精霊、ファードをその身に宿し、街へとでかけていた。
 いってきます、と森の守護者の青年に言ったとき、
 ――夏の風物詩が見られるかもしれないね
 彼はそう言って微笑んでいた。
 ふうぶつしって、なんだろう?
 千獣は素朴にそう思う。
 なつ。今はなつ。そう呼ばれる時。それは知っている。
『風物詩。私も楽しみです』
 ファードがそう言うから、千獣もそれを楽しみに思った。
 彼が言った"ふうぶつし"。
 それが何なのか、確かめるために、街へ行こう――……

 ■■■ ■■■

 街は暑さを吹き飛ばしそうなほどに活気にあふれ、盛況だった。
 商店街を歩くと、いつもと違う様子なのが分かった。
「………?」
 千獣は首をかしげる。みんなお店の前に何かを広げて、色んなことをしている。
 なにをしているんだろう?
 子供が集まっているところが多い。ちょこっと顔をのぞかせてみると、金魚をすくっていたり、輪投げをやっていたり。
 そう言えば前の「なつ」にもこんな光景が見られたような。時間感覚のない千獣にはいまいちよく分からない状況だったけれど、とりあえずみんな楽しそうだ。
 自分もやったら楽しいのだろうか?
『千獣』
 ふとファードの声がして、千獣は自分の頭の中に響く声に耳をかたむける。
『とてもきれいな音色がしますね……なんの音かしら?』
「おと……?」
 耳を澄ましてみると、

 ちり……ん ちり……ん ちり……ん

 とても澄んだ音色が、空気を渡って伝わってきた。
 それは鈴とも違う、涼やかな音色だ。
 そう、例えば――
 かすかに吹く涼しい風がしゃべったら、こんな感じかもしれない、というような……
 その音に惹かれて、千獣は歩く。
 それは商店街の真ん中にあった。
 いつもは手作り小物を置いている店の前に、屋台が出ていた。たくさんの不思議なものが、木でできた枠組みの中に吊り下がっている。
 透明な、丸いガラス。下には穴が空いて、小さな金属と短冊がぶらさがっていた。

 ちり……ん ちり……ん

 風に吹かれて、短冊が揺れる。
 小さな金属部分が、ガラスの縁に当たって音を鳴らす。
 ガラスには主にオレンジ色と水色の絵の具で素朴に色んな絵が描かれている。
『なんでしょう、これは』
 ファードが嬉しそうに言った。『きれいな音ですね、千獣』
「きれい……な、おと……」
 屋台の横に椅子を出して座っていた店主が、顔を上げた。
「おや、お嬢ちゃん」
 にこにこと笑う店主は、ふかしていた煙管を口から離し、千獣を見る。「風鈴、どうだいひとつ」
 千獣は耳慣れない言葉に小首をかしげた。
「ふう、りん……?」
「おや? 知らないのかね。風の鈴と書いて風鈴だよ。風が吹くと、ほれ、音が鳴る」
 ちり……ん
 店主は"ふうりん"のひとつをつついた。"ふうりん"は揺れて軽やかな音を鳴らした。
「ふうりん……」
 千獣も真似して、手近なひとつをつついてみる。
 ちり……ん
 店主が触ったものとは微妙に違う音色が、千獣の耳を心地よくくすぐった。
『いい音ですね、千獣』
 ファードは変わらず嬉しそうだ。
 千獣は首をかしげかしげしていた。
「これ……何に、使う、の……?」
 そう、彼女にはそれがさっぱり分からなかったのだ。
 店主は豪快に笑って、
「これは飾っておくものだよお嬢ちゃん。夏の風物詩ってやつだねえ」
 ふうぶつし。
 ようやく見つけた。これがそうなんだ。
 千獣は改めてじっくりと、目の前に並んでいる短冊つきの不思議なガラスを見る。
 ちりんちりんと、かすかに風が吹くたびに、かわいらしく転がるような音。
 なんだか微笑ましくなった。あまり動かない千獣の表情が、ほんのりと和らぐ。
 店主が煙管をくゆらせた。
「一個、プレゼントしようかね、お嬢ちゃん」
「え……?」
「いやいや、お嬢ちゃんみたいにきらきらした瞳で見てくれるとこっちも嬉しくてねえ。作った甲斐があるってもんさね」
「作っ、た……?」
「おうさ。ここにある風鈴すべてわしの手作りだよ」
 千獣は目を丸くした。さっと目の前に並ぶ"ふうりん"を見やる。全部で二十個くらいだろうか。いくつか抜けている場所もあるが、それを入れても三十個。
『まあ……手作り? 素敵なのではありませんか、千獣』
「………」
 何だかよく分からないけれど、すごいような気がした。
 すごいからこそ、"プレゼント"されるのは悪いような気がした。
「えっと……いく、ら?」
「いや、プレゼントするよお嬢ちゃん」
「でも……」
「そうだなあ、その代わり」
 煙管をもう一度ふかし、店主は虚空を見やった。
「風鈴を、あんたとあんたの大切な人たちとで、存分にかわいがってやってくれんかな」
「―――」
 大切な人たち――
 精霊の森にいる家族を思い出し、千獣はこくりとうなずく。
「うん……みんな、で、大切に、する」
 店主は顔のしわを深くした。
「ならわしも遠慮なくプレゼントできるよ。そら、好きなのをひとつ持っていきなお嬢ちゃん――」

 ふうりん。
 手にぶらさげて歩いていると、ちりんちりんと体の横で音が鳴る。
 千獣が選んだのは、ガラスに海が描かれている風鈴だった。
 それを見ていたときに、ファードが『それは何の絵ですか?』と訊いたからだ。精霊の森は海から遠い。精霊たちは海を知らない。
 海の絵に、風の音――
 何だか、考えただけで涼しい気がする。
 そして実際、この"ふうりん"の音は優しく涼しい……
 不思議な音だ。千獣は思う。
 それにしても……
 街から出て、精霊の森に帰る途中で、千獣はふいに立ち止まった。
 困った顔をして"ふうりん"を顔の高さまで持ち上げる。
『どうしたのですか?』
 ファードの尋ねる声。
「うん……」
 千獣は心底困った声で応えた。
「……これ、どう、使うのか……クルス、知ってる、かな……?」

 ■■■ ■■■

 心配することは何もなかった。
「ああ、風鈴じゃないか」
 森の守護者クルス・クロスエアは千獣が持ち帰ったものを見るなり破顔した。
「お帰り千獣、ファード。いいものを持ってきてくれたね」
「クルス……」
 千獣はクルスを上目遣いで見る。「これ、の、使い、方……知って、る?」
「使い方もなにも。窓際とかにつるしておくものだよ」
「つるす……」
「風の吹く場所につるしておけばいい。風に当たっていい音がするだろう?――ああ、いい柄だ」
 千獣の持つ風鈴に顔を近づけて海の絵柄を目にし、クルスは眼鏡の奥の瞳を和ませる。
「海だな。精霊たちのためにこの柄を選んでくれたのかい?」
 千獣はちょこんと首をかしげた。
「えっと……ファード、が、これが、いい……って……」
「そうか。ファード、これが海だ。……描いた人物はセンスがいいね」
『グラッガにも見せてあげませんか?』
 ファードは暖炉の精霊の名を出す。
 ちりん 風鈴が鳴った。
 千獣は小屋にある暖炉に目をやる。この暖炉からは、年中火が消えることはない。それでも暑くないから不思議だ。
 千獣は暖炉に一歩近づいて、手にしていた風鈴を見せた。
「グラッガ……これ、ふうりん、って、言う、ん、だって……」
 ――今、グラッガの姿は千獣には見えない。声も聞こえない。
 ただ、グラッガはたまにその炎を動かして、感情表現することがある。
 案の定、
 暖炉の火がゆらりと揺れた。
『あら……「そんなもん知るか」ですって』
 ファードがくすくすと笑う。
 千獣も頬がゆるんだ。グラッガらしい、素直じゃない言葉だ。
 樹の精霊を宿している今、あまり火に近づいてはいけないので、千獣はクルスに風鈴を渡した。
「グラッガに……見せて、あげ、て……?」
「ありがとう」
 クルスは優しい手つきで受け取った。ちりん、とまた風鈴が鳴った。
 青年がグラッガの前に風鈴を持っていくと、グラッガの炎がいちだんとごうごうと大きくなった。嫌がっているつもりらしい。
『もう。グラッガったら、素直じゃないのだから』
 ファードのこらえきれない抑えた笑い声がする。
 クルスは暖炉の前に座り込み、手に持った風鈴をちりんちりんと揺らした。
 柔らかい音色だった。千獣はその音色に聞き入った。
 ふいに、開け放しだった窓から風が吹き込んできた。ちりちりちりん、風鈴が激しく揺れる。長い髪が乱されて、千獣は慌ててかきあげる。
『あら……ラファルとフェーだわ』
 ファードがつぶやいた名前は、風の精霊の名前だった。
『きっと音色に惹かれてきたのね』
「ラファル……フェー……」
 千獣は何もない空間を見つめる。否、小屋にたまった風を見つめようとする。
 風は小屋の中を軽やかにくるくる回る。
 そのたびに、クルスの手の風鈴がちりんちりんと鳴る。
『――「変なもの持ってきたな」ってラファルが言っているわ。フェーは、「きれい!」ですって』
 ファードが通訳してくれた。
 フェーは音楽が好きだ。こんな綺麗な音色にはとても惹かれるに違いない。
 千獣はクルスの背中を見つめた。
 クルスはグラッガと何かを話しているのか、ははっと笑っている。
「ねえ、クルス……」
 邪魔をするのはしのびなかったが、言いたくなって千獣は口を開いた。
 クルスが肩ごしに振り向く。
「ラファル、と、フェーの、声、に、似てる……ね」
 千獣はそう言った。
 風の声。
 ふうりん。
 ――そう思った。
 いつもじゃれあっているラファルとフェー。風の精霊。
 ちりん、ちり……ん
 クルスが微笑む。
「そうかもしれないな」
 ファードの優しい腕が、自分を包んだ気がした。
『あなたは素敵な子……千獣』
 風が、千獣を取り巻いた。千獣の長い黒髪を軽やかに巻き上げ、かすかに服を巻き上げ、彼女の体を包む包帯を揺らす。
 千獣はその風の中で、目を閉じた。
 通訳してもらわなくても、風の精霊たちの声が聞こえる気がした。
 ちりん、ちり……ん
 耳をかすめるのは、涼しい音色……
 なぜだろう? 心も体も、にごっている何かをすべて拭い去って爽やかな風を送ってくれる。
 手作りのふうりん。
 ちり……ん、ちり……ん
 爽やかな音色。
 音に、爽やかさがある?
 ふしぎ、ふしぎ。
「千獣?」
 いつの間にかクルスが立ち上がって、傍らまで来ていた。頬に触れられて、はっと目を開ける。
「風が心地いい? それとも風鈴の音かな」
 クルスは優しく微笑む。
 千獣は少し考えて、
「……両方……」
 クルスの手にある風鈴を、つんとつついた。
 ちりん
 必ず返ってくる、音色がひとつ。
 風の精霊の風が起きて、風鈴が揺れた。そのたびに鳴る音のひとつひとつ、胸に刻み込まれていく。
 風の声が、自分の中に吹き込んでくるようで。
 それはとても、とても心地いい感覚だった。

 風鈴は、ラファルとフェーがいつも通る窓に飾られた。
 ラファルとフェーは楽しむようにその周囲をめぐって、何度も風鈴を鳴らした。
 ちりん ちりん ちりん
 忙しく風鈴が鳴る。
 風の精霊と風鈴が遊んでいる。
 揺れる風鈴を、千獣は飽きずに眺め続けた。

 日が暮れても揺れる風鈴を見ていた千獣に、クルスの声がかかる。夕飯の時間だよと。
 千獣は振り向いて、言った。
「今日、から……この子も、かぞく……?」
 クルスは笑った。
「一緒に食事はできないけどな」
 その笑みに、千獣はほっと安堵する。
 食事など一緒にとれなくてもいい。ともに過ごせる時間があるなら。
 ふうりん。
 風のおしゃべり。
 それを聞きながらの夕食は、とても穏やかな時間だった。

 次の日には、他の精霊たちにも風鈴を見せて回った。精霊たちはそれぞれに、興味深そうに見ていた。
 千獣は彼らの心にも、風鈴の音色がすべりこんでいくことを願う。
 だってそうすれば、今の自分のように、
 とても心地よい気分になれるに違いないから――

 胸にひとつひとつ刻まれていく音、いくつもの。
 爽やかな。涼やかな。それは、
 おとのまほう――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/外見年齢17歳/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
お久しぶりです、こんにちは。笠城夢斗です。
このたびは精霊の森での新しい一日を、本当にありがとうございました。
大変久しぶりで雰囲気が変わっていたらどうしようかと不安に思っておりますが;少しでも心に残るお話にできていたら光栄です。
それでは、また。精霊の森でまたお会いできますよう……

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