■祈り手の護衛 ―涙―■
笠城夢斗
【3087】【千獣】【異界職】
「本当は人の手など借りたくはない」
 スティル・フェレールは渋々と語り始める――自分は、「祈り姫」の「祈り手」の末裔だと。
 「祈り姫」は近くの山の自然洞窟の中に安置されており、彼女はそこに祈りに行かなくてはいけない。
 けれど最近はそうもいかなくなった。――洞窟の前に、魔物が群がるようになってからは。

「護衛をしてくれるならば、礼に『祈り姫の涙』をやろう」

 それは、スティルが祈りを捧げたときのみ「祈り姫」が授けてくれる雫。
 それを飲めば1晩、望んだ夢を見られるという。

「好きな夢を見るがいいさ。……しょせん、夢だがな」

 どこか寂しそうなスティルは、しかしこうとも言った。

「あの像の流す涙にそんな効力があるのは――あの像こそが、夢を見たがっているからかもしれない、な」
祈り姫の像 ―涙―

 その小屋はとある山脈の山すそまで、歩いて3時間ほどのところにぽつんと建っている。
 傍らには小川がさらさらと流れ、川べりには食べられる実がなっていた。
 千獣はそこに近づいて、小屋の周りを囲む草々を見つめ、小首をかしげる。
「……食べられる、草……」
 随分と環境のいい所に建っている小屋だ。そう思い、じっと見つめる。
 と、
「お客さーん!」
 元気のいい声が聞こえてきた。
「お客さん、お客さん、お客さん!」
 見れば小屋の窓から身を乗り出して、大きく手を振っている少女がいる。千獣は首をかしげる。お客さん? 誰のことだろう。
「そこの、そこの黒髪のお客さんっ! 強そうなお客さんっ! 丁度いいから寄っていってくださいよっ!」
「こらニーナ、少し黙りなさい」
 少女の後ろから青年が姿を現した。びしっとした黒い服。彼は千獣に向かって丁寧に頭を下げ、
「通りがかりのところを申し訳ありません。もしお時間があれば、寄っていって下さいませんか?」
「………?」
 とりあえず。
 千獣に断る理由はないのだった。

 ■■■ ■■■

 その女性を見たとき、千獣は綺麗な人だと素直にそう思った。
 金糸の髪。紫の瞳。冷たい色が宿るその輝きが、水の中に放り入れた宝石のようでますますきらきらと美しい。
「お前は……」
 その女性は千獣を一瞥して、眉をひそめた。
「獣使いか」
 一瞬で言い当てられて、千獣は驚いた。
「……なんで……分かる、の……?」
「お前の体の中にいるものくらい、見える」
「………!」
 千獣はぎゅっと自分の体を抱きしめる。自分の内側が見える? 嫌だ、そんなの嫌だ――
「気にするな、これは俺の体質だ」
 明らかに女性でありながら自分のことを「俺」と言った女性は、
「俺はスティル・フェレール。お前は」
「……千獣……」
「千獣。お前になら頼めそうだ」
 スティルは長い前髪をかきあげた。
「ちなみにそこに立っている暑苦しいのがヴァルティエ、うるさいのがニーナ」
 呼ばれて、背の高い黒尽くめの青年と元気のいい小柄な少女がそれぞれに挨拶をする。
 それに対応しながら、
「……頼む、って、なにを……?」
「ありていに言えば」
 スティルはぎしっと椅子をきしませた。
「護衛だ」

 祈り手。
 そんな言葉を、千獣は聞いたことがなかった。
「俺は祈り手だ。『祈り姫』のための祈り手」
「いのり……ひめ……」
「我が一族に伝わる水晶像さ」
 スティルはどこか冷たい泉を思わせる声で話す。
 けれど、と千獣は思った。けれど泉は本来、生あるもののオアシスだ。恐ろしいものではない。

 俺は一族の末裔だ――
 『祈り姫』は山裾の洞窟にある――
 けれどその洞窟の前にブラックハウンドドッグが住み着いて――
 毎日の祈りに行けない――

「ヴァルティエとニーナは、契約によりあの洞窟に近づいてはならんのでな……護衛にならん」
 それを聞いて千獣が青年と少女を見ると、彼らは揃ってうなずいた。
「もう何日祈りに行っていないか……」
 スティルは窓外を見た。その方向には山があるはずだった。
 千獣は考えた。
「……スティル、は、洞窟に、入ら、なきゃ、いけなくて……」
「そうだ」
「……洞窟、前に、犬、いっぱい、いて……入れ、ない……そういう、こと、だよね……?」
「ああ」
 千獣はこくんとうなずいた。
「……じゃあ、私が、犬、追い、払う……」

 ■■■ ■■■

 スティルはとても体力がなかった。
「大丈夫……? スティル……」
「放っておけ」
 強がる彼女だったが、千獣としては放っておけない。
 それに、と思う。彼女は今から行く洞窟へ、本来しょっちゅう行っていたのだろう。
 なぜそこに行くくらいの体力がついていないのだろう?
「余計な詮索はするな」
 まるで心を見透かされたかのように、スティルの紫眼が千獣を射抜く。
 千獣は胸を押さえて、
「ごめん、ね……」
 うつむいた。
 スティルは天を仰いで嘆息した。
「……責めているわけじゃない。お前には関係のないことだと言いたいだけだ」
「………」
「見えてきたな」
 スティルの視線が下に下りる。見ているのは山裾だ。千獣はつられて彼女の視線の先を見た。
 洞窟より先に――
 大量に群がる、黒い犬たちが見えた。
 千獣はスティルの前に立つ。
「スティル、は、安全、な、場所で、待ってて……追い、払った、ら、呼ぶ、から……」
「……任せる」
 スティルは近場の木にもたれて、ふうと息をついた。
 本当に、何であんなに体力がないんだろう――
 考えかけて、詮索するなと言われたのを思い出し、千獣は首を振る。そして、ブラックハウンドに向かい歩き出した。
 ぐるるるる……
 ブラックハウンドは牙をむき出しにし、威嚇してくる。唾液がだらだら垂れているところを見ると、腹をすかせているらしい。
 千獣は語りかけた。
「……ここは、あなた、たちの、縄張り……それは、わかって、る……でも、ここを、通ら、なくちゃ、いけない、人が、いる……」
 ぐるるる
 ハウンドは赤い瞳を千獣に向けた。警戒が解けない。
 しかし千獣は言葉を続けた。
「……だから……その、人の、用事が、終わる、まで……ここ、退いて、もらう……」
 グオオオオオオオウ!
 利害が一致しないことを悟った瞬間、ブラックハウンドは襲いかかってきた。
 千獣は右腕の包帯を解き、獣化させた。小さくていい。肉弾戦にはそれだけで充分だ。
 噛みついてくるハウンドを振り払い、その横面を殴打する。同時に他の1体の腹を蹴り上げる。体が持ち上がったところで上から叩き下ろす。殺すことはしない。
 ハウンドの牙が肩にくいこみかけた。はっと身を引いて、すぐさま回し蹴りを放つ。首の横を打たれたハウンドは吹っ飛ばされた。
 今度は足を狙われる。
 ぎり、と牙が食い込んで、痛みをもたらした。千獣は足に噛みついているハウンドの頭を殴りつけた。ばりっ。その衝撃で牙が千獣の肌をさらに傷つける。
 千獣はこともなげにそのハウンドを振り払って、右から襲ってきたハウンドを殴り飛ばす。
 力の差を感じて、だんだんとハウンドたちが近づかなくなってくる。
 千獣の体から流れる血は、彼女自身の内側の獣が癒してくれる。
 痛みや衝撃までは消えないけれど。彼女は不死身と同じだった。
「お願い……ここ、退いて……?」
 千獣はもう一度言った。
 勝者ゆえの言葉だった。
 ハウンドたちは力関係を察し、洞窟の前から逃げていく。
「少し、の、間……だから、ね……」
「少しとは言っとらんだろうが」
 いつの間にか近づいてきていたスティルが、不機嫌そうに腰に手を当ててそう言った。
「何にせよ助かった。これで洞窟に入れる」
 言うだけ言って、彼女はずかずかと洞窟に入っていく。
 千獣は入り口にいて、ブラックハウンドの動向を見張っていようかと思ったが、
「お前もついてこい、千獣」
 名を呼ばれ――
 まるで魔法のように、足が金髪の女性の行く先へと、向かって行った。


 洞窟の奥に、不思議な水晶像があった。


「ふし、ぎ……」
 千獣はその透き通る像を見上げて、つぶやく。
「この、子……泣いて、る……?」
 いや、泣いてなどいない。この像に表情などない。なのに。
 千獣は感じていた。直感だ。この像は――泣いている。
「やはりお前なら分かったな」
 スティルはそう言って、水晶像の前にひざまずく。
「姫……長らくご無沙汰してしまいました。スティルにございます。傍にいてお慰めできなかったことを心苦しく思います――」
 千獣は立ちすくんでそのさまを見ていた。
 水晶像が――
 その目から、
 ぽろり……と。
 涙をこぼすのを、ただ立ちすくんで、見ていた。
 涙は頬をつたい、あごからつ……と下に落ちる。ちょうど、スティルが手を構えていたその上に。
 そしてスティルの掌には、一雫の涙が残った。
「祈り姫様の涙という。……好きな夢が見られる薬となる」
 スティルは言った。「だがまあ、お前は必要としなさそうだな」
 千獣はスティルをじっと見て、
「……どう、して……分かる、の……?」
「俺は占い師だ」
 スティルは苦笑した。「……あらゆるものを見通す、占い師なんだよ」
「うらない、し」
「俺は求められれば占いもしてやるし、人生の指針も指し示してやる。だがお前はそういうものを必要としないだろう。自分の道は自分で見つける……違うか?」
「………」
「こう言い換えてもいい。自分の疑問は自分で考える」
「………」
「ただそれだけのことが、どれだけ尊いことか、お前は知っておくといい。……千獣」
 スティルの紫眼が――
 初めて、優しい光を帯びた。
「お前は、素晴らしい生を生きているよ」
「スティル……」
「さあ、帰ろうか」
 金髪の女性は颯爽と身を翻す。
 千獣は慌てて後を追った。最後に一度だけ、祈り姫像を振り返った。
 祈るような姿でそこにいる姫像は、やはり無表情で……そして、泣きそうだった。

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 外に出るときもブラックハウンドに退いてもらわなくてはならない。千獣はまた一仕事することになった。
「痛みがひどいか」
 スティルが尋ねてくる。
「へいき……」
「ヴァルティエが薬湯を得意としている。小屋に寄って飲んでいけ」
「薬、湯、なら……」
 千獣は思わず口走った。
「家、に、帰れ、ば……」
 ――彼女の家である森に帰れば、そこに住む青年が。
 思い出して、かっと顔を赤くする。
 スティルがふふっと微笑んだ。
「そうか。分かった」
 すべて見抜かれているのに。こんな恥ずかしいこと。
 ――なんで恥ずかしいんだろう? それさえも分からない。
 ああ、何だかほわほわする。早く、家に帰ろう。
 彼の元へ帰ろう。
 別れ際、スティルは言った。
「お前は帰る場所のために生きているのだな」
 千獣は何も言わなかった。応える言葉がなくて。
 そのまま小屋に入っていってしまった金髪の後姿が名残惜しくて。
 もう一度あの紫の目と目を合わせたくて。

 また、来ることがあるだろうか?
 あの、すべてを見透かす紫の光を求めて……


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/外見年齢17歳/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
このたびは祈り小屋に初のご来客としてのご参加、ありがとうございました。
新キャラとのからみはいかがでしたでしょうか。
また気が向いたら、遊びに来てやってくださいませ。

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