■【楼蘭】棉・謀計■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
「えぇ、分かっている。分かっているわ」
 女は口元を弓なり月の形に吊り上げて、膨れたお腹に手を当てて笑った。
 周りには誰もいない。
 ただ女は大事そうに腹を抱え、質素な板間の隅で座り込み、壁に向かって笑っていた。
「あなたは私と仙人様を繋ぐ絆。守るわ、必ず」
 その顔はまさに狂った鬼女。
 手入れを忘れた黒髪は、幾方向にとびはね、こけた頬に窪んだ目は、女が正気を失って幾久しいことを表していた。
「あなたが生まれた時、帰ってきて下さ……っ!!?」
 突然の腹痛。女はお腹を押さえ床をのた打ち回る。
「だ、誰…か。お腹が…っ」
 腹を内側から破り、小さな手が世界を掴んだ。


 同刻―――
 茶屋で語り合う男が2人。
「アレは着々と育っているようですな」
 いかにも胡散臭そうな男が、真昼間から酒を煽りながら笑う。
「あの女、騙されたとも知らずに、大事にアレを育ててるんですからねぇ」
「騙したとは人聞きが悪いですね」
 対し、整った身なりと、優雅な身のこなしで穏やかに微笑んだ男は、お茶を嗜み、微笑む。
「彼女は進んで卵を受け取ったのですから」
 善人そうな面持ちは、全てを謀る仮面。彼は、間違うことなく邪仙だった。


 ―――刻戻り
「天藍。開けるわよ」
 女の家の戸を、手に荷物を持った、女と親しい女性が開ける。
「きゃぁああああああ!!」
 女性は逃げるように後ずさり、路地に尻餅をついてカタカタと震えだす。
「どうした!?」
「あ…あぁ……あ」
 女性は固まってしまったかのように瞳を見開き、家の中を指差した。
 集まった町人たちが、民家の中を見て絶句する。
 頭から血を被ったそれは美しい幼子が、腹が裂け血まみれの女の傍らに座っていた。
 幼子は嗤う。
 女性の首が吹き飛んだ。



【楼蘭】棉・謀計







「えぇ、分かっている。分かっているわ」
 女は口元を弓なり月の形に吊り上げて、膨れたお腹に手を当てて笑った。
 周りには誰もいない。
 ただ女は大事そうに腹を抱え、質素な板間の隅で座り込み、壁に向かって笑っていた。
「あなたは私と仙人様を繋ぐ絆。守るわ、必ず」
 その顔はまさに狂った鬼女。
 手入れを忘れた黒髪は、幾方向にとびはね、こけた頬に窪んだ目は、女が正気を失って幾久しいことを表していた。
「あなたが生まれた時、帰ってきて下さ……っ!!?」
 突然の腹痛。女はお腹を押さえ床をのた打ち回る。
「だ、誰…か。お腹が…っ」
 腹を内側から破り、小さな手が世界を掴んだ。



 同刻―――
 茶屋で語り合う男が2人。
「アレは着々と育っているようですな」
 いかにも胡散臭そうな男が、真昼間から酒を煽りながら笑う。
「あの女、騙されたとも知らずに、大事にアレを育ててるんですからねぇ」
「騙したとは人聞きが悪いですね」
 対し、整った身なりと、優雅な身のこなしで穏やかに微笑んだ男は、お茶を嗜み、微笑む。
「彼女は進んで卵を受け取ったのですから」
 善人そうな面持ちは、全てを謀る仮面。彼は、間違うことなく邪仙だった。



 ―――刻戻り
「天藍。開けるわよ」
 女の家の戸を、手に荷物を持った、女と親しい女性が開ける。
「きゃぁああああああ!!」
 女性は逃げるように後ずさり、路地に尻餅をついてカタカタと震えだす。
「どうした!?」
「あ…あぁ……あ」
 女性は固まってしまったかのように瞳を見開き、家の中を指差した。
 集まった町人たちが、民家の中を見て絶句する。
 頭から血を被ったそれは美しい幼子が、腹が裂け血まみれの女の傍らに座っていた。
 幼子は嗤う。
 女性の首が吹き飛んだ。












 それは本当に偶然だった。
 ふらふらと街中を散策中に悲鳴と出会い、千獣は引き寄せられるようにその界隈に足を踏み入れた。
 腰を抜かし四つんばいで逃げる人。恐れから眼を血走らせている人。誰しもが喉を嗄らさんとばかりに叫び、その場から逃げ惑う。
「血…匂い……」
 千獣は眉根を寄せた。家の中から道へと向かってゆっくりと広がる赤き不浄。
 ゆっくりと、逃げる人を追いかけるように民家から這いつくばって出てきたのは、年端も行かぬ幼子だった。
 千獣は怪訝そうな面持ちで幼子を見る。
 この惨劇に生き残った子供だろうか?
 だが―――
「……っ…」
 逃げ遅れ、カタカタと震える老婆に手を伸ばす幼子。
 何の力も働いたようには見えないのに、幼子の胸は引き裂かれた。
 千獣はそこで気がついた。
 駆け出し、幼子に手を伸ばす。
 突然の来訪者にきょとんと幼子は小首を傾げたが、どんどん近づいてくる千獣に、可愛らしい笑顔を見せ、手を伸ばした。
「っ…」
 肩口がはじけ飛ぶ。
 痛みはひどいが、回復力が追いつかない程ではない。
 千獣は幼子を抱え込むと、その背に獣の羽を生やし、その場から飛び上がる。
「…………」
 胸あたりにまた熱い衝撃。
 間近で感じる生暖かい感覚を受け止めて、幼子は歪む笑顔で千獣を見上げた。
 壊れない玩具でも見つけたかのように。
 不思議。
 抱え込んだ幼子からは、生きるための音が聞こえない。
 町から離れ、誰も通らなさそうな突き出した崖の上に降りる。
 死なない。死にはしないのだけれど。不可視であり無音の衝撃によって抉られた痕は確かに残る。
 降ろした幼子は、親指を口に運び千獣を見上げた。
「生き物は、食べる、ためなら、殺すことも、ある……」
 生き物は皆、食べなければ死んでしまう。それが同族であるか、他生物であるか、そんなことは些細なことでしかない。そこにある命を狩って、誰しもが生きているのだから。
「自分を、誰かを、守る、ためなら、殺すことも、ある……」
 卵を守るために捕食者と戦う親鳥のように。
 自分が自分であるために。
 けれど、幼子はきょとんとするばかり。千獣は少しだけ眼を細めた。
「でも、その、どちらでも、ない、殺す、ための、殺しは、良くない……それが、生き物の、ルール……」
 必要のない殺生はしない。そうして自然界はバランスを保っている。
 どこかでそれが狂えば、全てが狂いだし、そして最後には崩壊する。
「あなたの、殺しは、殺す、ための、殺し、だよね……?」
 生きる為でも、誰かの為でもない。ただ、やりたいからやる。そこに何の意味もない行動。
 だが、千獣の訴えにも、幼子は上の空。興味が無くなったのか、飛ぶ蝶を視線でおいかけ、ぺたぺたと歩いていく。
 手を伸ばした蝶は、あの町の人々のように粉々に砕け散った。
 幼子は、次の“動く”玩具を探して動き出す。
 風に揺れて落ちる葉。
 興味を示し、手を伸ばすが、その全てが塵と化す。
 あぁ……分かってない。分かってないのだ。自分が何をしているのか。
 近場に居た人も、幼子にとってはただの玩具。
 生き物だろうがなかろうが、幼子にとっては意味のない事。
 ただ幼子は“遊んでいる”のだから。
「駄目、だよ……」
 千獣は後ろから幼子を抱きすくめる。
「ルールから、外れた、生き物は、生きて、いけない……」
 例え幼子の認識が“遊び”だったとしても、それは許されない遊びだ。
 抱きしめる手に力がこもる。
 幼子の手が触れた場所から、また血が滲む。
「殺す、ために、命を、使って、殺されて、命を、使い、果たす、なんて……そんなの、駄目……」
 殺す…とは、まさに壊すと同義語で。
 殺し続けるモノを止めるならば、殺すか壊すかするしかない。
 けれど、そんな一生で短い命を終わらせていいはずがない。
「今、殺す、ことしか、知らない、なら……これから、もっと、いろんなこと、知れば、いいから……だから……」
 言葉が通じているのかどうかも分からない。けれど、語りかけずにはいられなかった。
 言葉を知って変わっていけたように、この幼子も言葉を――まったく知らない知識を身につければ、変われる。そんな気がして。
 幼子を見つめる。
 あれほどのことをやったにも係わらず、濁りのない真っ直ぐな瞳が千獣を見返した。
「殺すのは、やめよう……?」
 幼子は首をかしげる。
 言葉が届いているのかどうかは分からないが、幼子はとりあえず動きを止めた。
 千獣はほっと息を吐く。
 まず、殺すという事はどんなことかを教えなくてはいけないだろう。
 今まで幼子が行ってきた行動と言ってしまえばそれまでだが、幼子に“殺した”という感覚はないのだから、その認識から
養わなければいけない。
 どうして無闇に他者の命を刈り取ってはいけないのか。
 食物連鎖や弱肉強食というものの中で生きてきた千獣には、相手を倒す事は、自分を生かすための糧だった。
 けれど、今はそれをする必要がなくなり、守るために矛を振るうが、決して奪うためではない。
「うん、やめよう……。世界、なら、私が、教えて、あげる……」
 世界はもっともっと楽しい。壊してばかりでは、本当の世界は分からない。
 千獣は幼子に笑いかける。
 一瞬幼子はきょとんと瞳を瞬かせたが、その後にこおっと笑うと、小さな手を千獣の頬に伸ばした。
 衝撃は、ない。
 伸ばした先全てを壊す、手の平の衝撃が、消えた。が―――
 かくん。
 小さな腕が重力に従って落ちる。
「………?」
 鼓動という名の生命の音は元から無い。無いのだけれど。
「失敗作でしたね」
「やはり、選んだ女の教養が足りなかったのでは?」
 人がよさそうな面持ちで整った身なりの青年と、胡散臭そうな男の声が空から落ちる。
「やはりあの―――…!」
 言いかけた男の言葉が止まる。
 見下すように細められた眼と、弧を描いた扇。
 男は千獣の傍の地面に叩きつけられ、足元を隠すほどに砂埃を上げて吹き飛んでいった。
「この子、もう、笑わ、ないの……?」
 千獣の腕の中で瞳を閉じ、ぐったりとしている四肢。元々冷たかった肌が、尚、冷えて感じる。
 青年は今気がつきましたとばかりに千獣を見た。
 そして、眼を細め、扇を口元に当てる。
「役目を失った道具は止まる。実に普通だと思いますが」
 違いますか? と声音だけは諭すように穏やかなのに、その内に秘められた蔑みに千獣は瞳に怒りを宿して顔を上げた。
「……道具じゃ、ない! 生き、てた…! この子、生きてた……!」
 千獣の言葉を聞いて、笑いかけてくれた。なのに!
「“生きていた”などとおこがましい。“動いていた”だけです」
 他人を道具にしか思わない。こういった人間が世の中に存在していることくらい千獣でも知っていた。
 青年は、ふむ。と言うように空に座り、ただ千獣を見下ろす。
「では問いましょう。人の姿をもち、動けば全て“人”なのですか?」
 抱きしめた千獣の手からは、砂のようにサラサラと何かが零れ落ちる。
 その手に残ったのは、拳大の丸い結晶。
 やるせない感情が込み上げる。
 見せ付けられた不条理に、千獣の膝が崩れた。


 人である定義とは、一体―――?




















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】棉・謀計にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 肉体を生かすかどうか本当に迷いましたが、生かされている意味を失ったときどうなるかを考えるとこの結果となってしまいました。しかし結晶が千獣様の元にあるので魂は生きている状態になります。
 一応事の黒幕と会話をしております。この答えを導き出せないと結果は変わりません。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……


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