■音の始まりと終わり■
水綺 浬
【3368】【ウィノナ・ライプニッツ】【郵便屋】
「いい日ですね〜」
 青天の空を見上げて呟く。
 サーディスは週に一度の買い物で村へ降りてきていた。
 すると、いつもの音色が耳に溶けていく。笛の音だ。
 最近、頻繁に村の中で風にのって流れてくる音。だが、始めに聞いた音色とは明らかに違う。奏でる音楽は同じだけれど、リズムと音程が違うのだ。
 サーディスは不思議に思いながらも、太陽の下で売られている野菜を吟味していた。
 そこに、ふと笛の音色が止まる。ぷつりと途切れたように。

「おーい! 魔導士さんー!」
 遠くから魔導士を呼ぶ声。村でもその近郊でも、魔導士はサーディスしかいない。
 道衣をひるがえして振り返った。
 やはり、声の主はまばらに行き交う人の中でこちらへ走って向かってきていた。
 息荒く恰幅のいい男が慌てて言う。
「大変だ!」
 その一言で終始笑顔で通していたサーディスの瞳に真剣が帯びた。
 眼前で立ち止まり。
「た、大変だ」
 もう一度、繰り返す。
「どうしたんですか?」
「村の入口で旅人が倒れてる!」

音の始まりと終わり - 未来へ続く橋 -



 今日もまた魔法習得のための修業の日。そして試験も待っている。
 宿で朝げを食べ、村人たちに挨拶を交わしながらフィアノの家へと向かう。
 ドアをノックするとレナが出迎えてくれた。

「いつもの用意してるわ」
 テーブルの上にはグラスに入れられたレナ特製ジュース。
 グラスの側面についた水滴が落ちそうだ。ふるふると震えて踏ん張りながら朝日を反射している。
「ありがとう」
 修業前はジュースを飲む。すでに習慣となっていた。淡い黄金色が食欲を誘うが、口をつけるとたちまち苦くなる。慣れれば一気に飲み干せるのだが、それまでが長かった。
 このジュースは肉体の疲れを癒すと同時に体を軽くしてくれる。副作用はない。
「師匠は例の場所で待ってるわ」
「分かった。――ねえ、レナ」
「なに?」
 グラスを下げようとしていたレナは足を止める。
「以前言った銀のメッシュの男のことなんだけど、覚えてる?」
「ええ。確かあの時見つかったのよね?」
 こくんと頷く。
「あの人の名前、サーリオって言うんだ。聞き覚えない?」
「サーリオ……?」
 レナはうつむいて考え込む。
「ああ! やっと思い出した! 確か隙のない人だった。周囲を警戒してたわ。――今頃思い出してごめんね」
 ウィノナは頭を左右に振る。銀の髪がさらりと鳴る。
「ううん、いいよ。……でも警戒って」
 レクと関係あるのか。
「村人と一緒に笑ってても本音は見せないっていうのかな。心の目は冷静に周りを観察してたわ」
「……」
 無言で返す。
「どうしたの?」
「あのね……。そのサーリオって人と一緒に住んでる人は知ってる?」
 僅かに声がうわずる。
「知ってるわ」
「え?」
 目を見開く。
「あの三十代の男性でしょ?」
 レナはレクの存在を知らなかった。しかし事の顛末を話すわけにはいかない。サーリオが隠していることを他人のウィノナから明かすなんて出来なかった。
 急に沈黙した少女にレナは不思議そうに見つめる。それに気づいて慌てた。
「な、何でもないよ。あ! サーディスさんのところに行ってくるね!」
 明るめに振る舞い、そそくさと退場する。
 バタンと扉が閉じた。
 レナはウィノナが出て行った玄関をじっと見つめる。目を細めて。
「……怪しいわね」

   *

 胸に手を当て。
「ふぅー、危なかった」
(でも不自然だったよね……。気づかれたかな?)
 迷いの森に入る前にフィアノの家へ振り返る。
(ごめんね、レナ。まだ言えない)

 しばらく歩くといつもの場所が視界に入った。最初の修業場所でもある、あの空間。小さな広場になっている。
「サーディスさん、おはようございます」
 中央で待っていた師はにっこりと微笑む。
「おはようございます。疲れていませんか?」
 サーディスは弟子の体調を気遣う。どんなに修業が厳しくてもウィノナの限界以上はしないのだ。
「大丈夫です。あのジュースのおかげもあって、朝にはすっきりしてます」
「それは良かった。では早速、試験を始めましょうか。それと宿題を提出してください」
「はい」

 数刻後。
 試験に合格し、修業が一段落した時。
「もうすぐお昼ですね。すみません、午後からは所用ができましたのでお休みにします」
「はい。……あの」
 遠慮がちに尋ねたウィノナに「はい?」と首を傾げる。
「えっと、サーリオという人をご存知ないですか?」
「もちろん存じています」
 予想していた答え。サーディスは瞬時に人の顔と名前を覚える。村で暮らすサーリオを知らないはずがない。
「一緒に暮らす人は?」
「……。男性が一人いますね、それと……」
 そこで言葉を切って、ウィノナの瞳を見つめ返す。
 交差する視線はお互いが何を言いたいのか物語っていた。何も言わなくても考えていることは一つ、そう形にするかのように。
「そうですか。ウィノナさん、ご存知なのですね」
「は、はい。偶然。笛の音がずっと気になっていたから」
 サーディスは視線を外し、音もなく歩きだす。宙に浮いているかのように踏みしめる草の音がしない。
「あの子の存在は多分、今まで私だけしか知らなかったはずです。数年前にサーリオさんが慌しく訪れたことがあります。風邪をこじらせたと内密に案内されたのです。そこであの子と出会いました」
「レクと……」
「ええ。その数日後の検診で、例の症状を持っていることが判明しました」
「……治せないんですか?」
「今のところは……」
 心の傷は簡単に癒せるものではない。癒せたとしても人格の統合には時間がかかる。
「ボクは二人を村人たちの中へ連れていきたいんです。別の場所では疎外されてたのかもしれないけど、この村では温かく迎え入れてくれると思います」
「そうですね……そうかもしれません」
 トーンを落とした声。言葉は肯定的なのにそうとれず否定的に感じた。ウィノナはサーリオを同じ意見なのかと問う。
「サーディスさんもこのままがいい、とお考えですか?」
「いいえ。ずっとあの家で一生を過ごすことはできません。村の方達を信用しないわけではありませんが慎重に事を運ぶべき問題だと思います」
 二人の心にいらない傷をつけないためにも。
 村人が歓迎しても外からの訪問者は分からない。避けられない出会いがやってくるかもしれない。

「ところでウィノナさん。今日も宿題がたくさんあります」
 にっこりと悪魔のような笑みを作る。
 筆記と実技をそれぞれ山のように出された。
 朗らかに微笑みながらサーディスは難問を振り掛ける。――鬼だ、と思った。

   *

 村に戻りながらサーディスからの意見を反芻する。
 楽に答えが出せる問題ではない。二つの想いが天秤にゆらゆら揺れ、どちらにも傾かない。
 ウィノナは自然とサーリオとレクの元へ向かっていた。

≪行くの?≫
「うん」
≪……≫
 いつも元気に即答するラピスが押し黙る。
 それに気づいて足を止めた。
「どうしたの?」
≪あのサーリオって人……≫
 珍しく言葉を慎重に選びながら。
≪知らないかもしれないけど、ウィノナが村に来てからずっと視線を感じてた≫
「……それがサーリオだった?」
 ラピスの話では、サーリオはほとんど毎日ウィノナを影から覗き見ていたという。だが決して手は出してこない。一定の距離を保っていた。
 ウィノナがフィアノの家へ行くと、ふっといなくなるという。
 何の目的があって監視するのか分からない。
≪私も気づいてた≫
 ラズリーも同意する。
 精霊の二人は不審人物としか思えない。本音を言えばウィノナに会ってほしくなかった。

「直接聞いてみよう」
≪ダメよ! 聞いたとたん、何されるか分からないわ!≫
 ラピスはウィノナの眼前に飛び出し立ち塞がる。
「何かしようとするんなら、昨日会った時にしてるんじゃないかな?」
≪それは……。レクがいたからかもしれないわ≫
「そうかもしれない。でも理由があると思う。邪な想いでしたんじゃないよ」
 ラズリーがラピスの隣へ飛ぶ。
≪信じてるんだ、ね≫
「……直感みたいなものかな」

   *

 二人の家へ訪れる。再び、レクのいる部屋へ通された。
 今日は昨日会ったマサではなく、主人格のレクだ。そのため、ウィノナのことを知らない。交代人格の四人の存在を知らずにいるため、なに一つ情報が伝わっていない。だが、レク以外の三人はマサを通してウィノナを見ていた。
 また最初の挨拶から始まる。レクにはサーリオの知人とだけ伝えた。
「お兄ちゃんの知り合い、なんだ?」
「お兄ちゃん?」
 二人は兄弟ではない。
「本当のお兄ちゃんみたいだよ。とっても優しいんだ。……でも」
「でも、何?」
 部屋にサーリオがいないことを改めて確認して。
「お兄ちゃんの生活をうばってる気がする。僕がいるせいで、お兄ちゃんのやりたいことをできなくしてるんじゃないかって」
 レクはサーリオを縛っているのではないかと思い悩んでいた。自由の翼をへし折っているのでは、と。
「そんなことないよ、きっと。もしそう思ってるなら、レクのそばから離れてると思うよ」
「そうかなぁ?」
「そうや」
 突然、背後で別の声がひびく。泣きそうな顔をしていたレクが顔を上げた。
 ジュースを乗せたトレイを持ってサーリオが立っていた。
「盗み聞きしたんやないけどな、聞こえてしもた」
「お兄ちゃん……」
 トレイを部屋のテーブルに置き、レクのそばにしゃがみこむ。そっと頭に手を添えた。
「心配せんでもええ。俺は好きでやっとるんやから」
「う、うん」
 そうは言っても罪悪感は残ってしまう。逆に突き放すこともできない。
 ウィノナはやはり村人たちに二人を認めてもらい、安心して暮らせる環境作りが必須だと思った。村の中で本当の意味で羽根を休めることができれば、レクもサーリオもやりたいことが出来るだろう。
 ウィノナはもう一度進言してみる。
「二人とも、村に花時計があるんだ。行ってみない?」
「え……」
「ダメや」
「でもこのままじゃ……。村人たちは受け入れてくれると思う。笛の音を聞いてくれてる人もいるし。花時計の前で演奏したら喜んでもらえると思うよ」
「そうかもしれん。そうやないかもしれん」
 レクはうつむき顔を伏せる。
 それから何度説得しても答えはNOだった。
 とても頑固で首を縦に振らない。それほど過去の傷は深いのだ。もちろん、村人と話したいし笑いあいたいと二人は思っている。けれど今は逆に傷をえぐってしまう。
 そう感じたウィノナは、今日は諦め、また日を改めて言ってみようと決心した。しかし催促することは過去を蘇えらせ、また固く心を閉ざしてしまうきっかけにもなる。まずは二人を知ることが先決だ。

 レクと別れ、家の玄関まで来たところでサーリオに振り返る。
「ちょっと質問があるんだけど、いいかな?」
「なんや」
 訝しげに見つめる瞳。
「私が村に来た時から見張っていたって本当?」
 その瞬間、サーリオは固まった。まさか知られているとは思わなかった。
「サーリオ……?」
 呼びかける言葉で少し硬直が解け、目が泳ぐ。
「な、何のことやねん」
 声が裏返る。肯定したと同じことだった。
「やっぱりそうなんだ。なんで?」
「なんでって、したことありまへんがな。疑わんといて」
「でも四六時中つけたこともあるんでしょ?」
「四六時中やない。暇がある時だけや! ……あっ」
 また墓穴を掘ってしまった。ウィノナが勝ち誇った笑みを広げる。
 観念したサーリオは苦しいため息を一つ吐いて、正直に話した。
「始めは街で見たんや」
「街?」
「エルザードや。それから数ヶ月後にまた会うとは思ってなかった。その銀の髪にみとれてたんや」
 え? と目を丸くし、無意識に銀の髪に触る。
「よく手入れされとるって一目で分かったしな。俺、髪フェチやねん。それでその、気になってて……。でもあんた、よく独り言言いよるよな」
 ピクッと反応した。サーリオは精霊と話しているウィノナを見ていたのだ。
「あれは……」
「幽霊とでも話しとると思った。でもあんたの周りで二つの光が飛び回っとるのを目撃するとな、なんも言えなくなるんよ」
 サーリオは魔法を行使できる。だが精霊の光を視ようとしたことは一度もない。いつのまにか視えていた。
≪この人、素質あるかもしれないわ≫
 ぼそっとラピスが呟く。
「二つの光は……精霊なの。今、サーディスさんの元で修業してて」
「サーディス? ああ、あの魔導士の。やっと謎が解けたわ」
 あっけらかんと笑って、ごめんなと謝った。

   *

「何でもなかったみたいだね」
≪そうね。実は変質者とかだったらどうしよう、と思ったわ≫
「ボク、考え直すことにする」
≪何を?≫
「魔法具の具現化。色々見て回って知識を集めてからでも遅くないと思う。焦らず試してみたい。レクとサーリオの問題も。結果を急げば、二人の心も離れていくし、魔法も行き詰っちゃうよ」
≪そうだ、ね≫
 ラズリーが頷く。
≪ええ、ゆっくりしていきましょ!≫


 こうして着実に一歩ずつウィノナは歩き始める。毎日修業に励み、サーディスやレナの魔法の技も応用できるところは盗んでいった。
 数年後、レクとサーリオは村にとけ込めるようになる。あるきっかけによって。影で一人の少女が奔走したという。その物語はまた別の機会に――――。



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■     登場人物(この物語に登場した人物の一覧)    ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 3368 // ウィノナ・ライプニッツ / 女 / 14 / 郵便屋

 NPC // サーディス・ルンオード / 男 / 28 / 魔導士
 NPC // レナ・ラリズ / 女 / 16 / 魔導士の卵(見習い)

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■             ライター通信               ■
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ウィノナ・ライプニッツ様、いつも発注ありがとうございます。

サーリオが精霊の光を視える理由はあります。また機会があれば書きたいです。
あと髪フェチなサーリオですみません;

レクは自身が多重人格であることを知っていますが交代人格の四人を知りません。半信半疑なところもありますが周囲が騒ぐので素直に受け止めています。それによって苦しんでるところもあったり。


少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。


水綺浬 拝

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