■【楼蘭】蓮・幻夢■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
 蓮の花を模った杯に称えられた、虹色の虹彩を放つ透明な水。
 いや、ただの水ではない。
 甘い匂いを放つソレは、花から取り出した特殊な樹液。
「それはまだ洗練されていないからね。触ってはいけないよ」
 そのまま触れれば、強すぎる力に、たちまち溺れてしまう呪華。
「そろそろ始まるころかな」
 瞬・嵩晃は、布で蓋がされた壷を手にしたまま、雲の流れと風の匂いを確かめて呟く。
 机に置いた壷の蓋を外し、瞬は蓮の杯にたゆたう水を入れて混ぜる。
 数回杓子を持ち上げ色味を確認すると、彼は顔を上げた。
「君も一緒に行くかい?」
 何処へ一緒にいくのかと言う言葉は一切話さず、瞬はただニコニコと微笑んだ。



【楼蘭】蓮・幻夢 −蓮−








 閉ざされた扉を見て思う。
 鍵はかかっていないから、開ければその先に居る瞬・嵩晃に会うことはできるだろう。
 けれど、それをした瞬間に、桃の信頼を失くすけれど。
 千獣は庵に背を向けて、ひたひたと歩き出す。
 どれくらい歩いただろうか。
 振り返っても、庵の戸はもう見えない。
 千獣はやっと足を止め、空を見上げた。
 青い空だ。綺麗な綺麗な青い空。全てを見ていたけれど、何も知らない青い空。
 見上げた視線を下ろし、手の中の蓮華を見つめる。
 桃――あの人が、自分と瞬、姜・楊朱と交わした会話の遣り取りを知っているかどうかは分からない。けれど、根本的な知識は、自分よりも色々なことを知っている。そんな人が、咲かせてみろと言った、蓮。
 無駄なことを言うような人には見えなかった。
 花を咲かせることに、どんな意味があるんだろう。
 花も命も同じだろうか。
 人が手塩にかけて蕾を咲かせても、花は咲きたいと思っているのだろうか。
 咲いて欲しいと思うことは、やっぱり、エゴなんだろうか。
 ―――エゴって、言われるんだろうな。
 蓮華の花を見て、千獣はふっと小さく笑う。
 それでも、望んでしまうのだ。その花が咲く瞬間を。
 千獣は一度眼を閉じる。
 姜はどうやってこの蓮華を育てていただろう。
「……水」
 今はまだ仙術の影響にあるおかげだろうか、茎も花も萎れた素振りはないが、このまま放っておけば咲かずに花が枯れてしまう。
「探さ、なきゃ……」
 蓮華を植えられる湖なり、沼なりを。
 幸いここは山だ。水の気配は沢山ある。それが湧き水の小川か、湖かの区別はつけることが出来ないけれど。
 千獣は水の気配を辿って早足に歩き出す。
 たった一株の蓮だ。そんなに広く深い水が必要なわけじゃない。この根が張ることを許してくれる土と、栄養を運んでくれる水があれば。
 道なき道を慣れた足取りで進み、千獣は1本の獣道に出る。
 道と名を冠していようとも、それは獣が通る道、人が通るような道ではない。
 道に沿って歩く。
「……あった」
 それは小川の休憩所。小さな水溜りのような分岐点。
 千獣は膝が濡れることも厭うことなく腰を下ろすと、水溜りの底に溜まった小石をどけて、抱きしめていた蓮の根をそっと植える。
 まるで水から生えているかのような茎が、真っ直ぐに空へと伸びる。
 新たな住処を与えられた蓮は、どこか嬉しそうに見えて、千獣はほっと微笑んだ。









 咲かせると言っても、どうすれば咲くのだろう。
 栄養が必要なわけでもなく、鉢植えや地面に直接植えてある草花とは違うため、定期的に水をあげる必要も無い。
 栄養も水も、流れる小川が与えてくれる。
 千獣の役割は何だろう。
 この花が咲くまで、咲く瞬間に、この場に居合わせることだろうか。
 ここはもう、護られる腕の中ではない。
 もし、蓮が咲きたくないと感じて、このまま枯れてしまったらどうしよう。
 咲いてほしい。生まれてほしい。
 どうしてこんなにも似ているんだろう。
 綺麗に咲いてほしいと思っても、咲く前に枯れてしまうこともある。
 元気に生まれておいでと思っても、死産してしまうこともある。
 外に居る側は何も出来ない。
 ただ、語りかけることしか出来ない。
「大丈夫、だよ……」
 千獣は、今だ咲かない蓮の蕾にそっと両手を添える。
 雨に打たれ風にさらされることもあると知っていても、それだけが世界ではない。
 その経験を経て、強くなることだってできる。
 願いを、祈りを、言葉に込めて。
 少しだけ、蓮華の蕾が大きくなった気がした。









 次の日。
 水はここにあるし、山は食べられる果実が沢山実っていた。
 千獣は、自分が食べる分だけの実を収穫し、水辺に腰かけ蓮華を見ながら頬張る。
 ただ眺めるだけと言う日々は、過去の色々なことを思い出したり、未来へ色々な思いを馳せたりできる。
 良いこともあれば悪いこともあった。楽しいことだっていっぱいあったし、怒りに駆られて誰かを傷付けてしまったこともある。悲しみに潰れそうになったこともあった。
 いろいろなことがあって、今の自分が居る。
 言葉では言い尽くせない、善も悪も清も濁も入り混じったこの世界。もし片方だけに偏っていたら、それはとても味気なくそして切ない世界だろう。
 楽しければ笑い、悲しければ泣けばいい。
 そんな世界を一緒に回ろう。私の中にあるものは全て伝えよう。わからないことは一緒に考えよう。
 千獣はゆっくりと時間を気にすることなく、まだ硬く閉ざされたままの蓮華に向かって語りかける。
 少しずつ、蕾は大きくなっていった。










 早朝。
 近くの木に背を預け、膝を抱えてうとうとしていた千獣の首がバランスを崩して落ちる。辛うじて抱えていた手を地面に着き、転倒を免れるが、手の平にはしっとりとした土がべったりとこびり付いた。
 暫くその手を見つめて、千獣はゆっくりと立ち上がる。
 手が土で汚れることなんて、昔は日常茶飯事で、その時は手だけじゃなくて体も土まみれだった。
 人の世に混じって、土が着くということが汚れると言うことなのだと、食べる時には手を洗うのだと言うことを覚えた。
 ただ呆然と手を洗おうという気持ちで、水辺に近付く。
「……!?」
 蕾にしてはありえないくらい、徐々に大きくなっているような気がしていたが、流石にここまで大きな花は……ラフレシアよりも大きいような気がする。
 蓮ってこんなに蕾が大きくなるものなのかな?
 確かに蓮華なんて余り身近に無かったし、良く見る花でもなかったため、嘘なのか真実なのか知りようも無い。
 けれど、今目の前で大きくなっている蓮華の蕾は真実だ。
 ただこれがどの蓮華でも等しく起こりうるのなら、姜の池に植えられていた蓮華はお互いの蕾で圧迫され、ぎゅうぎゅう詰めになってやしないかと、ふと考えてしまった。
 足が自然と水の中へと入っていた。
 膨れ上がった蕾に触れる。
 この想いが伝わるように。
 今度こそあなたがこの世界で生きられるように、世界との架け橋になるから。
 ――生まれておいで。
 朝露が落ちる。
 蓮の花が、蓮華の蕾が、ゆっくりと花開いた。










 淡いピンクの花びらの隙間に、黄色い花托が見える。
 花びらを両手でかきわけ花托に近付く。
「あ……」
 花托の上で小さく丸まっている頭。
 その髪は、根元は白く、毛先に向かうにつれ、蓮の花びらのような淡い桃色に染まり、綺麗なグラデーションを描いている。
 髪の色が変化していくなど、普通の人間では到底ありえない。
 この子は、きっと―――
 千獣の顔が自然と綻んでいく。
「やっと、会え、た……ね」
 今すぐに伸ばしたい両手。
 けれど、直ぐに触れることが出来なかった。色々な気持ちがあふれ出して、体がついてこなかった。
 微かに震えた小さな身体に、千獣の肩もビクッと震える。
 幼子……と、言っても三歳ほどの子供が、ゆっくりと身体を起こす。
 そして、花びらの間から見つめる千獣を、その緑色の大きな瞳で見返した。
 胃の辺りを走り抜ける鈍痛。それでも千獣は微笑んだ。

「……おはよう、蓮」

 子供は短い両手を伸ばし、千獣に抱きついた。

























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】蓮・幻夢にご参加ありがとうございました。ライターの紺藤 碧です。
 やっと新しく生まれ変わりました。お2人の話はこれから、なのですが、手前勝手ながら話は秋へと移行させていただきました。
 この宝貝人間はNPC登録をしておりませんので、通常のシチュノベでは描写が少々難しい部分がございます。ですので、間の話は楼蘭用のシチュ系ゲームノベルを用意させていただきますので、望まれるようでしたらそちらでお願いします。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……


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