■【楼蘭】百花繚乱・詞華■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
 天には、世を支える四の柱があるという。
 四極と呼ばれるその柱には、世に起きた数多の事象が刻まれゆく。

【楼蘭】百花繚乱・詞華








 千獣は遠ざかる霧を一度見遣り、蓮を抱えたまま入ってきた門を潜り地上へと戻る。
 何かをしようとしているのは事実だけれど、邪仙は襲ってくるような素振りは見せないし、未だにあの場所で立ち尽くしたままだった。
 何故?
 何もしてこないのにこちらからわざわざ喧嘩を吹っかけることもないと、千獣は視線を戻し瞬・嵩晃の庵を目指す。
 まずは、扉への案内をしてくれた悠・永嘉にもお礼を言わなくては。――彼には、会えるかどうか分からないけれど。
 パタパタと前髪を額に当てながら、風を切って飛ぶ。
 そう遠くない場所に、山中としては不釣合いな庵が見えてくる。
 千獣はゆっくりと高度を下げ、庵の前に降り立った。
 庵の戸を開ける前に辺りを一度見回す。
 桃(タオ)は現在出かけているのかその気配を感じられない。
 千獣はトントンと軽く庵の戸を叩いた。
「おかえり」
 中から自分にかかった声に、千獣は戸を開けて中へと入る。
「……瞬……ただいま」
 もうこの顔色が定着してしまったのではないかと思うほど青白い顔色で、瞬は薄っすらと微笑んだ。
 先に入った千獣の後ろから、伺うように顔を出している蓮の背にそっと手を添えて、瞬を見遣る。
「……ちゃん、と…会え、た……ありが、とう」
「そうかい」
 行く前とはまた違った雰囲気を背負って返ってきた千獣に、瞬は尚一層微笑みを深めた。
「瞬……聞きたいこと、ある……」
 じっと千獣を見返した瞬の瞳は、次の言葉を待っている。
「……何故、邪仙は、蓮、を、欲する?」
「欲しているわけじゃないさ」
 返ってきた瞬の言葉で、尚更“何故?”という気持ちが強まっていく。
「これ、が、始まり……と、言って、いた……これからの、こと、に、蓮が、必要…なの……?」
 瞬は、ふっと、どこか哀愁のような憐憫が篭った微笑を浮かべる。
「その言葉は、必要ないのではないか。とも聞こえるね」
「だって……欲しがる、わり、に……力ずく、で、取り返しに、こな、い……」
 それは、蓮の中で一生消える事はない、邪仙の影響力によって、自分から動く必要はないと思っているから?
「取り返すというのは、奪われた時に使う言葉さ。君は奪ったわけではないだろう」
 千獣は小さく頷く。
「彼も同じように思っているだけ。奪われたわけではない。そうだね……里子に出している。その感覚に近しいだろう」
 里子とは、子供を他人に預け養育してもらうことだ。一時的に預けているだけに過ぎないのであれば、取り返すというような強引な方法をとるような事はしない。――と、言うことなのだろう。
 それが良いことなのか悪いことなのか、邪仙は蓮が自発的に“必ず”還って来ると確信しているように思えて、千獣は微かに眉根を寄せる。
 蓮と一緒に逃げることも、邪仙を倒すことも、解決ではないような気がして、表現しきれないような歯がゆさに、何だか胸がもやもやとしてきた。
 1つだけ確実に言えるとすれば、この問題は邪仙が動くまで進展することはないかもしれないということ。
 ならばと、千獣は瞬をじっと見つめるように視線を移動させる。
「それと……瞬、は、自分だけ、で、抱えよう、と、する」
「…そう、見えるのかい? おかしいな、利用できる者は何でも利用しているつもりなのだけれど」
 少し茶化すように言った瞬に、千獣は首を振る。
「少し、誰か、思い出す……」
 頭の中を過ぎった1人の人物。
「あの人も、そう、だった……頼みごと、は、する……でも、他、何も、言わない………全部、自分、で、抱える……でも、周りは、心配……」
 千獣は無意識にぎゅっと自分の服の裾を握り締めていた。そのきつく握られた手を見て、蓮は心配そうにその顔を見上げる。
「君は、その人の事がとても大切なんだね」
 抱えるという言葉はさらりと流して、話題を瞬自身のことから千獣のことに変えようとしているのが分かる。
「……話、を、逸らさ、ないで……!」
 軽く叫ぶように声を荒げてしまったが、心を落ち着けるようにすぅっと一回深呼吸をして言葉を続ける。
「…私、言われた。身体、が、守られていても、心、が、傷つくって……それと、同じ……」
 それはきっと、“あの人”を千獣が傷つこうとも身体を張って護る姿を見て、傷ついて欲しくないと願った“あの人”との話。
 似ているだろうか。
 瞬は少しだけ眼を伏せる。
 ぎゅっと服の裾を握り締めている千獣は、その瞳に気付かず続けた。
「どうしたら、いいか……答えは、出な、かった……でも、ある人に、言われた……もっと、話し合う、こと……」
 話してくれなければ分からない。その通りだ。ただ、それが瞬に当てはまるかどうかは別の話。実際、彼が状況について説明を求める時は確認という意味が強いのだから。
「……今回の、こと………瞬に、何も、ない、とは……思え、ない……」
 確かに影響はないと瞬は言っていた。けれど、よくよく思い返してみれば、それはこの世界の話であって、瞬自身のことではない。
 結局上手くはぐらかされていた事に気が付かなかった。
「関係、ない…とか……ない、わけ…ない……!」
 そして、じっと瞬の瞳を見返した千獣は、その答えを問うように言葉を閉ざす。
「君は、ゆっくりではあるけれど、本質には辿りつくようだ」
 瞬は仕方ないとでも言わんばかりの色を浮かべ、ふっと薄く息を吐く。
「関係ないかと言われれば、そうだね。私自身のみにしか関係はしない。だから、言わなかった。それを君は怒っているのだろう?」
 怒っている…とは、違うような気がする。ただ、心配で仕方がない。だからこそ声を上げてしまった。
 どうして“あの人”も瞬も、こちらから要求するまで何も言ってくれないのだろう、と。
 心配させたくないから? それとも、信頼してくれていないから? その理由だったら、少し落ち込んでしまいそう。
「物事も、人も、全部、繋がって…いる……単独で、なんて…いられ、ない……全部、自分だけ、で、負おうとしないで……」
 問題は皆で分かち合って、共に解決の道を探すことができたら、少しでも瞬が背負っているものを減らす事ができるのではないか。
 例え猫の手くらいにしかならなくても、助けになりたい。千獣の中にあるのは、ただそれだけ。
「負っているつもりはないさ。それに、物事は適した役割というものがある」
 説明をしないのではない。説明しても何も変わらないと知っているから、話さないだけ。
「君は君のやる事があり、私には私のやる事がある。それは他人にどうこう言ったところで何かが変わるわけではない」
 微かな拒絶をされたようで、千獣は微かに眉根を寄せる。
「だが、君のその気持ちは、受け取っておくよ……謝謝」
 ふわっと微笑んだその顔が、やけに晴れやかに見えて千獣は微かに瞳を大きくする。
「扉は…現状では閉じないだろうと言ったけれど、簡単に閉じさせる事はできるのさ」
「え…?」
 このままの状態で閉じるか閉じないかを、天界の人々は決める事ができる。だがそれは、今は地上界には居ないはずの天人全員の帰還があってこそだ。だから、今扉が開いているのは、一部は呼びにきた木綿のせいだが、その全ては未練がましく地上界に留まっている瞬のせい。
「私が、天界へ行けば良い」
「瞬…が、天、界、へ……?」
「今の私は地人よりも、天人に近しい存在になってしまっているのさ。私の事が怖いだろう? 蓮」
 突然名を呼ばれ、蓮はびくっと肩を震わせ、躊躇いがちに千獣の後から顔を出すと、小さく頷いた。
「強すぎる力は毒だ。私はその毒になってしまっている」
 無理矢理強められてしまった天人の血は、少しずつ人の身を蝕んでいく。それは地上人としての血を増やせばいいと言う単純なものでもない。
「そして、この国にとっての毒に成り果てる」
「…でも、それ、は……瞬、の、せいじゃ、ない…」
「けれど、千獣にどうにかできることではないだろう?」
 時間が巻き戻ることはない。
 結論を求められているのは、千獣ではなく、瞬のように思えて、千獣は軽く瞳を伏せた。








☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 百花繚乱・詞華にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 瞬はきっとあの人ほど周りの事は考えてないです。でも、千獣様の思いは大変ありがたく染みたと思います。ありがとうございました!
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……


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