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■名前の読めないテーラー■

小鳩
【8474】【橘・銀華】【用心棒兼フリーター】
 【名前の読めないテーラー】の店主であるベルベットは、届いた手紙をテーブルの上へ置き、見覚えのあるエンブレムが押された封蝋から解放した。
 眼鏡の縁に指を当て、書かれている文面に目を通す。

「父さんからですか? 布の買い付けに行って、もう、何年経ったでしょうね?」

 オーダースーツの仮縫いを終えたサテンシルクは、難しい表情を浮かべる義姉の横顔を見てから手紙の内容を確認した。
 クセのある筆跡は確かに父のもので、青みを帯びたインクが隊列をなしている。

 店を、おまえたちに任せてどれぐらいの時間が過ぎただろうか。
 まさか、本気でわたしが布の買い付けに行ったと、未だ信じているのかね?
 わたしが店へ帰ることは二度とないだろう。
 だから、決めておきたいことがある。
 テーラーの看板……。風雨にさらされて少々痛み始めているあの看板だ。
 元来、一族の姓が入るはずなのだが、【店】がおまえたちを認めない限り、
 かすれた文字はこの先もずっと読めないままだろう。
 そこでだ。
 店の看板を賭けて、おまえたち二人に競い合って欲しい。
 技を存分に振るって【店】が認める作品を作るがいい。

 我らは人の業を裁(た)ち、縫い、形作る職人である。
 纏う者はそれを第二の皮膚とし、己も知らぬ真実の姿をさらす。
 我らは暴きたて、装わせ、纏う者に幾つかの道を与えるだろう。

 鋏みを取れ! 織られた枷(かせ)を、沈殿した澱(おり)を分けるために。
 針を取れ! 人間の感情の粒状と刹那を糸で繋ぎとめるために。

 おまえの首に掛かるmeasureは、実のところ、
 おまえ自身を測るものなのだと心に留めよ。

「……私は、いつか帰ってくるものだと……」
「ボクも、そう思っていましたよ」

 困惑しているベルベットのすぐ横で、サテンシルクは微塵も心にない返事をした。

「なぜ、いまさら! すでに店主は私だと決まったことではないか」
「そうですね。でも、仮の店主と呼ばれてはベルベットも気分が悪いでしょう?」
「……なん、だと?」
「競い合いも一興ではないですか。ボクはいつ始めていただいても結構ですよ」

 グリーントルマリンのようなサテンシルクの両目を睨みならが、ベルベットは父からの手紙をきつく握り締めた。
 義弟にとって店の看板など“どうでもいい”のは言われるまでもなく、十分わかっていることだ。

名前の読めないテーラー


〜橘・銀華(たちばな・ぎんか)〜

 要人警護の仕事が入り、スーツを着用するよう言われたが……あいにく一着も持っていない。
 それを聞いた関係者が投げて寄こしたのは、ミニチュアサイズのバケツ形をした金属だ。
「……なんだ、これ?」
「銀の指貫(ゆびぬき)。裁縫道具の一種だ」
 “指貫”には葡萄の模様が彫られていて、幾つか小さな傷がある。骨董品だと思われた。
◇◇◇
 到着した場所、木製の掲示板に貼られた地図らしきものは、いいかげん過ぎてまったく役に立たない。顎を掻いて来た道へ戻ろうとした時、
「なにかお探しでしょうか?」
 振り返れば、孔雀緑のインバネスを羽織った青年が紙袋を抱えて立っていた。
 舗装された道にそぐわない古風な雰囲気だ。明るい金髪と翡翠の両目、その顔立ちからして異国の者だろうが流暢な日本語を話している。
「お! 丁度よかったぜ。この近くに“仕立屋”はあるのか?」
「昔は仕立屋が軒(のき)を連ねていましたが、今は一軒しかございません」
 青年の口元は笑みを描きながら、こちらを観察しているようにも見えた。
「ついでだが、道を教えてくれ」
「どのようなお仕立てをご希望なのでしょう?」
「あ? スーツを作ってこいって言われたんだが、看板がない仕立屋らしい」
 彼が着るインバネスの裾が、風も吹いてないのに一度だけはためいた。そうして、蔦が絡む煉瓦造りの縦長な店舗の方へ顔を向ける。
「看板はありますよ。読めないだけです」

 通りすがりの青年と共に入った店内は昼でも薄暗い。ホールの高い場所、明かり取りの小窓があり、そこから細い光りが落ちてきていた。
「ようこそ。スーツのお仕立てでしたね。こちらへどうぞ」
 受付近くの椅子をすすめられ、ようやく彼が店の者だと気が付いた。
「なんだ。おまえ、ここの店員か」
「正確には職人ですが。ところで、あなたはどうやって店のことを知ったのでしょう?」
「どうやって? おぉ、そうだ! “指貫”を預かってたのを思い出したぜ!」
 着流しの帯から出してきた銀の指貫を見て青年は頷く。
「正式なお客様のようで安心しました」
「正式じゃねぇ客も、来たりするものなのか?」
「ボクたちのような職人は少なくなって……。ゆえに、“変則”の発生もある訳です」
 彼がおろした荷物から深紅の林檎が床へ転がり、残像を作りながら突き当たりで止まると、扉が開いて女が現れた。
「真昼に外出していたのか」
「買い物に出かけていました。それよりも姉上、お客様ですよ」
「ようこそ……。サテンシルク、おまえの客ではないのか?」
「ボクの指貫をお持ちですが、父さんの手紙のこともありますし、お客様に伺っては?」
「…………」
 銀縁眼鏡の女はゆっくり扉を開け放ち、床の林檎を拾うと、規則正しいリズムで革靴の踵を鳴らしながら近づいてきた。
 赤い物体を紙袋へ放り投げてから、改めて対面する。まとめられた黒髪の三つ編みは驚くほど長く、肌が貝の裏みたく白い。シャツに包まれた体も細く華奢。だが、両眼は研がれた刃物の輝きを持っていた。
「申し遅れました。ボクはサテンシルク。こちらは姉のベルベット。二人ともテーラーです」
「へぇ。姉弟で店をやってるワケか。店主はどっちなんだ?」
「本来は私が五代目だ。だが、今はどちらでもない」
 ベルベットはわずかに眉を寄せ、瞳へ黒い光りを宿している。
「じゃあ、おまえら二人に作ってもらって、出来上がりで判断するってのもアリなのか?」
「もちろんです」
「……指名もされていないのに採寸するのか?」
 サテンシルクはすぐ返事をしたが、ベルベットは表情を険しくさせた。
「おや、姉上は自信がないと? 今回の“競い合い”はボクの不戦勝ですね」
「誰も仕立てないとは言っていない」
 肩に掛けている採寸用メジャーを掴む手が、憤りでかたく握られている。弟は涼しい面(おもて)で姉を見定めてから視線を戻した。
「まずは、お名前を頂戴いたしましょう」
「橘・銀華(たちばな・ぎんか)だ」
 寸後、紅い閃光が瞬(またた)いた気がした。カメラフラッシュのような、だが、白くはなかった。
「お仕事で着られるようですね。ご要望は?」
「動きやすい方がいい。あと、体術を使っても破れない丈夫さも欲しいところだ」
 二人のテーラーは黙って客の言葉に耳を傾けている。
 ふと、何処からともなく小さな鐘の音が流れてきた。しかし、道中、教会や学校は見当たらなかった。見つけられなかっただけかもしれないが。
「では、あなたの過去と現在をなぞりましょう」
 銀華は普段の軽和装で藍染めの着流しに黒い帯を締めている。ベルベットは上から下まで睨みを効かせ、あからさまに眉間の皺を深くした。
「どうした? 襦袢とボクサーパンツぐらいは履いてるぞ」
「…………」
「採寸を始めます。ボクが先でよろしいですね」
 サテンシルクは外出用のインバネスを脱ぐと、ズボンの後ろポケットからメジャーを引っ張り出した。ベルベットが銀華から着流しと襦袢と帯を受け取り、壁際の衣紋掛けに通す。
「失礼します」
 一声かけてから、首回、裄丈、袖丈、胸囲、大腕囲、腹囲、尻囲、大腿最大囲、股下、ふくらはぎ囲のすべて、採寸はメジャー以外肌にまったく触れていなかった。まるで一迅の風が通り抜けたかの早業だ。
 次に、ベルベットが銀華の前へ立ったが、彼女はメジャーを肩から下ろさなかった。
「……におうな。類は特定できないが」
「汗クサイか? そんな暑くはなかったがな」
 自分のにおいを確かめている銀華を放置して、ベルベットはホールへ呼びかける。
「シュガー・ニードル!」
“……ここに……”
 彼女の靴先で片膝を着いたのは白猫のぬいぐるみだ。黒蝶貝の丸い目と茶蝶貝のハート型の鼻が付いている。首にはつやつやとした青いリボンを巻き、鈴蘭の浮き彫りがされた銀の針入れを下げていた。
「代行を命じる。使命を果たせ」
“……御意……”
 白猫は銀華の所まで来ると片手を鼻へ当てた。大きな頭を微かに振っている。
“なんとまぁ、ヒナタくさいヤツですね。主(あるじ)が嫌がるはずですよ”
「ぬいぐるみにクサイとか言われたの初めてだぜ」
“《プティ・シュ》がただのぬいぐるみだと思わないことです。唯一、主の血を戴いたサーヴィター(人工精霊)ですから”
 ベルベットから恭(うやうや)しく採寸メジャーを受け取ると、子猫はふわりと浮き上がり、銀華の目線の高さで止まった。
“さあ、風来坊サマ。キリキリと輪郭をなぞってやろう。キシシッ!”
 メジャーが空を切って唸ると首へ巻き付いた。息苦しくはない。攻撃的な動きで腕や胸を叩くように採寸していく。まるで鞭打ちの刑だが、加減しているのか痛みなどない。
“採寸が済みました。仮縫いの準備を”
 プティ・シュがメモ書きを渡すと、ベルベットは気の晴れない顔のまま、サテンシルクと共に中央の作業場まで進む。
「野武士のような放胆さだ。多少強めの生地を使っても損なわれることはないだろう」
「他人の命を守る服。機能的であっても華美でないのがいいでしょう」
 ベルベットが待ち針で左の壁を指し、サテンシルクのメジャーを持つ手が、右の壁へ向けられた。
 灰色と黒みを帯びた布が、姉弟で各三種、合計六種が羽ばたく風鳥(ふうちょう)のように躍り出る。モノトーンの群舞が森のように姉弟の頭上を覆えば、二つの鋏みが矢の鋭さで切り裂いた。同時に縫い針を持つと、共振する速度で生地をしつけ糸で形作っていく。
「ほぼ互角じゃねぇのか? 大したもんだ」
 銀華は蘇芳香の長椅子へ腰かけ、《人工精霊》が入れた日本茶を啜りながら、曲芸でも見物しているような口振りだ。
“あなたの目は飾り物ですね。あの弟は百舌(モズ)と同じ。真似しているだけです”
「えらく毛嫌いしてるんだな」
“アイツがまだ子供の頃、店内で命を落としかけたことがありまして。見かねた主は……ご自分の力を分け与えたのです”
 嫉妬で身を捩(よじ)るぬいぐるみは、切り分けた羊羹(ようかん)にフォークを突き立てた。『食え』と言わんばかり皿をこちらへ押しやってくる。
“本来はお一人で持つ力。それを無理に分けたのです。主はご自身の能力を、あの忌々しい弟に制御してもらうしか……”
「おまえはおしゃべりが過ぎる。客には関係のないことだ」
 プティ・シュは支配者に頭を掴まれて身を縮めた。『左様でございますね』そんな呟きで、そそくさワゴンへ急須を戻す。
 二着のスーツは、黒に近い無地と、一見して分からない非常に細かな格子柄の布地で作られていた。
「どちらから着ていただいても結構ですよ」
 銀華は手渡されたシャツに袖を通し、二着まとめてトルソーから引きむしると、カーテンで遮られた試着室へ入った。
 まずはランプブラックの方を着てみる。文句なしの直球さと着心地は好みだ。試しに体を動かしてみたが引きつりなど皆無で窮屈さはない。
 次にトープへ隠され沈む格子。こちらは薄い鎧のようでいて非常に軽量。動作によって箇所の強度が変化しているようだ。今回の仕事で活躍してくれそうな予感がする。
「どっちもいい感じだ。選ぶのが惜しくなってくる」
 仕上げ作業でサテンシルクは手回し式のアンティークミシンを出してきたが、ベルベットは白い召使いへ針を使うことを許可した。
「ぬいぐるみがスーツを縫うのか?」
「心配は無用。これは私の血を吸った下僕。手縫いの代行に十分足りる」 
 姉弟二人が“舞踏”を命じれば、ミシンは誰の操作なしでおのずと動き始め、人工精霊は針と硝子の指貫を器用に使って、迷いなく神速で縫い合わせていく。無機であるはずの二つは生き物のような心を持ち、店が他と隔絶されている場なのだと理解する。
「完成しました」
 差し出された大きめの白い箱へ、青いリボンと赤いリボンがかけられている。
「お好きな方をお選びください」
 銀華は赤いリボンの箱を手にした。
 ベルベットは背を向けて無言のまま奥の扉へ去り、白猫はツンと顎を反らせて彼女を追っていった。
「怒らせちまったか? 着るなら絶対あっちなんだが、仕事で必要なものだからな」
「姉上はそんなことで怒ったりしませんよ。優しい人ですから」
 姉に弟ほどの恬然(てんぜん)さが、弟に姉ほどの熱意があれば、もしかしたら、表の看板は名前が読めるようになるのかもしれない。
「お客様。これは『他人の命を守る』スーツ。ですから、決してあなたの命を保証するものではございません」
「仕事以外では着られないってことだな」
「あなたが守ることに準ずる限り忠実です。しかし、ご自身の命を惜しいと思うなら……着ることはおすすめできません。お忘れなきよう」
 青年は欺く悪魔のような緑の瞳と、一片氷心を持って来客を外界へ送り出した。

「またのお越しをお待ちしております」



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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

◆PC
8474 橘・銀華(たちばな・ぎんか) 28 用心棒兼フリーター
☆NPC
NPC5402 ベルベット(べるべっと) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5403 サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)
NPC5408 シュガー・ニードル(しゅがー・にーどる)無性 14 サーヴィター


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■ライター通信■
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お待たせいたしました。ライターの小鳩と申します。
このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
少しでも気に入っていただければ幸いです。

橘・銀華 様。

何度目かの巡り合わせでございますね。
今までの和風と異なり、違った雰囲気を楽しんでいただけたでしょうか?
NPCの選択なし。とのことで『スーツ』のオーダー承りました。
職人同士の競い合い、この度は弟サテンシルクの一勝です。
ふたたびご縁が結ばれ巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。