■孤児院院長、たまには頑張る。■
夜狐
【3827】【ロザーリア・アレッサンドリ】【異界職】
「シゥセ?」

――その時、見た目は10かそこらの少年にしか見えない、常は冷静沈着なハーフエルフの背後に、彼を育てた義理の母兼パートナーの孤児院院長は鬼を見た。どす黒い殺気が立ち上っていて、歴戦の傭兵である彼女ですら不用意に反論は出来ない状態だったと言う。

「僕の見間違いでなければ、この貯金箱の中身は、先週の半分になってるよね?」
「…み、みまちがいではありませんか?」

思わず丁寧語で返してしまった孤児院院長・レシィに、にっこり。少年・ヨルは笑顔を返した。ただし見る者の心臓を冷やすような、何とも恐ろしい笑顔だったが。

「見間違いかぁ。そうだったらいいよね? でもねシゥセ、間違いなく、イングリッドの学費が足りない計算になっちゃうのはどうしてだろうね? 先週までは確かに足りてたはずなのにねぇ?」
「け、けいさんまちがいではないでしょうか」

ヨルはやっぱりにこにこと笑顔だった。笑顔だったが、彼は「そうかー、計算間違いかー」と言った後、

「ところで母さん、僕、しばらく家事やめようと思うんだ。ご飯は自分で作ってね?」
「私が悪かった」

――壊滅的な家事センスを持つレシィは、一瞬で土下座の体制に移行した。



**

そう言う訳で、レシィは孤児院から一時的に追い出される羽目になったのだ。
「せめてイングの月謝分一か月分くらいは稼いで来ること! それまで帰ってくるな!」
何しろ彼女の愛してやまない可愛いハニーから厳しくそうお達しが出てしまったのである。それに彼女自身も、一応は反省しないこともない。これでも子供達のことは大好きなのだ。
「母さん、無理しなくってもいいわよ。父さんには私からも伝えるし…」
そんな彼女を町のはずれに見送りに出てきた少女、イングリッドは酷く申し訳なさそうだ。その後ろには、他にも孤児院の女の子達が揃っている。
「…私やジェーンのドレスを買うために、あのお金、使っちゃったんでしょ…?」
「いや、ま、そうなんだけどさ。…うーん、今回ばかりはハニーの言い分が正しいからなぁ」

娘達の、目先の楽しみのために、うっかり学費を使いこんでしまったのだから、それは叱られて当然だろう、と、珍しく反省しながらレシィはそう思う。いくら孤児院の子供が皆、町の子供達のお下がりばかり着ていて、たまのお祭りくらい新しい洋服で着飾らせてやりたいと思ったのだとしても、やっぱり貯金に手を出すべきではなかった。

「…私やイング姉が、祭りのダンスで恥ずかしい想いをしないようにって、母さん気遣ってくれたんでしょ。父さんはそういうところ、ちょっと鈍感だもん」
「鈍感か! いや全く、どうして私が育てたのに、ああもカタブツになったんだかなぁ、ハニーときたら」

少し棘のあるもう一人の孤児院の娘の評にけたけたと下品な笑い声を上げた後、レシィはさてと、と呟いて町の向う側を見やる。にんまりと笑う表情はまるで悪党のよう。

「ガキどもは帰りなさい、ハニーが心配するだろうし」
「…母さんはどうするの?」

心配そうな娘達に、母はしたたかなウィンクを飛ばして見せる。

「私はこれでも元魔女、元傭兵だぞ? 心配しなくったって、お金を稼ぐ方法なんて沢山あるんだからな! 例えばそう、悪魔退治とか、モンスター退治とか」
「ホントに大丈夫、それ?」
「大丈夫だいじょーぶ! 帰ったらいっぱい武勇伝聞かせてやるから、待ってろよ!」

さて、目指すは近場の大きな街。酒場に行けば、儲け話のひとつもあるだろう。
司書さんのお仕事


 図書館の大掃除。提示された内容に、大剣を背負った灰色の女はうん? と不思議そうに首をひねった。
 場所は酒場から離れた郊外、人の手の入った等間隔な木々の間には、馬車が1台通れる程度の道が整備されている。そこを歩く灰色の女は、木漏れ日に踊るような金髪をした女を胡乱な目で見遣った。
「…えーと、私の聞き違いか? 掃除っつった、今?」
「言ったよ? あたしが依頼したいのは、『図書館の大掃除』」
「…すまん、家事苦手なんだよな私。他当たった方が良くないか」
 随分と素直な人だ、というのが金髪の女性――ロザリーこと、ロザーリアの素直な感想であった。開いた本を読む様な、という形容があるが、まさにそれ。尤も、彼女の場合は頭の上に生えた猫耳と、外套の下で揺れる尻尾のせいでもあろうが。表情以上に如実に女の感情を示して見せるそれらを横目にしつつ、ロザリーは彼女の問いに、行く先を示すことで答えとすることにした。そろそろ森の向こう側、木々の切れ間に目的地が見え始めたからだ。ロザリーにとっては見慣れた風景だが、あれは知らぬ人間には大体驚かれる異様であるらしい。
「あれがあたしの仕事先。掃除して欲しい図書館だよ」
 そこにあるのは、巨大な建造物。ただ本を納めるという目的の為に執拗かつ強引な改築と増築を繰り返した結果、歪にさえ見える「図書館」である。案の定、初見である灰色の女――レシィは唖然とした顔をし、それからゆるりと、ロザリーへ視線を戻した。
「……とりあえず、何か尋常じゃない仕事だってのは分かった」
 分かって貰えて何より。

 見た目から既に異様としか言いようのないこの巨大図書館は、ロザリーの勤務先である。国内外どころか異世界のものすら蔵書にはあると言われる、禁書と魔術書の巣窟のような場所で、扉を開けるとそれだけでも独特の空気が訪問者を圧倒する――らしい。ロザリーはすっかり慣れ親しんだ場所であるから、然してそんな違和を感じた覚えはないのだが。
 そんな迷宮(ダンジョン)染みた図書館の一角で、ロザリーはくるりとホルスターから拳銃を抜き、無造作とも言えるような自然な所作で書架のひとつへと向けた。銃口の先には、空飛ぶ人形がけたたましい笑い声をあげている。銃声は三度、的確に撃ち抜かれてひらりひらりと人形は床に落ち、そして煙の様に消えてしまった。ふぅ、と息をついたところでそのロザリーの頭上に影が落ちる。
 はっとして振り仰ぐと、ロザリーよりも頭二つ分は高い書架の上から、眼も口も無い蛇のようなモノが姿を現していた。銃を構え直そうとするより早く、その更に上から灰色の影が落ちて来る。
 この建物の特性上、最早使われなくなった階段が天井付近に半端に設置されていることも珍しくは無いのだが、その半端な位置の階段から飛び降りてきたらしい。灰色の髪を鬣のように靡かせ、
「そぉれ、どっかーん!」
 気の抜けた声と共に、蛇モドキの頭が叩き潰される。潰れるとそれは先の人形同様、煙の様に消え失せ、床からむくりと立ち上がる女の姿だけが残った。彼女は自身の身長ほどもある巨大な大剣を肩に担いで、ロザリーへとその灰色の視線を向ける。
「これでここの連中は終わりかな? どう?」
「うん、粗方片付いたみたい。助かるよ、レシィ」
「なーに、こういう『掃除』ならお手の物だっ…と」
 言いながら大剣を下ろそうとしたレシィが、慌てたように手を止める。大剣をそっと書架に立て掛け、彼女は床に落ちていた本を拾い上げた。
「危ない危ない、潰すとこだった」
 本のタイトルはレシィには読めない文字で、およそ魔術書の類であろうと知れた。手渡されたそれを書棚へ戻すロザリーが苦笑を零す。
「異世界の農業についての魔術書なんだよ。多分、この部屋の『暴走』の主犯はこの子だな」
「農業?」
「うん、でっかいミミズが居たでしょ」
 あれで荒地を耕すんだって、豪快だよねぇ。
 ロザリーの解説に、今度はレシィの方が苦笑する番だった。
「呑気だなぁロザリーは。こういうこと、よくあるのか?」
 こういうこと、と端的に示された内容が一瞬分からずに、ロザリーは小首を傾げる。色彩を「持たない」レシィとは対照的に、彩られた彼女の帽子の羽根飾りが、埃の舞う図書館の中で揺れた。
「こういうことって言うとつまり、――ああいうこと?」
 ロザリーが指差した先には扉があった。半端なことに、女二人の身長よりさらに高い位置に設置されている奇妙な扉である。その扉が僅かに開いていて、そこからじっと、エプロンドレスの少女が二人を窺っていた。水色のワンピースに清潔感漂う白いエプロン。
「こらー、早く本の中に帰らないと、キミも封じ込めるよ!」
 脅しとも取れるロザリーの言葉に、小柄な少女は扉の向こうへと引っ込んでしまった。それを見送り肩を竦め、ロザリーは再度レシィを振り返る。
「…この図書館、どうもたまにああして本を抜け出しちゃう子がいたり、魔術書の暴走が起きたり、召喚術が暴発したりするんだよね。『よくある』とまではいかないけど、そこそこ慣れちゃう程度には」
 嘆息交じりの説明が全てを物語っていた。
 ――要するに、レシィが「図書館の掃除」という、傭兵への依頼としてはいささか場違いな仕事を任されてここに居るのもそれが原因である。ロザリーの求めていた「掃除の手伝い」とはつまり、この奇妙な図書館を飛び回る「本」の暴走を強引にねじ伏せるための戦力だった訳だ。
「司書ってのも大変な仕事なんだなぁ」
 笑いながら大剣を抱え直し、エプロンドレスの少女が消えた扉に向けて、レシィが床を蹴り飛び上がる。大剣の重量を抱えているとは思わせない跳躍で書架の上に飛び乗り扉を開く彼女を追うように、ロザリーも笑いながらひらりと床を蹴る。
「分かってくれる? ならもう少し付き合ってよ」
 直線的で力づく、といった風情のあるレシィと大局的に、羽織った外套を翻して軽やかに舞い上がる姿は一幅の絵にも似る。子供達が見たら目を輝かせそうだ、と、口笛を吹きながらレシィはそんなことをふと思う。
「なーロザリー、ここって子供向けの本はあるのか?」
 そのせいだろう。扉をくぐりながら、レシィはそんなことを問いかけていた。
「え、ああ、んーと。絵本なら多分次のフロア」
「そっか。仕事終わったら借りてっていいかな。身分証明とか利用料とかそういうの必要?」
「ううん、仕事手伝ってくれるんなら全然おっけーだけど…」
 ぱちぱち、と、二度、三度と瞬いたロザリーが口を開いたが、彼女の言葉は即座に呑みこまれた。馬鹿みたいに高い天井の吹き抜け、渦巻く螺旋階段の遥か上方から、濃密な魔術の気配と同時に――「船」と「海」がまとめて落ちてきたためだ。「暴走」する図書館の本達はゆっくり会話の一つさえさせてくれない積りらしい。
「やれやれ、今度は何だろ」
 首を振りながら、しかし落ち着いた動きでレシィは書架の上に避難している。流されていく机や椅子を横目に、一方のロザリーは高い天井からぶら下がったシャンデリアにひらりと腰をかけて眉根を微かに寄せていた。本の「暴走」に伴う事象ではあるが、後片付けを考えると頭が痛い。唯一幸いなのは、この図書館内で起きる現象が「本を傷付ける」ことだけはない、という一点か。
「…後のことは後で考えるとして、さて、この部屋の『主犯』は誰なんだろ」
 このエリアは主として子供達に親和性の高い、いわゆる絵本が多い。どうもこの図書館の蔵書は、置かれた禁書の影響なのか。ただの本さえこうして時に派手な現象を引き起こす。
「海水浴には確かに丁度いい季節だが、生憎、水着は用意が無いな。早々にお引き取り願いたいところだ」
「奇遇だねレシィ、あたしも同じ意見。――全くもう、どこの本だよ、こんな愉快なことしてくれて!」
「おー、多分原因アレじゃないか?」
 嘆いているのか楽しんでいるのか分からないロザリーの言葉に応えてレシィが指差した先には、小型の古びたガレオン船が水面に浮かび、その周りに侍る様にクラーケンや小型の海竜が鎌首をもたげている。よく見ればガレオン船はあちらこちらが綻び、崩れ、今にも沈みそうな有り様であった。
 相変わらず楽しげに、レシィがその様を見て口笛を吹く。
「っははは! お留守番のチビ達にイイ土産話が出来そうだ、こいつは幽霊船か!」
 長生きしてるけど見た事無かった、とそれはそれは愉快な感想である。一方でロザリーはああ、と軽く額を抑えた。伊達にこの図書館で司書業を務めている訳ではない。彼女は一目で、その船の正体を悟ったのだ。
「『狂吠の海域』に出てくる幽霊船だ。ちょっと厄介だな…」
「面倒な相手?」
「…元は恐怖小説なんだけどね、作者があんまりにも恐怖と狂気を描くことに夢中になり過ぎて、ただの小説なのに読んだ人間を本の世界に引きずり込む奇書と化したっていうとんでもない代物だよ。ウチで封印してたんだけど、この騒ぎで封印が緩んだのかなぁ」
 すらすらと解説だけは楽しげに、しかし困ったな、と言う様子でロザリーは息をつく。そんな彼女と船とをかわるがわるに見遣って、しかし気軽な様子でレシィは担いだ大剣を握り直した。――彼女にしてみれば何を怯えるのか分からない相手だ。いかに封じられた禁書から漏れ出たものであろうと、ただの幽霊じゃないか、と。
「でも、あいつも今までと同じで、倒しちゃえばいいんだろう?」
 ここまでの道程、殆どの部屋でそうしてきたように。
 レシィは大剣を構えたまま、気負いのない所作で書架から飛び降りる。ロザリーが止める間も無く、水面に落ちるかと見えた彼女は水面すれすれのところで何かを蹴って宙を飛んだ。その彼女を追いかけるように、水中から次々とクラーケンの触手や鉄砲魚の水撃や竜の咆哮が襲い掛かるが、そのどれをも、鼻歌でも歌うような調子で彼女は叩き落とし、かわし、捌いていく。
「本命はコイツだろ、落としちまえば全部終わりだ!」
「あーっ、ちょっと、レシィ、駄目! 早まり過ぎ!」
 ロザリーの警告は、ほんの一拍遅かっただけではあったが、それでも遅きに失した。クラーケンの肢を器用に足場にし、幽霊船めがけて飛んだレシィは猛烈な眩暈と耳鳴りに襲われて、空中でバランスを崩す。言語に出来ないような不快感に胸をかきむしりたい衝動にも駆られ、それでも何とか背後から飛んできた水鉄砲をかわして、その辺りにあった書架に飛び乗ったのは上出来と言えただろう。
「…っ、何だよ今のー、気持ち悪いな…!」
 猫耳を両手で押さえた格好になるレシィに怪我が無い様子なのを見てとり一先ず安堵してから、ロザリーはレイピアを構えた。油断なく「幽霊船」を見つめながら、
「…あれは『近寄った人間を狂わせる』っていう設定があるんだよ。並大抵のひとなら近付くだけで少しおかしくなっちゃうんだけど、レシィ、よく無事だったね」
「何それ恐ぇな、『設定』が現実になっちゃう訳か。確かに厄介だ」
 顔を顰めるレシィが見上げる先、シャンデリアをブランコよろしく揺らしながら、ロザリーがマントを翻す。
「それでロザリー、どうすんだ?」
「その船はあたしが沈めるから、周りを抑えておいてくれると助かるかな」
「オーケイ、専門家に任せるとしよっか」
 大丈夫か、などと野暮を彼女は問わない。しょーがない、とつまらなさそうに口を尖らせつつも、レシィは素直に大剣を構え直して、辺りを漂う海の魔物達へと――吠える。
「さて脇役ども、私が相手してやる。脇役らしく大人しくくたばれ!」
「脇役に失礼だよレシィ! 脇役居ないと物語は盛り上がらないんだから!」
「大丈夫だ安心しろ! カッコイイ私の見せ場として倒される訳だから、脇役としての役割は十二分に果たせる!」
 そういう問題かなぁ、と少し思案して、ロザリーはふむと頷いた。一理あるかもしれない。
「じゃあ露払いは頼んだよッ!」
 レシィへそんな風に声をかけて。
 今度こそ、ロザリーがシャンデリアから飛び降りた。

 声ならぬ声。言葉にならぬ言葉。ロザリーも、レシィ同様に船に近付くにつれそうした違和を感じるには感じる。だが自分が相手をする、と彼女が告げたのにはそれ相応に理由があった。
 ――この幽霊船の元ネタ、身も蓋もなく言えば「人間には理解できない異質な言語を発しているために、近付いた人間が発狂する」という「設定」なのだ。そしてロザリーはその出自ゆえ、「言語」に限定せず、そこに「情報を伝播しようとする意図のあるモノ」なら、ジェスチャーでも記号でも音声でも、ある程度のレベルで何となく理解が出来る。理解できてしまう以上、この「設定」はロザリーには通じないのだ。
(つくづくあたしが担当エリアで良かった)
 他の人間であればこの設定に阻まれて、退治は難しかったに違いない。そんなことを考えながら、ロザリーは着地と同時に腰のホルスターから銃を抜く。不意打ちを仕掛けようとしていた物陰の骸骨と幽霊がそれぞれに吹き飛ぶのを横目に、流れるような所作で銃を捨ててレイピアを抜き、マストの上から飛びかかってきた霊達を次々と薙ぎ払う。霊体であるはずの相手だが、ロザリーのレイピアは過たずにそれらを穿ち、切りつけていく。
「…さっきのレシィじゃないけど、雑魚じゃ相手にならないよ。出てきなよ、『船長』!」
 確かこの物語、主犯は幽霊船の船長だったはずだ。そんなことを思い返しながらロザリーが叫ぶのと、一際存在感のある骸骨が大仰にマントを翻して登場するのが、同時。
 ――まるで舞台のようだな、と一瞬思って、似たようなものであることを思いだし、ロザリーは恐らく唯一の観客となるであろうレシィの方へと視線を向けた。彼女は周りの魔物たちをこともなげに大剣で殴り(彼女の大剣は『切る』ではなく『重量で殴る』という、どちらかというと鈍器仕様の一品であった)ながら、ロザリーに気付くとひらひらと手を振って見せる。余裕はある様子である。


 一方のレシィも、幽霊船上をまるで舞台か、あるいは物語を眺めるような心持で見遣っていた。
 はためくマントと、吹き抜けの馬鹿みたいに高い天井から落ちて来る日差しに金髪が光って、
(ああ、やっぱり絵になるなァ)
 子供達には土産話として、これをこそ語って聞かせてやりたいものだが、うまく伝わるだろうか。
 片手間に蛇や竜や海鳥をさばきながら、レシィは幽霊船に着地するロザリーを見つめて、うっとりと思案する。そのまま幽霊船の船長と思しき、仰々しいマントと禍々しい剣を構えた骸骨とロザリーが一騎打ちを始める頃には、周りの雑魚は粗方片付けて、かといって幽霊船に近付く訳にもいかず、灰色の女は書架の上でのんびりと観戦に回っていた。骸骨の剣をかわし、鋭くロザリーがレイピアで一閃すると、骸骨の腕がぼろりと崩れる。
「お、勝負あったか。対魔術能力が高いんだなぁこうやって見てると」
 相手は本の中の被造物といえど幽霊だ。並みの武器では傷付けることが難しい。それを容易にこなしているロザリーの戦いぶりに、レシィは人の悪い笑みを浮かべながら、思う。
(うーん、戦ったら面白そうだけど、さすがに仕事中に喧嘩売れないしなぁ…)
 まさか観客席の悪党がそんなことを真剣に考えてるとは思いもよらぬ様子で、崩れていく骸骨と、それに連動して消えていく幽霊船の上で、ロザリーがカーテンコールよろしく、膝を折って一礼。
 ――万雷の拍手の代わりには、出現していた「海」が消え、浮かんでいた机と椅子が落ちて来る豪快な――ロザリーにとってはいささか憂鬱な――音が、響き渡った。






 その後も迷宮の「掃除」は続いた。歴史上の人物達とダンスパーティに興じ、あるいは魔物を倒し、「わるいまじょ」を竈に放り込み、幾何学模様の部屋でパズルを解く。
 ――最後の一室の「掃除」を終える頃には、とっぷりと陽もくれてしまっていた。
「いやー、まさか最後に推理小説形式の『禁書』なんてへんてこな代物に遭遇するとはね…」
「密室で危うく毒殺されるとこだったね、レシィ。危なかった」
 そんな会話と共に迷宮図書館のエントランスに無事に遭難もせずに戻ってきたところで、レシィは約束の報酬を受け取った――のだが。


「はい、これ。報酬」
 手渡された皮袋の思いもよらぬ重たさに彼女は灰色の眼を瞠った。それから怪訝そうに眉を寄せる。
「…もしかして私、悪事の片棒でも担いだのか?」
「え? いや、単に今回のお仕事の報酬だけど」
「いや、だって…え? この重さって金貨…え?」
「相場だよ、これくらい。今日一日でほとんどの場所の掃除がお陰で終わったし」
 迷宮図書館の司書業は、本の知識と冒険者並の身体能力が求められる過酷な現場である。それを手伝わせたのだから、ロザリーにしてみればしごく当たり前の報酬の積りだった。
 あっさりとした様子のロザリーに対し、何故かしばらくレシィは挙動不審だった。皮袋を置いてみたり、持ってみたり、辺りを見渡してみたり。
 ――正直、魔物と対峙している時よりも余程怯えているようにさえ見える。
「え、ええと。足りなかった?」
「滅相も無い!!」
 ぶんぶん、と首を全力で横に振るレシィに、ロザリーはただただ怪訝そうな視線を送るばかりである。それからふと思い出して、彼女は付け加えた。
「あ、そうだ。本、貸出希望だったっけ」
「…こ、こんなに報酬を貰った上に本まで借りて良いので…?」
「……何で急にそんな低姿勢なの、ちょっと怖いよ」
 余程、金銭に関して切羽詰った事情があったのだろうな、とは思ったのでロザリーはそれ以上触れない。代わりに、カウンターに入って古びた整理棚を開いた。埃ひとつなく磨かれた木製の仕切り棚には、無数の「貸出カード」が納められている。
「子供向けの絵本が希望だった?」
「え、ああ…」
 そこでようやく、呪縛から解かれたようにレシィの瞳が焦点を結んだ。それでも酷く恐る恐る、という様子で皮袋を自分の荷物に仕舞い込みながら、
「子供向けの絵本と、あとそうだな、小説があれば。確か冒険物のシリーズの最新作が出てたと思うんだけど、在庫あるかな」
 町の図書館だと半年待ちもザラだからなぁ。
 ぼやきと共にレシィが口にした小説のタイトルに、面はゆいような、何とも言えぬ気分に襲われてロザリーはカードで口元の笑みを思わず隠した。
「…そのシリーズなら、最新作まで在庫ありだよ」
「そいつはラッキー。娘が喜ぶ」
「娘さん、好きなんだ? そのシリーズ」
 書架の位置を地図に書きいれてレシィに渡しながら、さり気ない様子でロザリーが問いかけると、ん、と何でもない事のように、
「まぁね。新作を欠かさずチェックしてるよ」
 答えたレシィは片手をひらりと振って去っていく。またね、と能天気な様子で言う彼女へ手を振りかえしながら、さて、とロザリーはカウンターの椅子を引いて腰を下ろす。新しい蔵書を読み込もうと思っていたのだが、口の端がどうにも緩んでしまうのが抑えられない。
 恐らくレシィは、絵本とお目当ての小説を抱えてもう一度このカウンターに戻ってくるはずだ。その時にでも提案してみようかどうか、ロザリーは本の世界へ意識が落ちていくその寸前に、考える。
 ――その小説にサインを入れて、プレゼントしようか、なんて。
 報酬を受け取ってあれだけオロオロする彼女だから、そこまでサービスしたら逃げ出してしまうかもしれなかったが。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 3827 / ロザーリア・アレッサンドリ / 女 / 異界職(迷宮司書)】



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