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■escapes■

涼月青
【1122】【工藤・勇太】【超能力高校生】
「ひたすら逃げるっていうゲーム、したくねぇ?」
 いつものネットカフェのカウンターテーブルに行儀悪く腰掛けているのは、見知らぬ少年だった。
 店長のクインツァイトは留守にしているのか見当たらない。
「あー、俺、リアル専門な。ネット云々は詳しくねぇし、今回は『降りる』の無し」
 トライバル柄の入った黒のパーカー。フードを被り目元を隠している見た目からも怪しい少年はそんな言葉を続けて、ひらひらと目の前で右手を振った。少年の言葉通りだと、電脳世界に降りるのではなくこの現実で何かをしなくてはならないようである。
「ココがスタート地点で、ゴール地点でもある。今から俺はココを中心にお前らにしかわからねぇ結界を張る。そん中で、ひたすら逃げまくって、出来れば逃げ切ってココまで戻ってきてくれ」
 胡座をかいたその足の下、カウンターテーブルにトントン、と指を当てて、彼は楽しそうにそう言った。
 少年の言葉通りだとあまり良くない状況のようだが、彼からはそう言った緊張感が感じられなかった。
「逃げるって、何から?」
「お、良い質問だな。んじゃ、ちょっと下がっててくれ。危ねぇしな」
 彼はそう言いながら軽々とその身を翻して、カウンターの向こう側へと飛び降りた。その際、被っていたフードが肩に落ち、少年の姿が露わになる。
 銀髪と赤い瞳。それだけでも印象深かったのだが、彼の右の額から頬骨にかけて、衣服と同じようなトライバルの刺青がありその場で『蠢いて』いる。どうやら彼はそれを隠すためにフードを被っているようであった。
「おっと……まだだ。出るな」
 少年はそう言いながら右手を頬に当てた。やはりその刺青は生きているようで「グルルル……」と犬の唸り声のようなものが聞こえる。彼は若干苦しそうにしながら、それを抑えているようであった。
「それって、犬……?」
「あ、いや、正確には狼だな。少し前にこいつに喰われちまってよ。それ以来共存してるってわけ」
 少年はあっさりとそう告げた。
 あまりにも簡単に片付けられてしまい、聞いていたほうが面食らう状態でもあった。だが、少年はそこからの詳細を話そうとはしない。
「つまりは、それから逃げろと?」
「そうそう、悪いけどコイツの『散歩』に付き合ってくれ。逃げるだけでいい。そしたらコイツが追いかける」
「さっき、喰われたって言ってたけど……危なくないの?」
「だから、逃げろって言ってるだろ? 追いつかれたらあんたら終わりだぜ」
 少年は小首を傾げつつ口元に笑みを湛えたままでそう言った。その笑みが、怪しげな雰囲気をひたすらに広げて、不安な空気を生み出していく。
「まぁ、なんだ。逃げずに戦うっていう選択肢もアリだ。ただその時は最初から殺す気で掛かって来てくれ。気絶させようとかそう言うのは一切無しな。だから、戦うなら――殺せ」
 ゆっくりとダルそうに言葉を続けていた少年の赤い目が鈍く光る。たったそれだけで、己の体が戦慄するほどだった。すると少年はまた浅く笑い「悪ぃ、なんかダークっぽくなっちまったな」と言葉を繋げる。
「いいか? あくまでも『逃げる』のが目的だ。それを忘れんなよ」
 少年はそう言いながら、すっと右腕を上げた。掲げられた手のひらから放たれるものは、先ほど彼が言っていた結界である。薄い膜のようなものが一気に広がって、目にも留まらぬスピードで屋内を抜けていく。
 それぞれが天井や壁を見渡していると、少年の方向からどす黒いオーラが湧き上がるのを感じてまた視線を戻す。

「――じゃ、始めるか」

 少年はそう言いながら人差し指にあるいぶし銀の指輪を静かに外した。
 直後、ゆら、と少年の頭上で揺れる大きな影。
 それは彼の言った通りの、狼の形を象っていた。
escapes


 その場に集まったメンバーは、中々に色んな意味で『異色』であった。
 学校帰りにたまたま寄っただけであった勇太は居合わせてしまった為に強制参加、千影はフードの少年――ナギの気配を感じて立ち寄り、大福と晶は野生(?)の勘と言うもので此処に辿り着いたらしい。ちなみに野生とは真っ白なチンチラの姿である大福の感性からのようだ。
 そして。
「お前もカウントでいいのか?」
 ナギが最後に視界に入り込んできた『彼』にそう向かいながら言った。視点は大分低い位置にある。
「何言ってやがる、お前の目は節穴か? それとも良からぬこの計画のせいで目が濁ってんのか? 俺様はそれを正すために此処に来たんだぜ」
「……被りモンかぁ?」
「おいコラ、話聞けよ! ……っていうか、耳引っ張るな!」
 ナギがカウンターから腰を下ろして、『彼』を珍しそうに触った。すると周囲の者達も釣られるようにして集まってくる。
「これって、ぬいぐるみ?」
「クマちゃんかわいい〜! チカも触っても良い?」
「リモコンか何かで動いてるの?」
「アキラー、アキラ! ボクもクマにさわってみたい!」
 四方から振りかかる声。
 誰の目から見てもクマのぬいぐるみである『彼』はその体に黒スーツを着用しサングラスをかけている。
 名前は田中哲夫というらしいのだが、
「その名を口にするな。俺の名はブラッティベア――IO2エージェントだ……って、お前ら俺様を気安く触るなぁ!!」
 と地の文ですら否定をするほど本名を嫌っているらしい。
 短い手足をばたつかせながら群がる他のメンバー達に向かって抵抗を見せるが、口調こそ乱暴なもののどうにもそれ以上が見られない哲夫を、誰も『可愛い』以外の言葉で表現しようと思えなかった。
 そうこうしているうちに、千影が哲夫をひょいと抱き上げて、くるりと向きを変える。
「うおっ!?」
 ぐりん、と真横に視界が回転して、思わずの声が漏れた。
「こんにちはクマちゃん、あたしはチカだよ。貴方のお名前は?」
「……田中哲夫です」
 あっさりとフルネームを告げる哲夫。
 ある意味、向かうところ敵なしである千影には哲夫の貫く『渋さ』がスルーされたと言ってもいいだろう。
「あー……どうでもいいんだけど、ゲーム開始してくれよな、お前ら。取り敢えず参加メンバーも把握したし、スタートしてくれ」
「おいクソガキ! 首を掴むな!!」
 がし、と哲夫の首の後ろ……というか肩口を掴んで千影から引き離したナギが、そう言った。
 哲夫が暴れながらそう言うも、ほぼ無視の状態である。
「離せ! 離しやがれ!!」
「わかったわかった。――じゃあ、また後で、なっ!」
 ナギは哲夫を掴んだままガラリと窓を開けて、彼の身体を放り投げる。
「あーーーー……っ!!」
 ヒューン、と音を立てて宙を舞い、キラーンと姿を消す哲夫。
 漫画のような展開に呆気にとられている他のメンバーは、口出しすら出来ない状態であった。
「哲夫ちゃんズルーイ! チカも行くーーっ!」
 唯一、状況を理解していないらしい千影が楽しそうにしながら外に飛び出した。それと同じくして、ナギの頭上に存在し続けていた影の狼が一歩を駆け出す。
「ほらほら、お前らも行ってくれ。取り敢えず哲夫と千影を先に追いかけるだろうけど、この場に居た奴は全員追いかけるからな、コイツは」
「え、えぇー……」
 なんて無茶ぶりな後付だ、と思いながら勇太もネットカフェを出て行く。
「にげるの、がんばる!!」
「……頑張るの、俺なんだけどね」
 最後になった晶とその彼の肩口にちょこんと座りながら意気込む大福を見送りながら、ナギは言い知れぬ脱力感を身体から漏らしつつ、ベランダを蹴った。
「俺の想像としては、もっと緊張感バシバシの展開だったんだけどなぁ……」
 空気抵抗を一切受けずに彼はビルの屋上に立つ。
 そして狼が走り去っていた方向を見て、はぁ、とため息を零した。

 長い滞空時間を飛んでいると哲夫は思った。
 あの怪しげな少年、手首のスナップとコントロールは中々のものだ、とも思っては見るが現実に飛ばされているのは自身であり、何故投げ飛ばされたのかも分からない。理不尽である。
「くそっ……俺は天下のIO2エージェントだぞ! こんな悪の手に負けてたまるかぁーー!!」
「……うわっ!?」
 大きな大きな弧を描いて、地上に落ちてきた哲夫をキャッチしたのは後から走ってきたはずの勇太だった。
「ナイスキャッチだ、少年」
「た、田中哲夫……」
「俺はブラッティベアだ!!」
 走りながらの会話が続く。
「中身どうなってんの?」
「だーかーら! 耳を引っ張るな! ……っていうか、おま……なんでアイツ引き連れてきてるんだよぉ!?」
 勇太が哲夫の耳をぐいぐいと引っ張っていると、背後から咆哮が聞こえた。
 肩越しに振り返れば、百メートルほど離れてはいるが、あの狼が迫ってきている。改めて見ると、普通の狼の三倍ほどの大きさであった。
「おい少年、もっと早く走れよ!」
「いや、これでも全力だよ! っていうか、哲夫さん走れないの?」
「ブラッティベアと呼べ!!」
 何とも感嘆符が抜け切られない会話である。
 勇太は哲夫を抱きかかえながら走り続け、一つの建物の角を曲がった先に『それ』はあった。
「あからさまにわざとらしいバナナの皮……! 俺がそんなトラップに引っかかるとでも……っ」
 走り続ける勇太の足の先にあったものは、彼の言うとおりに明らかにわざとらしいバナナの皮であった。何故設置されているのかは分からないが、勇太はそれを見てニヤリと笑い、軽やかに横に飛んでみせる。
 だが。
「あれ?」
「……オイ!!」
 次の瞬間には地面の感触を足先に得るはずであった。
 その地面が、無かった。
「アッーーーー!!」
「少年っ! なんつーお約束なんだよっ!! つーか、俺を巻き込むなあぁぁ〜〜っ!!」
 二人の声が重なり、反響する。
 勇太がバナナの皮を避けた先には偶然にもマンホールの蓋が開いた状態であり、彼は抱きかかえたままの哲夫とともに落ちていった。
「?」
 勇太を追い続けていた狼はその場で立ち止まり、犬が見せる仕草のように首を傾げてから、フンフンと鼻を鳴らして匂いを追う。
 そして一つの気配を感じ取った後、再び顔を上げたところで横から飛び出してくる影があった。
「わんちゃーん!」
「!?」
 狼の首元に僅かな重みが生まれた。
 細い腕を回してそれに抱きついた存在がいる。千影だ。
「やっと見つけた〜! 走るの早いんだね!」
「……? !?」
 狼は明らかに狼狽しているようであった。
 このような事態になるなど、予想もしていなかったのだろう。
「お話出来る? お名前は?」
「ガルルル……ッ」
 千影は恐れを全く感じていないのか、笑顔のままであった。
 狼が唸っても、ビクリともせずにいる。
 彼女には無限の能力が備わっている。それ故に、『恐れ』そのものが無いのかもしれない。
「――千影」
「あっ、ナギちゃん」
 狼の首元にしがみついたままの千影に、声が掛かる。
 千影は視線だけを動かし、その主を確認してまた笑った。
「あー……もー……お前だけは、ほんっとに規格外だから、困るな」
「チカ、この子とお友達になりたいの」
「んー、まぁ、それはまた次の機会にな。取り敢えずこのままじゃ『散歩』が終わらねぇから、そいつを離してやってくれ」
 ヒョオ、と風が吹いた。
 周囲に人気が無いのは、ナギの結界が働いているためだ。
 狼は小さな少女にしがみつかれたまま唸り続けているが、身動きがとれない状態でもあり、苛立っているようであった。本来なら非常に危険な状態でもあるが、ナギは焦りを見せてはいない。千影の能力を知り尽くしているが故であった。
「千影、今は『鬼ごっこ』の途中だろ?」
「あ、そっか……。ねぇナギちゃん、この子お空は飛べる?」
「ジャンプの滞空時間が長いだけで、飛べねぇよ」
「じゃあ、チカも飛ぶのやめるね」
 そう言いながら千影が狼から離れたところで、ナギが片腕を上げた。それで、狼の動きを止めている状態であった。相当の力がいるのか、彼の眉根が寄っている。
「……ナギちゃん」
「五つ数えるから、行ってくれ。今度はうまく逃げ切って帰ってこいよ」
「はぁーい」
 千影がナギの様子を気にして声をかけたが、彼は敢えてそれを無視して言葉を続けた。
 影の狼が牙を向く。
 チラ、と横目で見ながら、千影はそんな返事をして、彼らから一歩を離れる。
「一、ニ、三……」
 ナギが数を数え始めた。
 千影はそれを合図にして、地を蹴り走りだした。一歩がバネのように伸びて、あっという間に距離が生まれる。パルクールのような動きの千影を見送りつつ、ナギは腕を振り下ろした。
 すると、狼も一瞬でその場から姿を消す。
「……はぁっ」
 がくり、と膝が折れた。
 狼の制御にはかなりの体力を削られるらしく、ナギの顔色が悪い。
 肩を揺らしつつ息を整えて、彼はまたゆらりと立ち上がった。
「しょっぱなからこれじゃ、さすがの俺もお手上げだぜ……」
 そんな事を苦笑しながら漏らしつつ、前を見据える。メンバーの誰一人として怪我をさせるわけにはいかない。こんな危険なゲームを仕掛けておいて今更何を、と自分でも思うがそれでも『散歩』は続けなければならなかった。
「……そういや、勇太と哲夫はマンホールに落ちた後に気配消えたな。テレポートでもしたのか?」
 ポン、ポンと地を蹴りまたビルの屋上に上がる。
 そしてゲームの流れを把握するために気配を追った。
 千影が四方に上手く逃げて、狼の動きを翻弄しているところだった。
「あれ、……うわ、オイ」
 ナギの口からそんな言葉が漏れる。
 気配を追った先に結びついたもの。千影を覗く四人(三人と一匹)の気配が突然ぶつかりあったのを感じ取ったのだ。
「あーもう、ある意味最強だよお前ら……っ」
 その場で状況を読んでから、彼はまた地を蹴る。フルフルと肩が震えていたのは怒りのそれではなく、笑いの延長上であったのだが、それを知るものは誰もいかなった。

 時間にして、数分前。
「アキラー! もっとはやくー!」
「や、物凄く精一杯だよ……!」
 商店街を必死に走り抜けているのは晶。彼の肩口から頭に移動して、楽しそうにしているのは大福であった。
「うおお、たかーい! よい、ながめ〜!」
 前足で晶の茶髪を掴んで、キャッキャとはしゃぐ大福。狼に追われているという事自体、忘れ去っているようであった。
 ふ、と彼らの頭上に一つの影が生まれた。
 それを見た晶は青ざめるが、影は彼らを追い越して一瞬で前方へと移動していく。
「あ、あれ……さっきの、女の子……?」
「狼ちゃん、こっちだよ〜!」
 彼らの頭上を飛び越えたのは千影であった。身軽に跳ねて、くるりと弧を描いて数メートル先にある歩道橋の手すりの上へと足を向ける。
 その際、ひらり、とスカートの裾が舞った。
 その瞬間に顔を上げてしまった晶は慌てて自分の手のひらで視界を覆い、うっすらと頬を染める。
「見てない……俺は見てないよ……!?」
「わー、アキラの、えっちー!」
「見てないって!! っていうか、そんな言葉どこで覚えてきたの、大福!?」
 ぐいぐい、と晶の髪の毛が大福によって引っ張られた。
 大福は楽しそうにしながらそんな言葉を放ち、それを耳にした晶は慌てて彼(?)を手のひらに降ろして涙目で口を軽く塞いだ。
「むぐぐ……」
「……ん、あれ? また影……うわぁっ!」
 晶の頭上に再びの影が生じた。
 それに気づいてすぐに顔を上げたところで、『降ってきた』のは勇太と哲夫だった。
 どさどさっと音を立てて、晶と大福の上に重なるようにして落ちた彼らはどうやら勇太のテレポートによって移動してきたらしかった。
「い、たた……っ」
「くそっ、どうなってんだ……!」
 背中から落ちて晶を下敷きにした彼らは、それぞれに言葉を漏らして地面に転がった。
 大福はギリギリのところで晶の手から逃げ出して、ちょこんと彼らの横に座り「だいじょうぶ?」と晶の頬をペチペチと叩いている。
「……い、一体、なにが……」
 見事にべしょっと地面に沈み込んでいる晶が突然の状況に追いつけずにそんな声を漏らす。
 その数秒後。
「ねぇねぇ、そんなところで寝てたら危ないよー?」
 少女の声が降り掛かってくる。
 そうだ、自分たちは今、逃げているのだ。
 ――謎の狼から。
「うわあああぁぁ!!」
 眼前に迫るそれに、同時の叫び声が上がった。大福は事の事態を把握していないのか「おお〜っ」と感嘆の声を上げて目をキラキラとさせていた。
「おい少年ッ、さっきのアレやれよ!!」
「む、無理だって……! すごい体力使うんだから……!」
「っていうか、なんで俺を差し出す!! 立って逃げろよ!」
「いやだから、立てないんだって……!」
 哲夫と勇太の言葉が飛び交った。相当焦っているらしく、それぞれが大変なことになっている。
 狼は彼らの傍に迫っていた。ガルルル……と唸り、一歩一歩をゆらりとした歩みで寄ってくる。
「お、俺達食べても、美味しく無いと思うよ!?」
 震える声でそう言ったのは晶。恐ろしいと思いながら、彼は傍に居た勇太と哲夫を抱き込んで庇う姿勢を見せる。大福は晶の肩口に登って、服の影から狼を見ていた。
 狼の口が大きく開く。
 逃げる術は無い。
「……ッ」
 数メートル離れた歩道橋でそれを見ていた千影が、表情を変えて彼らに向かい飛んだ。
「…………!!」
 万事休す。
 男性陣の誰もがそう思った。
 その、数秒後。
 
 ――バチンッ!!

 そんな、空気を弾くかのような音が鳴り響いた。
「……はぁー……なんで俺が真打ちみたいになってんだ……」
 ぼそり、とそんな声が聴こえる。
 その声にそれぞれが閉じていた瞳を開く。
 彼らの前には右腕を宙にかざした姿勢のままのナギがいた。彼の手のひらから青白いシールドが張られて、狼の口をそれで防いでいる。
「ナギ、さん……?」
「――お前らなぁ、なんで非戦闘員ばっかりなんだよ? 危なくなったらあいつに攻撃しろって言っただろ」
「ば、バカにすんなよ! 俺はいつでも戦えた!!」
 ナギの言葉に反抗するのは哲夫だった。そして彼はお腹に隠し持つ銃をようやく取り出して、戦闘スタイルを取る。
「田中哲夫。お前のその姿勢はイイ感じだと思うぜ」
「だから、俺はブラッティベアだ!!」
「はいはい。じゃあブラッティベアさん、あいつにちょいと血ぃ見せてやってくれ」
 がし、と哲夫の頭がまた掴まれたかと思えば、その体は何かに乗せられた。
 哲夫は驚き足元を見る。
「……へ?」
『哲夫ちゃん、しっかり掴まっててね』
「はぁぁ!?」
 哲夫は漆黒の獣の背の上に居た。
 次に聞こえてきた声に覚えがあるが、『少女』の姿ではないそれに動揺する。
「じゃあ千影、頼むな。アイツの興味逸らして、ここから距離取ってくれるだけでいい」
『はーい』
「え、うわっ!? なんで!? っていうか、うわオイ、ちょっと待てぇぇ!!」
 それは、千影の真の姿である黒獅子であった。
 哲夫を背に乗せて、ナギの言葉に返事をして彼女はその場を飛び立っていく。
 すると狼は千影に反応して、彼女を追った。
「うわ〜……」
「す、すごい……」
「わ〜〜っ チカゲすごい! テツオかっこいい!」
 地面に座り込んだままの勇太と晶、そして大福がそれぞれの感想を述べた。
 それを確認してから、ナギは静かに腕を下ろす。
「……ナギさん、腕……!」
 彼の震えた右手の異変に気づいたのは晶だった。
 先ほどシールドを発生させたナギの右手の甲に走るものは浮き上がる脈のようなもの。あの狼を抑えるのにそれでだけの負担があるのだろうか。
「だ、大丈夫?」
「ん、俺のことは気にしなくていい……。それより、勇太も晶も、戦おうと思えば出来たはずだ。なんで動かなかった?」
「だって……あの狼、ナギさんと繋がってるんだろ?」
 表情を隠しつつ彼らにそう言えば、勇太がそんな言葉を返してきた。
 右腕は左手で内側に引いて隠していたが、それを制して腕を引いたのは晶だった。彼は小さく何かを呟いて、ナギの右手に自分の手をかざしている。
 ふわ、と緑色の柔らかなオーラが発せられた後、ナギの右手はじわりと治癒し始めた。
「……お前らなぁ、お人好し過ぎだって」
「今更だけど、あの狼って何なの?」
 ドン、と空中で音がした。
 哲夫が狼と交戦しているらしい。
 それを見上げながら、勇太が問う。
「無茶苦茶なゲームだと、俺は思ったよ。だって、最終的にはナギさんが一番危ないってことだろ?」
「!」
 彼の言葉に肩が揺れた。それを間近で見たのは晶であった。
「ナギ、なきそうなカオしてる。かなしいのか?」
 いつの間にか、大福が晶の腕を伝ってナギの肩口へと移動していた。そして彼の顔を覗きこんで、大きな丸い目をきゅるりと動かす。
「あ〜……お前らほんと、なんつーか……侮れねぇわ……」
 かくり、とナギの頭が垂れた。
「……まぁ、ちょっとな。過去に捜査で失敗してさ、仲間が喰われそうだったから俺がそれを助けたってわけ。俺、人間じゃねぇしさ、バケモンみたいなモンだから、耐えられるだろって思ってな」
「消すことは出来ないんですか?」
 晶が続ける。いつの間にか治癒は終わっていて、ナギは右手を不思議そうに眺めてきちんと動くことを確認してから、再び口を開く。
「あんま詳しいことはまだ話せねぇけど、なんつーか、アイツとは契約みたいなもんが成立しててな。まだもうちょい時間が必要なんだ」
 狼を消すこと自体は簡単なんだ、と彼は独り言のように言った。
 だが、自分の体に巣食っている状態であるので、それも容易には実行できずにいるようである。
「うわあああ!!」
「!」
 頭上で叫び声が聞こえた。
 哲夫のそれだった。
 皆が慌てて声の方向へと視線を向ける。
『……あっ、哲夫ちゃん……』
 ひらり、と華麗に宙を舞うのは翼の生えた黒獅子のみ。
 狼との距離を取りつつ移動していたようだが、その背に哲夫の姿が無かった。
「え、喰われたのか……?」
 ナギが焦りの表情を見せる。
 だが、次の瞬間には、それが呆気の表情に変わった。
 遠心力か何かで千影の背から身体を浮かせてしまった哲夫は、その場で狼に一度は喰われた。もぐもぐ、と狼の口が動いたかと思った数秒後、ペッと吐き出すのを見てしまったのだ。
「……くそがあぁぁ!! よだれまみれになっちまっただろうがぁぁ!!」
 吐出された直後、哲夫はそんなことを言いながら遠くに飛んでいってしまう。方角的には、ネットカフェのあるほうだった。狼はそれを見て、彼を追うために走り去っていった。
「うわ、ヤベっ。おいお前ら、戻るぞ!!」
「あ、うん……」
「千影、戻るぞー!」
『はーい。じゃあ勇太ちゃんと晶ちゃん、乗せてあげるねー』
 上空で待機をしていた千影が獣の姿のまま降りてきた。
 そして勇太と晶をその背に乗せて、また地を蹴り宙へと浮かび上がる。
「うわぁ〜すごい、たかい!」
 素直に喜びを表現しているのは大福であり、他の二人は戸惑いながら獅子の背に乗っていた。
 そして彼らは、スタート地点であるネットカフェに向かって空に駆けていった。



「誰か裁縫できる人ー」
 ナギがそう言うも、その場で手を上げるものはおらず。「しゃーねぇな、ある程度乾いたら俺がやるか」と溜息を含みながら彼は続けた。
 狼によってボロボロになった哲夫はネットカフェ内でナギが丁寧に洗ってやり、今はドライヤーの風に当てられているところであった。
「くそっ覚えてろよ、あの狼……っ」
 哲夫は始終不満そうであった。あの後も狼に何度か噛まれたり転がされていたりと完全に遊び道具と認識されていたことに、腹を立てているようである。
「哲夫ちゃんって、サングラス取ったらおめめがまん丸。かわいいね〜」
「かわいい、かわいい!」
「俺に可愛いとか言うな……っ」
 洗われたために黒のスーツやサングラスを取り払われた状態である哲夫は、普通に可愛いクマのぬいぐるみであった。それを見た千影と大福が嬉しそうに言う言葉に対して、やはり哲夫は反抗してくる。だが、まんざらでもないのか言葉にはそれほどの強さは見られなかった。
「……ところで、狼は?」
「あ、さっきナギさんの身体に戻っていったのは見たけど……」
 ついでだからと哲夫のスーツを手洗いして、ベランダにある物干し竿に干す作業をしていた勇太がそう問えば、後ろで手伝っていた晶がすぐに返事をくれた。そして、彼らの視線はナギに向かう。
 ナギは店内をウロつきながら、どこかにあるはずの裁縫箱を探しているようであった。その頬と額には、狼の証拠である黒い刺青が戻っている。
 結局、詳しいことは分からず仕舞いだが、取り敢えずは目的は果たせたようであった。
「いつまでもあのままじゃいられないと思うけど」
「うん、いつか……力になってあげられればいいよね」
 二人はひそりとそんな会話をする。
 ナギという少年の秘密を共有する形となった彼らには、それぞれに思うところがあるようだ。
「おーい、勇太、晶。お前らにお使い頼んでいいか? 奢るから、なんか甘いもん買ってきてくれ」
 勇太と晶に向かって、ナギが自分の財布を投げてきた。
「……そういえばドーナツショップで限定メニュー出てたっけ」
「オレンジのやつ、美味しいよね」
 勇太がそれを思い浮かべると、晶も同じようにして言葉を続けた。
「好きなモン買ってこいよ。……まぁこんなんじゃ、今回のお礼にはなんねぇかもしれねぇけど。取り敢えず、付き合ってくれてありがとうな」
 ナギは二人に向いそう言いながらニッと笑った。
 今のところは、彼の身体には問題はないようであった。
「適当に見繕って来たらいい?」
「ああ、頼むな」
 勇太と晶は揃ってネットカフェを出て行く。それをベランダから見送ったナギは、店内に戻って先に見つけておいた裁縫箱の蓋を開け、茶色の糸と一本の針を取り出した。
「ねぇナギちゃん。お手伝いすることある?」
「千影はそのまま哲夫を乾かしてやっててくれ」
「ねぇねぇ、ボクはー? ちくちくのおてつだい、できるよー!」
「おっそうか。じゃあこの針の穴に糸通してくれるか、大福」
 ナギは針の先を持って、大福へとそれを向ける。すると大福は瞳をキラキラとさせながら茶色の糸を引っ張り、先を針の穴へと持っていった。
「……なんか、こう……むず痒いラストだな」
「悪く無いだろ、こういうのも」
 身体を乾かすために座ったままの哲夫が、ポツリとそう言った。
 それを耳にしたナギが苦笑しつつ返す。
 すると哲夫は「ふっ」と笑った。くまのぬいぐるみであるので表情は変わらなかったが、それは渋く深みのある笑みであった。
「お前らも、今日は付き合ってくれてありがとな。特に哲夫……ブラッティベア、あんたはカッコ良かったぜ」
「よせよ、照れるだろ……。俺は俺の、やるべきことしたまでさ……」
 哲夫の返事にナギは楽しそうにハハッと笑った。
 本音からくる笑みに、千影は彼を見上げて目を細める。大福は彼女の膝の上にちょこんと座り、笑い合う彼らを見て満足そうに鼻を鳴らしたのだった。




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            登場人物 
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【整理番号 : PC名 : 性別 : 年齢 : 職業】

【1122 : 工藤・勇太 : 男性 : 17歳 : 超能力高校生】
【3689 : 千影 : 女性 : 14歳 : Zodiac Beast】
【8584 : 晶・ハスロ : 男性 : 18歳 : 大学生】
【8697 : 大福 : 男性 : 1歳 : 使役される者】
【8717 : 田中・哲夫 : 男性 : 17歳 : IO2エージェント】

【NPC : ナギ】

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           ライター通信           
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 ライターの紗生です。このたびはご参加有難うございました。

 工藤・勇太さま
 今回もお付き合い下さりありがとうございました。
 勇太くんのプレイングに思いっきり吹いた事を思い出しつつ、書かせて頂きました。
 少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

 またお会いできたらと思っております。有難うございました。