■あおぞら日記帳■
紺藤 碧
【2470】【サクリファイス】【狂騎士】
 外から見るならば唯の2階建ての民家と変わりない下宿「あおぞら荘」。
 だが、カーバンクルの叡智がつめられたこの建物は、見た目と比べてありえないほどの質量を内包している。
 下宿として開放しているのは、ほぼ全ての階と言ってもいいだろう。
 しかし、上にも横にも制限はないといっても数字が増えれば入り口からは遠くなる。
 10階を選べば10階まで階段を昇らねばならないし、1から始まる号室の100なんて選んでしまったら、長い廊下をひたすら歩くことになる。
 玄関を入った瞬間から次元が違うのだから、外見の小ささに騙されて下手なことを口にすると、本当にそうなりかねない。
 例えば、100階の200号室……とか。
 多分、扉を繋げてほしいと頼めば繋げてくれるけれど、玄関に戻ってくるときは自分の足だ。
 下宿と銘うっているだけあって、食堂には朝と夜の食事が用意してある。

 さぁ、聖都エルザードに着いたばかりや宿屋暮らしの冒険者諸君。
 あなただけの部屋を手に入れてみませんか?

観念論







 サクリファイスはゆっくりとベッドから上腿を起こし、自分が変わらず自室に居ることを確認して、先ほどまで見ていた夢に思いをはせる。
 あの夢での自分達の結果や、アクラの行動によって、コールは目覚めていることだろう。確信があるわけではないのだが、何となくそんな気がするのだ。
「行ってみるか…」
 サクリファイスはベッドから降りると、いつもの格好に着替えて家を出る。
 あまり日は経っていないというのに、余りにもいろいろな事がありすぎた。あの騒動がやっと一段落という今、あおぞら荘の面々はどうしているだろうか。特に、あの憔悴しきったルミナスの様子は余りにも尋常ではなかった。何かしらの支えになれはしないかとも思ったのだ。
「こんにちは」
 そうこう思う内に、あおぞら荘の前までたどり着き、ドアベルを鳴らして中へと入る。
 しかし、予想と反して誰も出てこない。いつもだったらルツーセが元気良く出迎えてくれるのだが、その声さえもない。
 やはり、コールの――いや、ナイトメアの起こしたあの事件は、ルミナスやアクラだけではなく、ルツーセにも大きく傷を残したのかもしれない。彼女だって、同じ世界の住人だったのだから。
「困ったな」
 一応人様の家ではあるし、このまま進んでしまってもいいのだろうか。もし、本当に誰も居なかったのだとしたら、余りにも無用心が過ぎる。
 腕を組み、どうしたものかと一度体をうーんと揺らしてから体勢を整えると、何かを決意したかのようにふっと息を吐く。
「考えていても仕方ないな」
 サクリファイスは、コツコツと規則正しい足音を小さく響かせて、ルミナスの部屋の前に立つ。
 コンコン。と、控えめ気味に扉を叩いた。
 これだけ静かなあおぞら荘の中だ。これだけでも充分大きな音として響いた。
 しかし――
 コンコン。
 先ほどよりも大きな音で、再度扉をノックする。
「ん?」
 返事は――ない。
 まさか、返事が出来ないのでは…!?
 サクリファイスは勢い良く扉を開け放つ。が、そこには誰もおらず、ただ静かな空間があるだけだった。
「ルミナス……出かけているのか?」
 会えなかったのは残念だが、あの憔悴しきっていた状態から回復し、外出できるほどになったとするならば、それは喜ばしいことだ。
 けれど、その期待はいとも簡単に打ち砕かれる。
「違う」
 振り返ってみれば、そこには泣きはらしたように目を赤くしたルツーセが立っていた。
「帰ったの」
「え?」
 サクリファイスは、虚を突かれたように一瞬きょとんと瞳を丸くする。
「何故? いや、帰りたいと思うような事があったということか……」
 ルミナスはもうてっきり帰るつもりはないのだと勝手に思い込んでいただけ。
「もう少し早く、来れば良かったか…」
 少しでも支えになれればと思っていたのに。
「たぶんね、彼らが連れて行ったんだよ」
「彼ら?」
「部屋に残ってるの感じるんだ。あたしの一族の残滓」
 サクリファイスの疑問には答えず、ルツーセはポツポツと言葉を零す。
「ルミナスはきっと、解放しに行ったんだと思う」
「それは、まさか…」
「そう。彼の、彼が封印してしまった末の弟を」
 そう言えば、ルミナス本人の口から、アッシュとサックが末の弟を捕らえたことを恨んでいると、聴いた記憶がある。彼らは、解放を望んでいるからこそ、そういった結果になってしまったのだと。
「それは、ルミナス自身に危険はないのか?」
 争いにまみれた世界。彼が逃げ出した世界。
「…それは、何とも言えないけど、彼らにとって今がチャンスだったことは事実だから」
 元の世界から消えたルミナスを、双子はずっと探し続けていたのだろう。そして、切欠は何であれたどり着いたこの世界で、探していた兄を見つけた。
「でも、誰も、戻ってこないの」
 今頃元の世界で解放されたであろう末の弟はおろか、それを望んだ双子と、実行したルミナス。誰一人、ソーンには戻ってきていない。その事実に、ルツーセの瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。
「何か事情があるんじゃないか? こちらに戻れない何かが」
 戻ったら世界から争いが消えていたとか、里帰りしたとか、そんな理由を思い浮かべたとしても、余りにも机上の空論過ぎて、慰めにもならない。
「誰でもいい…誰か、戻ってきて」
 アッシュとサックがこちらの世界へ戻ってくるとは限らないし、末の弟も解放されたからとて、ソーンに来るとは限らない。ルツーセの言う“戻ってきて”という言葉が、実際にはルミナスにしか当てはまらなくとも、彼女はその中の誰かが必ず此処に戻ってきてくれるはずだと信じているようにも思えた。
「帰ってくるさ。ルミナスが、何も言わずに姿を消すはずがない。帰るならば帰るで、必ず声をかけていったはずだ。違うか?」
 と、諭すように問いかけるも、ルツーセの顔は一向に晴れない。
「ルミナスの家は、此処だろう?」
 直ぐに帰るか戻ってくるつもりだったから、誰にも何も告げなかったのではないか。
「そう…そう、だよね。帰ってくるよね」
 やっと顔を上げてくれたルツーセにほっとしながら、主が居ない部屋の中で長居もよくないだろうと、サクリファイスは彼女を連れてホールへと戻る。
(となると……)
 階上のコールの部屋がある方向に、自然と視線が向く。
「ルミナスは、目覚めたコールに会うことなく行ってしまったのか……」
 折角の再開になったはずなのに、きっとコールも残念がるだろう。
 無事であって欲しいと、ただ――願う。
 そして、叶うならば、彼らの末の弟も含め、皆がこの場所に戻ってきてくれることを、望むのだった。












☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆

 あおぞら荘にご参加ありがとうございます。
 ルミナスを気にかけてくださってありがとうございます。が、今回は本当に申し訳ありません。時間軸的に、コールが目覚めた時にはもうルミナスはソーンを離れているため、どうしてもつじつまが合わせられず、居なくなったルミナスを思うような形で書かせていただきました。
 それではまた、サクリファイス様に出会えることを祈って……

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