■【楼蘭】百花繚乱・詞華■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
 天には、世を支える四の柱があるという。
 四極と呼ばれるその柱には、世に起きた数多の事象が刻まれゆく。

【楼蘭】百花繚乱・詞華 −応−








 心根までは知ることが出来ない。と言った悠・永嘉の言葉が、千獣の中でぐるぐると廻る。
 もう一度会ったとして、あの人は何か言ってくれるだろうか。事情だけを知ったとして、何か知った気になってやしないだろうか。それでも、現状をどうにかするにはあの人に会わなければ何も前に進まない。
 他人を妬ましく思い、恨みを連ねるような気持ちは、千獣には少々理解しがたい。
 ただ、父親に会いたいと望み、重ねてきた努力が報われることがないと知ったこと。どんな努力でも埋められない差があると知ったこと。それだけで人はここまで狂えるのだろうか。
「……もう、一度、あの人に……会い、たい……」
 知りたい。聞きたい。確かめたい。
 答えをくれるかどうか分からない。けれど、知る努力を放棄したくない。千獣は、悠にもう一度門へ連れてってくれるよう頭を下げる。
「蓮は、どう、する……?」
 彼の“始まり”が達成されてしまっていたら、蓮はもしかしたら“蓮”でなくなってしまうかもしれない。それを、この子自身もどこかで感じているような気がして、その瞳を覗き込むように膝を折って問いかける。
「大丈夫。蓮も、行くよ。蓮は千獣と一緒!」
 ぎゅっと抱きついた蓮に、千獣は柔らかく微笑んで、その頭を抱きしめ返す。
 ああ、大丈夫だ。そう感じながら――……








 一度見つけていたため、あの人の場所は分かっていた。
 深い霧に覆われた中央。ただ前と違うのは、霧の色が白から深い紫へと変化していたこと。
 なんだが、不気味な――背筋が少しぞくっとするような霧の色の中から、あの人の姿を探す。
 あの人は、霧の中央で目を細め不敵に笑っていた。
「……ねえ、お母さんは、どう、なった、の……?」
 霧の中に降りるのは少々躊躇われ、千獣は極力近くまで近寄って声を上げて問いかける。
 暫く返事を待っていると、すっとゆっくり一度瞬きをした後に、あの人はやっと千獣へと視線を向けた。
「何をしに?」
 不要な物でも見るような瞳が蓮の姿を捉えた瞬間、少しだけ和らいだ。
「ああ、計都を置きにきたのですね」
「……違う! 蓮は、蓮だから!」
 あの人の言葉に、恐れるばかりだった蓮が始めて声を張り上げる。
「まぁ良いでしょう」
 すぐさま千獣や蓮から興味をなくしたとばかりに、あの人は視線を戻してしまう。
「自分、だけじゃ、なく……お母さん、も、捨てた、から?」
 あの人が抱いたような、捨てられたことや、他人との差を知ることで生まれた感情は、やっぱり千獣には理解できない。
 違う人間なのだから、違って当たり前なのだし。
 けれど、自分が捨てられただけで、ここまで酷く大きな憎しみを抱くものなのかどうか? しかし、そこに自分だけではない誰かが関わっていたなら、その感情もまた違ってくるのではないか、そう思ったのだ。
「……お母さんの、こと、大切、だった、の……?」
 その一言に、あの人は千獣の言葉に初めて反応を示し、その表情を歪めた。
「母が大切? 勘違いも甚だしい! あのような哀れな女が大切であるものか!」
 びくっと蓮の肩が震える。余りにも大きな激情に、千獣でさえも瞳を少し大きくした。
「父の影を追い、自身の望む“私”を押し付けるばかりだった女など、煩わしいばかりでこれまで一度も大切などと思ったことなどないわ!」
 あの人の中で、もう遠すぎて思い出せもしない母親の言葉が蘇る。

『あの人の為に、あの人が戻ってきてくださるよう、貴方は立派な子にならねばなりませぬ。貴方だけが、あの人と私を繋ぐもの。そう、貴方がいれば、きっとあの人は戻ってきてくださる……』

「母と呼ぶのもおぞましい」
 そこに愛など欠片もなかった。ただ全ては、恋焦がれた男を繋ぎ止めたい女の妄執。綺麗事を並べ立てても、その顔に浮かぶは狂気の笑み。
 眉を寄せ、目を細めたあの人の顔は、まるで汚いものでも見たかのようだ。
 自分が母の目的を果たすための道具だったから、この人は、自分の目的を果たすための誰かや何かを、全て道具と称するのか。
 またも、千獣達から意識を外してしまったあの人の口元がゆっくりと釣りあがる。
「……何?」
 どうして笑っているの? これから何が起こるの? 立ち去れと言われなかったという事は、ここにいて構わないということ。
 千獣はぎゅっと蓮を抱きしめて、事の成り行きを見守る。よくよく見れば、霧の中央、魔方陣のように組まれた八卦が刻まれていた。
 その中央から、何か青黒いものが這い上がってくる。次第にそれは人の形を取り、一人の男を出現させた。
「……想冥官司殿でございましょうか?」
「汝は、誰ぞ? 天上の空など久方ぶりに相見えたわ」
「佳・秀玲。貴殿の子でございます」
「ほぉ……?」
 顔は佳によく似た、悠が着る服を暗色で纏めたものを着る男は、少しだけ考えるような素振りをみせ、見下す瞳であの人――佳を見た。
「我に、何用か?」
「名を頂きたく」
 それは、瞬が持っていて佳が持っていないもの。同じだったはずの相手との最大の差――。
「汝にその価値はあるまい?」
 蔑むような男の声に、佳は冷え切ったような無表情で扇を開く。
「ではその名を頂きましょう」
 そして、その手に持つ宝貝であるその扇を、一閃薙いだ。
「え……?」
 男の取り囲むように立ち上がる炎。
 佳は、父親に会いたかったのではなかったの? その理由は、その手で殺すため?
「……そん、なの、ダメ……!」
 千獣は蓮を下ろして駆け寄る。
 子が親を殺すなんて、そんな事!
 けれど、その一歩は踏み出されたものの、はっとして足が止まってしまった。
「知らぬのか? 不死の理を」
 男は炎の中で笑っていた。皮膚が焼ける匂いも、焦げる音も何もしない。
「知っていますとも」
 だからこそ、佳は足を踏み入れることが叶わぬ冥下ではなく、天上にこの場を作ったのだから。
 すっと佳が持つ扇が舞うように優雅に払われる。
「ダ、ダメ……!!」
 千獣は、止めた足に再び力を込めて駆け出す。
 炎は業火へと変わり、男の髪を焦がし皮膚を焼く匂いが鼻腔を突く。
「な……に!?」
 聞き取れる声はこの一言を残して、発せられるのはくぐもった悲鳴のみ。
「千獣!」
 蓮の悲痛な叫び。佳をすり抜け、千獣は業火へと手を伸ばす。火傷は、焼けたそばから癒えるものの、痛みが全く無いわけではない。
「無駄な事はお止めなさい」
 パチンと閉じた扇の音に呼応して、業火は千獣を弾き飛ばす。蓮は、千獣の名を呼び、追いかけようと踵を返して駆け出した。
「計都」
「……っ!?」
 火傷とは違う痛みが、千獣の頭に突き刺さる。
 蓮の足は駆け出されること無く、淡いグラデーションの髪が佳の扇に絡め取られていた。
「やだ……! 放してっ!」
 宙に浮いたその足をバタバタと動かしながら、蓮は逃れようともがく。
「蓮、を、放し、て……!!」
 千獣はすぐさま起き上がり、地を蹴って佳に飛び掛る。佳の宝貝である扇は蓮を捕らえているのだから、炎での攻撃は来ないと踏んで、手を伸ばす。
「……どう、して!?」
 千獣の手は届かない。
 佳と千獣を隔てるように浮かぶ何かしらの符と、印を組んだ指。
「ひっ」
 蓮は喉をひくつかせ、頭を抱える。
 業火の中の男は、殆どその原型を留めず、皮膚は全て溶け爛れ、骨を露出させたまま、それでも死ぬことの無い口で、呪いのように叫んだ。
「女の胎を使い数多の命を喰ろうて出来た人形を創る汝は、さぞ冥下に相応しかろうぞ!」
 結局自分の手で何も生み出していないと告げた男の高笑いが響く。
「さあ、計都。あの男を喰らってしまいなさい」
 蓮の耳元で、佳が囁くように告げる。
「い、いや……いやぁ!!」
 蓮は耳を塞いで頭を大きく振る。その瞳には大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。
「蓮……!!」
 止めて。
 止めて!
 止めて!!

 業火の中の男の首が――弾けた。




















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 百花繚乱・詞華にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 佳はこの先、そのまま冥下へと行ってしまうので気にしなくていいです。
 悠の能力は、時間を巻き戻すのではなく、過去を書き換えることで現在に影響を与える能力になります。これを行うと、佳はまだ門を開いていないという事に置き換わるので、早かれ遅かれ結果はループする可能性があります。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……

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