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【櫻下ノ狂骨】
■リッキー2号■

<レイリー・クロウ/東京怪談 SECOND REVOLUTION(6382)>
<セレスティ・カーニンガム/東京怪談 SECOND REVOLUTION(1883)>

 黒い翼を持つものが、静かに舞い降りた。
 端整な容貌は、さながら堕天使(ルチフェロ)のごとく。
 漆黒の外套を翻し、彼は目の前に立つものを、興味深く眺めた。
 それは桜の樹であった。
 月の光の下、花盛りの艶やかさは、ひそやかな妖美に変わる。ましてこの樹は、ただ一本、並木の列からも離れ、花見の喧騒も届かぬ場所にひっそりとたたずんでいるのである。
 黒衣の紳士はゆっくりと樹のまわりを歩いた。その所作は、芸術品を鑑賞する好事家のそれに似ていた。
「ふむ……」
 面白そうに、唇をゆがめた、そのとき。
「おや」
 見ればそこに、杖をつく男の姿があった。
 男――、と思ったのはその服装からで、しかしその人は、はっと息を呑むほどの、彫刻めいた美貌の人物であった。あるいは男装の麗人だったかもしれぬ。流れる銀の髪が、月明かりに映えていた。
「何か」
 興味をおぼえ、そう聞けば、
「このようなところに先客がいらっしゃるとは。失礼しました。すこし意外だったもので」
 と返ってきた。
「そういうあなたこそ、このような場所へ何故。並木のほうが随分、賑わっていたようですが」
「呼ばれたような気が――したものですから」
 月下の麗人は告げる。
「……私はレイリー・クロウ」
「セレスティ・カーニンガムと申します」
 そして、黒衣の紳士と、銀の髪の麗人は名乗り合った。それがふたりの出会いであった。

「呼ばれたと仰る。奇遇です。私もそうなのです」
「この桜が呼んだのでしょうか?」
 セレスティはそっと樹の幹にふれる。
「あるいは」
 レイリーは、視線を下に落とした。
「ここにいる誰かかもしれません」
「ここ……?」
 セレスティはレイリーの目を追って、そして、ふっと笑みを漏らす。
「『桜の樹の下には死体が埋まっている』……」
「桜だけではありません」
 うたうように、レイリーは言った。
「至るところに、死体は埋まっているのです。しかしどんなに深く埋め、どんなに平らかに均しても、それが発する闇を抑えることなどできはしない。壁に塗りこめられた死者が、そのかたちを浮き上がらせ、犯人を告発するように。……私はその声を聞くのです」
 レイリーは饒舌だ。そして、嬉々としている。
「ではここに埋められている死体が、あなたを呼んだのですね?」
「……ときにセレスティ殿。あなた――、水の匂いがしますね」
「水」
 セレスティは虚を突かれたような顔をした。
 レイリーはうすい笑みを仮面のように貼り付けたまま、ずい、とセレスティに身を寄せた。
「あなたは水に縁深い方だ。違いますか?」
「そう――かもしれません」
「水は境です。常世と黄泉の境界なのです。水を通じて、ひとは幽冥界(かくりよ)にふれることができる。そしてそれはまた、向こう側のものたちにとっても、同じことなのです。かれらは水をくぐってやってくる。……それゆえ、彼女はあなたを呼んだのでしょう」
「彼女? 女性なんですか。この下に……埋められているのは」
 ごぼり――。
「ええ、そうですよ。美しい……黒髪の女性です」
 ごぼごぼ……。
「あなたにはそれがわかるのですね、レイリーさん。ひとつ、話していただけませんか。彼女の物語を」
「それは、」
 ごぼごぼごぼごぼ…………。
「彼女自身が語るでしょう」
 水だ。
 桜の樹の根元から、水があふれだしていた。
 それは見る見るうちに、ふたりの靴を濡らし、散り落ちた花びらを流し、あとからあとからわきだしてくる。
 夜のことゆえ、水は闇をうつして深淵のごとくに黒い。
 それはあたかも、闇そのものがあふれだしてきたようにも見え――
「!」
 おお、見よ。
 その黒い水面から、今、手があらわれた。そしてセレスティとレイリーの足を掴んだではないか。まったく血の気のない、青白い肌をした、たおやかな手であった。女の手だ。しかし、その力は驚くほど強い。
「……!」
 ざぶん、と自分の身体が水の中に引きずり込まれるのを、セレスティは感じた。
 しかしそんなことがあるはずがない。
 どんなに水が沸いて出ても、ここにこんな深さになるはずがない。だが、底なしの水が、セレスティを呑みこもうとする。
 は、は、は――、と、笑い声があがった。
 レイリーだ。
 彼もまた、今や半身を水中に沈めている。
 なのに笑っているのだ。
「すばらしい」
 感極まったように言う。
「すばらしい闇です。これこそまったき暗黒。これほど深い絶望が、このようなところにあったとは……!」
 そしてふたりの頭の上で、黒い水面はそのあぎとを閉じるのだった。

  *

「何だというんだ」
 苛立ちを含めた声で、男は言った。
「だって。この頃ちっとも会えなかったし――」
 桜の木陰で、女は、男に身を寄せる。
「よせ」
 男の手が、しかし、カーキ色の軍服の肩から女の手を払いのけた。
「今日の宴席は誰の催しだと思っている。おまえは芸者だろう。はやく席に戻って大佐にお酌でもしないか」
「酷い」
 女はひどく傷ついた顔で、男を見つめ返した。
 その潤んだ瞳から、男は目をそらす。
「ご無沙汰になっていたのはすまなかった。だがおまえも……もう俺のことには頓着しないほうがいい」
「何を言うの。あたしはあなたが」
「俺は」
 若い軍人は、わざとらしく腰のサーベルの音を立てた。
「まもなく大陸に赴任することが決まった」
「そんな!」
「部隊を転属することになったんだ。ある少佐付きで、満州へ行く」
「なら私を……」
 ふるえる声で、女は言った。
「連れて行って頂戴」
「なんだと」
「どこへでも行くわ。満州でも大連でも。外国へいったって構いやしない」
「足抜けするっていうのか。莫迦を言え」
「お願い」
 女は、軍服の胸にすがった。
「よせと言っただろ。第一、おまえは…………大佐が身請けすることに決まっているじゃないか」
「知ってたの」
「早く戻れ」
「嫌よ。嫌」
「煩い!」
 男の手が、女の頬を打った。
「おまえはもう大佐の手付きだ。俺は大陸へ行く。もう会うこともないだろう」
 大股に去ってゆく長靴。
 あとにはただ、桜の樹にすがって、泣き崩れる女だけが残されたのだった。

  *

 セレスティは、ゆっくりと目を開ける。
 冷たい。
 ……そこは冷たい、水の中のようだった。
 ほう、と息を吐くと、あぶくが、こぽこぽと上へのぼっていく。
 ひどく冷たい水だった。
 見上げれば、水面を通して、桜の樹がゆらゆらと揺れている。
 つまりそこは、桜の樹の下ということだ。常識的に考えれば土の下ということになろうが、その空間は水に――いや、水のような闇に満たされているのだった。
 水中にいることに何のおそれも不自由もない。水こそセレスティの生まれた場所であるのだから。
 だが、その水の中では、自由は聞かなかった。身体がうまく動かない。
「!」
 セレスティは、足首になにかがからまっているのを見る。
 足の下はまったくの闇。どこまで底があるのかもわからない奈落のような深みだ。足にからみついたのは、その闇がかたちをなしたような黒い……人の髪だった。海草のようにゆらゆら揺れる黒髪が、セレスティを深淵に繋ぎ止めている。その髪の元はうかがいしれない。だが決して、見てはいけないのではないか。そんな気がした。
「どうです?」
 ふいに、聞こえた声に顔をあげると、レイリーだった。
 レイリーもそこにいる。
 水中に外套が広がる。彼の足にも同じく黒髪がからみついているので、境遇は同じなのだろうが、レイリーは奇妙に嬉しそうなのだ。そして、水中であるにもかかわらず、普通に話しかけてくる。
「彼女の想念はなかなか強い」
 くくく、と喉を鳴らした。
「よほど、怨めしかったのでしょう」
 そして顎をしゃくった。
 水の上で、なにかが揺れている。
 桜の枝からぶらさがった何かが、ゆらーりゆらーりと揺れているのだ。
 はらはらと散った花びらが、水面に浮かぶ。
 そのうえを、それはいつまでも、奇妙な果実のように揺れている。

  *

「あーあ。ひどいご面相だ」
「こうなりゃ、深川一と言われた別嬪も台無しだねぇ。なんまんだぶなんまんだぶ」
 男たちは、桜の枝からぶらさがったものを見上げて、かたちばかりの念仏を唱えた。
「下ろすぞ。手伝え」
「嫌な仕事だ」
「四の五の言うんじゃねぇよ」
「顔見たくねぇんだ。見ろよ、目の玉が飛び出てやがる。後ろからにするよ」
「足抜けしたうえに首くくりとはねぇ。しかしそれなら、なんで置屋で死ななかったのかね」
「さあ。桜の樹で死にたくなったんだろうよ」
「身請けの話、進んでたそうじゃねぇか。しかも陸軍大佐殿ときた。玉の輿に乗れたっつうのによぉ」
「よっぽど嫌な男だったんだろ。……ふう、やっとだ。それで、どうするよ」
「埋める」
「え。何処に」
「ここでいいだろ。根元にでも埋めるんだ」
「いいのかい?」
「おまえ、こんなこと、大佐に知られてみろよ。だいたい足抜けされただけでもえらいことなんだ。今のご時勢、軍人さんににらまれていいことなんかありゃしない。……足抜けして逃げてるってだけなら、逃がしたお咎めは受けるが、それだけで済むんだ」
「ああ、そうか……」
 そして男たちは樹の根元を堀りはじめる。
 セレスティたちの視点からは、どんどんこちらへ向けて、男たちが堀り進んでくるのがわかる。
 だが、人の半身が入るほどに掘ったところで。
「な、なんだ」
「水が――」
「う」
「うひゃあああ」
 悲鳴。
「おまえ、まだ生きて……!?」
「おい、やめ――」
 ざぶん、と、男たちの身体が水に沈んだ。いや、沈められたのだ。
 死体の腕に沈められた男たちは、セレスティたちの目の前で、苦しそうにもがいた。そして見る見るうちに、その肉が崩れてゆき、白骨と化してゆく。
「これは」
 レイリーが、うたれたように呟いた。
「彼女だけじゃ、なかったのですね」
 足の下の、深淵の底から、それがゆっくりと浮かび上がってくる。
 黒髪のぬしだ。
(苦しい)
(たすけて)
(誰かたすけて)
 死体だ。
 桜の下の死体。
 とうに朽ちた白骨たち。
 たち……?
 そう――。
 死体は、ひとつではなかった。無数のされこうべが、ぽっかりと開いた眼窩の中に、虚無の暗黒をたたえて、そこにわだかまっていた。黒髪なのか、ヘドロなのか、なにかわけのわからない、ぬるぬるしたものが、白骨をとりまとめて、ひとつの塊にしている。
 それがゆっくりと、浮上してきつつある。
(なぜわたしだけこんな目に)
(ひどいひどいひどい)
(ゆるさない)
(生きてるやつらがぜんぶ憎い)
「これが闇です」
 レイリーが叫んだ。
「絶望、悲愴、恐怖、憎悪……、ひとりの死が抱え込んだ闇が、次なる死者を引きずり込み、ここに蓄積し、肥大化していったのですね!」
 くわっ、と、骸骨たちがいっせいにあぎとを開いた。
 そして、レイリーとセレスティを、新たな仲間にくわえんと襲いかかる。
 その瞬間。
 水が渦を巻いて、縛めの黒髪を切断した。
 水が、浄化されてゆく。濁った闇の中に、清浄な月明かりが差し込む。
 水は、水霊使いセレスティを新たな支配者とみとめ、かしづこうとしていた。
 耳をつんざく、おそろしい悲鳴。
 暗い深淵の中に、ばらばらと骨たちが崩れていくのが見えた。

  *

 気がつくと、ふたりとも、桜の樹の前にただ立っている。
「いかがでしたか?」
 レイリーは、オペラの感想でも尋ねるように、セレスティに訊いた。
「美しく輝くものほど、その影は濃くなるといいますが――」
 彼は、レイリーの手の中のものに気づいて、目をしばたかせた。
 黒衣の男は古びたしゃれこうべを、いつのまにか手に持っている。
「『彼女』です」
「そうですか……」
 どこか哀惜をおびた表情で、セレスティはそれを眺める。
「それをどうされるのです?」
「さて、どうしましょうか」
 ククク、とレイリーは笑った。
 そして外套をばさりと翻す。
「楽しい夜でした。今宵の出会いに感謝しますよ。またいつかどこかで――お会いしたいものですね」
 そして彼は夜へと飛び立ってゆく。
 あとにはただ、セレスティが、夜桜のもと、独りたたずんでいるだけだ。

(了)



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この小説は株式会社テラネッツが運営するオーダーメイドCOMで作成されたものです。

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