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<東京怪談ノベル(シングル)>


早朝の来訪者

 あたしは多忙な人間だと、思う。
あたしの名前は鈴帯島・卯叔(すずおびじま・うすい)、今年20歳になるアラスカ出身の日本人だ。取り立てて美人だとは思わないが、自分の少し知的に見える切れ長の二重まぶたや決して太くは無い身体はそれなりに気に入っている。そして他人はあたしをこう云う。…「いつも忙しそうだね」と。
エインセルにあるグリーンアースの構成員として、医療・福祉活動を行いながら、その一方では最近建国したばかりの独立国家『ホープ』の運営や雑務に追われている。
どちらもが切り捨てられないほど大切な仕事で、それがあたしの身体に負荷を蓄積しているとは知っていても、止められるものではない。
だからまだ20歳という、云えば今が旬、という年齢にも関わらず、毎日深夜に帰宅しベッドに倒れ込むという生活からは抜けられない。
 そしてこの日も、仕事から帰宅したあたしは例のごとく身体に溜まった疲れを少しでも消すために、窓を閉めるのも億劫でベッドに入りそのまま寝てしまった。あとから思えば、このとき窓を閉めるという些細な行動も渋ったのが間違いだったのかもしれない。
 まだ完全に疲れが癒せていなくても、朝日が昇れば当然のように仕事はあたしを待っている。ため息が出そうになるのを、忙しいというのは充実していることだ、と己に言い聞かせて眠い目をこすりながらベッドの上に身を起こす。そしてあたしは、いつもとは違う自分の部屋の様子に気がついた。否、部屋ではなくベッドの上だ。
 訝しげに目線を下に落とすと、あろうことか茶色い毛並みの鴨がちょこんと丸まっていたのだ。しかもあたしの枕の上で。よく頭で踏み潰さなかったものだ。あたしは恐ろしい結末にならなかったことに胸を撫で下ろし、改めて鴨を眺めてみた、
この鴨には見覚えがあった。あたしの愛鴨、ペットの『ぐわぐわ』の奥さんだ。確かそろそろ卵を産む時期かな、と庭で仲睦まじく二匹並んで散歩しているのを眺めていた覚えがある。奥さんを放り出して、ぐわぐわは何処に行ったのだろう。いや、むしろこの奥さんは一体何処から入ってきたのだろうか。
 そう不審に思い顔を上げてみると、ベッドの横にある窓のカーテンが風で揺れていた。そうだ、昨晩は窓も閉めずに寝てしまったのだったと思い出した。どうやらその窓から侵入してきたらしい。
 どうしたものか、と暫し考え込んでいると、未だ開け放したままの窓から、新たな来訪者がやって来た。奥さんと似たような茶色い毛並み、愛嬌のある嘴。見間違えるはずもない、あたしの愛鴨ぐわぐわだ。彼は堂々と窓からあたしの部屋に入ってくると、羽根をばたつかせてベッドの上に着陸した。あたしは少々呆れ気味にぐわぐわに話しかけた。
「お早う、ぐわぐわ。ねえ、奥さん放り出して何処に行ってたのよ?」
 ぐわぐわはあたしを見上げて、その名前の由来になった鳴き声を上げた。そして身体を揺らしてテコテコと布団の上を歩いて、奥さんの元へ駆け寄る。嘴を彼女の羽毛に摺り寄せ、全く仲睦まじい二匹だ。
「仲が良いのは結構だけどね、此処はあんたたちの巣箱じゃないのよ。部屋の主が寝てる間に侵入してくるなんて、不法侵入も良いとこね。…ってどうしたの?」
 あたしは鴨に語りかけるつもりで一人でブツブツ呟いていたが、二匹のもの言いたげな視線にふと気がついた。あたしは首を傾げて、身をかがめて奥さんのほうを至近距離で眺めた。ふと、悪い予感が頭を過ぎった。
「…まさか」
 あたしは恐る恐る、奥さんの羽を少し持ち上げた(ちょっと失礼!)。そして目が点になり、暫く固まる。
 二匹は、やっと気がついたかと言いたげに、ぐわぐわと嬉しそうに合唱している。
「あんたたち…やっちゃったのねえ…」
 あたしは身体を起こし、がくりと首をうな垂れた。なんと、この鴨の奥さんは、あたしの枕の上で卵を産んでしまったのだ。
何故よりによってあたしの枕の上で?ふかふかだから気に入ったのだろうか。庭に作ってあった巣はどうするつもり?
 良い物件が見つかると、惜しげもなく以前造った家を捨てる大胆な夫婦に、呆れつつも称えながら、あたしは奥さんを刺激しないようにゆっくりとベッドを降りた。
 まさか卵を抱いている夫婦を追い出すような非情な真似はしない。まだ嬉しそうに鳴いている二匹を見下ろして、あたしは苦笑した笑みを漏らした。
 今夜から何処で寝ようか?















 それから数日間、あたしはベッドの下の床で寝る羽目になった。勿論、元々動物は好きだし、あたしの愛すべき二匹なのだから嫌な気分ではなかった。あまり二匹を刺激しないよう、ベッドの上を彼らに独占させる形で数日が過ぎた。
 そしてある日の朝。いつも通りの時間に目が覚めたあたしの耳に、何処からか聞こえる甲高いピヨピヨと鳴く声が入った。何処からだろう、窓の外からだろうか。あの日からずっと、窓は鴨夫婦の出入りのために開け放してある。だが声は矢鱈大きくて、とても外から入ってくるものとは思えなかった。
 あたしはまさか、と思いながら、そろそろと起き上がる。そしてベッドの上を見下ろして目を丸くした。
あたしを見つけて、より一層甲高く鳴き始めた声の主たち。
 枕の上には、つい先程割られたらしい卵の殻の残骸と、その中から出てきたのだろう、手のひらに載せることが出来るほど小さい雛たちが居た。あたしを見て、口を大きく開けてピヨピヨと泣き叫んでいる。その数は5匹程だ。
「うわ…孵ったんだぁ」
 あたしは驚きつつも、満面の笑みを浮かべて身を屈めた。そしてふとあることに気がついた。
…ぐわぐわ夫婦が居ない。
 雛が孵ったばかりというのにどうしたのだろう?
鴨は出掛けるにしても置手紙など残してはくれない(当たり前だが)。きっと食事にでも出掛けたのだろう、とあたしは一人で予測し、うんうんと納得した。成る程、窓からは二匹が飛び立った形跡が残っているし。
 考え込んでいたあたしは、いまだピヨピヨと喧しいほどに泣き叫ぶ雛たちの声に、現実へと引き戻された。
…そうだ、夫婦がいない、ということは、この産まれたばかりの雛たちは、まだ何も食べていないのじゃないだろうか。
 あたしをそのつぶらな瞳で一心に見つめ、餌をねだる雛たち。
雛の名前はどうしようか、なんて考えていた場合じゃなかった。
 そしてまたもや悪い予感が頭を過ぎる。確か鴨には、刷り込みというのがあったのではなかったか?産まれて初めて目にしたものを親と思う、というアレだ。もしや、この雛たちは、あたしを親だと思っているのでは…?
 右の口の端をあげ、乾いた笑いを漏らすあたしを、雛たちは精一杯の力を込めて急かす。

 まあいい、と思った。
どうせ今でも忙しいのだから、この上に雛の世話が加わったところで大して変わらないだろう。
無論、更に激務になることは容易に予想がつくが、動物好きのあたしには願ったり叶ったりというところだ。
 
 あたしはそう自分に言い聞かせ、とりあえず雛に産まれて初めてのご飯を与えるために、部屋を飛び出した。



  完