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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


■先生、暖かいコーヒーをどうぞ■
 ぼんやりと窓の外を眺めている彼女に、観察の目を向ける。赤茶けた髪は、窓から吹く風でふわふわと揺れている。おおきくはっきりとした目は、私が見ている事を気にしていないのか、外に向けられたままだった。
 こうしてまじまじと観察する機会を得たのは、彼女が憂鬱な気分にさせられた原因である、エスパーコマンドの処分の一件があったからだ。
 あの一件について彼女はそれ以上、仲間達や友人に話そうとはしなかったが、口にしない事、表情に出さない事は、感情を動かされていない訳ではない、と私は分かっている。感情表現しない者は二通り居て、それを押し殺している者と、それ自体についてそれほど感情を動かされない者だ。
 彼女、ルツ・クラヴィーアは‥‥どちらなのだろうか。

 ルツが大切そうに、一冊のノートを持っているのに気づいたのは、カウンセリングでエルンスト・ローゼンクロイツがルツの部屋を訪れた時だった。ローゼンクロイツは、今でこそ連邦リンドブルム騎士団の参謀本部で内政に関する執務を取り仕切る、参謀の要だが、元々精神科医を本業にしていた。今でも実務の傍らでアイアンメイデン達の悩みを聞いたり、エスパーコマンド達のメンタルケアを行ったりしている。
 エスパーであるルツは、相手の記憶や思考を読んでしまう力を持っている。相手の記憶を勝手に覗くのは、相手の秘密を覗き見てしまうのと同じだ。だからルツはその力を使う時は、必ず相手に確認することにしていた。
 そういった力を、恐れていないはずはない。現に彼女は、その力を使う事で自分自身の精神安定を委ねている。いわば、思考読破依存症だ。誰しも、相手が何を考えているのか気になる事はあるし、そうするととても不安になる。ローゼンクロイツは、そんな彼女の心の病に接し、治癒しようとするドクター。
 ベルリンに滞在している間、ルツがあてがわれたのは連邦に来たエスパー達がエスパーコマンドとして各戦地に配置されるまでの間、連邦軍のことやその他様々な訓練を受ける研修期間に宿泊する宿舎の一室だった。ベルリンにある軍施設内にあり、参謀本部に詰めているローゼンクロイツも通いやすい。
 ルツの荷物は、決して多くは無かった。エスパーコマンドの制服があれば、最低限の服は事足りる。あとは本が何冊か、机の上に置いてある位が目立った手荷物だっだ。その本の中に、ルツのノートは混じっていた。
 彼女の荷物の中に、何かを記す為のもの‥‥ノートといえるものは、それだけしか無かった。彼女が勉強の為にそれを持ち歩いているのでは無いことは、彼女の荷物を一瞥すると分かる。よく使用しているように見受けられる割には、ブックラックの真ん中に押し込み、隠すように収納していた。
「日記を付けているんですか?」
 ローゼンクロイツがルツに問いかけると、ルツはすぐに振り返った。ポットからコーヒーカップに湯を注ぎ入れていた彼女は、ポットを一度テーブルに置き、こちらを気にしながら再びコーヒーを入れはじめた。
「そうです‥‥先生に言われて、もっと自分を客観的に見つめ直すことをしよう、って思って」
 どうやら、ルツはそれをローゼンクロイツに見られたくないようだ。カウンセラーである自分にも隠したいものとは何なのか、ローゼンクロイツは非常に興味を覚えた。彼女が何を隠しているのか、見られたく無い何を記しているのか‥‥。
 几帳面に日記を毎日付けられる者は、男女問わず希だ。前線の指揮官や、自分達のように重要な配置についている軍人の中には、毎日の執務について記帳して残す者が多い。しかし彼女達アイアンメイデンやエスパーコマンドは、そうでは無いだろう。
「自分であれ何であれ、日記に記したいと思うだけの興味対象が現れたというのは、いい傾向ですよ」
 と言った後で、ローゼンクロイツは少し後悔した。この言い方では、まるで自分がルツの興味対象を聞き出そうとしているかのようだったからだ。
 ルツはそれを聞き、少し視線を泳がせた。ほのかに顔が赤い。こういう表情は、たいてい誰か好きな人が出来、その人物の事を思い返している時にするものだ。彼女がそれに自分で気づいているのか、居ないのか。
「いえ‥‥その‥‥興味とか、そういうことじゃありませんから‥‥」
 それきり、彼女は口を閉ざした。
 彼女が言いたくないのであれば、無理強いすることはない。カウンセラーとして彼女の心理状態を把握していたいのは、当然だ。しかし、今ここで無理をすると彼女の信用を失ってしまうだろう。そうすると彼女はもう、自分に相談をしなくなるかもしれない。
 ‥‥そう考えると、とてもがっかりした。
 ‥‥がっかりした?
(いえ、万が一そんな事があれば、私が至らなかったのだから、別のカウンセラーを紹介するしかありませんね‥‥)
 ‥‥更に、がっかりした。とてもとても、がっかりしてしまった。
 ルツはそんなローゼンクロイツの様子を見て、首をかしげている。
 はっ、もしかすると今の自分の気持ちを、読まれてしまったかもしれない。それはいけない。
 一人慌てるローゼンクロイツに、ルツはコーヒーカップを差し出した。
「どうぞ、先生」
「これはどうも」
 ローゼンクロイツはカップを受け取ると、そしらぬふりで椅子に掛けた。向かい側の椅子を引き、ルツも腰掛ける。
「それでは、はじめましょうか」
 ローゼンクロイツは、ファイルを開いて話しはじめた。

 彼女が一体あの日記に何を書いているのか、ずっと気になっていた。彼女が好意を寄せているのは誰なのか、進展しているのか、仕事の合間にもその事ばかりを考えている。
 万が一彼女が相手の“読まれたくない部分”を読んでしまったり、彼女が絶望的になるような事を読んでしまったら、きっと彼女は非生産的な行動に走ってしまう。
 ここ最近、そのせいで執務が疎かになっているようだ。その事を、つい先ほども総統閣下に指摘されたばかりだ。
 アイアンメイデン達は、ローゼンクロイツがどこか病気では無いのかと心配している。
 参謀本部の仲間は、ははっ、と笑いながら彼女達に言った。
「卿は、患者に御執心なんだよ」
「何を言うんですか、これは医者としての義務と責任です」
 何時になく大きな声でローゼンクロイツは言い返すと、彼をにらんだ。
「まあまあ、押さえて。卿はもう少しだけ、李家を見習ったらどうだい? ‥‥見習いすぎるのも問題だけどね」
 とんでもない、と言おうとして、この言葉を飲み込んだ。‥‥いやまあ、参謀本部長は一応上司ですから。
「私は今まで、仕事だけに生きてきました。それで満足ですよ」
「まさか、心焦がす相手は総統閣下御一人‥‥って訳じゃないだろう?」
 彼がそう言うのは、ある冊子の件があるからだった。アイアンメイデン達の間で出回っている、自費出版誌‥‥同人誌だ。どうやら出回り元はミュンヘンらしいが、カー×アルだの、アル×カーだの、最近はカー×ローだのカー×李だの(あり得ない組み合わせだと、ローゼンクロイツなどは思うのだが)。
 ちなみに彼女達に言わせると、名前の順番には意味があり、前か後かによってアレでコレが決まる訳で‥‥。
「そう思うなら、思ったままでも結構ですよ」
 我ながら大人げない、と思いながらローゼンクロイツはその場を早々に去る。
 アイアンメイデンの女性陣は、その様子を見てうれしそうにしている。
「こらこら、いい加減にしておきなさい。卿のアレは嘘っぱちなんだから」
 ローゼンクロイツを見送りながら、彼は女性陣を軽く叱った。
 そうして、またしてもベルリンに怪しい噂は広まり続けるのだった。

 カウンセリングの為にルツの部屋へ向かいながら、ローゼンクロイツはファイルを眺めた。彼女とのこれまでの会話、症状が事細かに記されてる。医師と患者が個人的に関係を持つ事は、多くの場合は禁じられている。特にローゼンクロイツとルツのような、精神的な部分をゆだねている場合、それが愛情に変わりやすく、かつ関係を持った後も患者は医師に多分に負担を掛けやすい。
 それはローゼンクロイツとて、理解していない訳ではなかった。
 だが。ローゼンクロイツは、自分に言い訳をするように思い直す。
 自分は精神科医を生業にしてる訳ではなく、日々は連邦軍の参謀として内政に関わっている。ルツと関係を持ったとしても、必ずしも終日患者に接しているかのように負担を感じる事はないだろうし、自分自身、それに振り回される程精神的に若い訳ではない。
 いや、かえってそんなルツが可愛いと思う事すらあった。
(‥‥いや、何故私がルツと関係を持った場合について、想像しなければならないんだ!)
 ふるふるとローゼンクロイツは頭を振った。
「いや、いかん」
 断じていかん。相手は29才も年下なのだ。
 ローゼンクロイツが29才の時に、彼女が生まれたという事だ。父親ほども歳が違う。お父さんと呼ばれたって、おかしくない。
 ぴたり、とローゼンクロイツは足を止めた。
 ドアを開け、ルツが廊下に立ちつくすローゼンクロイツをきょとん、と見つめている。
 やがて、うっすらと笑みを浮かべた。
「‥‥先生の足音が聞こえましたから‥‥」
 彼女の部屋はきちんと整理され、そして机の上にはあの日記が置かれていた。そわそわと部屋を行き来しながら、彼女は日記帳を手にとって収める。
 やや落ち着き無く、部屋を行ったり来たりした後、カップを手に取った。彼女はいつも、こうしてカップを温め、湯を沸かしてローゼンクロイツを待ってくれている。しかも自分の足音を聞き分けられるという事は、よっぽど自分に関心を持ってくれているのだろう。
 ルツはコーヒーを入れながら、ローゼンクロイツに話しかけた。
「‥‥先生は‥‥総統閣下とはずっと古くからおつき合いなさっているんですよね」
「ええ」
 ルツの表情には、どこか陰りがある。何かを気にしているようだった。振り返り、焦ったようにルツが話し始めた。
「私‥‥全然気にしませんから。あの‥‥先生が誰とご関係をお持ちであろうとも‥‥」
 と言いながら、ルツはカップを取り落とした。テーブルに転がったカップを持ちなおし、あたふたとコーヒーをいれ直す。
 ‥‥ああ、とローゼンクロイツは思い立って声をあげる。
「あの噂‥‥ですか」
 噂、と聞いてルツはくるり、と背を向ける。
 これぞ、身から出た錆。
「とんでも無い、あれは噂にすぎません。閣下に対しても失礼だ」
 思わずローゼンクロイツは、弁解していた。あれは自分を言い聞かせる為のものだったはずなのに‥‥。
 ルツは少し表情を和らげ、ちらりとこちらを振り返った。
「そう‥‥ですか。ごめんなさい」
 ルツの安堵の微笑み。それは他の誰にでもなく、ローゼンクロイツに向けられていた。
 彼女が日記に向けていたのと同じ、少し恥じらいのある笑みを。これが何を差すのか、もうローゼンクロイツにも分かっていた。
 彼女は大切に暖めていたカップにコーヒーをいれ、ローゼンクロイツに差し出した。
「さあ先生、暖かいコーヒーをどうぞ」

(担当:立川司郎)