PSYCOMASTERS TOP
新しいページを見るクリエーター別で見る商品一覧を見る前のページへ


<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


過去を知る者、今を見る者

 湿ったような空気に覆われた建物の中、雑音を含んだ息遣いが響いていた。漆黒の装甲が点滅する明かりを鈍く反射させている。
「レオ、ここに何があるというのですか?」
 先導するように進んでいた漆黒の装甲に包まれた男はゆっくりとした動作で後ろを振り返った。錆びれた建物の中で、声をかけた少年はひときわ鮮やかに見えた。少年の真紅の瞳に黒い装甲が映りこんでいる。
 少年は風道・朱理、彼を先導する漆黒の装甲で身を包んだ男はサード・レオという。二人の周りには常に血の匂いがまとわりつき、紅と黒の色合いが二人を彩っている。
 レオは少しの間朱理の方を見ていたが、再び奥の方へと歩き始めた。一歩、また一歩と歩みを進めるたびに漂う死臭は色を濃くしていく。何の建物なのだろうか。疑問が頭をもたげる。レオはこの建物に詳しいらしく、迷い無く先に進んでいた。朱理は周囲を見回しながらレオの後をたどる。
 錆びた鉄の匂いと、酸化した血の匂い、そして腐臭。薄汚れた病院のような建物の中は、現実とはかけ離れた、朽ちかけた印象を与える。耳障りな羽音に首を巡らせると、薄暗い部屋の隅の方でくたびれたように座り込む、鋭い視線とぶつかった。朱理の右手が腰の辺りに伸びる。しかし、朱理が歩みを進めても、その瞳は動く事は無かった。
 手を戻しながら朱理は部屋の隅のものを見つめた。うつろな表情を見せるそれは、生きる証を放棄しながら、そこに存在していた。全ての動きを失いながら、唯一存在だけを残していた。
「これはこれは。来客があったと思って来てみれば、君はいつかの失敗作じゃないか」
 レオの進んだ先の暗がりから男の声が響いてきた。朱理は右手を再び腰のナイフに添えながら、ゆっくりと声を発した男に顔を向ける。レオもまた身構えるように背を丸め、朱理の少し右前方で唸るような声を漏らしていた。
 革靴の音をあたりに響かせながら、男はレオに向かってまっすぐに歩いて来る。痩身の男で、黒っぽいシャツの上にゆったりとした白衣を身にまとっている。右手の人差し指で押し上げる眼鏡は、細く弱々しいフレームが分厚いレンズを支えていた。天井から下がる蛍光灯が瞬く度に、光が厚いレンズに映りこみ、白く反射している。
「あなたは?」
 朱理はいつでも駆け出せるように、右足を少しずつ後ろへとずらしながら、男に対して感情のこもらない問いを投げた。
「私、ですか? 私はここのしがない研究員ですよ。名乗るほどの者でもありません」
 男はにこにこと笑みを貼り付けて二人との間をゆっくりと詰める。
「研究員……。ではここは何かの研究施設だとおっしゃるのですか?」
 張りつめた空気が辺りを支配していた。
「それ以外の何に見えますかな?」
 男は楽しげに笑う。まるで朱理をからかうかのように、笑い声をわざわざ上げているようだった。二人との間に一歩踏み出す程度では届くか届かないか、という安全なスペースを空けると、男は床を鳴らして立ち止まった。同時に笑い声も止める。
「あなたの連れているその黒い塊。それが生まれた所ですよ。……あなたのような綺麗な物を見ていると、私は壊したくなる。この手の中に屈服させたくなる」
 自分の両手を見つめ、何かを思い出すように再び声を上げて笑い始めた。
「何がおかしいのですか?」
「いえ、これは失礼。失敗作でも時には面白い事をしてくれるものだと思いましてね」
 笑い声をぴたりと止めると、男は見下すような視線をレオに落とす。まるで笑い声の再生と停止を交互に繰り返しているような、そんな不思議な感覚を覚える。レオはそんな男を唸るような音で威嚇していた。
「私を満足させる素材には、久しく出会っていませんからね。来客に対して、皆余りに無頓着すぎるのですよね、ここの人は」
 男は落ちかけた眼鏡を右手で押し上げる。
「では、あなたは私達を殺しにきたのですか?」
「まさか……私は好奇心でここまで来たのですよ。組織にとってはどうでもいいことのようですが、私はそうは思いません」
 男はわざとらしく肩をすくめて見せる。
「言いましたでしょう? 皆来客に対して無頓着すぎると」
 男は小さく微笑んでから二人に背を向けてから、覗き見るように振り返った。
「時間がありましたらご案内いたしますよ」
 レオは変わらず唸っている。よほど男の事が気に入らないのだろうか。朱理にしても好きか嫌いかの二択を迫られれば後者を選ぶだろうが。
「いかがいたしますか?」
 意味ありげな笑みを顔に貼り付けたまま、男は朱理に問いかける。朱理はしばらくレオと男との間で視線を行き来させた。
 この施設に転がる幾つもの死体は、このレオがあさったモノなのかもしれないし、研究の犠牲となったモノ達なのかもしれない。探りを入れようと思って朱理の見つめた男の瞳には、ただ何かを楽しむような光が灯っているだけだ。男には朱理が研究の素材としてしか映っていないのだろうか。まるで子どもが新しい玩具を見つけ、どうやって遊ぼうか迷っているような、そんな雰囲気がその瞳の中にある。
「いかがいたしますか? 案内いたしますか? それとも……」
「今回は遠慮させていただきます。――レオ、あなたはどうするのです?」
 男の言葉を遮って、朱理がレオに声を掛けた。
「そんな失敗作に人の言葉なんて分かりませんよ。今となっては自分が何者かさえ見失った、野生の狼ですからね。本能のままに狩りをするだけ。それだけの生き物ですよ」
 男の言葉を背に受けながら、振り返ったレオはこもった声を上げて朱理の方を見た。そのまま朱理の方へと歩み寄る。朱理はレオを見ながら、警戒態勢をとく。男は攻撃する意思も無さそうに見えた。いや、何より朱理自身が男と関わる気力を無くしていた。
「おや、飼い主を変えたというのですか? まぁ、いいでしょう。所詮は失敗作に過ぎないのですからね」
 男は嘲りの言葉を強調させる。レオは振り返ったかと思うと、男に向かって飛び掛った。油断していた男は胸の辺りをレオの装甲で強かに打たれ、床に転がると胸元を押さえた。
「レオ」
 男の肩を押さえつけ、大きく口を開けたまま、レオは制止の声を上げた朱理に視線を動かした。止めた事を責める様に、レオは大きく唸り声を上げる。
「そんな人間を食べても、おいしくはないですよ。食べるなら、もっと新鮮なおいしい物にしたらどうですか? 私について来るほどなら、もっとグルメなはずでしょう?」
 朱理の言葉を理解したのか、レオは雑音交じりの吐息を漏らしてから、押さえつけていた男を軽々と弾き飛ばして朱理の元へと飛び退った。男は胸を押さえ半身を起こす。
「まさか、情けをかけるとかそんな言葉を言うつもりじゃないでしょうね。それで殺人鬼なんて言葉を背負うつもりですか?」
 苦痛に顔をしかめながらも、楽しげな笑みを貼り付け朱理の方を見上げる。
「御冗談を」
 朱理は男の言葉に鼻先だけで笑い、男に背を向ける。
「あなたを殺さない理由を挙げるとするなら、あなた程度の人間では私を満足させる事ができないから、に決まっているでしょう?」
 振り返ることもなく言葉を男に放ると、朱理はまるで何事も無かったかのように元来た廊下を戻っていく。レオは男に一瞥を送ってから先に行く朱理を追った。
「ふふ……。はははっ」
 進んでいく朱理の背後から笑い声が響く。
「面白い。面白いですよ。いつか私を生かしておいた事、後悔する日が来ても知りませんからね」
 狂ったような笑い声と、男の捨て台詞が朱理の耳にも届いていた。しかしそれを無視して腐臭の漂う男を後にする。

 屋外に出ると、絡み付く腐臭を払うかのように、乾いた風が朱理の漆黒の髪をすくように流れて行った。明るい日差しが二人を現実に引き戻すかのように上空から注いでいる。心地よい風に包まれながらレオは立ち止まり、先に歩く朱理を目で追った。
「――朱……理」
 数歩離れた所から、搾り出すようにレオはそれだけを口にする。朱理は風に乗って聞こえた音に妖艶な微笑を浮かべてレオを振り返った。
「餌の心配でもなさっているのですか? ご心配無く。あなたが私の影で貪欲な狼である限り、不自由はさせませんよ。――影狼……、攻撃的なあなたにはぴったりの言葉ではありませんか?」
 朱理は容姿の美しさに見合う、極上の笑みをレオに送る。レオは朱理が再び歩き出すまで真紅の瞳を朱理に固定していた。所定の位置であるかのように、レオは朱理の斜め後ろで朱理の歩みに合わせて歩いていく。

 乾いた風が二人の背中を後押しする。しかしそんな風の中でも、建物の中で染み付いた腐臭は鼻の奥の方でわだかまっているような気がしていた。