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<東京怪談ノベル(シングル)>


記憶の糸の繋がる先に……

 セピア色の写真のように、記憶の中の風景は色が褪せていた。はるか遠い記憶。彼の心に眠る記憶。誰も図り知ることの無い世界を、彼は時折彷徨う事があった。
 今の彼にはいつも一緒に黒髪の少年がいる。自分と同じ血のような紅い瞳を持つ少年だ。この少年と出会って食事に困らなくなったが、何も考えなくて良かった思考回路が、余裕を持つことで望まない記憶や思考が流れ出るようになった。一人で起きている時、時間を潰すために眠りにつく時、ふと記憶が蘇る。
 もう二十年近く前の記憶になるのだろうか。彼はまだ子供だった。何も知らない子供だった。その時に自分は変わった。正しくは変えられた。――あの組織に。
 耳元で聞こえる声があった。深い眠りからたたき起こすかのように、それはずっと呼びかけ続けていた。それは耳から入ってくるにもかかわらず、頭へ直接語り掛けてくるような気がしたのを、今でも覚えている。

「ねぇ、兄さん」
 少し軽い感じの高い声が呼びかける。
「ん? 何だ?」
「あれが僕らの新しい兄弟かい?」
 低い声を間延びしたような軽い声が覆う。
「そう……新しい三番だ」
「前よりもずいぶんと厳つくないかなぁ」
 二人は自分の周りを歩いているらしい。衣擦れの音がする。だが金属音は聞こえない。それはそうだろう。彼らは自分とは違うから。
「ずいぶんとおとなしいものだ。……だが私は彼の深い絶望を感じる……。五番、お前はどうだ?」
 低く呟く声。
「どうだろう。僕にはそんな能力は無いからね。でも、今度は何を企んでる? 兄さん……いや、一番。一番の考えている事は僕には分からない時があるんだよね。だけどなんとなく面白そうだから僕は協力するよ」
 重たいまぶたをやっとの思いで持ち上げる。
「あれ、新しい兄さん起きちゃったみたいだね。初めましてだけど、僕もう行かなきゃいけないから」
 兄さんと声をかける割には、自分よりも年上にしか見えなかった。
「ちゃんと体が動くようになったら、一番の兄さんとだけじゃなくて、僕とも遊んでよね」
 音もなく、くるりと背を向ける。静かに長い黒髪が、遅れてしなやかな体にまとわりついた。
「もう行くのか」
「うん。ちょっと今日は野暮用でね」
 視線を動かすと、真紅の唇の鮮やかな男の顔が見えた。この人が一番と呼ばれていた方だ。
「そうか」
「じゃぁ」
 扉のしまる音だけがした。そして真紅の唇の男が冷たく感情のこもらない視線を落としてくる。
「三番、少しは認識する能力が残っているのか?」
 話している事はなんとなく分かった。それは言葉の感じやそれにこもる感情からだったが。
「鮮やかな血色の瞳か。好きな色だ。……これからが楽しみだ」
 男は声を殺して笑う。

 映像としての彼の記憶はそこで途切れている。それが彼の、サード・レオとしての誕生と目覚めの記憶だった。
 眠り疲れた重たい体を持ち上げると、まだ日の上っていない時間だった。セピア色の記憶の夢は目覚めとともにその色を落としていく。記憶をたどるたびにその記憶が薄れていくように思った。人として生きていくことさえ、もう難しいということだろうか。それとも最近の出来事が記憶を塗り替えようとしているのだろうか。そんなことを考えながら伸びをするように体を動かした。動かすたびに装甲の擦れ合う音が、静まり返った部屋の中に浮いたように聞こえる。
「……君に新しい力を与えよう」
 不意に声がした。気配を感じなかったというのに、視線の先の方の暗がりで、確かに真紅の唇が動いている。
「――オマエ……ハ?」
 久しぶりに発した誰何の問いに、その真紅の唇から笑うような息漏れが聞こえた。
「1番、ファースト・レオだ。まさか私を忘れてしまったわけでは無いだろう?」
 言うと男は暗がりを抜け出して、かすかに光を放ち始めた太陽光のもとに姿をさらす。男の黒いコートは、その太陽光を拒絶するかのように光を反射させる。冷たく見下すような双眸が、高い位置からレオを見下ろしていた。
「私に協力してくれるな、三番。……世界をリセットするために……」
 射抜かれたように、視線をその男からそらす事ができず、レオはその男をただじっと見返していた。
「もう一つの駒も近いうちにそろう。全てが揃えば……」
 紅い唇がいやらしいほどに妖しく曲げられる。
「だから、協力してくれるな」
 男は右手をレオの方へ差し出してきた。レオは低い唸り声でそれを拒絶する。
「おやおや。やはりご主人様の言う事しか聞かなくなったか。……それでもいい。そうなればご主人様を説得するまでだけのことだ」
 男は楽しげに微笑む。レオは何かに反発するように男に向けてうなり声を上げる。
「ほぅ、人の心も、言葉も、すべて失ったと思っていたのだが? ……そういうわけでもないらしいな。面白い。次に会った時のお前の変化が楽しみだ」
 黒いコートを翻しながら後ろを向く。そう思った直後には男はその姿を消していた。どこに姿を消したかと、レオはあたりを警戒しながら首をめぐらせる。
「お前にはもう力を与えた。後はお前が気づくだけだ。その新しい力に」
 いっそう大きい動作で辺りを見回す。気配だけは確かにするのだ。自分を押しつぶそうとするかのような強い力を感じる。視界に飛び込んだ太陽光に瞳を焼かれてレオは強く瞳を閉じた。
「時は来る。……それまでに与えた力、こなせるようになっておけ」
 声が消えると同時に、押さえつけられるような力も消えた。――あの男は苦手だ。
 レオはため息をつくと装甲をこすり合わせてその場に座り込んだ。
 腹が減った。だが連れの少年が目を覚ますのはずっと後の事だろう。仕方なくレオは部屋の隅の壁に背を預けて座り込んだ。動きを止めると、自分のかすれたような息遣いと、一定のリズムを刻む寝息が聞こえていた。少年が目を覚ましさえすれば、また食事にありつけるだろう。腹を空気で満たしてから、レオは紅い双眸を閉じた。
 気配はない。だが何かに見られているような感覚はいつまでも残っていた。