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<東京怪談ノベル(シングル)>


The silver moon


 瓦礫製の丘を乾いた風が撫ぜていった。暮れた空には既に身を隠した太陽に代わって月が姿を現している。折しも今宵は満月。色の抜けた白い月は磨き込まれた鏡のように、透明な光を反射する。
 なかなかに幻想的な光景だ。
 いびつな形の丘を見上げ、白神空は感じ入ったため息を漏らした。
 傍から見ればそう言う空自身もこの幻想的な光景の一部に見えるだろう。白皙の肌と銀の髪はまるであつらえたように月明かりに映える。
 市街地から随分と離れたこの丘は、昼間でさえ訪れるものは少ない。夜ともなれば尚更で、辺りには人影もない。物好きな空だとて、好奇心だけで訪れるにはいささか面白味に欠ける場所だ。依頼を受けなければ、おそらく一生足を踏み入れるようなこともなかっただろう。
「こんな所が縄張りだなんて……」
 変わった坊やね、と呟いて、空は瓦礫の山に挑むべく足を踏み出した。


 繁華街の雑踏の中、誰かに呼ばれたような気がして振り向いた空の視線の先に、その少年は立っていた。夜の歓楽街には似つかわしくない年頃だが、大人びた表情をしている。そして一際目を引くのは銀色の髪と瞳。
 空と目が合うと少年はにこりと笑って見せ、ひらりと身を翻して雑踏の中に紛れ込んで行った。
 ――挑発された。
 面白いじゃない、と唇を舐め、空も同じように雑踏をすり抜けて少年の後を追う。見え隠れする銀髪を追って人の波を掻き分け、路地から路地を渡る。銀の色彩を持つ二人の鬼ごっこは、随分とその夜の通行人たちの目を楽しませた。
 幾つ目の路地に走り込んだ時だったか。少年は不意に歩みを緩め、足を止めた。さほどの間もなく同じ路地に駆け込んで来た空は少年の姿を認め微笑む。
「随分足が速いのね」
 そろりと近付いて少年の頬に手を伸ばす。少年は後ずさったが、背後は壁。空は壁に手を付き、少年は空の両腕の間に閉じ込められる形になる。
「捕まえたわよ」
 耳元でそう囁くと少年はくすくすと笑い、額にかかった髪を払って空に顔を向ける。
 空と同じ銀に輝く双眸。幾分硬そうに跳ねた髪がいかにも少年らしい。切れ長の目と高い鼻のせいか幾分きつい印象を受けるが、微笑むとがらりと柔和な印象に変わる。幾人に尋ねても満場一致で美少年と言う判定が下るに違いない。
 こんな可愛い子にありつけるなんて今日はツイている。
 上機嫌で少年の頬を撫でる空の手に自分の手を重ね、少年は目を細めて笑った。
「おねえさん、エスパーでしょ?お願いしたいことがあるんだけど」
「……坊や、あたしを知ってるの?」
 少年は頷き、空の目をじっと見つめた。
「聞いてくれる?」
 不安げに眉を寄せて見上げてくるその様子が可愛いやらいじらしいやらで、空は一も二もなく頷いていた。少年はほっとした表情を浮かべる。
「良かった。……あの、あんまりお金ないんだけど、これ……」
 ごそごそとポケットを探り、少年は小さな袋を取り出す。ちゃりちゃりと音の鳴る様子からして、中身はほとんど硬貨だろう。
 遠慮がちに差し出された袋をそっと押し戻すようにして少年の手を包み込み、ぎゅっと握った。
「いいわよ、お金なんて」
「……え?でも……」
 怪訝な顔をした少年の顔を覗き込んで、空はにいっと笑う。
「どうしてもって言うんなら、今夜おねえさんと遊んでくれる?」
 気にいった依頼は受ける、気に入らなければ受けない。それが空のやり方だ。今回はと言えば、内容を聞かずに受ける気になったほど依頼主が気に入ったと、そう言うことである。
 少年はますます怪訝そうに首を傾げたが、ややあって意味を理解したらしく、かすかに頬を染めて、おねえさんがそれでいいなら、と呟いた。


 ビルが崩れでもした跡なのだろうか、足元に転がるコンクリートの塊からは大小の鉄骨が突き出て空の行く手を阻む。ピンヒールのブーツで来たことを少し後悔しながら、空は横倒しの錆びた鉄骨を跨いだ。
 自分たちの縄張りの丘に最近おかしな奴らが住み着いて困っているから、追い払って欲しい。それが少年の依頼だった。手段は問わないと言うことだったので、折角だから女の武器をフルに生かそうとそれらしい格好をしてきたのだが。
「こんなとこだって知ってたら、別の格好してきたのに……」
 何も言ってくれなかった少年を恨めしく思いつつ、足場を選びながら瓦礫の中を進んでいく。
 無機質な瓦礫の山と見えたものも、その中に踏み込めばしっかりと生命が息づいていることが判る。瓦礫の下を少し覗き込めば意外なほどに雑草が茂っているのだった。
 小さなものたちの生命力に感心しつつ歩いていくと、前方に明かりが見えた。突き出した鉄骨にカンテラが掛かっている。
 どうやらあれが今回のターゲットらしい。いかにも野盗然とした大柄な男が四、五人、瓦礫に囲まれた広場のような場所で談笑している。
 さあ、ここからが腕の見せ所だ。
 空は赤い舌でぺろりと唇を舐め、男たちの方へと向かって行った。気配を消してもいないので男たちもすぐに空に気付き、警戒する視線を向けてくる。
 その警戒心を解きほぐすように、空は艶然と微笑んで男たちの目の前に躍り出た。苦心して鉄骨とコンクリートの障害物を抜けてきたおかげで掻き傷一つ付いていないシフォンのスカートがふわりと広がる。
「何だテメェ……」
 瓦礫と美女。不釣合いな取り合わせに男たちは戸惑ったように空を見る。
「てめぇなんて失礼ね、レディに向かって」
 くすくすと笑いながら空は手近なコンクリートのブロックに歩み寄り、砂を払って腰掛けた。脚を組んだ拍子に白い腿が覗き、男たちの視線を奪う。
「安心してよ、同業者だから。――って言っても、しがない街場のスリだけど」
「……どうだかな」
 一番奥に座っている、おそらくはリーダーであろう男が鼻を鳴らして笑う。
「何よ、疑ってるの?」
「俺たちは用心深いんでね」
「あんたが公安の回し者じゃねえ、って証拠もねえしな」
 決まりきったようなやりとりに内心苦笑する。面倒臭い、と言った態で空は長い髪をばさりとかき上げた。白銀の髪が月光にきらめく。
「疑ってるなら、調べてくれても構わないわよ?」
 すっと立ち上がり、男のうちの一人に擦り寄る。男は一瞬警戒する様子を見せたが、空の微笑に見惚れたのか、突き放すとも受け入れるとも付かない格好で固まってしまった。
 空はくす、と笑って、するりと上着を肩から落とした。白い肌が胸元近くまで露わになり、月光を受けて妖しく光る。
「武器を隠してないかどうか、ちゃんと調べるといいわ」
「……へえ。じゃ、遠慮なく」
 空の肌に男の無骨な手が触れる。他の男たちも次々と空の周りに集まり、我先にと手を伸ばしてきた。
「乱暴にしないでね――」
 笑いながら言った空の言葉は、男たちの荒い息遣いにかき消された。


「さて、と…」
 上着を羽織りなおしスカートに付いた土埃を払って、空は夜の空を見上げた。さすがの空も五人の相手をするのにはそれなりに時間がかかり、既に時刻は真夜中に近い。
 丸い月が中天にかかって、空と五つの死体を照らし出していた。
 男たちは空の身体をくまなく調べ、武器らしきものを何も持っていないと言うのが判って安心したのか、警戒心は何処へやら。行為が終わると無防備に寝入ってしまった。
 空は確かに何の武器も持っていなかった。だが、エスパーの空に武器などは必要ない。全員が寝入った所を見計らって玉藻姫へと姿を変え、その爪で文字通り寝首を掻いた。
 これで依頼終了である。
 後は少年に報告を済ませて、あわよくばもう一晩ぐらい……。
 そんなことを考えながら来た道を戻っていく。空が突き出た鉄骨を避けて進路を変えたとき、前方に人影が見えた。あの少年だ。
 おねえさん、と、少年は瓦礫を跳び越え空の元に駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「バッチリよ。もう大丈夫」
 空が笑ってみせると少年は嬉しそうに笑って頭を下げた。
 そうして、その場で身軽に飛び上がると、空中でくるりと一回転してみせる。
「……――!」
 着地した時にはもう、それは少年の姿をしていなかった。ぴんと尖った耳の、銀の毛並みの四足の獣、……狐だ。
「…………」
 空が絶句していると狐はコンと一声鳴いて、また宙でくるりと一回転した。着地する時には元通り、少年の姿に戻っている。
 少年――もとい、狐は空の顔色を窺うように上目遣いでこちらを見上げた。突然の出来事で一瞬頭の中が真っ白になっていた空も、徐々に状況が飲み込めてきて、どういうことか理解した時には思わず笑い出してしまった。
「もしかしてあたし、化かされた?」
「ごめんなさい……、騙すつもりじゃなかったんだけど」
 しゅんと身を縮めてしまった少年をあやすように空はその頭を撫でた。
「いいのよ、怒ってないわ」
 坊やはおいしかったしね、と耳元で囁くと、少年は恥ずかしげに俯いてしまった。
「縄張りなんて、おかしなことを言うと思ってたけど……」
 空はぐるりと辺りを見回す。
「こういうことだったのね」
 この瓦礫の丘も自然を失った動物たちには貴重な住み家に違いない。滅多に人も近寄らないここは、食料の都合さえつけば随分と住み良いだろう。
 ふと見れば、そこここの瓦礫の陰から尖った耳やふわりとした尻尾が覗いている。少年の仲間の狐たちだろう。少年が周りの狐に合図するように目配せすると、狐たちは一斉に空に見えるように姿を現した。皆、一様に銀の毛並みをしている。
「ねえおねえさん、お礼に僕らにご馳走させてよ」
「ご馳走?……泥団子なんてのは嫌よ?」
 まさか、と笑って、少年は空の手を取って歩き出す。その周りを取り囲むようにして、狐たちは音もなく歩く。
「お酒だよ、僕ら特製の果実酒。甘いお酒は嫌い?」
「あら、お酒は何でも好きよ」
 少年に導かれて連れて行かれた先は、コンクリートの壁が横倒しになって、まるでステージのように一段高くなっている場所だった。
 その正面に少年と空が並んで座ると、すぐに女性達が紫色の果実酒を運んでくる。気がつけば周りの狐は皆、人間に姿を変えていた。年代は様々だが、皆揃って銀髪で切れ長の目をしている。
「それでは、僕らの丘に平和が戻ったことを祝して、――乾杯!」
 少年が音頭を取り、グラスをぶつける音があちこちで響くと同時に、瓦礫のステージの上に狐たちが何匹か走り出た。
 一斉に宙に飛び上がりくるりと一回転。着地する時には姿がすっかり変わっている。
 薄布を纏った女性、鎧兜の騎士、お伽話のドラゴン、スーツ姿の男性。
 くるりくるりと姿を変え、短い物語が幾つも展開されていく。観客の狐たちはそのたびに喝采を浴びせ、幾度も乾杯を繰り返す。
 空も大いに飲んで楽しんでいたが、元来派手好きの空のこと。酔いも手伝って、目立ちたくて仕方なくなってくる。
「――よーし、あたしもやるっ!」
 勢い良く立ち上がった空に隣の少年は驚いて目をしばたかせていたが、空は構わずステージに上がりポーズを取ってみせる。スカートを摘んでちょこんとお辞儀をすると、狐たちから拍手が浴びせられる。
 空はゆっくりと顔を上げ、ふわりとスカートを翻して身体を反転させた。――と、空の身体が見る見るうちに羽毛に覆われていく。
 ばさりと言う羽音と共に、空は今や翼と化した両腕を力強く羽ばたかせて空中に舞い上がった。
 狐たちは呆気に取られて空を見つめる。数瞬の間があり、歓声と共に割れんばかりの拍手が空を包み込んだ。観客の反応に気を良くした空は客席の上を飛び回って見せ、更なる拍手を誘った。そして、狐たちも負けじとステージで変化を繰り返す。
 白銀の月が見下ろす中、宴は明け方まで続いた。