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<東京怪談ノベル(シングル)>


 『祈りの秋』


 初秋。
 夏から受け渡された暑さを未だ残しながらも、空気は既に色を変えていた。
 境内で喧しく鳴いていた蝉の声も今はもう聞こえず、夜になれば、秋の虫たちの発する音楽が、ハーモニーとなって辺りに響く。

 森杜彩は自室に籠もり、今夜執り行われる儀式の準備をしていた。
 『準備』といっても、殆どの作業は終わっている。随分と前から多くの人数を割き、綿密に進められて来たからだ。彼女がしているのは、巫女としての役割を果たすための最終確認と、精神集中である。

 この時期に行われる『儀式』とは、豊作祈願。
 この時代、豊作であるかどうかは、即食糧危機に繋がるため、かなり重要といえる儀式だ。
 彩が居る神社は、雷神を祀っている。
 『雷が落ちれば豊作』という故事に倣い、稲作の神としても崇められていた。
 実は、彩は雷神の力を借りて雷を使うことが出来る。そのため、儀式の形式をとらなくても、雷を落とすことは可能なのだ。
 だが、彼女と一緒に暮らし、今回の儀式の祭祀を務める義兄曰く「ただ雷を落とすだけでは超能力と変わらず、ありがたみがない」との事で、神社の近くにある田圃に祭壇を組み、大掛かりな儀式が執り行われる、というのが毎年の恒例となっていた。
「――彩、準備は進んでるか?」
 唐突に掛かった声と、部屋の戸が同時に開く音。
 彩は、ゆっくりとそちらを向くと、穏やかに微笑んだ。
「――はい、お兄様」
 確認もせずに戸を開けたことに、彩は腹を立てたりはしない。彼女の義兄は、いつもそういう振る舞いを平気でするから、彼女ももう慣れている。
 そうして、義兄はずかずかと部屋に入ってくると、彩の耳元で囁いた。
「――子宝祈願の儀式のリハーサルでもするか?もちろん、二人っきりで」
 その言葉に、彩の色白の顔が一気に朱に染まる。
「――お、お兄様!!」
 雷を呼んだ後には、子孫繁栄を願った儀式が行われる。これは、祭祀と巫女が交わる、というものだ。勿論、本当に交わるわけではなく、その振りをするだけなのだが。
 真っ赤な顔をして俯いている彩の姿が面白かったのか、義兄は喉の奥でくつくつと声を立てながら、ニヤリと笑う。
「――冗談だよ、冗談」
 そう言うが、彼の場合は、どこまでが冗談で、どこからが本気なのか分からない。そのため、彩は戸惑わされることが多かった。
 まだ目線を床に這わせている彩には構わず、義兄はまたすぐに部屋を出て行った。
 祭祀である彼の場合、まだやることが色々とあるのだろう。
「もぅ……」
 彩の速まった胸の鼓動は、まだ収まってはくれない。
 義兄は、いつもそうなのだ。彩をからかっては、それを楽しんでいる。
 それに、彩の仄かな想いに気づいている節があってやっているようだから、性質が悪い。
(お兄様とリハーサル……)
 その光景を想像して、彩の体温は更に上昇した。
「私ったら、何を考えてるのかしら……」
 その思いを振り払うように、彩はまた、精神統一を再開した。



 夜空には、散りばめられた金平糖のような星の粒たちが拡がり、光を放っている。
 上弦の月は、流れ行く細い雲を仄かに照らしては、また暗闇へと送り出すことを繰り返していた。
 神社から程近い場所にある畦道が交差する場所に、太い木が組み合わされ、構築された臨時の祭壇が聳え立つ。
 近隣の農民たちが大勢集まり、それを遠巻きにして見守っている。
 彩は、時が来るのを待っていた。
 長い沈黙。
 義兄が、神妙な顔つきで、彩へと視線を送った。
 小さく頷く彩。
 義兄の唱える祝詞が始まった。
 朗々たる響き。
 それに合わせ、彩は立ち上がり、奉納の舞を舞い始めた。
 右手に持った扇を、ゆっくりとはためかせながら、彩は厳かに舞い続ける。
 時に天を仰ぐように。
 時に地に頭を垂れるように。
 観衆は、彩の美しい姿と、優雅な舞に圧倒され、息を呑んで見守っていた。
 段々と熱を帯びてくる祝詞の響き。
 それに同調するように、激しくなっていく彩の動き。
 銀糸のような彩の長い髪が、周囲に焚かれた篝火の明かりを受け、幻想的な光を放つ。
 集中されていく意識。
 収束していく空気。
 彩は、次第にトランス状態へと陥っていく。

 その時、観衆がざわめいた。
 空が、急激に曇り始めたのだ。
 祭壇を中心に、渦を巻くように急速に集まってくる黒い雲。
 空に飾られていた星や月は、その黒いベールに包まれていき、姿を隠す。
 やがて。
 天は不機嫌な猫の出す声のように、ゴロゴロと鳴り始める。
 時折、黄金色の光を発する空。それに映し出される雲のシルエット。
 観衆はまさに、祈るような気持ちでそれを見守っていた。
 益々勢いを増す祝詞。
 何かにとりつかれた様に踊る彩。
 それが最高潮に達した時――

 天が、閃光を発した。
 雷は真っ直ぐに、祭壇のやや後方の大地へと向け、楔のように打ち込まれる。
 辺りに響く轟音に、観衆は悲鳴を上げた。
 そして。
 周囲が静寂に包まれてから暫くして、農民たちの喜びの声が響き渡った。
 手を叩く者たち。
 抱き合う者たち。
 飛び跳ねる者たち。

 祝詞が止む。
 トランス状態から我に返った彩には、観衆の声が、遠くに聞こえるような気がしていた。
 身体中を取り巻く倦怠感と疲労感。
 少しだけ、眩暈がした。
 雷神の力を借りて雷を使うこと――特に、今回のような大規模なものになると、心身ともにかなり消耗する。
 彩の白い肌は上気し、思わず肩で息をしていた。
 倒れそうになるのを、必死で堪える。
「――彩、まだ終わりじゃないぞ」
 立ち上がってこちらへと寄ってきた義兄が、彩に声を掛けてくる。
「……はい……お兄様……」
 この後、子孫繁栄を願う儀式が待っている。
 朦朧とした意識のまま、彩は小さく答えた。

 迫ってくる義兄の端正な顔。
 頬を伝う汗。
 衣擦れの音。
 二人の距離は、とても近い。
(お兄様……ああ、これが本当だったらどんなに……)
 ぼんやりとした頭で、彩は儀式の最中だということも忘却の彼方へと押しやり、そのような不謹慎な事を考えてしまう。
「彩……お前、今、やらしいこと考えただろ?」
 まるで彩の心中を見透かしたかのような義兄の言葉に、彩の顔は益々赤くなり、彼女は恥ずかしさのあまり、目を伏せた。
 そのような二人のやり取りは周囲には聞こえない。
 だが、雷が落ちたことで浮き足立っている上に、やはり性行為の真似事が面白いのだろう、観衆は、神聖な儀式ということも忘れ、大声で二人を囃し立てていた。

 儀式の大半は終わりを迎え、義兄が『場』を整える作業に入る。
 その頃には、農民たちも、再び神妙な表情に戻っていた。

 そして、今年も豊作祈願は無事終了した。
 観衆が、一人、また一人と去っていく。
 力を使い果たした彩は、殆ど意識を失ったような状態で、祭壇の隅に横たわっていた。
 彩の傍に義兄が歩み寄り、彼女の身体を軽々と抱え上げる。
「――頑張ったな」
 薄れ行く意識の中で聞こえる、心地よい義兄の声。
(お兄様……)
 彩は、思わず抱きつきたくなる衝動を、必死で堪えた――というより、その気力もなかったのだが。

 毎年行われるこの儀式は、彩にとっては過酷なものだ。
 だが、義兄に抱きかかえられ、労いの言葉を掛けられる瞬間は、彩にとっては至福の時だった。

 それだけで充分だ、と彩は思う。
 空は既に元のように澄み渡り、月が柔らかな光を灯しながら、二人を見下ろしていた。
 それを見てから、間近にある義兄の顔に目を向ける。
 そして、義兄の腕に抱えられている自分の身体を感じながら、彩は、ゆっくりと目を閉じた。

 雷の衝撃から立ち直った虫たちが、穏やかな音楽を奏でている。
 秋の夜は、静かに更けて行った。