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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


【セフィロトの塔】Emergency call2


【Opening】

 突然、その扉が勢いよく開いたかと思うと、いかつい顔をした恰幅のいい初老の男が転がりこんできた。
 怪しげなオブジェ達に囲まれた、通称『トサカの間』で、見るからに胡散臭い実験をしていたマッド・サイエンティスト――エドワート・サカが、贅肉でぶよぶよに太らせた体をそちらへ向け、不機嫌に眉を顰めて言った。
「なんじゃ、騒々しい。わしは今、プリンに醤油でウニの味が作れるかどうかという大事な実験で忙しいんじゃ」
 彼は真顔である。
 だがその内容は、どこまで本気なのか判断に苦しむものだ。ただ、彼の持っている試験管の中の黒い液体が何であるのか、ちょっと気にならなくもない。
 いや、それどころではなかった。
 転がりこんできた男は、息も絶え絶えに言った。
「あ……ありゃ、タクトニムだ。工場をタクトニムに襲撃された」
 初老の男は、セフィロト整備工場の整備工主任であり、エドワートの旧知であった。
「それで?」
 エドワートは気のない素振りで先を促した。全身から、自分には関係ないオーラがあふれ出している。
「アレが盗まれた」
 男が言った。その瞬間、エドワートの顔色が変わる。
「なにぃ?!」
 整備工主任の言葉にエドワートは慌てて身を乗り出した。
「そりゃ、いかん。よし、怜仁を行かせよう。何としても取り返さねば」
 エドワートは言うが早いか、手元の内線電話の受話器を取り上げていた。
「ありがたい」
 男が礼を言う。
「いやいや、当然の事じゃよ」
 エドワートは胸を張ってみせた。整備工には借りを作っておくのは決して悪い事ではない。
 かくして男は『トサカの間』を出ていった。
 エドワートは怜仁に仔細を話して工場に向かわせると人心地ついたように、先ほどの実験を再開する。
 目の前に置かれた淡黄色の柔らかそうなぷよぷよした物体の上に、彼は手にしていた試験管の中身をわずか垂らし、スプーンでぐちゃぐちゃに掻き混ぜた。
 それを口の中へ運ぶ。
「……失敗じゃ……」
 それから彼はふと、思い出したように呟いた。
「ところで、アレとは一体何の事じゃ?」



 【1】



 整備工場が襲撃されたというのに、武器マーケットはいつもと変わらぬ賑わいを見せていた。これは整備工場とやらが個々に独立した工場地帯のようになっている事に起因しているからだろう。腕に自信のある整備工や闇サイバー医がてんでに軒を連ねた、それぞれが商売敵だったのだ。弱肉強食のこの世界にあって、他工場の襲撃など心配の種であるどころか、ほくそ笑む対象でしかしない。工場が襲撃された、など他の整備工からすれば『管理体制の問題だ』と一笑に伏されるのがオチだろう。
 非合法な裏社会のブラックマーケットなんてそんなものだ。そこに仲間意識を求めること自体ナンセンスであろう。弱味を見せれば飲み込まれる。であるが故に襲撃を受けたノウコム整備工場だって例外なく店を開けていた。売るものがある限り売り続ける。見上げた商売根性だ。
 そもそも、相手がタクトニムだろうが人間だろうが、それはよくある事だった。その程度の事でいちいち大騒ぎをしていたら整備工場の沽券に関わる。
 それに、1つが捕まったところで、どうせまた次が出る事を皆知っていた。が故の諦めがあるのか、或いは腹を括っているだけなのか。
 だからその整備工場が襲撃されても他の整備工連中は意に介さなかったのである。相次げば或いは重い腰をあげたかもしれないが、とにもかくにも現時点では日常茶飯事として処理された。
 そしてその事を百も承知しているが故に、整備工場の主任は自警団ではなく旧知のエドワートを頼ったのである。
 穏便に、内密に、迅速にアレを回収して欲しい、と。

「アレを盗まれたので取り返して欲しいそうです」
 息を切らしながら怜仁が言った。とにかく無口で必要最小限の単語を言葉少なにしか話さない彼にしては珍しく長いセリフである。
 武器マーケットから少し離れた場所にある喫茶店で、コーヒーを飲みながら白神空は思わずお疲れさま、と声をかけそうになった。よく出来ました、とエールを送ってやりたくなるのは、彼の10文字以上の長ゼリフを聞いたのが、これが初めてだったからである。
「で、アレとは何だ?」
 空の隣で同じくコーヒーを啜っていた、青い髪の男が尋ねた。
 ルアト研究所の隣に掘っ立て小屋を建てて住んでいる男で名前をゼクス・エーレンベルクという。少し前ルアト研究所の電気を盗んでいた事がバレ、局地的な大騒ぎを起こした張本人だ。
 ひょろ長い体躯は自らを戦力外と称する貧弱ぶりである。そんな彼が何故ここにいるのか、甚だ疑問で、空は何とはなしに肩をすくめた。しかも気のせいか戦力外のくせに偉そうなのである。
「アレはアレ」
 怜仁が相変わらず単語と最低限の助詞だけを紡いだ。
 それじゃわからん、といきり立つゼクスに怜仁は困惑げな視線を返すだけである。空は別段怜仁が気の毒になったわけでもないが、どうにも拉致があきそうになかったので代弁してやった。
「要するに、わからないって事でしょ」
「わからないでは、捜しようがないではないか」
 ゼクスが憤然としている。
 確かにもっともな言い分だ。とはいえ、そうは言われても空にはどうしようも出来ないし、恐らくは怜仁もどうする事も出来ないだろう。
「大体、その依頼人はどこへ行ったのだ」
 ゼクスがやれやれと言った態で背もたれに体重を預けた。
 空は眉を顰める。自分も大概協調性に欠ける方だという自覚はあるが、彼も充分そんな気がする。
「マナウスに仕入れがどうとかって聞いたけど」
 空が答えた。
 こちらは怜仁からの情報ではなく、空がエドワートから聞いた情報である。ルアト研究所の住人にしてエドワートの娘であるマリアート・サカに会いに、たまたま研究所にきていた空は、そこでマリアートの不在を告げられたのだった。彼女は今、そのくだんの工場主任の護衛とやらでマナウスに出かけているらしい。工場主任も、仕事とはいえ自分の工場がタクトニムの襲撃を受けたのに呑気なものである、とその時は思ったが、今の武器マーケットの様子を見てさすがに少々考えが改まった空であった。
 何れにせよマリアートがいなくて暇だし、という理由で空は怜仁の手伝いにこの場に訪れたのである。後でマリアートに感謝されるなら悪い事ではない、とは、動機がいささか不純であったが。
「科学者が整備工場に預けてたんだったら、普通は何かの試作品とかじゃないのか? タクトニムが欲しがるような」
 それまで黙って何事か考える風に皆の話を聞いていた神代秀流が口を開いた。黒い目が同意を求めるように、或いは意見を求めるように皆を見渡している。
「そうねぇ……科学者と整備工場だし、それも考えられるわね」
 秀流の隣で高桐璃菜がグレープフルーツジュースのストローから口を離して言った。
 秀流と璃菜の2人は、秀流のMSの調整でたまたまノウコム整備工場に訪れていた。そこで事件を聞きアレ回収の協力を申し出たのである。自警団に身を置いている者として、ほっておけなかったらしい。勿論、依頼主の意向に沿って、自警団本部には内密である。
「或いは……ビジター連中には強力なESPを使う奴も多いしな。ESPジャミング装置みたいなものかも」
「確かに抗ESPは考えられるわよね」
 秀流の言葉に空が頷いた。実際に抗ESP樹脂を使っているタクトニムに遭遇した事がある空だ。
 そこへ、怜仁の向かいの席に座っていた男が口を挟んだ。
「タクトニムの中にはサイバー化する奴らもいますし、サイバーパーツや強化系パーツかもしれません」
 このメンバーの中では最年長の紳士然とした男――シオン・レ・ハイであった。武器マーケットを散策中に怜仁と会って空から事情を聞き今回の捜索に加わった1人である。
「でも、『あれ』の知り合いの整備工でしょ?」
 空が『あれ』の部分に力を込めて言った。不審そうに顰められた眉に、その視線が特に焦点を定めず上の方を泳ぐ。『あれ』を思い出しているのだろう、勿論彼女の言うところの『あれ』とは、ルアト研究所所長にしてマッドサイエンティストたるエドワート・サカに他ならない。
 あの鳥頭の類友である。
「バニースーツ型の防弾チョッキとか、メイド服型のパワースーツとかじゃないの?」
 思わず口に出した空はそのままそれらを想像してしまった。彼女の視線は更に明後日の方をさ迷い始める。しかしふと、それを着ている誰かを想像して、変な笑みに変わった。にやけてしまった頬を両手で叩いて、その場を取り繕うように微笑む。
 一方、シオンはそれを聞いて言葉を失っていた。
 それは充分にありえる話だったからだ。彼もまたエドワートを知る1人なのである。あそこの研究所はメイド服姿のうさ耳を付けた親父をメイドに雇っていたりするのだ。だとすれば『特注サイバーうさ耳』だって、全然ありえない話しではない。
「そ…それはさすがにないんじゃないの?」
 あの、が付くマッドサイエンティストを知らない秀流が若干引き気味に言った。そんなものを作る意図にも引くが、それを盗むタクトニムにも引く。ついでに言えば、そんなものを装着したタクトニムとは戦いたくないし、遭遇したくもない。
 しかし空とシオンは、どうしても「絶対ない」とは断言出来なくて視線をあちこちにさ迷わせた。
「意外と工場長と科学者の思い出の品だったりしてね」
 璃菜は両手で頬杖をついて小さく笑ってみせた。勿論場を和ませようという冗談の類であったが、空とシオンはやっぱり否定出来なくてげんなりしていた。
「ま、とりあえず犯人を捕まえればわかるだろ」
 場を収めるように秀流は言って、璃菜を振り返る。
『一体ルアト研究所所長ってどんな人なんだ……』
 とは、口には出さなかった。
 しかし、璃菜にはしっかり伝わっていた。
『普通の人じゃないって事だけは確かみたい……』


 その時『トサカの間』で赤身をトロに変える実験途上にあったエドワート・サカがくしゃみをした。
「うむ。誰かわしの噂をしておるな」
 不快そうに呟いたが、残念ながら犯人はわからなかったという。
 閑話休題――。


 タクトニムに襲撃されたという割りに、そこは雑然としてはいたが荒らされている様子はなかった。一応襲撃を受けたままになっているという10m四方の整備室である。天井近くに換気用の窓が付いていた。蛍光灯が灯ってはいたが、天井が高いため全体に薄暗い。
 一体、この部屋から何が盗まれたというのか。
 6人は捜査の手がかりを捜そうと室内を歩き回った。
「犯人がタクトニムなのは間違いないんだな」
 ゼクスが念を押すように尋ねた。
「そのようです」
 怜仁が答える。
「普通、タクトニムがヘルズゲートの外を出歩いてたらもっと騒ぎになってるよな」
 秀流が考えるように指を顎にあてた。
「そうねぇ。タクトニムが街中を走ってたとしたら、騒ぎになってる筈だし、自警団の無線ももっと飛び交っててもおかしくないわよね。そうでないって事は、人気のないところを選んで逃げてるって事だと思う」
 璃菜が手近の机に持っていたノートパソコンを置きながら言った。
「人型のタクトニムの可能性はありませんか?」
 シオンが誰とはなしに尋ねる。
「それはないんじゃないかしら?」
 空が答えた。
「何故だ?」
 換気用の小窓を見上げていたゼクスが空を振り返る。
「何度か見た事があるけど、あれを街中で見分けるのは難しいと思う。ヘルズゲートの中だから何とか見分けられる代物だもの。整備工でタクトニムと断定出来るとは思えないわ」
 ヘルズゲートの中であっても、一瞬見間違えるほどだったのだ。屠った後の骸を見てシンクタンクだったとわかるほど、精巧な造りの外見は人間そのものだったのである。
 人型タクトニムと遭遇したことのあるシオンもこれには納得げに頷いた。確かにそうだ。
 ゼクスが腕を組んで首をひねる。
「なるほど。なら人型だったとしてもある程度外見で区別が出来るレベルと考えていいわけだな」
 思えば工場内に目撃者は他にいないのだろうか。主任だけがタクトニムを目撃したのか。彼はタクトニムと対峙してどうやって助かったのだろう。そして犯人は、他の目を掻い潜って何を持ち出したというのか。
「聞き込みでもしますか?」
 シオンが提案した。
 しかし璃菜が椅子に座るとおもむろにノートパソコンを開いた。
「ふふ、面白い。マルクト生まれマルクト育ちの私達と鬼ごっこしようなんて豪気よね」
「とは?」
 ゼクスが聞く。
「そうゆう事よ」
 璃菜はそれに満面の笑みを返してみせた。



 【2】



 襲撃のあった整備室で、璃菜は机と椅子を借り、愛用のパソコンを叩いた。中にはビジターの街――都市マルクトの詳細データが入っている。裏道・抜け道・下水道、ありとあらゆる道が網羅されているのだ。このノウコム整備工場から誰にも見つからず逃走出来るルートを割り出す。
 秀流とシオンと空は、璃菜の割り出したルートを辿ってタクトニムのアジトを見つけるべく動き出した。
 自らを戦力外と豪語するゼクスは、前線に出ても足手まといになるだけだからな、と璃菜の元に残っている。
 璃菜は内心で、何で彼はこの捜索に加わっているのだろう、と首を傾げたが、敢えて口には出さなかった。
 そうして璃菜はパソコンでマルクト中を捜査した。マシンテレパスによりマルクト中にあるディジタル装置からタクトニムの痕跡をスキャンしたのである。
 しかしそれはどこにも見当たらなかった。
 どのルートを辿っても電子機器との接触をせずに逃げるというのは不可能なように思われる。最近のロックは殆どが電子ロックであったし、例えば下水道から地下道に抜ける為の扉にも電子ロックが付いているのだ。しかしどのロックにも開けられた履歴が残っていない。勿論、壊された形跡すらなかった。
「何故……?」
 半ばうろたえた璃菜の元に声が届いた。
『大丈夫か?』
 秀流の声だ。通信機も無線機でもない璃菜のテレパスが、ここにはいない秀流の声を拾ったのである。無意識に、弱気が彼に伝わっていたらしい。
 その声にホッと息を吐き出した。彼の声に元気が沸いてくる。
『うん。大丈夫。もう一度スキャン……!?』
 その時だった。
 大丈夫と答えた璃菜の言葉が途切れた。
 整備室の3つの扉は閉じられていた。唯一開いていた天井近くにある換気窓。
 そこから侵入したのだろう。
 それは普通ではありえない大きさだった。
 確かにタクトニムに違いない。それ以外に考えられなかったが。
「なっ……」
 驚愕の声が漏れた。
 絶句してしまった璃菜に秀流の方が蒼褪めたかもしれない。
『大丈夫か? おい、璃菜!?』
 だが、状況は秀流には伝わらなかった。
「虫……」
 璃菜はこれ以上ないくらい大きく目を見開いていた。
『虫?』
 秀流のいぶかしむ声が、ずっと遠くで聞こえたような気がする。けれどその声も程なくして聞こえなくなった。
 その時、璃菜の目の前にいたのはスズメバチだった。
 但し、鳩ほどもある、だ。
 それが璃菜目掛けて飛んできたのである。
 スズメバチの針が璃菜を襲う。
 反射的に璃菜は頭を抱えて小さく蹲っていた。勿論、そんな事でスズメバチの攻撃を回避できるわけがない。
 だが次の瞬間、璃菜は白い布に覆われていた。
 基盤にかかっていたコーティング用の白い布を璃菜にかぶせたのはゼクスである。
 ゼクスは白い布をかぶり、璃菜を庇うように覆いかぶさっていた。
「なっ……、こんなので防げるわけないでしょ!?」
 悲鳴にも似た声で璃菜が叫ぶ。
 確かに、多少分厚いと言っても、布の厚さは数mmしかないのだ。そんなものでスズメバチの針が防げる道理もない。
 しかしゼクスは別段動じた風もなく言った。
「うるさい。さっさとスキャンしろ」
「…………」
「あれがスズメバチならこれは有効な筈だ」
「え?」
 璃菜が目を見開いた。ゼクスを見上げる。
 ゼクスは説明するのも面倒くさげに布の外を窺った。
 彼の言う通りスズメバチの攻撃はなかった。
 スズメバチの複眼は色盲である。即ち彼らが見る世界はモノクロなのだ。その為、黒く動くものにより強く反応する。逆に白いものには反応しないのだ。
 だから白い布は有効であった。
 スズメバチは、突然視界から消えた標的に慌てたに違いあるまい。
「犯人はスズメバチベースのタクトニムというわけだ。あのサイズが飛び回れる場所を見つけてくれ」
 言われて璃菜は再びパソコンをたたき始めた。
 タクトニムの襲撃と聞いて巨大なモンスターやシンクタンクを連想していたが、これは一から捜査を見直す必要があるだろう。
 布の外から銃声が聞こえてきた。
 すっかり忘れていたが、ここにはもう1人怜仁が残っていたのだった。
 恐らくは怜仁がハチを撃ち落としているのだろう。
「あなたは?」
 璃菜はパソコンを叩きながらゼクスに尋ねた。怜仁の応援にはいかないのか、と暗に言ってみる。しかしゼクスは自慢げに答えた。
「俺は戦力外だ」
「…………」
 聞くんじゃなかったと半ば脱力しつつ、璃菜はEnterキーを押す。
「で、一体何をしているの?」
 ロード中のパソコンから顔をあげ、傍らで棒のようなものを組み立てているゼクスに気付いて璃菜が聞いた。
「見てわからないか。虫取り網を組み立てているんだ」
 ゼクスが答えた。一体どこにそんなものを隠していたのやら。
「それでどうするのよ……」
「捕まえるに決まっている」
 尋ねた璃菜にゼクスは胸を張った。
「…………」
 呆気にとられつつ璃菜はパソコンに向き直る。ロードを終えたパソコンのデータを確認していると、ゼクスが続けた。
「スズメバチは大事な非常食だからな」
「は?」
 瞬間、璃菜のパソコンを叩く手が止まる。
 唖然としている璃菜に、しかしゼクスは意に介した風もない。
 程なくして、銃声がやんだのに布から顔を出している。
 璃菜も我に返って顔を出した。スズメバチの死骸がそこここに落ちている。
 それを見たゼクスが突然悲鳴をあげた。
「なんてことするんだ?! 貴重な非常食なのに!!」
 木っ端微塵になったスズメバチの羽を大事そうにつまんでいる。
 どうやら、さっきのは聞き間違いじゃなかったらしい。
「非常……食?」
 璃菜が呆然と呟いた先でゼクスはやっぱり胸を張って答えた。
「スズメバチの成虫は素揚げが一番旨い」
「……やっぱり、食べるんだ……」
 確かに、スズメバチかもしれない。元は。
 だが、これはモンスターに改造されたタクトニムである。
「当たり前だ。食べ物を粗末にしてはいかん」
「…………」
 璃菜は言葉を失った。
 生まれてこの方、タクトニムを食べようなんて豪気な奴と出会ったのは、これが初めてである。



 【3】



 鳩ほどもあるスズメバチ。
 鳩ほどなくてもスズメバチは人に嫌われる存在だった。それは駆除の対象である。
 それ故に璃菜がはじき出した答えはノウコム整備工場であった。この中に蜂の巣があると踏んだのである。
 璃菜のテレパスが突然途絶えた事で、慌てた秀流らは幸いにも整備工場の傍まで戻ってきていた。
 璃菜の指示で整備工場の裏手に回る。
 丁度、整備室の小窓が見えた。
 そこに、普段あまり使われてないらしい物置小屋がこじんまりと建っていた。
 恐らくはあの中にスズメバチの巣があるのだろう。
「3手に別れるか?」
 秀流は壁に背を預け物陰に身を潜めながら物置小屋を窺うようにして言った。
「構いません」
 シオンが答える。
「えぇ」
 空も頷いた。
 と、そこへ偵察に来たのか一匹のスズメバチが飛んできた。
 確かに普通の大きさではありえないスズメバチである。
 そのスズメバチが攻撃を仕掛けた瞬間、反射的に秀流は腰のホルダーに手を伸ばしていた。
 リボルバーを掴んだ瞬間撃つ。
 実際には、構えて、照準を合わせて、引鉄を引く。この動作をコンマ以下の秒単位で成し得たのだ。早撃ちで彼の右に出る者はそうはいない。
 この距離にあのサイズである。ダブルタップは必要ないだろう、スズメバチは半身を弾にもがれて落ちた。
 しかしその直後、物置小屋からわらわらとスズメバチが出てくる。
「ちっ、見つかっちまった」
 秀流は舌打ちして、もう一つ脇のホルダーのリボルバーを取った。
「このまま正面を突破しましょう」
 シオンがブレードを構えて言う。
「アレの奪還が最優先でしょ」
 空が指摘した。確かに、そうだ。乱戦にでもなってアレを破壊してしまうような事にでもなれば、目もあてられないだろう。
「あぁ、そうだったな。アレの回収を頼んでもいいか?」
 秀流が空に尋ねた。
「アレって何なのかしら」
「マイクロチップだろう」
「え?」
「工場からあのサイズのハチが持ち出せるものといえば、ある程度限られてくる。あの整備室では制御基盤の組配をしてるようだったから恐らくはそれだ」
 半分以上は璃菜の受け売りである。
「なるほどね」
 答えて空は両手を広げた。
 全身に白い羽毛が浮かび上がる。ともすれば広げられた両腕は翼へと変化した。
 秀流は一瞬息を呑む。肉体変化のESPは知識としてあったが、こうして目の当たりにするのは初めてかもしれない。
 空が飛翔してみせた。
 半ば呆気にとられてそれを見ていた秀流にシオンが声をかける。
「私はオールサイバーですから刺されても平気です。囮になりますから援護してください」
「あぁ」
 秀流は二挺のリボルバーを掲げて応えた。
 弾数を確認して走り出す。シオンの後に続いて、物置小屋から出て来ていたスズメバチを撃ち落とした。
 物置小屋の正面の扉をシオンが蹴破り中へ踊りこむ。
 秀流は一端小屋の入口に背を預け、リボルバーを逆さに向けて薬莢を取り出すと弾を装填しなおした。そして小屋に飛び込む。
 誰もが、いわゆるスズメバチの巣を想像していただろう。
 しかしそこにあったのは、想像していたような蜂の巣ではなかった。意外と広い空間。その奥に椅子に座って、体長1mはありそうな巨大なスズメバチが座っていたのだ。
 思わず言葉を失ってしまう。
「女王蜂!?」
 誰かが声をあげた瞬間、秀流のリボルバーが火を吹いた。
 何匹ものスズメバチがまるで弾丸のようなスピードで次々に襲い掛かってくる。
 シオンはそれをブレードでなぎ払ったが、如何せん数が多い。しかしスズメバチが彼に群れたところで、スズメバチの針ではオールサイバーの皮膚内に埋め込まれた装甲を貫く事は出来なかった。
 シオンが仕留め損ねたスズメバチを秀流が物置小屋の入口からフロントサイトだけで狙いを定めて次々に撃ち落としていく。
 弾丸で弾丸を撃ち抜く様なものだったが、幸い標的は弾よりも大きい。彼はそれを正確に撃ち落としていった。
 2挺のリボルバーを全弾撃ちつくし、秀流は手近にあった白いカーテンを掴む。それをかぶって身を隠しつつ弾を装填し、再びシオンの援護にまわった。
 シオンがブレードを手に正面突破をはかる。
 無数のスズメバチも数を減らしそこに道が出来た。
「今だ!」
 秀流は叫びながら女王蜂に照準を合わせていた。
 後方に下がっていた空が出来た道を飛翔し、マイクロチップを回収に向かう。
 女王蜂の奥の壁面に無数の卵が張り付いていた。それを区切るように木の皮が間に挟まっているのだが、その中のひとつにマイクロチップがあった。どうやらスズメバチの巣作りに使われたらしい。彼らにマイクロチップの中のデータをどうこう出来るほどの知能はなかった。
 空は、無数の今にも孵化しそうな卵に胃液が込み上げてくるのを感じながらマイクロチップを回収した。
「逃げるわよ!」
「了解!!」
 3人は物置小屋から飛び出した。
 追いかけてくるスズメバチを秀流が撃ち落とす。
 シオンが手榴弾のピンを抜き物置小屋の中へ投げ込んだ。


「完全に殲滅しておいた方がいいんじゃないですか?」
 手榴弾の爆風が収まったのを確認して、シオンが物置小屋の中を覗きながら言った。
 殆どのスズメバチは床に転がっていたが、壁に張り付いた無数の卵のいくつかは無傷だったのだ。
 そもそも手榴弾は爆発して火を吹くわけではない。爆風をもたらし外側のケースが壊れ金属片が高速で四散するのだ。故に放射状に飛び散る金属片にあたらなかった卵は確かに無傷であった。
「あら、特に実害もなさそうだしいいんじゃない?」
 空がシレッと言う。
「実害は出てると思いますけど」
 シオンが空の握っているマイクロチップを指して言った。
「あら、こんなの可愛いものじゃない。回収を依頼されただけだしいいんじゃないかしら」
 答えて空は踵を返した。
 それから思い出したように付け加える。
「それに、またこういう事があれば恩を高く売れるじゃない?」
 彼女は2人ににっこり微笑んだ。
 2人は言葉には出さなかったが全く同じ事を考えた。

 ――鬼だ……、と。



 【4】



「おぉ。これだ、これだ。このマイクロチップだありがとう。礼ははずむ。何でも好きなのもってってくれ」
 マナウスから帰ってきた主任が、手渡されたマイクロチップを手に飛び上がらん勢いで喜んだ。
 これでアレがマイクロチップじゃなかったら、手榴弾で吹っ飛ばしてしまったあそこから、どうやってアレを回収するつもりだったんだろうと内心で思っていたゼクスなどは、それでホッと胸を撫で下ろした。
 それ以前に、物置小屋を吹っ飛ばした事の方が余程問題であるように思われる。しかし誰もその件には敢えて触れなかった。バックレ体制は既に整っているようだ。
 マイクロチップと自信満々だった璃菜が、予想的中に満面の笑みを浮かべた。
「やった。私、パソコンのアップレグレードパーツが欲しい」
「あいよ」
 主任は何とも気前よく答えた。
 それに璃菜が飛び上がる。嬉しそうな彼女に秀流は目を細めて彼女の頭を撫でた。よく頑張ったな、と言いたげだ。彼女のテレパスでそれはしっかり届いている事だろう。
 彼女からのテレパスが途絶えた時は本当に心臓が止まるかと思った秀流である。その後彼女の無事を自らの目で確認した時は、だから周囲の事など考えられずに彼女を抱きしめてしまっていた。どうしてこんな時に自分は彼女の傍にいなかったんだろうと心底後悔した瞬間が、確かにあったのだ。
 秀流はその時の事を思い出して、何とも複雑な笑顔で璃菜に言った。
「良かったな」
「うん」
 璃菜が笑みを返す。
 そんな2人を微笑ましげに見やっていた主任に空が声をかけた。
「そういえば、この前頼んでおいたの出来てるかしら?」
 前回、空がこの整備工を訪れた時、9mmサブマシンガンのバレルをもう少し短くしてもらえるよう改造を頼んでいたのだ。
「あぁ、出来てるよ。今回は世話になったから改造代はまけとくよ。予備のマガジンのおまけ付だ」
「太っ腹ね」
「リマ嬢んとこの大事なお客さんだからな」
「それで、あのマイクロチップの中身は一体なんだったの?」
 空が訝しげに尋ねた。
「そういえば気になるよね」
 空の言葉に璃菜も顔を出す。
 だが主任ははぐらかすように笑った。
「大したもんじゃねーよ」
 その割りにはこの羽振りの良さである。
「うーん」
 璃菜と空が首を傾げているのに、逃げるように主任は秀流に声をかけた。
「で、兄さんは?」
「え? あ、俺?」
 突然、自分に振られて困惑した秀流は一瞬考えるように首を傾げ、それからそもそもここへ訪れた理由を思い出した。
「そういえばMS用リボルバーとかってある?」
「あぁ、活きのいいのが入ってるぜ」
「活きのいいのって、何だよ」
 秀流が失笑する。
「リボルバーランチャーの改造版だがな、これが結構使えるんだ」
 自慢げに主任が言った。独自開発品なのだろう、それはちょっと興味深い。試し撃ちもしてみたい。
「旦那の方は?」
 主任が今度はシオンを振り返った。
「あ、私はリンクコントローラユニットを……」
「まったレア物だなぁ。うちには今あんま数はねぇからな、相性のいいのがあればいいんだが……」
 リンクコントローラとは、サイバーリンク対応のメカニックを制御する為の装置の事である。オールサイバーにのみ取り付け可能なリンクコネクターに接続することで操縦桿やキーボードを使わずユニットを操縦できるのだ。但し、リンクコントローラの内蔵されたユニットはこのセフィロト内でしか入手できず、更に戦闘スタイルにあったユニットを見つけるのは至難であった。
 しかし相性のいいユニットを見つけられればこれほど心強いものはない。
「で、どんなユニットを捜してんだ?」
「ガトリング系か車両がいいんですが」
「そうか。そりゃちょっと難しいな。とりあえず倉庫を見て、合いそうなのがあったら言ってくれ」
「はい」
「なかったら、うちも捜しとくよ」
「すみません。宜しくお願いします」
 シオンは深々と頭を下げた。
 それで主任は最後にゼクスを振り返る。しかし、今までのように何がいいとは彼には聞かなかった。
「あんちゃんは、マナウスで活きのいい海老を仕入れてきてるから、後でクーラーボックスに分けてやる」
「うむ」
 ゼクスは、内心での狂喜乱舞を微塵もその顔に浮かべる事無く、相変わらずの無愛想で頷いた。
「って、あなたなんかしたっけ?」
 璃菜が思わず突っ込む。
「手伝ったではないか」
 ゼクスが心外そうに言った。
「手伝った……って、ねぇ?」
 実際に彼がしたのは、白い布を彼女に被せただけである。万一それが間に合わなくても、彼女を襲ったスズメバチは怜仁に仕留められていただろう、とは、怜仁だけが知るところであったろうか。
「助けてやったぞ」
「……ま、そういう事にしといてあげるわ」
 璃菜が肩をすくめて言った。



 【Ending】



「ふぅ〜……危ないところだった。これがかみさんにでも見つかっちまったら、大変な事になってたぜ」
 主任はホッとしたようにマイクロチップを手の平でもてあそびながら呟いた。
 中には浮気の証拠が詰まったマイクロチップである。
 そんな危険なもの、さっさと処分すればいいのだが、浮気相手の大事な連絡先が入っていたので、にわかに処分出来なかったのだ。
「へぇ〜、誰に見つからなかったら?」
 突然、彼の背後から女の声がした。
 それは、どすのきいたかみさんの声であった。
「うっぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜!!!」
 その日、整備工場に主任の悲鳴がいつまでも轟いたという。


 一方、その頃ルアト研究所ではエドワートがアレの事をすっかり忘れて、トロっぽくなった赤身のマグロに舌鼓を打っていた。油をたらすと油っこくなるかと思ったが、案外いける。叩いた赤身にごま油をたらした韓国風ネギトロもどき丼をほくほくで食べていた。
 しかし、そんな彼が、よもやアレと言っておけば興味を惹かれ絶対に動くだろうという理由で、主任に利用されていた事に気付くのは、意外に遠い先ではなかった。



 ■大団円■



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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【0233/白神・空(しらがみ・くう)/女性/24歳/エスパー】
【0375/シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい)/男性/46歳/オールサイバー】
【0577/神代・秀流 (かみしろ・みのる)/男性/20歳/エスパー】
【0580/高桐・璃菜 (たかぎり・りな)/女性/18歳/エスパー】
【0641/ゼクス・エーレンベルク (ぜくす・えーれんべるく)/男性/22歳/エスパー】


【NPC0103/エドワート・サカ(えどわーと・さか)/男性/98歳/エキスパート】
【NPC0104/怜仁(れい・じーん)/男性/28歳/ハーフサイバー】

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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
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