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<東京怪談ノベル(シングル)>


■+ 想いは遠く果てなく +■

 それはどう見ても、分の悪い喧嘩に見えた。
 一対多数だからと言う訳だけではなく、その多数側が、どう見ても、そう全方向から見てこのマルクト内部のごろつきであると言うことが、明白であったからだ。
 対する一の男は、特別巨漢と言う訳でもなく、極々普通の体型だ。いや、この動きを見ていると、普通と言うよりまるで抜き身のカタナを思い起こすのかもしれない。
 切れ味は抜群、その身は撓やかで、先程入れた捻りを利かせた右フックは、ヒットしたごろつきの脳をシェイクさせたことは間違いないだろう。
 鮮やかな金の髪を短く刈り込み、それでもなお髪が邪魔だと言わんばかりにゴーグルをバンダナ扱いしていている彼は、ラーフ・ナヴァグラハ。
 国籍も、そして年齢すらも不明であり、時によっては詐称することを是としている青年だった。
 青い瞳は生き生きと輝き、彼が動く度、その周囲に風が唸る。
 彼が身につけていた軍用コートは、この諍いが始まった時、彼自身が脱ぎ捨てていた。
 当初、ラーフの身を心配しつつも、我が身可愛さで逃げていった者達は、まさか今の事態を想定してはいなかったであろう。既に大地を抱擁しているごろつきの方が、空を目指そうとしているごろつきよりも多いのだ。
 背後から彼を捕まえようとする男、そして行き場を遮ったつもりになっている別の男たち。それらに向け、ラーフは腹を空かせた豹の様に、危険な笑みを浮かべる。
 「おいおい、足りねぇのは足の長さだけじゃねぇのかよ」
 フンと、小馬鹿にした様に鼻で笑うや、力を込めた右拳で背後に迫る男の鼻面をぶっ叩く。後ろ向きに倒れて行く男には見向きもせず、今度は一斉に襲いかかって来たいくつもの手を避け地に伏せた後、左を軸手に、纏めて足払いをかけた。
 一番最後にいたヤツには、特に念入りに蹴り込んだ為、どうやら皿が割れているらしい。鶏が首を絞められた時の様な悲鳴を、断続的に上げている。
 「っるせーな」
 黙れとばかりに顔面を蹴りつけ、沈黙させる。
 次ぎに起きあがろうとしてる者達を、完全沈黙させる為、ラーフは軽やかに動いて、それぞれ、腹、喉、顔面を蹴りつけた。
 「跪いて、靴をお舐めってか?」
 しかし跪いている者はおらず、這い蹲っている小汚い男達がいるのみだ。
 白目を剥いて、気絶している者も勿論いたが、ただ痛みのあまりに動けないままの者もいる。
 「いやまあ、おっさん達。相手が悪かったなぁ。っつーかよ、身の程ってヤツ、解ってっか?」
 にかっと相好を崩した愛嬌のある笑顔は、先程殺気を発していたかの様な男には、全く見えなかった。
 まるで悪たれなガキの様にも思える彼は、息一つ乱してはいない。
 放り投げた軍用コートを拾い上げ、埃を叩きつつ口笛何ぞを吹いていた。
 これで良しと思ったラーフが、地面と宜しくしている内の一人につかつかと進みよると、その男は情けない悲鳴を上げる。
 五月蠅いなと思った彼は、取り敢えず黙らせる為に、顔をぐりぐりと靴底でマッサージした。
 「狸寝入りしてる暇あるんなら、ちょっくら教えてくんない?」
 肩に羽織なおしている軍用コートのポケットから、一枚の写真を取り出す。ボロボロのそれは、けれど彼が大切にしていることが良く解った。
 何故なら、それを取り出す時の視線が、とても柔らかなものだったからだ。
 マッサージを終了し、取り敢えず静かになった男の鼻先へとその写真を付きだした。
 「こいつ、知んない?」
 サービスのマッサージだってしてやった。答えるのは当然のことだろうと、ラーフはにっこり満面の笑顔だ。
 そして、その写真も──。



 笑っている。
 零れ落ちる笑顔とまでは行かないが、それでもこの彼にしては珍しい程に、明るい笑顔だった。
 自分だけに向けられた笑顔だ。
 けれどその笑顔を最後に見たのは、一体何時ほど昔なのだろうか。
 懐かしくて、切なくて。
 今にも激情が堰を切って溢れそうだった。
 けれど彼は、敢えてそれを飲み込んだ。
 その写真には、彼よりは少しばかり幼い感じの少年が写っていた。恐らく、この少年が少しだけ年を取れば、目の前の青年になるだろうと思える様な。
 けれど、その写真の少年と、目の前の青年の間には、決定的に違う特徴があった。
 きちんと注意深く見ると解るだろうそれは、瞳の色だ。
 ラーフの瞳は、まるで何一つ曇るとこなき晴天の色。
 そしてそこに映っている少年のものは……。
 互いは太陽と月の様な関係だった。
 どちらが陽で、どちらが陰と言う訳ではなく、互いに足りぬところを補い、そして与え、互いを代わりに持つことを由とはせず、けれども互いを深く必要としていた。
 同じ宙に浮かぶものとして、そして同じ時を生きたものとして、離れてはならぬ存在だ。
 どちらが欠けても、二人の世界は成り立たない。
 そう、思っていた。
 そして。
 当然ながら、そんな細かいところに、ごろつきが気付く筈もない。
 「か、がみ、でも、見てろ」
 痛みに耐えつつ吐き捨てる様にそう言ったごろつきは、その瞬間ひぃぃと叫んで蹲る。 ラーフに浮かんでいるのは、まるで悪鬼の如くな面だ。
 だが、それは僅か。
 羅刹の様な顔を引っ込めた彼は、問いかけた時とは比べ物にならない程に、冷徹な色を浮かべる。
 即座に立ち上がって一蹴り。
 「あっそ」
 もう彼らに用はなかった。
 知らぬと言うならば、こんな奴らに構う理由など、全く以て持ち合わせていないのだ。
 知っているなら、それはそれはご丁寧にお取り扱いさせて頂き、逆さに振っても何も出ないまで聞き出すのだが。
 興味を失ったラーフは、そのまま踵を返す。
 彼が一歩踏み出した。
 「こんの、や……!」
 背後からの憎悪。
 「嘗めてんじゃねぇよっ、バーカ」
 ラーフの瞳が、強い光を放つ。
 振り向き様、右手で煌めく雷光。
 そのどんなものでも食らい尽くす様な青白いそれは、ラーフの心のまま、一直線にごろつきへと放たれた。
 まるで獣の様な悲鳴を上げ、青白い蜘蛛の巣を全身に纏った彼は、不格好なワルツを踊った後、一際大きく痙攣すると、そのまま前のめりに倒れ込む。
 「……げっ、ヤバ」
 そう言いつつ、ぴくりとも動かない連中に、一抹の不安を覚えた。
 彼の背筋を冷や汗が流れる。
 食らわなかったごろつき共は、相手にした人間の正体を悟り、既に石像と化している。
 いや、問題は、生きた石像ではなく、倒れた石像だ。
 ゆっくりと倒れている男に近寄ると、じっと眇めた目で彼を見た。
 微かではあるが、背中が上下している。
 「……、取り敢えず、くたばってねぇか。おら、死んだふりなんか、してんじゃねぇぞ。ビビるだろう、俺が」
 フンとそう言うラーフは、今度こそ興味を失い、彼らの元から去って行った。



 ここは賑やかな場所だった。
 空が見えない代わりだと言わんばかりに、昼夜の区別なく、皓々とした人工の光が輝いている。ネオンの白、ピンク、青。けばけばしいと言ってしまえばそれまでだが、それでも暗闇よりは数倍マシだ。
 暗闇は、嫌いだ。
 失ってしまった手を思い出すから。
 「こう言うとこって、何時の時代もおんなじなんだな……」
 人混みを縫う様にして歩いていたラーフは、立ち止まって周囲を見回すとそう呟いた。
 本当に遠くへと来てしまった。
 それが現在の心境だ。
 気が遠くなる程の時を、彼は探し続けていた。
 当てのない、けれどどうしてもやり遂げなければならないことだった。
 彼にとっては、何者にも代え難く大切な存在。
 血を分けたからなのか。
 それとも彼であるからなのか。
 解らない。
 解らなくとも、ラーフは自身に必要であると感じるから、彼を捜し続けている。
 己がどれほど生きているかも解らない程に。
 己がどこから来たのかを忘れたくなる程に。
 己が纏って来た姿を否定したくなる程に。
 あの暗闇を、胃がよじれる様な痛みを味わいつつ渡る経験は、例え幾万幾億を超えたとしても、慣れるものではない。
 けれど探さなければならない。いや、探し出すのだ。
 「何処、……いんだよ」
 常日頃は、このことすらもどうでも良いとばかりに飄々としている彼だが、時折訪れる焦燥感は、何時も何時もその身を業火で焼き尽くす勢いで嘖んだ。
 この手に戻らぬのなら、この世の全てを巻き込んで、いっそ壊れてしまえと思う程に。
 ぎりと唇を噛みしめる。
 既に何度界を超えたのか、時を超えたのか。
 もう思い出すことすら億劫だ。
 けれど彼が見つからぬままに、ラーフがこの旅を終えることなど出来はしない。
 何時かは逢える。
 そう思っているのに──。
 音が聞こえる程に、きつく強く瞼を閉じる。
 聞こえて来るのは、探し人の息づかい。
 そして、何時も自分を呼んだ、その声。
 こんな偽りの名などではなく、本当の名を、慈しみと愛情を込めて呼んでくれたその声だ。
 『・・・』
 聞こえた声が、失われつつある名を呼んだ。
 彼の脳裏に、怒濤の様な緑が押し寄せる。
 まるで津波の様に、海と化した樹が押し寄せた。
 樹海に飲み込まれていく己が、その香りにまみれて陶然となる。
 ゆっくりと浸食するそれに身を委ねていると、探し人が抱きしめてくれている様な錯覚を覚えた。
 彼の心に広がり行く緑は、やがて空である彼をすっぽり飲み込んでしまうのだろうか。
 それでも良い。失うよりは。
 果てよりも遠い終着駅は、一体何処へ行けば見つかるのだろうか。
 この世の終わりだとて、進むことに躊躇いはない。
 追い掛けて、追い掛けて、探し探して。
 一体ここは、どれほど昔と離れているのだろう。
 もしかすると、あの頃が一番幸せだったのかも知れない。
 それがどれほどの幸福であるかも理解せず、暮らしていた頃が懐かしかった。
 時折過去を覗き見ると、こうして一人でいる自分が惨めだ。
 手から零れ落ちてしまったそれは、決して元に戻ることはないと識っている。それでも欲しいのだ。
 幸せであった頃を恋い焦がれるのは、まるで無い物ねだりをする我が儘な子供の様だと思う。それでも──。
 「何で……、っ、いないんだよっ……!」
 幾度も、界を、時を渡り終え、何度も味わった『そこにはいない』と言う現実。
 求めている手は、既にないのかもしれないと思うことも多々あった。
 例えどれほどの時を違え、天を変え、地を離れ存在しても、絶対に二人になれると言う自信があったのに。
 なのに、この現実はどうだろう。
 濃紺の宇宙の中から探す、一粒の砂。
 それを探し出すより、難しいのかもしれない。
 『一体、どれだけ待ったら……、探したら。俺たち逢えるんだよっ──!!』
 彼のその叫びは、慟哭など赤子の微笑みに見えた。
 溢れる激情が、嗚咽となってラーフの喉から漏れそうになる。
 けれど。
 嗚咽すらも飲み込み、そして覆われてしまいそうになる現実と言う名の監獄すらも破壊して、彼はまっすぐ前を見据えた。
 「ちっ。らしくねぇぜ、俺」
 その声は、自嘲に満ちたものでありつつ、決して希望を失ってはいない者のそれだった。
 彼は一歩前に踏み出す。
 珍しくゴーグルを下ろし、滲む視界に溜息を吐いた。
 「何だ。ここにも立派に天気があるじゃねぇの。管理されてねぇ、天気ってヤツ。……通り雨なんて、ここに来てから初めてだ」


Ende