<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


Kill Me
●私ヲ殺シテ
「頼みがある」
 青年は、静かに言った。
「俺を殺して欲しいんだが」
 持ち合わせはあまりないが……と少し考え込んだ後、
「俺に出来ることなら、なんでもしよう」
 皮肉げに微笑んで、杯を傾ける。青年はカイオンと名乗った。
 できるだけ、残忍に、残酷に。それが青年の願いだった。
 店の迷惑になるので、殺しは外で。誰の迷惑にもならないなら、日時と場所は任せるそうだ。
「俺は大切な人を裏切ってしまった……その罰が欲しい。だけど、自殺はしないと約束したから」
 そう言って、青年は目を伏せた。

●ゆきずりのテーブル
 見知らぬ者たちが相席するそのテーブルでは、奇妙な仕事の依頼について、密やかに言葉が交わされていた。ほとんどはたまたまそのテーブルに居合わせた、ただそれだけのゆきずりの関係。
 人ではない者も珍しくはないので誰も知らん顔をしているが、中にはテーブルに茶の木箱を置いて、そこにきちんと座って食事を取っているシフールも混ざっている。ここは幻獣の守護する世界、様々な者がいる。見た目が人だからと言って中身まで人だとは限らない、そんな者も。
「裏切り者には罰を、か。殊勝な心がけだな」
 依頼人にそう答えたのは薄青い髪をした男だった。その青年は翠藍雪というようだ。
「ならば、貴様の望み、俺が叶えてやろう」
 そこで、褐色の肌をしたシフールは鼻白んで食事の手を止めた。彼、フィフニア・ヴィンスには、そのようなことを許しても良いのかという思いが不意にわきあがったのだ。
 フィフニアが難しい顔をしているうちに、依頼人であるカイオンの向かいに座っていた少年が、おずおずと口を開いた。
「あの……すみません、不躾かもしれませんが。その方、亡くなられたんですか」
 まだ幼さを残す少年の問いかけに、テーブルについていた者の視線のいくらかが集まった。問われたカイオンの顔を見ている者もいたし、問いかけた少年クリス・メイフォードの顔を見ている者もいた。
 クリスの純真そうな顔からすると、本気で同情なりしているのだろうとクォドレート・デュウは思う。それから、ゆっくりと自然に視線を動かして、カイオンの表情も窺った。
「ああ……死んだ、と思う」
「なんだい、その『思う』っていう曖昧なのは」
 クォドレートは、深刻な顔をして、それは詰めが甘くはないかと、あきれたように言う。クォドレートのように辛辣なことを口にするようなタイプではないのだろうが、クリスも戸惑いを顔に浮かべていた。
「死体が残らなかったのさ」
 カイオンは皮肉げな笑みを口元に浮かべ、だが、目には力をこめている。表情が、情けなく崩れてしまわないようにか。
「死んだのは、死んだ。確かにな」
 自分の手を見つめるカイオンの顔は、凄惨と言ってもいい程のものだった。そこから、彼の罪を計ることはできそうだった。事情は知らぬ。問うつもりもなかったが……
 けっ、と吐き捨てる声が、スイ・マーナオの口をついて出た。
 回りの視線が、ふっと集まる。その声と繊細な美少女のようなスイの容姿が繋がらないようで、いくつかの視線は訝しげに通り過ぎていった。そんなことにはスイは慣れているので、気にもならなかったが。
 他人の認識などは、スイには関係ない。性別を隠し立てする気なども毛頭なかったので、スイは続けて吐き捨てた。
「気分悪ぃ話だな、メシが不味くならぁ」
 そう言って、スイは皿を持って席を立つ。
 そして背を向けた。
「……熱いな」
 スイの背中に、そんな声が追いかけてきた。炙り肉をパンに挟んで噛っていた赤毛の男の声のようだった。にやにや笑いが背を向けていても見えるかのようだ。
 その男はディアッカ・ディーブルと言い、今スイの離れたテーブルについていた七人の最後の一人だった。
 スイは一瞬だけ迷って、すぐ後ろのテーブルで椅子を引いて腰を下ろした。
 どこかもう話の聞こえない所へ行ってしまうのも一つの手だったが、そうするには腹が立ちすぎていた。この腹立ちを押さえるには遠ざかるだけでは駄目だと、すぐに結論に至ったというわけだ。
 スイが再び匙を持つと、背中にやはり声が聞こえた。知らぬ素振りで、耳をそばだてる。
「場所はどこでもいいのだな」
 依頼を受けようと初めに言った者……藍雪がカイオンに訊ねている。
「かまわない」
 そしてカイオンの答えのようだ。
 そこで、藍雪も席を立ったようだった。まだ、スイの後ろに立っている。
「よかろう……人目のある場所では、後始末が困る。西の平原だ。夕刻までに来い」
 それが死刑執行の場所と日時ということかと、スイはそこに至る道を思い浮かべた。
 しようと思っていることは決まっている……
 カイオンはわかった、と静かに答えた。その了承を聞いて、スイは目を細めた。

●夕暮れの処刑場
 太陽が地平線に向かい始めると、時は俄然速くなるようだ。赤い陽炎はみるみるうちに、大地を染める。
 何がなんでも、一発殴ってやらなくては気がすまない。
 スイは草原を走っていた。夕暮れの中に、二人の人影がある。それを目指して。
「……待ちやがれ!」
「待ってください!」
 天使に抱かれて降りてきたクリスがスイより先に、二人の前に飛び降りる。
「殺しては……いけません。罰がほしいのならば、あなたは死んではいけない」
 カイオンを剣から引き離すように引っ張って言ったクリスの言葉に、藍雪は目を細めた。
 カイオンは、迷惑そうに眉を顰る。終われるはずだったのに、と思っているのか。
「ああ、間に合ったな。すまねぇ。俺は、てめぇの仕事を邪魔する気はねぇんだが……」
 そして、最後の数歩は走るのを止め、ゆっくりと近づいていったスイは、にこやかな笑みを浮かべて言った。
「俺にも一発、この馬鹿を殴らせろ!!」
 穏やかな顔で美少女と見紛う者が近づいてきたのだから、誰にも警戒はまったくなかっただろう。むろんカイオンにも。
 意外な程重い拳がカイオンの左顎に入り、予想もしていなかったせいか、カイオンは弾き飛ばされた。
 慌てたのはクリスで、倒れこんだカイオンに走り寄る。
「あなたも……!? お願いです。彼に手を出さないください。彼は生きて、償うべきだ」
 クリスはカイオンを庇うように立ち、藍雪とスイを交互に見る。
「……言われなくても、わかってら。これじゃ自殺と変わりゃしねぇよ。そんなことにも気づかねぇ大馬鹿野郎に、それぐらいは教えてやろうってなぁ、俺様にしちゃあ大サービスだぜ」
 だが、手を出すなというクリスの頼みがスイの耳に半分程しか入っていない。
指の節を軽く鳴らしつつ、カイオンにゆっくりと近づいていく。
「自殺はしねぇんじゃなかったのかい、坊や」
 カイオンは、ただ皮肉げに笑っただけだった。わかってはいるのだろう。自分の頼みが、ただの詭弁だったということぐらい。
 それでもと、思っていたのだということは……やはり、上空から見下ろしていたフィフニアにはわかっていた。
「殺してやっては……どうじゃ」
「なんだ、ちっこいの」
 スイが見上げる。
「今、無理に生き延びさせても、そやつは長くは生きまいよ……生きるための糧を失ってしまったのならばな。約束の者が生きているのならば、わしとても血反吐を吐いても生きよと言うがの……哀れじゃの」
 けっと吐き捨て、スイはきっとフィフニアを見た。
「やなこった! ああ、今決めた。何があっても、こいつは生き延びさせる。それが、俺がこいつにくれてやる一番残酷な罰だ……ということだからな」
 と、視線だけをついと動かし、スイは藍雪を見た。
「てめぇの邪魔はしねぇと言ったが、前言撤回する。こいつを殺すんなら、邪魔させてもらうぜ」
 だが、スイのその言葉を待たずして、行き先のなくなった剣を藍雪はもう納めていた。
「その必要はない」
 相変わらず無表情ではあったが、邪魔されたことを怒っているようではなかった。
「俺の罰も終わりだ。死という解放を与えるつもりは、そもそもない。生こそが最も辛く苦しい罰だ……おまえの言う通りな」
 悔いながら生きるがいいと、藍雪は背を向ける。
 ふん、とスイは鼻を鳴らし……
「だとよ。おまえを殺ってくれようって奴はいないらしいぜ」
 わずかにカイオンは俯き、そして立ち上がった。味方はいないというスイの挑発に、黙ってフィフニアの方に視線を向ける。助けを求めるというわけでもなかっただろうが、どこか共通する想いを感じたのかもしれない。
 それで、終わりかと思われた時。
「よう……終わったのかい」
 ぶらぶらと歩いて、赤毛の男が近づいてきた。特別急ぐでもなく、草原の中に立つ彼らの元へと……ディアッカは歩いてくる。
「まだ生きてたか。そいつは良かった。やっぱ、ただ働きじゃあなあ。そう簡単に死なせてはもらえないわな」
 ディアッカはカイオンの無事を確認すると、笑みを浮かべて辺りを見回した。
「それじゃあ、改めて俺と契約しないか。俺は、あんたの願いを叶えてやるよ」
 その言葉に、スイは鼻白む。
 終わったと思ったところに、この新手だ。
「やめてください! 殺させは……」
 クリスがカイオンの前に飛び出したけれど、それを軽く横に押し退けて、ディアッカはカイオンの前まで出た。
「ただし俺は、ただ働きはごめんだ。報酬はきっちりいただくので、そのつもりでいるんだな」
「……何を支払えばいい?」
 カイオンは頷いた。こういった契約と取り引きには慣れているように。元は傭兵か冒険者というところだろうか。
「カイオンさん!」
「殺しの相場は高いよ、後始末も大変だしな」
「知っている……金か。どうにかして作ろう」
 それには及ばない、と笑みを崩さぬままにディアッカは告げた。
「俺への報酬は、おまえを丸ごとだ。体で払ってもらうことにする」
 問題ないだろうと、それはにこやかに。
「日時は任せるって言ってだだろう? なら、今日明日でなくてもいいってことだ。俺に任せておけば、多分そう遠くないうちには死ねると思うぜ」
 そこに至って、スイはその背中に蹴りを入れた。
「エロ爺みたいなこと言ってんじゃねぇよ!」
「……お嬢ちゃん、これは大人の契約なんだ。口出しは無用だよ」
 ディアッカはその足を払って、スイにとっては禁句を口にした。
「俺は男だ!!」
「そうなのか……お、本当だ」
 二発目の蹴りはかわさずに受けて、ディアッカはスイに手を伸ばして確かめる。それが更にスイの怒りに火をつけて、交渉どころではなくなってしまった。
 それはそれでスイにとっては、ある意味希望が叶ったことになるかもしれないが。
 太陽はすっかりと落ちていた。宵闇が迫り来る。
 ……薄闇の中に灯が点って、それが近づいてくるのが見えた。
 十分に近づく前に、一人はやはり昼間、黒山羊亭で同じテーブルにいたクォドレートであることがわかった。だが、もう一人連れている。銀の髪の、ほっそりとした青年だった。
 カイオンもまた、声なくその灯を見ていた。
「確かに、彼で間違いないかな」
「間違いないです、ありがとう」
「じゃ、俺はここまでね。あとは、勝手に話し合って」
 そう言って、クォドレートは歩みを止めた。
 それから近づいてきたのは、銀髪の青年の方だけだ。
「嘘だ……生きてるはずが……」
 カイオンの呟きから、十分に察せられた。それが、死んだと彼が思っていた『大切な人』であることは。
「皆、バラバラになっちゃったんですね。探すの大変でした……僕が悪いんですけど」
 ディアッカとスイも組手を止めて、向かい合う二人を見た。
「これは、どういうことだったのじゃ」
 二人とクォドレートを交互に見て、フィフニアが問う。当の二人に説明をしている余裕はなかろうと、クォドレートは頭の後ろで手を組んで、中空のフィフニアを見上げた。
「死体が残らなかったって言ってたろう。元々、彼……タオは、旅人なのさ。意味はわかるだろう? 多分、死ぬ直前に守護聖獣の力で故郷に弾き飛ばされたんだよ」
 そして戻ってきてみたら、かつての冒険仲間たちは散り散りになっていたというわけだ。だからタオには、カイオンがどこに行ってしまったのかもわからなくなっていたのだと。
「……俺が、おまえに剣を向けたことが変わるわけじゃない……!」
 目の前の者が本物かどうか信じられぬとでも言いたげな顔で、カイオンは呻く。
「まだ、んなこと吐かすか!?」
 言葉より速く手足が出るのは、そういう質なのだろう。スイは身を翻して、拳をカイオンに叩き付ける。
「カイ……!」
 止めようとしたのは、タオ一人だった。スイとカイオンの間に入るようにして、カイオンを庇う。
「この者が生きているのならば、話は別じゃ。おぬしの罪は、この者におぬしの喪失という苦しみを科す程の物か? おぬしは一人、楽になっても良いのか? それをおぬしは自身に許すのか? それほどに……自分だけが大事か」
「俺は……」
 カイオンは恐る恐る手を伸ばした。
 現実を確かめるために。
 クリスが再びカイオンに近づこうと踏み出した時、その肩を押さえる手があった。
「二人きりにしてやろう」
 戻ってきた藍雪が、そう闇に囁いた……

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【MT12_6311/クリス・メイフォード/男/14歳/地球人】
【SN01_0122/翠 藍雪/男/518歳/蒼龍族】
【SN01_0093/スイ・マーナオ/男/29歳/学者】
【MT12_5662/ディアッカ・ディーブル/男/25歳/戦士】
【MT12_5730/フィフニア・ヴィンス/男/29歳/ヴィジョンコーラー】
【MT13_0122/クォドレート・デュウ/男/20歳/旅芸人】
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■         ライター通信          ■
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 ご注文ありがとうございました。執筆させていただきました黒金です。
 いきなりですが、お詫びしなくてはならないことが二つ。
 一つは、予告人数をオーバーしていることです。思う所あって、予定を変えて人数を増やしてみたのですが……もうしません、ごめんなさい。どうやら、2〜3人ぐらいまでが黒金の適正人数の模様です。
 もう一つは……若干(?)看板に偽りが出たようです。もう少し心のおもむくままにキャラクターを動かしてもいいか、どうだろうかと、迷ったのですが(苦笑)。
 では、もしもまたご縁がありましたら、よろしくお願いします。