<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


魔物の花嫁
●村から来た使者
「あんなぁ……」
 近郊の村からやってきたという農夫が、おずおずと黒山羊亭に入ってきた。
「実ぁ、うちらの村で旅の娘っこが魔物にさらわれたんだべ」
 魔物はずっと村の近くの森の奥で古い屋敷に住んでいて、今までは人を襲ったことはなかったのだそうだ。時折村まで出てきても、トラブルになったことはなかったのだが。
 それが急に子供が欲しいから嫁が欲しいと言い出して、村の娘を差し出せと言ってきた。それで大変困っていたのだが、先日魔物が村にやってきた時、村に泊まっていた旅の女性が村の娘と間違えられて、さらわれてしまったのだという。
 そして、そのままぷっつりと音沙汰がない。
 どうも、魔物は旅の女性を花嫁に迎えて満足してしまったらしいのだ。しかしそんなことになってしまって、村人たちは困惑した。
 村の娘が無事ならいいじゃないかと言う者もいるし、いや、やっぱり助けてやらなくてはいけないだろうと言う者もいる。色々村でも話し合ったのだが、旅の女性が出発したはずのこの街までは知らせにきたということだった。
「誰かさらわれた娘っこに心当たりのある奴がいたら、話をせにゃならん。それと村さ貧乏だべ、金は出せねぇが、助けに行ってくでる奴はおらんべか」

●ガラの悪い勇者様
「なーんか話聞いてるとさ、その魔物ってなー大した害もねぇんじゃねーかと思うんだがよ」
 スイ・マーナオは、テーブルを順に回って話をしている農夫をけっこう長いこと眺めていた。
 最初は、特に興味があったわけでもない。それでもそれを眺めていたのは、他に目新しい物があったわけでもなかったからだ。まあ、暇潰しというところだった。
 なのでその農夫がスイのいたテーブルにやってきた頃には、すっかり話の全容はスイの頭にも入っている。それで農夫が飽きもせず口を開く前に、そんな疑問を投げつけた。
 スイは目の前の皿の最後の肉団子の欠片を口に放り込んで、農夫の答を待ってみたが……農夫も困ったように首を傾げてしまって、なかなか返答がない。
「どうなんだい、え?」
 ちなみに農夫は、スイの言葉遣いと見た目のアンバランスにショックを受けて、言葉を失っているわけではない。確かに初めての者ならば、その美少女顔とガラの悪さは言葉を失うようなギャップではあるけれど。
 相手の農夫も言葉が訛っているので、多分、スイの言葉遣いの怪しさに、ちゃんとは気づいていないだろう。ちょっとおかしいな、ぐらいには思っているかもしれないが。
「害はないだべ」
 だいぶかかって、農夫は頷いた。
「普段何食ってるかわからんが、おらの知る限り村からなんぞ黙って持ってったことはないべ。時々村まで雑貨を買いにくるけんど、そんときは古い金を持ってきたり、装飾品を持ってきたりするべよ」
 さて、花嫁の誘拐が初めての被害……かと思いきや。
「んだが、爺様からの言い伝えだべ。森の魔物は怒らせちゃならんっちゅうこっちゃ」
「ほー? そいつ、昔にゃなんかやらかしたのか?」
 食事はすっかり終えて、スイは蜂蜜酒の残りに口をつけながら聞き返す。
「それはわからんがのー」
「ふーん……」
 やっぱり、凶暴きわまりないというモノではないような気がする、とスイは考えた。
 本当におっかない代物なら、今まで何もしてこなかったはずはない。こういう物が人里離れて暮らしているのは、見つかるとまずいことをどこか別の土地でして逃げてきたか、見た目が醜いので人に追われたとか、そんなあたりが相場だろう。
 ほっぽらかしておいても、大したことにはならないような気がするが……
 スイにとってこの話は他人事もいいところなので、ここでおしまいにしてしまっても何の問題もなかった。だが。
 スイは、暇だったのである。
 それが理由だった。
「俺、行ってやろうか」
 スイはにっこり笑って、そう言った。笑顔だけなら極上品だが、言葉の響きに隠れた気持ちが、いささか意地悪い。
 そいつの甘えた根性を叩き直すのも、暇潰しにはちょうどかもしれない、と。
「来てくれるだか? 金はそんな出せんし、それに」
「別に金に困ってるわけじゃねぇから、金はいらねーよ。俺は職業戦士じゃないからな」
 農夫は迷っているようだ。スイは迂闊なことに、この時点では農夫が何故迷っているのか気づかなかった。
「そら、ほんとだべか。助かるけんど、いいんべか。いや、やっぱ」
 残りの蜂蜜酒を飲み干して、スイは椅子から立ち上がる。
「……そうだな、ここの払いだけ持ってもらおうか。他には誰か行くのか?」
 農夫は首を横に振る。どうも、とりあえず行こうと言ってくれたのは、スイが最初であったらしい。
「俺だけで足りるなら、このまま行ってもいいけどな。どうする? まだ誰か探すか?」
 農夫はううんと考え込んだ。
「俺は一人でもかまわねぇけどよ」
 一人で行かせていいものかどうか……

●森へ行きましょう
 結局、農夫は魔物の屋敷に行ってくれようという酔狂を、もう一人連れてきた。さすがに『女性』一人で送り込むのは、万が一という時に寝覚めが悪いと思ったようだった。
 というところで、農夫の誤解は解けることとなる。当然、この誤解を放置するスイではないので。
「だぁれが女だ」
 というわけである。
 運が良かったのは、そのとき農夫に連れられてきた男だっただろう。その始終を見ていたので、幸いなことにスイにぶん殴られるような誤解はしないですんだので。
 多分罪のない農夫がちょっぴり不幸な気分になった後、農夫の案内で村までの移動を始めた。徒歩で、てくてく半日。その間に後から連れて来られた男、ライルともたっぷり話す時間があった。
「あんた、さらわれた女のコレなのか?」
「いや……多分違うと思うんだけどな」
 さて、ライルはこれから助けに行く花嫁の縁者なのかと思いきや、そうではないらしい。
「多分違う? そら、どーゆーこった。こんな金にもならないことをしようなんざ、縁でもなけりゃ余程の酔狂だぜ」
 もちろんスイは、自分のことは棚に上げている。
「人を探してるんだ。違うとは思うが、念のためってところだな」
 ライルとしては、それが探し人ならめっけもんということのようだ。
「いやあ、違ってたら用はないんで、そのときはあんたに全部お任せするよ」
 そう言って、けらけら笑う。花嫁が探し人本人でなかった場合は、どうやらこの男は救出の手助けにはならないらしい。
 ふーん、とスイは口元を微かに歪めて聞いてみた。
「さらわれた女ってのが、どこからさらわれたかは聞いたのか?」
「そいつは聞いた。丘で昼寝してたんだってな。俺が探してるヤツも、そのぐらいのボケたことはしそうなんでさ」
「ボケか大物か、どっちにしても普通の女じゃねぇ気はするな。俺も本当に助けが必要なのかどうか、すげぇ怪しい気がするんだが」
 スイも、さらわれたという娘を知っているわけではなかったが……

 一方その頃。
 くしゅん。
 小さなくしゃみが出て、当のさらわれた娘、鈴々桃花は鼻をすすった。風邪かなあと首を捻る。
 この屋敷に来てから、食べる物は食べているし、夜もゆっくり寝ている。体調を崩すような原因には心当たりはなかった。
 というわけで、桃花はまだ魔物の嫁と呼べる段階には到底到達していない。なにしろまだ、自分がさらわれてきた理由を知らないときている。
 もちろん魔物のチャーリーは、一生懸命に桃花にそれを説明しようとしているのだが、桃花が聞く耳を持たないのだ。むりやり理解させるという手段には……どうやら性格の問題で、出られないらしい。
 さらわれてきた花嫁はすっかり寛いで、自分をさらってきたはずの魔物のチャーリーを楽しく苛める日々を送っていた。

 そんなことはまだ知らぬ勇者様御一行は、森にさしかかっていた。
 農夫の案内はここまでである。だが、迷うような森でもないので、まっすぐ奥へ行けば屋敷にたどり着けるだろうということだった。
「よっしゃ、行くぜ!」
 気合いを入れるように、ぱん、とスイは拳と掌を打ち鳴らした。
 ぶっちゃけた話、スイは暴れに来ただけなので小細工は何も考えていない。道連れも特にどうこうとは言わなかったので、そのまま正面から乗り込むことになった。
「おい、魔物とやら! 娘をさらうなんてみみっちい真似してんじゃねぇよ!!」
 正面の門を越えながら、そう怒鳴る。向かうはまっすぐに正面玄関だ。
 そして、程なく正面の重そうな扉が開いた。
「桃花は帰さないぞ。どうしてもと言うのならば、私を倒してからにするがいい!」
 と、扉から出てきた、でっかい白い熊のぬいぐるみは言った。
 ぬいぐるみの台詞だと思うと、シュールだった。一瞬、スイは呆気にとられて毒気を抜かれそうになったが……
「……ぬいぐるみが何をほざきやがる!」
 その次の一瞬には、その間合いに飛び込んでいる。ぬいぐるみに「私を倒していけ」と言われるのは、ものすごく馬鹿にされているような気がしたからだ。
 スイは踏み込んで蹴りを入れた。足技はスイの得意技で、確かに捕えたと思った。
 だが、熊のぬいぐるみは意外なほど素早い動きで、それを受けとめた!
 ぼすっ。
 そして何か、すごく理不尽な、柔らかい音がした。
 ぬいぐるみだからだ。
「この程度の攻撃で、私を倒せると思っているのか!? 次は私から行くぞ」
 ばふっ。
 ぬいぐるみのパンチが決まった。
 圧力はあったが、ちっとも痛くはなかった。
 ただ少し、情けない嫌な気分になった。
「ぬ。私の拳を受けて立っているとはやるな。次はそうはいかないぞ」
 そしてスイには、ここで一つわかったことがあった。
「……手加減は要らねぇな」
 殺さない配慮をする必要は、多分ない。そして、配慮してやろうという気分も失せていた。
 ぬいぐるみだからだ。
「その腹綿、俺様が引き摺り出してやらぁ!!」
 スイは吠えて、正面から拳を入れる。柔らかな感触に拳が包まれるが、突き破るぐらいのつもりで体重を乗せて、弾き飛ばす。
 長い闘いが、今始まろうとしていた……

●花嫁の奪還?
「けっこう、やるじゃねぇか」
 陽が沈む時刻まで、闘いは続いた。なにしろどちらにも有効ダメージが入りにくいので、体力切れが勝負の分れ目となる。
 そして、相討ちに近い状態で二人は地面に膝を突いていた。
「まだです……っ! 桃花さんは……」
 ぬいぐるみが立ち上がろうとしたところで、桃色の髪の娘が二人の間に顔を出した。
「呼んだ?」
 大変無邪気に、首を傾げる。
「桃花さん、出てきちゃったんですかっ」
 スイは、目を細めた。これが問題の娘らしい。
 一応助けに来たというのが建前だし、お決まりの台詞を言わなきゃいけないんだろうなという気がするが、やっぱり何か抵抗を感じる。
 それでも、やっぱり言わなくちゃいけないんだろう。
「てめえがさらわれた女か? 助けに来てやったぜ」
 えっ、と言う顔を桃花はスイに向けた。
「救出に来たって言ってるんだ」
「キューシュツ? って何?」
 本気で首を捻っている。
「さらわれたてめぇを助けに来たって言ってんだよ!」
「桃花、さらわれてた?」
 静かな空気が、辺りに漂っていた。
 これが助けに行くぜ! と意気込んで来ていたのなら、再起不能のダメージになったかもしれない。だが、スイは暴れたいというのが第一の目的だったので、そこまでのダメージにはならなかった。しかし、脱力は禁じえない。
「……そうだ。こいつは、てめえを嫁にするためにさらったんだが、本当に知らなかったのか?」
 言いながら、スイはこれが自分の台詞であることが、やっぱり間違っているような気がした。少なくとも、さらわれた娘を救出しに来た者の台詞ではないはずだ。
 あろうことか、桃花は頷いた。
 本当に知らなかったらしい。
「あ、ありがとうございます。桃花さんに教えてくださって。桃花さん、どうしても話を聞いてくれなくて」
 ぬいぐるみが、そうお礼を言った。
 やっぱりそれも間違っているような気がした。
「どいつもこいつも……!」
 スイが頭を抱えている一方で、桃花はようやく自分をさらってきた理由をぬいぐるみのチャーリーに聞いていた。一人で寂しかったのではないかと……この娘もその辺りは普通の感性なのかと、スイはそれをちらりと横目で見る。
「こんな森の奥で、一人でいるのは寂しくて」
 長らく屋敷に引き籠もって暮らしていたのだが、村の家族が羨ましくて、そこから嫁を貰えば家族ができて村とも繋がりができると思ったのがきっかけだったようだ。間違って桃花をさらってきてしまったけれど、村の娘でなくても家族ができることには変わりないしと……
「本当に、こんな娘でも良かったのか?」
 とても当然な疑問を、スイは述べた。桃花にしてみれば失礼な話だ。
「話は聞いてくれませんでしたが、恐がらないでいてくれたので」
 いいや、これが恐くないと言うぐらいのヤツならきっと他にもいるはずだ。
 スイは息を吸った。
「嫁さんの一人や二人、手近で調達しようとしねぇで、旅にでも出て探しやがれ!」

 数日後。
 街道で花嫁を探す熊のぬいぐるみの姿を見かけたという噂が、黒山羊亭にまで届いていたとかいないとか……

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【SN01_0093/スイ・マーナオ/男/29歳/学者】
【SN01_0078/鈴々桃花(りんりん・たおほわ)/女/17歳/悪魔見習い】
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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました&ご注文ありがとうございました。執筆させていただきました、黒金かるかんです。今回は『ちょっとコメディ』ぐらいのつもりだったのですが、お二人のプレイングを見ていたら大分コメディに寄ってしまいました〜。
 今回のこれは白山羊亭向きの話だった気もします……ということで、次の依頼は白山羊亭で改めてチャーリーのお嫁さんを探してみようかと思います。あと今回「何をしに出てきたんだ」と言われそうな青年ライルは、後日再び黒山羊亭にてお目にかかる予定です。
 それでは、また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。