<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


氷棺の恋人
●氷漬けの愛
「今日は一人?」
 エスメラルダは銀髪の青年が店に入って来たのを見て、そう声をかけた。綺麗な顔のその青年は、少年と青年の境目ぐらいの年齢だろうか。タオという名だ。いつもは、カイオンという黒髪の青年とつるんでいる。
「今日はね。実は、カイオンには内緒で人を雇いたいんですけど」
「あらら。どうしたの?」
「ある人を助けにあるところへ……っていうか、昔の仲間を捜してるんですが、一人だけ行方が掴めたんです。情報を掴めたのはいいんですけど、それがつい最近、厄介な人に捕まったっていう話で」
 具体的には、ここから2〜3日程も南西に歩いた所にある小さな村のいくつかを束ねる小領主だと言う。そこの領主はまだ若い青年で、そして好色で、相手は男女と種族を問わないという噂だ。それだけなら普通の領主の域を、そんなにはみ出してはいないが……
「悪い性癖が、一つだけあるんだそうです」
 ただし、その領主・グレンは恋人と定めた相手に、ある魔法を好んで使うのだそうだ。氷棺の魔法で、恋人を氷漬けにして、飾っておくらしい。何か相手をさせる時には、溶かして生き返らせる。
「氷のハーレムってわけ? それは悪趣味ねー」
「これが、ハーレムじゃあないんですよね」
「どういうこと?」
「恋人はいつでも一人なんですよ。新しい相手を見つけると、前の相手は解放するんです。だから、次の相手が出来るのを待ってもいいんですけど、いつになるかわからないし」
 また捕まった仲間が納得ずくで恋人ならいいが、そうではない可能性が高いということだった。
「こっそり屋敷に忍び込んで氷の棺ごと盗むか、押し入って奪ってくるか、どうにか溶かして逃げ出させるか……どれにしても、一人じゃ厳しいんで」
 だから、人手を雇いたいということだった。
「カイオンは、どうしたの? 何か他の用事でもあるわけ」
「連れていきたくないんですよ」
 憮然とした顔でタオは言った。
 今回、グレンに捕まっているという情報を掴めた仲間は、ライルという男だ。さて、どうしてそんな領主に近付いたのかはわかっていない。わかっていないが……
「どういうのがタイプなのかまではわからなかったんですけど、ライルがいいって言うんなら、きっとカイオンも危ないと思うんで。あるいはもう見境なくて、本当に何でもいいのか。カイオンは他の情報確かめに別の街に行ってますから、その間にどうにかできないかと思ってるんですが」
 まあ、他人の趣味にはどうこう口を挟むまいと思っているのか、エスメラルダは視線を遠くに向けた。
「雇われてくれる人がいるといいわね……そういえば、報酬は?」
「交渉次第ですね。ちょっとでいいなら、今払います。多少高くても、出世払いでいいなら考えますが……でも、あんまり高いのはダメですね……」

●黒山羊亭の昼下がり
 昼食時の黒山羊亭の混み合いは、さほどでもない。ここはやはり夜の店なのだろう。だが、昼間はそういう意味では穴場なので、ゆっくり食事をとりたい時には向いている。
 翠藍雪がその年若い青年の顔を見つけた時、もう藍雪自身は半ば食事を終えていた。藍雪が食後の口直しの花酒に口をつけたところで、銀髪の魔法使いは黒山羊亭に入ってきたのだ。
 どこかで見た顔だと思って、エスメラルダとの会話に少し耳を傾けて……思い出すまでには、時間はかからなかった。これがタオの黒髪の相棒の方だったら顔を見ただけで少し前に会った時のことだって、すぐにも思い出したのだろうが。タオとは、その時には少し顔を合わせただけだったので。
 さて聞こえた話からだと、何やらタオは困っている様子だ。聞こえる限り、随分と悪趣味な話だ。領主が横暴をしたり好色に走るという話は昔からよくある話だが、恋人を氷漬けにするのはやりすぎだ。
 いや、それはそもそも恋人ではないだろう。
 自然と眉間に力が入る。
 藍雪は席を立った。
「前にも一度会ったことはあるが……憶えていようか」
「あなたは……」
 タオの表情に浮かんだ迷いはわずかの間で、すぐに思い出したようだった。会ったと言ってもタオ自身と深く関わったわけではなかったから、憶えていなくてもやむを得なかったが。記憶力は良い方のようだ。
 その時、藍雪とタオに呼びかける声がもう一つ。
「よう」
「あなたも……あの時の」
「憶えててくれたかい。ここ、いいか?」
 そう言うスイ・マーナオに、タオは穏やかに微笑んでどうぞと席を勧めた。
「藍雪も座れよ。メシ屋で立ち話は無粋だぜ」
「ええ、よろしければ、あなたも」
 と、藍雪にも座るように促す。そこへ、エスメラルダが気を利かせて藍雪の杯を移動させてくれた。
「では、相席しよう。失礼」
 そうして藍雪は椅子を引くのを見てから、スイは行き掛けたエスメラルダを呼び止めて炒め麺と花酒を注文した。
「で、どうだい、カイオンとは上手くいってるのか?」
 からかうような響きでスイは問い、タオは少し顔を赤らめて微笑む。だが、すぐに溜め息をついた。
「どうした、浮かぬ顔だな。今の、仲間を助けに行くという話と関係があるのか?」
「結局、カイオンが荒れたのが原因で仲間と離れちゃったんです。だから、元はと言えば僕に原因があるのですが。今はカイオンが随分気にしていて、やり直したいと探すのに走り回っているから……あまり一緒にいられないんですよ」
 手に負えなくて見捨てられたと言うのではなく、その時パーティーで目指していた迷宮の再攻略を、例の一件で落ち込んでいたカイオンが拒んだせいだったと言う。パーティーを組んだり離れたり自体はよくあることだし、気にせずとも良いことかもしれない。だが、何事も深刻に捕える質の青年は、そのことを気に病んでいるらしい。
 知ったら必ずカイオンは、問題の領主のところに行ってしまうだろう。そうならないうちに、この話を片づけたいのだとタオは言う。
「ゆっくりできるのは、前の仲間を全員見つけてからですね。これでライルを助け出しても、後二人。離れた後、何があってバラバラになっているのかはわかりませんが……皆風来坊だから……とにかく、まずはライルです」
 そんな話をしているうちに、タオの隣に人影が立った。藍雪もそちらを見上げると、やはり以前の折に見かけた顔であることはわかった。タオは気恥ずかしげな微笑みを浮かべて、クォドレート・デュウを見上げた。クォドレートにやはりカイオンの不在を問われ、タオは何をしているのかを再度説明している。
 立ち話もなんなので、と結局クォドレートも同じテーブルの椅子を引いた。
「私、お手伝いしましょうか」
 最初にそう言ったのは、その三人の中の誰かではなかった。
 振り返ると、今度は金髪の青年がいる。こちらも、スイと藍雪には別の折に見た顔だったが……彼、ライオネル・ヴィーラーはいささか憤慨している様子だった。
「報酬は、気持ち程度で結構です。私は……その領主の男が気に入らないので」
 ひゅう、と口笛が鳴った。スイが楽しそうな顔で賛同の意を示す。
「せめて一発、殴ってやりたいんです」
「俺様もだぜ、奇遇だな」
 スイは美しくも凶悪な微笑みで、口元を吊り上げる。ライオネルとは違って、一発などと遠慮がちなことは考えていないようだ。
「スイ……」
 相変わらずの様子に藍雪は視線を向け、それからタオの方に向き直る。
「殴る殴らぬはともかくとして……俺も、手は貸そう。酷い話だ。そんな男が領主というのには、どうにも耐え難いものがある」
 同じく小さな数の集団とは言えど、人を導く役目を担う者がそんなことでいいものかと。とは言え、身分まで奪えるわけではないが……多少心を入れ替えさせることはできるかもしれない、と藍雪も言った。
「それでは、力を貸していただけるんですね」
 タオは嬉しそうに助っ人たちの顔を見回した。
 食事を終えたスイと藍雪も、席を立つ。
「そうと決まれば、早速行こうぜ。急ぐんだろ」
 スイに促され、タオも席を立ちかけた。
「はい! あ……でも、どうするか決めてからの方がよくは……」
 準備する道具とかが後からわかると、それを用意するために引き返す羽目になることもある。だがタオの心配を、藍雪と協力を申し出た他の二人は揃って無用と言った。
「鼻っ柱をへし折る必要があります。正面から奪い返しましょう」
 そうでないと繰り返すだろうと、ライオネルは言う。
「盗み出す間に相手に気づかれる可能性が高かろう。どのみちこっそりとは難しいと思うぞ。ならば、はじめから正面から行っても、大して変わるまい」
 どうしたところで領主との一戦は避けられまいと言うのが、藍雪の意見だ。氷棺を探す時間もあるし、見つかった時に、はいそうですかと相手が退くとは思えない。
 そして、最後のスイは。
「俺が暴れてーんだよ」
 ……にこやかに問答無用だった。
 そこで溜め息……というよりは、笑みを漏らしたのはクォドレートだ。
「何がおかしい?」
 すっと目の座った顔を近づけるスイに、クォドレートは微妙に笑いを堪えられない顔で答える。
「いや、そこまで何も考えず行くのもどうかと」
「なんだよ? てめぇにはなんか案があるって言うのか?」
 ふんと踏ん反り返って、スイは偉そうに聞いた。何かあるなら聞いてやってもいいぞ、と。スイは天然で唯我独尊なのであって、これでも悪気はまったくないらしい。相変わらずだと思いながらも、藍雪はそのやりとりを見守っていた。
「そうだなぁ……」
 クォドレートも物に動じない質のようで、笑みを消すこともなく少し考え……そして、タオに向かってこう提案した。
「そうだ、どうだろう。俺が領主をたらしこんでみようか?」
 四人全員が、クォドレートの言葉に目を見開いた。

●奪還作戦
 確かにクォドレートの言う通りで、正面から乗り込んだとしても……どこに氷の棺が置かれているかと考えた時、その在処が彼らにはわからない。だからこその正面突破ではあったけれど、目的がライルだと相手にもわかれば色々と不都合なことは起こるかもしれなかった。
 領主グレンは新しい恋人ができれば、前の恋人は開放する。ならば、いっそ新しい恋人を作ってしまえば……
 ライルは開放される。
 だが、それではスイやライオネルの気が済まない。なにより、もちろん、クォドレートとて氷漬けの恋人になる気はこれっぽっちもないのだ。
 クォドレートの提案した計画とはこうである。
 クォドレートがグレンに近づき、誑かしてどこかにしまわれているはずのライルの氷棺を出してこさせる。その棺を確認できたら、待機していた者たちが乗り込み、グレンを好きにぶちのめして氷棺を奪うという手筈だ。
 小難しい手順ではないが、闇雲に乗り込むよりはずっと確実だろう。
 そういうわけで……

 グレンの屋敷までやって来ると、クォドレートはその庭に入り込んだ。
 屋敷の外観は田舎領主の物としては、趣味の良さそうな瀟洒な館だった。庭もこぢんまりとはしているが、それに見合った丁寧な作りだ。
 しばらくすると領主らしい赤い髪の男がテラスに出てきて……
「本当に入って行きましたね」
 屋敷を外から覗ける場所は限られていて、敷地の外にある一番高い樹の上からだけだ。同じ枝に四人は乗れないが、上下四方にばらけて、枝に座ったり立ったりしている。
 ライオネルは落ちそうなほどに身を乗り出して、クォドレートの行方を見定めようとしていた。
「本当に良かったんでしょうか」
 仲間を救うためとは言え、さすがに人身御供を差し出そうとまでは考えていなかったタオは今も困惑を表情に浮かべている。
 クォドレートの言うことはもっともで、その役目を担ってくれると言うのだから、ありがたい限りなのだが……
 タオはクォドレートの話を聞くと、自分がそれをするべきではないかと言った。一番危険な役目は他人にさせるべきではない、という良心に基づいて。
 だが、それは藍雪が止めた。
 責任感は悪いことではないが、上手くいかなさそうなことや被害を出しそうなことをさせるのはどうかと。
 普通に考えれば男女を問わぬという者は、男ならば美しい青年を好むものだ。タオは繊細な美貌に、普段は柔和な表情を湛えている。体付きは細身だ。そういう相手には好まれそうなタイプだろうと言うのが、藍雪の主張だった。
「好みなら囮にはいいじゃねーか」
 スイはそう言ったが、藍雪は首を振った。
「逃げられなければ、どうなる? そういったことになっても俺たちには責任は取れん」
 さすがに身を呈してまではできないと、それはタオも素直に認めた。恋人のいる身では、これはやむを得ない。
 よって、最初の申し出通りにクォドレートが囮を引き受けたというわけだ。これもどうかと藍雪は思ったが、相手を眠らせて逃げることができるというクォドレートの言葉を信じて、見送ったのだ。
「まー、まだまだだぜ。あいつが上手いことやって、氷棺を引っ張り出してくれるのを待つとしようじゃねぇか」
 度胸と言うよりは、こだわりのなさと言うべきかもしれないが、どちらにせよ賞賛していいだろう。スイはそう言って、また屋敷に視線を戻す。
 そして待つこと、一時間と少し。
 領主グレンは庭に現れた。使用人に指示して、庭の隅にある石室の扉を開けさせている。
「……あれだな」
 その奥が、氷室になっているようだ。
 スイは藍雪と視線を合わせると、黙って樹から下りていった。

「……何者だ!? 貴様ら!」
 スイと藍雪とタオの三人は正面玄関から入り、そして止める使用人には軽く横に退いていてもらって、そして庭に抜けた。午後の光を受けた氷柱は輝いていた。それに合わせて、ライオネルはグリフォンで壁を乗り越えて来る。
 彼らが賊であることぐらいは、グレンにもすぐにわかったようだ。衛兵を呼ぶと、彼らが誰だかをそれ以上問い質すこともなく、そして彼らの返答を待つこともなく、呪文の詠唱を開始する。
 だが、その発動には一定の時間がかかる。大概の場合、事前詠唱されているもの以外はどんな魔術でもそうだ。そして、その邪魔をする代表的な方法は……
「させるかーっ!!」
 殴る、だ。
 非常にシンプルだが、事実なのである。
 よって、スイは疾風怒濤の勢いで相手の懐に飛び込んだ。詠唱が完成する直前に、その顔を力一杯速度と体重を乗せて殴り飛ばす。
 魔力は霧散して、グレンはしりもちをついた。顔が思い切り赤くなっている。
「な、何を」
「……その、そこで氷付けになっている人は僕の友人なんです。返してもらいに来ました」
 タオが進み出る。藍雪はそのすぐ脇で、いざというときにはタオを守れるように立っていた。もっとも、この状況ではそれどころではなさそうだが……
「これか……ならば、持っていくがいい。もう用はない」
「用はない、ですって?」
 ライオネルは氷棺をライファーズで運び出そうと近づいたところで、それを聞き咎めた。
「あなたは……!」
 その襟首を掴んで引き寄せ、ライオネルもその逆の頬を殴り飛ばす。
「もう少し、お仕置する必要があると思わねぇか? 藍雪よ」
 そして指の節を握ってほぐしながら、にこやかにスイも再びグレンに近づいた。
 ふう、と息をつく。
 スイは暴れたいだけだろうが、止めるには値しないと藍雪も思った。
「……続けさせぬように諫めるには、やむをえんかもしれんな。雑兵共は俺が抑えておこう、好きにするがいい」
 藍雪は剣を抜き、無造作に駆けつけた衛兵たちに向けた。本当に斬りつけるわけではないが、それだけで実践経験のほとんどない衛兵たちは動けなくなってしまう。
 その間に、スイは優しげな微笑みを浮かべてグレンの前に立つ。
「おいたが過ぎると、こういう目に遭うんだぜ……憶えておきな」
「ま、待て……」
 待たない。
 当然だった。

 逃げてきたクォドレートが合流を果たす頃、氷はようやく溶けてライルは蘇生した。氷漬けになっていて、そのまま死んだりしないのかと思ったが、これもまた魔法の効果であるのか無事にライルは息を吹き返した。
 ライルはやはり捕まっていたらしい。元はと言えば先に捕まっていた仲間の一人を逃がすためだったと言うから……
「それであなたが捕まってたら、何もならないでしょうに」
 さすがにあきれたように、タオも言う。
「上手く逃げるつもりだったんだよ」
 着替えを借りて、ライルは服を着込む。
「とにかく……皆さんに、お礼を。ありがとうございました」
 無理矢理にライルにも頭を下げさせ、タオは言う。後は、早く帰ってカイオンにライルとの再会を伝えたいと笑った。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【MT13_0122/クォドレート・デュウ/男/20歳/旅芸人】
【MT12_6310/ライオネル・ヴィーラー/男/18歳/グリフォンナイト】
【SN01_0093/スイ・マーナオ/男/29歳/学者】
【SN01_0122/翠藍雪(つぅい・らんしゅえ)/男/518歳/族長】
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■         ライター通信          ■
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 ご注文ありがとうございました、そして大変お待たせいたしました……執筆いたしました黒金かるかんです。微妙に不調で、今回はご満足いただける出来になったかどうか心配な節もありますが、どうにかこうにか……お届けいたします。
 不調なのは体調ではなく、どうもスランプというものに近い模様で、量がこなせなくなってしまいました。復活したら、またこの話の続き(タオたちが失敗した迷宮の再攻略までで、後3〜4回)は少しずつ書きたいと思っておりますので、気が向かれましたら、またよろしくお願いいたします。