<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


続・魔女の条件



数日前に白山羊亭を訪れた、魔女見習いの少女ルーリィ。逃げ出した使い魔の黒コウモリを無事に見つけた彼女は、今度魔女昇格試験を受けることになったらしい。前回親切な冒険者に世話になったお礼もしたい、ということで、白山羊亭を訪れている冒険者を魔女の村へ招待したいと言う。以下はルーリィから届いた手紙を抜粋してみた。



『先日はどうも有り難う御座いました!結局試験には間に合わなかったけど、婆様の特別の恩赦で、内容を変えてもう一度私だけ再試験を受けさせてもらえることになりました。つきましては、この間のお礼も兼ねて、その試験に皆さんをご招待したいと思います。もしお暇であれば是非魔女の村までいらしてください!名目は試験の見学としてですが、ささやかな歓迎会も兼ねるつもりです。何せ、この村ときたら外界の人を招いたことが全然ないっていうもんだから…。多少妙な会になるかもしれませんが、是非どうぞ!良ければお友達も誘ってお出でくださいね。では!』

『…追伸。あれから、リッくんとはなかなか上手い具合にやってます。コウモリフードが嫌だって云うので、今度はコウモリフードスペシャルに変えてみました。リッくんも喜んでくれているようです♪』


魔女の昇格試験。未だ外部の人間には秘密に隠され、謎に包まれているそれを、コッソリ覗いてみようではないか。



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「遅いわね…」
 白山羊亭のカウンターの前で、クナンは壁に掛けられている時計を見て呟いた。クナン・ランゲレ。歳は25,6程だろうか、波打つ艶やかな黒髪と豊満な身体を持つ、なかなかの美女である。彼女はカウンターでルディアの淹れた特製のブレンドティを傾けながら、首をかしげた。
「確か、昼の一時の約束だったんだけれど」
 時計の針は、一時三十分を少し過ぎたところを指している。そんなクナンを見て、カウンターの中のルディアは苦笑して言った。
「もう少し待ってあげてね。あの子何やら準備してたみたいなの」
「いいえ、怒ってるわけじゃないの。ただ、何かあったのかしらと思って」
 白山羊亭の看板娘と、そんな会話を交わしていたところに、少し甲高い声が飛び込んできた。
「チコクチコク〜!チコクだよう〜!」
 声と共にカウンターのテーブルの上に『突進』してきたのは、小さなシフールの少女。テーブルの上に小さく折りたたんだ紙を放ると、背中のアゲハ蝶のような羽根を羽ばたかせ、クナンの鼻の先でペコンと勢いよく頭を下げた。その反動で、ピーコックのポニーテールが文字通り馬の尻尾のように上下に揺れた。
「クーちゃん、ゴメンねっ!!」
 クナンは少女の勢いに一瞬面食らった顔をしたが、すぐに口の端を上げて微笑んだ。
「いいのよ、ルディアとお話していたから退屈はしていなかったし」
「ほんと?」
「ええ、ほんとよ。それよりも、何か準備していたって聞いたけど」
「あっ、そうそう!そうなの!」
 クナンの言葉に思い出したように手をポンと打つ。そして慌ててテーブルに放った紙のほうに飛んでいった。少女―…ディアナには少々大きいそれを、うんしょうんしょと云いながら背中に担ごうとする。クナンは不思議そうに尋ねた。
「なぁに、それ?」
「えへへっ、えっとねえ…」
 嬉しそうに口を開いたが、ハッと気がついて片手で口を覆った。
「まだ秘密ヒミツ!また後で教えてあげる♪」
「そう?じゃあ楽しみに待っておくわ。…でも、大丈夫?何だかとても重そうなんだけど。良かったら私が持って行きましょうか?」
 クナンの提案に、ディアナはぱあっと顔を輝かせた。
「ほんとっ?クーちゃんありがとうっ!えへへ、結構重かったんだこれ」
 クナンは折りたたんだ紙をディアナから受け取り、自分の懐にしまいこんだ。そんな彼女らを見ていたルディアは、面白そうに笑って云った。
「そろそろ行かなくても良いの?彼女が待ってるわよ」


















 クナンとディアナが彼女に会ったのは数日前のこと。魔女見習いという彼女は、逃亡した相棒の黒コーモリを探していて、クナンたちは彼女に同行し、黒コウモリを見つける手助けをしたのだった。そして無事コーモリと再会を果たし、森の奥の魔女の村に帰っていった彼女から、一通の手紙が届いたのが3日前。
 魔女の村への招待状に、二人は色めき立った。
「わぁい、魔女のムラだって!昇進試験も見せてくれるんだね〜!絶対行くっ」
「そうね、本物の魔女の村を見るのも面白そうね。二人で行ってみましょうか」
「うん、行こう行こう!ルディアにもお土産買って来るね〜!」
 すっかり観光気分のディアナと、好奇心に引き摺られたクナンは早々と招待への参加を決めた。そしてその、村へと行く日が今日なのだった。

 街の入り口で、クナンの肩に乗ったディアナは小さなあくびを漏らした。
「ふわぁ…遅いねえ、ルゥ」
 ディアナの遅刻で三十分程遅れたが、待ち合わせの場所にまだ彼女は現れていなかった。どうやら結構時間にルーズな性格らしい。
「そうね…まあのんびり待ちましょうか」
 クナンが苦笑してそう云った次の瞬間、突然背後から声がかかった。
「もう待たなくてもいいぜ」
「えっ!?」
 突然掛けられた声に、二人が驚いて振り向くと、そこには15歳ほどの少年が一人。少し罰の悪そうな顔をして、腕組みをしながら街の外壁に寄りかかっていた。
「…いつの間に来たのぉ?」
 目を丸くして少年を見て、ディアナが云った。
「今来たの。悪ぃな、結構遅れちまった」
「…貴方一人?ルーリィは?」
「ああ…あいつなら、村であんたらを待ってる。ちょっと村を離れられないんでね、俺が迎えに来たってわけ」
 やれやれ、と肩をすくめる。褐色の肌、黒髪と少々吊り上った黒い目の少年は、名前をリックと云った。件の魔女見習いの少女、ルーリィの相棒である黒コウモリだ。その証拠に、目立たないように折りたたんではいるが、背中には小さなコウモリの羽根がある。
 リックはさてと、と云って外壁から離れ、二人のほうに寄ってきた。大きめのズボンのポケットから、何やら古びた長方形の紙切れを取り出した。そしてその紙切れを一枚クナンに渡した。一見普通の羊皮紙のように見えるそれは、よくよく眺めてみると、細い蔦のような植物が織り込まれているのが分かった。その表面には、クナンには判別出来ない文字が描かれている。
「えっと、ディアとか云ったっけ」
 リックはやる気なさげに、ディアナのほうに目を向けた。ハテナ顔のディアナに、「あんたは小せえから、そのヒトの懐の中にでも入っとけよ」などと云う。
「…何なのこれは?」
 クナンは恐る恐る尋ねた。何となく、呪布のように見えるのは、クナンの気のせいなのだろうか?リックはクナンの不安など全く気が付いてない様子で、
「婆様特製の札だよ。滅多に使えねぇんだぞ?有難く使えよ」
 と云われても、どうやって使うのか、何に使うのかも分からない。全く理解していない様子―…というより、何も説明していないから最もなことなのだが…のクナンとディアナを見て、リックはハァとため息をついた。
「俺さぁ、説明って嫌いなんだよな」
 はい?と首を傾げるクナンに、リックは構わず続ける。
「やってみりゃ分かることを、わざわざ口で説明するのが嫌いなの。ほら、よく言うだろ?百聞は一見に如かずってさぁ。分かった?分かったんなら、それ食って」
「…え?」
 今、何と云った?
「だから、それを食えって。ダイジョーブ、そんなに云うほど不味かないから」
 固まって手の中の紙切れを見つめているクナンに、あっけらかんと云った。ディアナはたまらず横から口を挟んだ。
「ねっ、これって食べ物なのっ?」
「いんや、食い物じゃあないよ。あー…でも食わなきゃ効果ねえってことは食い物なんかな?俺にゃよく分かんねえ」
「効果って何の効果?元々、これって何なの?」
 好奇心一杯に尋ねてくるディアナに、リックはハァとまたため息をついた。
「あのさ、ディアナさぁ。俺の話、聞いてた?俺、説明嫌いなんよ。何でって?め・ん・ど・い・か・ら。分かったらはい、さっさとオネーサンの懐に入る入る」
 リックが早口で急かし、ディアナはしぶしぶクナンの上着の胸ポケットに収まった。
「んで、オネーサンはそれを丸めて」
 仕方なく、リックの云うとおり、紙切れを小さく丸めるクナン。
「それを口ん中入れて」
 もはや反射的に、リックの云う言葉に従って、丸めた紙切れを口の中に放り込んだ。
「そんで飲み込んで」
 吐きそうになるのを堪えながら、ぐっと一気に喉の奥に飲み込んだ。
(…あら?)
 しかし、クナンが予想したような痛みは無かった。普通紙切れなんぞを飲み込めば喉の粘膜が傷つけられるのは明らかなのに。どうやら、クナンが思ったよりも、紙の繊維は柔らかいようだった。
「ちゃんと飲んだか?」
「ええ…でも、これ…」
 言いかけたクナンの言葉が途切れた。腹のそこのほうで何やら蠢いている気がする。それにだんだんと熱も持ってきたようだ。クナンは恐ろしくなってリックに問い詰めようとするが、リックも己の口の中に丸めた紙切れを放り込んでいた。そしてゴクリと飲み込むと、ニヤリと笑って云った。
「んじゃ、村で会おうーぜ」
 何ですって、と聞き返そうとした瞬間、クナンの目の前が真っ白になった。

 


















 つん、と鼻に付く、木々特有の匂い。明らかに街の中では嗅げないような匂いだ。クナンは恐る恐る地面を踏みしめてみる。じゃり、と土と小さな石の感触が伝わった。石畳のような補整された道では決して無い。そしてクナンは、ゆっくりとまぶたを開けた。その瞬間光が差し込み、クナンは思わず手で目を覆う。だんだんと指の隙間から周りを伺った。そのうちに光に目が慣れてきたのか、目を覆う手を除け、目を見開いた。
「…ディア…」
 クナンは震える手で、自分の膨らんだ胸ポケットを軽く撫でた。ディアナは怯えているのか、ポケットに丸まったまま出てくる気配は無い。クナンはゆっくりと辺りを見回した。彼女の真横には、彼女の背丈の何倍あるか検討も付かない程の大木。その幹も、大人が三人ほどでやっと囲めるほどに太い。クナンは呆然としたまま、その大木を見上げた。鮮やかな緑の合間から、太陽の光が差し込んでいる。彼女の横だけではなく、あたりは同じような大木に囲まれていた。クナンが立っているのは、その大木たちを避けて作られたのだろう、大人が二人ほど並んで通れるぐらいの道だった。
「ディア…もう大丈夫よ、出てらっしゃい」
 ポンポンと軽く叩き、ディアナを促す。ディアナは恐る恐る、クナンの胸ポケットから顔を覗かせた。そして辺りを確認すると、目を大きく見開いた。クナンの顔を下から見上げ口をパクパクさせているが、言葉にならないらしい。ディアナよりはまだ冷静さを取り戻したのか、クナンは軽く微笑んだ。
「ねっ、ねえ…!ディアたち、街の入り口にいたよねえ!?」
 ディアナがクナンのポケットからピョンと飛び出て、興奮したように辺りを飛び回る。
「すごい、すごーいっ!ここ、何処なんだろう!?」
「ディア、この森…見覚えある?」
 シフールならば、森にも詳しいのだろうかと思い、クナンは尋ねてみた。だがディアナは首をブンブンと振り、
「ううんっ!ディア、こんな森見たことないよっ!すごーい…このヒトたち、いつから生きてるんだろう?」
 ディアナは嬉しそうに微笑んで、クナンの隣の大木の幹に頬を寄せる。クナンはそんなディアナを微笑みを浮かべて見つめていた。
そして、一陣の風が吹いた。
「きゃっ」
 突然の突風に飛ばされそうになるディアナを慌てて掴み、クナンは目を覆った。舞い上がった細かな土が収まり、風が止むと、クナンたちの目の前にあの褐色の肌と黒い瞳を持つ少年が立っていた。
「あれっ、リッくんいつの間に来たのっ?」
 不思議そうに問いかけるディアナに、憮然とした顔で返す。
「今来たの。見りゃ分かんだろ」
 どこまでも愛想というものが無い少年だ。ただ気遣いを知らないだけかもしれないが。だが別に不快を感じることはないのは、リックはリックそのものを常に曝け出しているからだろう、とクナンは思った。愛想はないが、卑屈なところも無い少年だ。
「こんなとこで突っ立ってるのも何だしさ、さっさと行こーぜ」
 ふい、と首を前方に振り、付いて来いと示す。
「行くって、何処へ?」
「何処へって…あんたらがこれから行くとこなんか決まってんじゃん」
 何を当たり前のことを、と言った顔で、「俺らの…魔女の村だろ?」
 そして二人に背中を向け、さっさと木々の合間に出来た道を歩いていく。クナンと彼女の肩に座ったディアナは、顔を見合わせて、慌ててリックの後を付いていった。
程なくして、延々と続く森の中の道の真ん中に、リックの背丈程のおざなりに作られた木の看板が立っていた。クナンは目を凝らしてそれを見るが、書かれてあるのはやはり見覚えのない文字。ディアナも見たことがないようで、首をかしげている。リックは慣れた様子でその看板に近づき、腰を屈めて何やら細工を始めた。クナンが近寄って覗き込んでみると、小さな小瓶に入った赤茶色をした泥のようなものを、指を使って看板にこすり付けている。
「ねえ、何?それっ」
 ディアナが面白そうに云った。
「んー?こっから先に村があるんだけど、普段は普通の人間が入れないように結界仕掛けてんだ」
「…それを解く儀式?」
「いんや、そんな大層なもんじゃねえよ。ほら、通行証ってあるだろ?あんな感じのもんだよ。青トウガラシとドクダミの葉、ヘビイチゴを三日三晩大鍋で煮込んだヤツ」
 そう云って手にした小瓶を示した。
「これで、自分の名前を書くんだ」
 成る程、看板の上には新たにミミズののたくったような文字が増えていた。看板に元から書かれていたのを同じ文字なのだろう、彼女たちに読解は出来なかった。
「これ、リックって書いてあるのっ?」
「うん。魔女たちが使う、昔々の言葉。俺は勿論読めねえけど、これが書けなきゃ村には入れないし」
 そう云いながら、リックは文字を書き終わったようだ。やれやれ、と腰を伸ばして、看板の上のほうをポンと叩いた。するとたった今描かれた文字が、木に吸い込まれるように消えた。驚いて目を見張っていると、リックが前を指差した。
「ほらな?行こうぜ」
 ニッと笑って、クナンの背中を押した。
先ほどまでただの道だったところに、村が在った。






















「いらっしゃい、ようこそ私たちの村へ!」
 ずっとクナンたちを待っていたのだろうか、村の入り口に見慣れた顔が一人腕を広げて立っていた。薄い桃色のとんがり帽子、背中に波打つ金色の髪。輝くような笑顔が、クナンとディアナを迎えてくれた。ふんわりとしたドレスのような服と、編み上げブーツは以前見たのと同じような格好だが、今日のは少々凝ったつくりになっている。二人を出迎えるために、わざわざ取って置きを出してきたのだろうか。
「ルゥ〜!久しぶり〜!」
 少女、ルーリィの姿を認めると、ディアナはぴゅうと飛んでいって彼女の胸に抱きついた。
「ディア、久しぶりね!元気にしてた?」
「うんっ、ルディアもクーちゃんも元気だよっ!えへへ、また会えて嬉しいな〜♪」
「私もよ!来てくれて有難う!でも、結構遅かったね?」
 ルーリィは暫し考え込むような素振りを見せ、ジロリとリックのほうを見た。
「リッくん…また寄り道してたでしょ?」
「……………。」
 そっぽを向き、後頭部をポリポリと掻いている。
「ちゃんと時間通りに行ってねって、私云ったよね?」
「……ふ、ははははは」
 空笑いを上げてから、リックはポンと軽い爆音を立て、小さなコウモリの姿になった。
「あっ!逃げる気!?」
「うっせー!ちゃんと連れて来てやったんだから感謝しろい!」
 捨て台詞を残して、バサバサと何処かへ飛んで行ってしまった。ルーリィはリックの後姿を呆れた表情で見送っていたが、やがて思い出したように振り向いた。そしてニッコリと微笑む。
「まあ、あいつのことは置いといて!ホント、来てくれてどうも有り難う!」
 クナンの肩をパンパンと叩き、嬉しそうに笑った。そして付け加える。
「とりあえず、まずは婆サマに会ってくれる?一応ね、つれて来いって云われてるから」
 そういってクナンの手を取り、ずんずんと歩き出す。
クナンはルーリィの後に続きながら、周りを見渡した。森の中にひっそりと暮らしているのだろう、ごく小規模な村のようだった。所々にレンガ造りのこじんまりとした家が立ち並んでいる。一見すると、どこにでもあるごく普通の村のようだった。…これが魔女の村なのか、とそう思ったとき、彼女は家々の木のドアに釘で打ち付けられている大き目の紙に気がついた。その紙の上に、見慣れない植物で編まれた飾りのようなものが付けられている。紙には文脈は違うようだが、揃って必ず何やら人型のようなものが描かれているのだ。
 クナンの視線に気がついたのか、ルーリィは「ああ、あれ?」と云った。
「実はね、今日は半年に一度のお祀りなの」
「お祭りっ?」
 ルーリィの肩に座っていたディアナが輝いた顔になる。ルーリィは笑って首を振り、
「残念だけど、ディアが期待しているようなお祭りじゃあないよ。今日はね、亡くなった人が森から帰ってくる日なの」
「えっ…亡くなったヒト?」
「うん。半年に一度の大切な日。だからね、私の昇進試験、明日に引き伸ばしになっちゃった。いい機会だから村の中見学していってよ。狭い村だけど…」
 ルーリィは、ふと後ろを振り向いて、不思議そうに首を傾けた。
「…クナン?」
 呼びかけられ、クナンはハッとわれに返る。いつの間にか足が止まっていたようだった。
「…どうしたの?大丈夫?」
「…ええ…ご免なさい」
 クナンは長い息を吐き、ぎこちない微笑を返した。
「ねえ、あの家のドアに張られてるのって何なの?」
「うん?あれはね、亡くなった人たちが帰ってきても、私たち生きてる人を山に連れて帰らないでねっていうお呪い。この村ではね、死者は山に行って、そこで暮らしているの。でも半年に一度、今日みたいなお祀りの日には村に帰ってきてくれるのよ。お祀りが終わったらまた山に帰っていくんだけど、そのとき寂しいからって、生きてる人まで連れて帰っちゃったら困るでしょ?」
「ふぅん…何かよく分かんないけど。でも楽しそうだねっ」
「そうね、きっと楽しいわよ」
「ねえっ、何で誰も居ないの?お昼寝してるの?」
「多分、皆は家の中でお祀りの準備して…村の長老たちは婆サマのところにいるんだと思うわ」
 先を行くディアナとルーリィの会話は、殆どクナンの耳の中に入っていなかった。
 彼女は心の中で呟いていた。
(…亡くなった人が帰ってくる…)
(………交霊会…?)
















 村の奥まったところ、少し高台にある古ぼけた一軒の家。あまり大きくは無いその家の前にルーリィが立ち、重い扉を軽くノックする。ルーリィがノブに手を掛ける前に、ドアが自ずから開いた。
不安な面持ちのクナンとは裏腹に、ディアナはこれから何が起こるのか、とわくわくした様子で顔を輝かせている。
「…入りなされ」
 しゃがれているどっしりと重い声が中から響いた。
ルーリィは息をごくんと飲み、扉から中へ入っていった。続いてクナンと、彼女の肩に乗ったディアナも中へと入る。家の中はカーテンを締め切っているのか、真っ昼間というのに暗闇だった。クナンの背後で扉がばたんとしまり、真の闇になる。まるで突然夜の闇に紛れ込んだようだった。
「婆サマ!」
 何処にいるかは分からないが、ルーリィの声がした。がさがさと何かを探っている音がしたかと思ったら、急に部屋の真ん中の辺りにオレンジ色の灯りがともった。どうやらルーリィが部屋の真ん中においてあるランプに火を灯したらしい。
 どうやら思ったよりも小さな家のようで、玄関から入ってすぐ、少し広めの部屋があった。その部屋の両端の壁に、他の部屋へと続いている扉がある。一応窓はあるらしいが紺色のカーテンでぴったりと仕切られていて、外からの日光は完全に遮断されていた。部屋の中に家具らしきものは何も無く、村へ入るときの看板に書かれてあったような文字を描いたタペストリーが壁に飾られ、何やら複雑なつくりをした大き目の壷、調合する前の段階にある見知らぬ草や木の実などがそこかしこにばら撒かれていた。部屋の奥にはひときわ大きなタペストリー。文字だけでなく、物語になっているような絵も描かれている。そしてそのタペストリーの前に、目深に柔らかそうな生地のフードを被った、一人の老婆が胡坐をかいて陣取っていた。その老婆を囲うようにして、4人の老人が座っている。この老婆が、ルーリィの言う『婆サマ』なのだろう。ならば、周りの4人の老人は長老たちか。
「ランプくらい付けてくださいよ、足元が危ないでしょう!」
 呆れた声で、ルーリィが仁王立ちになり、老婆に言った。老婆は微かに見える口元を歪め、掠れた笑い声を上げた。
「やかましいわ、お前は黙っておけ。今、長老どもと相談しておったとこじゃ。相談は暗いほうがええ」
 そしてクナンたちのほうに顔を向け、座れ、とジェスチャーで示した。クナンは恐る恐るその場に腰を下ろした。床一面に柔らかい絨毯が敷かれ、正座しているクナンの足をやわらげてくれる。
「お前さんらかえ?ルーリィと街で知り合ったというのは」
 重い声で尋ねられ、クナンは内心戦きながら、それでも笑顔を作って答える。
「…はい。私はクナン・ランゲレ。こちらはシフールのディアナ・ケヒトです」
「そうかい。アタシはこの村の最長老のプロキシン。まあ婆様なんて呼ばれとるがね。…この前はウチのルーリィが世話になったちゅうことで、今回招いたわけじゃが」
 そこでプロキシンは言葉を切った。ゴホン、と咳き込んでから続ける。
「この村に入るとき、気がついただろうが…この村は外部と全く関係絶っておる。お前さんらのように、外部の人間を招いたのも、長いこの村の歴史の中で数回しかない。分かるかい、その意味が?」
 フードで深く隠されて、プロキシンの表情は見えない。だが皺だらけのその口元はニヤリと歪められていた。
(…この村のことを、他の人間には話すな、ということか…)
 話したら、どうなるか分かるかい?そんな脅し文句が聞こえてくる。思わず身を強張らせたクナンを見て、たまらずにプロキシンは声を立てて笑い出した。
「くっはははは!そんなに怖がらんでもええ、あんたらは客人だ、それ相応のお持て成しはさせてもらうつもりじゃ。ただな、普通の人間を招いたことが数える程しかないのでな、その『お持て成し』もちょいと普通とは違うかもしれんが、そこんとこは覚悟せえちゅうことじゃ。お前さんは何を想像したのかえ?」
 心底面白そうに、くっくっく、と肩を揺らして笑っている。クナンはそのプロキシンの言葉と反応に目を丸くして、肩に乗っているディアナと顔を見合わせた。
「今日の鎮霊祭にも是非参加していってもらうぞ。宴は夕方からじゃ、それまでルーリィの家にででも身体を休めるとええ」
「は、はあ…」
 些か拍子抜けしたクナンは、気の抜けた返事を返した。
プロキシンは満足したように頷くと、もうええぞ、とルーリィに云う。そしてルーリィに誘われ、クナンとディアナはプロキシンの家をあとにした。












「婆サマって何だか面白い人だねっ♪」
「そう?結構気まぐれだから怖いよ?」
 苦笑いをしながら、ルーリィは自分の家の前に立った。玄関のドアを開け、二人を中に案内する。
「うわぁ!」
 中に入った瞬間、ディアナは歓声を上げた。一人住まいなのだろう、広いとは云えない居間にありとあらゆるものが散らかっていた。先ほどのプロキシンの家で見た薬草や木の実などがテーブルに散乱していると思えば、戸棚の中には独りでに動く人形がやかましい音を立てている。居間とつながっている形の台所では、ガチャガチャと音を立て、流し台に溢れそうな皿やらカップなどを、洗剤まみれになったたわしが踊るようにピカピカにしていく。コンロの上では大鍋から湯気が立ち上り、何やら焦げ臭い匂いを立てていた。
「あっ!」
 ルーリィは飛び上がって、大鍋のところへ駆け寄った。あわてて鍋に入れてあった大きな木べらでかき混ぜるが、余計に焦げ付いた匂いがきつくなっていく。
「ああああああ〜焦げちゃった、焦げちゃったよう」
 涙目になりながら、コンロの火を消す。そして何故か、キッと木べらを睨み付ける。
「何でちゃんとかき混ぜといてくれなかったの、焦げちゃったじゃない!」
 すると、まるで意思を持っているかのように、木べらはふいと柄を反らした。ルーリィに反発しているように見える。
勿論、こんな『面白そう』なことは、ディアナが放っておくはずはない。
「わぁ、木べらが勝手に動いてる!すごいすごい〜」
 顔を輝かせて、ルーリィと木べらのやり取りに歓声を上げる。そのディアナの興奮に水を差したのは、先ほど何処かへ飛んでいってしまったはずの彼だった。
「別にすごかないぜ?」
 いつの間に居たのだろう、部屋の上から吊り下げられている木の棒に掴まりぶら下がっている、黒コウモリが鼻で笑った。
「え?じゅーぶんすごいよっ!だって木べらが自分で動いてるんだよっ」
「こんなもん初級の魔法だぜ?それにこいつは、焦げないようにずっとかき混ぜとけって命令したのに無視されてんだから、ナメられてんだよ。まだまだ未熟な証拠っつうこと」
 小馬鹿にしたように云うリックをルーリィは涙目になって睨み付けた。
「ううううるさいっ!こいつが生意気なのよ、私のせいじゃないもん!」
「いんや、お前が原因だね。だから落ちこぼれなんて馬鹿にされるんだぜ」
「うう〜!リッくんの馬鹿っ!ご飯抜きにするからね!?」
「あんなクソ不味い飯、こっちから願い下げだよっ!」
 目の前でいきなり口喧嘩を始める二人を、クナンは苦笑してなだめにかかった。
「まあまあ…仕方ないわよ、こういう魔法は良く知らないけれど、鍛錬すれば必ず腕は上がるわ。それより、一体何を作っていたの?」
 クナンは話題を逸らそうと、鉄臭いような焦げた匂いがぷんと立ち上る鍋の中を覗き込んだ。そしてうっとしかめっ面をする。
鍋の中のドロリとしたヘドロ状の液体は、どす黒い緑色をしていた。所々に浮かんでいる黒いものは焦げなのだろうが、それにしてもこの色はおかしい。
「これ、何…?」
 クナンに続いて鍋の中を覗き込んだディアナも不審な声で言う。二人で顔を見合わせて、ディアナはうっと口を手で押さえた。確かに見えていて気持ちのいいものでは決してない代物だ。
 そんな二人を不思議そうに見て、きょとんとした声で言ったのはルーリィ。
「…特製の野ねずみのスープだけど、それが何か?」
「のっ……!?」
「ねず……!!」
 おかしなものを見るような目つきで、驚愕に顔を引きつらせている二人を眺めている。リックのほうも、何を驚いているのか分からない、というような顔で、
「焦げなかったらなかなか上手いんだけどな」
 等と云う。
「私の死んだ母親から教えてもらったレシピなの。野ネズミの皮を剥いで、塩水に暫く漬け込んで…」
 クナンは、細かく野ネズミのスープとやらの調理法を説明しだしたルーリィを、慌てて止めに入った。手を口に押さえたままで、もう片方の手を突き出してブンブンと振る。
「わ、分かったわ、有難う!」
 これ以上聞かされてはたまらない。
ルーリィは、そう?と不思議そうに云ったが、それ以上説明はしなかった。
そしてリックが、ふと思い出したように声を出した。
「そーいやルーリィ、婆様が呼んでたぞ」
「うん、さっき行ってきた」
「それは知ってるっつーの。その後だよ、何か用があるらしいぜ。家に戻る途中に呼び止められたんだ」
「…えー、何で?何だろう…あ、婆様の取って置きの薬壷倒したのバレたのかな?それともお祀り用のお菓子つまみ食いしたことかな…」
「お前、そんなことばっかやってんのな…」
 リックが心底あきれた、という目で見るが、ルーリィは全く気にしていない様子で、
「まあ仕方ないや、怒られてくるわね。リック、ディアたちお持て成ししておいてね!」
 そう言い残し、リックの返事も聞かずに開いたままのドアから飛ぶように出て行ってしまった。
リックは呆気に取られて開いたドアを見つめていたが、二人の物言わぬ視線に気がついて肩をすくめた。
「とりあえず…夜まで、どうやって暇潰す?」











 

 




   チン…チン…

 何処からともなく聞こえてくる鈴の音が、自然と心を厳かなものにしてくれる。村の中心部に位置する広場には、沢山の人達が集まっていた。魔女の村というだけあって、やはり女性が大多数を占めるが、ちらほらと男性の顔を見受けられる。それを見て、ディアナは驚いたような顔をした。
「ディア、魔女のムラだから、女のヒトしかいないと思ってた!」
 ディアナの言葉に、横に人の姿になって立っていたリックが、やれやれというように言った。
「はん、オンナだけだったら子供生まれねぇじゃん。つっても昔は男子禁制だったらしいけど」
「じゃあ、子供はどうしてたの?」
「子供を産むためだけに、他のとこから男連れてきてたり、もっともっと昔は、どこかの村からガキさらってきて、そいつを魔女として教育してたりしたとか聞いたな。何にせよ、怖ェー話だよ」
 何時の時代、何処の場所にでも暗い時代というものはあるものだ。
そう思い、クナンは広場から少し離れたところに立ち、広場を見つめていた。
 もう既に陽は暮れ、村のあちこちに備え付けられている焚き火と松明の灯りだけが辺りを照らしている。何処かで香でも焚いているのだろう、見ようによっては何色にでも見える不思議な霧が辺りを覆っていた。広場の中心には、一際大きな焚き火が置かれ、その周りの地面には何やら黒い液体で書かれた、魔女たちの古い文字がぐるりと円を描くように書かれていた。
 村の魔女たちは、皆ルーリィのようなとんがり帽子を被り、裾の長いローブを着ている。色も作りも千差万別だが、やはり祀り用なのだろう、皆どこか凝った作りの服装をしていた。
(やはり、外部の人間は珍しいのかしら)
 クナンはぼんやりとそんなことを思っていた。気のせいかもしれないが、自分たちの目の前を横切る人や、広場にたむろっている人、彼らが自分たちに妙な視線を向けているのを感じた。
(でも、仕方のないことよね)
 そうしているうちに、広場で各々塊を作っている魔女たちの中から、知った顔が一人クナンたちのほうにやって来た。
「こんな離れたところにいないで、もっとこっちに来てよ!これから始まるの、特等席で見て欲しいし」
 やって来たルーリィは、久々の祀りで多少興奮しているのだろう、いつもより楽しそうな笑顔でクナンたちを手招きした。
「トクトウセキ?」
 ディアナはパタパタと半透明な羽根を羽ばたかせ、ルーリィの肩に止まった。
「うんそう、今から余興が始まるの。楽しいよ?」
「じゃあ、お言葉に甘えて、行ってみましょうか」
 クナンの言葉に顔を輝かせて、ディアナは大きく首を縦に振った。








 ルーリィに手を引かれ、連れて行かれたのは、広場を一望できるように、と設置されたのだろう木枠で組まれた少し高い長台の上だった。既に先ほどプロキシンの家で見た長老たちが、台の上に敷かれた布の上であぐらをかいていた。ディアナは揃った長老たちの面々に驚いて、
「ねえ、ルゥ。ディアたちが、ココにいてもいいのかな?」
「勿論、だってディアたちはお客さんだもの。ゆっくりくつろいで貰えると嬉しいよ!」
 さあ、座って座って、と長台の末席にクナンを案内する。ディアナには、クナンの隣に小さい布を敷いた。そしてルーリィ自身も横に座り、楽しそうに広場を見つめていた。広場では祀りの用意をしている人々が慌しく行き交っている。
 クナンは、ふと疑問に思い、ルーリィに尋ねた。
「ねえ、これから何が始まるの?」
 プロキシンは降霊会だと言っていたが、具体的に何をやるかなどは何も聞いていなかった。
「うん、今から始まるのは、余興みたいなものよ。村のね、未婚の女性が村に伝わる踊りを舞うの。森に眠っているご先祖様たちは賑やかなことが好きだから、こちらへ来てくださいって誘うための踊りって謂われてるわ。最も、今では踊りの優劣を競っているようなとこもあるけどね。この村ではね、この踊りが上手い人ほど男性にモテるのよ」
 ルーリィはそう云って、少し笑った。
「ルーリィは踊らないの?」
「今日は私は免除。クナンたちをお持て成ししなさいって云われてるの」
「じゃあ、悪かったかしら。折角の踊る機会なのに」
 クナンの言葉に、ルーリィは苦笑して、
「えへへ、実は有難かったり。私ね、踊るの上手くないから。こういうとこも落ちこぼれなんだよね…」
「そんなこと…」
 ない、とは云えなかった。ルーリィの寂しげな表情が、決して謙遜などではないことを物語っていたのだ。
「普通はね、皆母親に教えてもらうの。踊り自体はこの村に伝わるものだけど、その家々によってアレンジがしてあるからね、その家系独特の踊りになるの」
「でも、あなたのお母さまは…」
 クナンはそこで言葉を切った。
「…言い訳にするつもりじゃないけど。教えてもらう前に死んじゃったからの、私のお母さん。だから私の踊りは我流」
 クナンは何も云えなかった。伝わるべきものを伝えてもらえなかった少女も、伝えることすら出来なかった母親も、どちらもが哀しいのだろう。子供を亡くした母親が辛いのと同様に、子供の成長を見守れずにこの世を去った母親もまた、辛いのだ。
 だがそこに、明るい声が下のほうから聞こえた。
「じゃあ、ルゥの家の踊りは、ルゥが作っていくんだねっ」
「…え?」
 不思議そうに問い返すルーリィ。
ディアナは、笑って云った。
「だってそうじゃない?他の家のヒトは、受け継ぐだけだけど、ルゥは自分の踊りを伝えていけるんだよっ。何十年、何百年あとにも、ルゥの踊りを踊っているヒトがいるんだよ!それってすごいよね」
 ディアナの明るい声に、ルーリィは一瞬目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「…そうだよね、そう考えることも出来るよね…。有難う、ディア」
「その通りじゃよ」
 しゃがれた重たい言葉が、突然背後からかかった。三人は驚いて振り向くと、そこにフードを少し上げて、皺に隠された目を微笑みの形に歪めているプロキシンが立っていた。
「最近の若いモンは、踊りの上手さや下手やで決めたがる。踊りは上手い下手の問題じゃないんだよ。そこに心がこもっているか、魂が現れているかじゃ」
「婆様」
「それにな…ルーリィ、アタシはあんたの踊り、決して下手だとは見とらんよ」
 そう云うと、プロキシンはゆっくりと、己の席である台の真ん中あたりに歩いていこうとした。そしてふと思い出したように振り返った。
「そうじゃ、お前さん…クナンとかいったかえ」
「…はい?…何でしょう」
 突然声をかけられ、居住まいを直すクナン。
そのクナンを、プロキシンは済んだ青色の瞳でまっすぐ見つめ、
「折角じゃから、お前さんも踊ってみたらどうじゃ?」
 クナンはその言葉に、一瞬身体が強張った。踊るのは難しいことではないだろう、クナンは故郷では名の知れた踊り子だったのだから。
だが…。
「…お言葉ですが、私は…」
「未婚ではない、と申すのか?」
 プロキシンは、何かを訴えかけるような目でクナンを射る。
 クナンはそれ以上言葉には出来なかった。プロキシンの云うとおり、クナンは未婚ではない。だが、彼女の夫はもうこの世の何処にも存在しない。
プロキシンは、長く息を吐き、そしてクナンを手招きした。
「ちょっとこっちに来てくれるか」





 プロキシンに誘われ、クナンは村の片隅に立っていた。もう既に踊りは始まっているのだろう、少し遠くのほうから太鼓や笛の音、それに混じって人々の歓声が聞こえる。
プロキシンは杖を支えながら立ち、クナンの顔を下からじっと覗き込んでいた。
「…何でしょう」
 沈黙に耐え切れず、クナンはそう切り出した。
「いやね…あたしの思い過ごしならいいんじゃがね。あんたには何か影が見える。初めて見たときから、ずっと気になっとった」
「婆様…私は」
 クナンの言葉をさえぎり、プロキシンは首を振った。
「あんたが言いたくないんなら、言わんでええ。だがな、あんたが影を背負っている限り、あんたの大切な人らは決して浮かばれんぞ。ウチの村でも言われておる。生者が死者に縋っている限り、死者は森の奥には行けんのじゃ、とな。ルーリィの母親はな、あの子が9つの時に死んだ。外からもらってきた病によってな、コロリと逝ってしまった。あの子にも云ったもんじゃ、母親の影を背負って生きるな、と」
「婆様…」
 クナンは首を折り、うな垂れた。確かにプロキシンの云うことも分かる。だが、それでも、クナンの中ではまだ決着が付いていないことなのだった。
 クナンは暫し目を閉じ、口を真一文字に閉じていたが、やがてゆっくりと目を開いてプロキシンの瞳を見つめた。
「婆様」
「…なんじゃ?」
 クナンの意思を感じ取ったのか、プロキシンは静かに問い返す。
「…私は、故郷で異端審問を受けました」
 クナンの言葉に、プロキシンは僅かに目を開く。クナンは構わずに続けた。
「夫の財産に目をつけた審問官に、魔女だと告発を受けました。夫は監獄の中で死に、妹も火炙りに遭い、私だけが、生き延びたのです。処刑寸前に、皇子誕生の恩赦によって…」
 プロキシンは、じっと彼女の言葉に耳を傾けている。そして、小さくつぶやいた。
「…辛かったろうに…なあ…」
 クナンは、静かに微笑んだ。
「でも…昔のことです。それに、私は魔女の村に来て良かったと思っています。彼女…ルーリィと知り合えたことも。ただ…」
 軽く目を伏せ、
「婆様の仰ることも分かります。確かに、夫や妹の影を何時までも背負っていては、彼らも安心して往けないでしょう。でも…私自身は、それでは済まされないのです。私のせいで彼らは死に、そして私自身は生き延びた。もし、彼らに謝ることが出来るのならば謝りたい。私は…」
 そう云って、クナンは軽く目をこすった。彼女の瞳は赤くなっていた。
プロキシンは暫く考え込んでいたが、やがてゆっくりと首を上げると、静かに云った。
「謝ることが出来たならば、お前さんは救われるのかえ?」
「…え?」
「謝ってどうする。無論、死者のことは忘れてはいかん。この世に存在できなくなったものは、生きている者たちの心の中でしか生きられんのだからな。だが、大切なのは今生きてる者のことじゃよ。今、生きているお前さんが大切なのじゃ。謝罪してどうする?それで死者がこの世に還ってくるのかえ?確かに、お前さんの旦那と妹は、哀れな死に方をした。だがそれで死んでも死に切れん、お前さんが自分たちのことを延々と悔やみ続けなければ死に切れん、という人達なのか?違うだろう。」
 プロキシンはそこで言葉を切り、静かに微笑んだ。
「お前さんが自分を許せなく思う気持ちも分かる。だが、死者が望んでいるのは謝罪ではない。ただ、在りし日の己を想ってもらうことだけじゃ。そしてお前さんの中の彼らは、また命を吹き込まれるのじゃよ」
「婆様…」
 クナンは瞳に涙を浮かべながら、ゆっくりと、だが深く頭を下げた。
「有難う…御座います」
 プロキシンは、そんなクナンを見て、微笑んで云った。
「良いことを教えてやろうか?」
「…はい?」
「ルーリィが何を云ったかは知らんが…ウチの村の降霊祭はな、死者がまた村に還ってくるとか、そういうものじゃないのだよ。以下に魔女といえど、一度亡くなったものを無理やり連れ戻すことは出来ん。死者は森の奥で静かに暮らしているのじゃ、叩き起こすようなことをするのは失礼というものじゃろう」
「では…どういったものなのですか?」
「先ほどアタシが云っただろう、在りし日の彼らを思い出すんじゃよ。そして己の中の彼らに、己が今生きているということを伝えるんじゃ。…死者に伝えるべきは謝罪ではなく、己が精一杯生きている、ということ、そして感謝の言葉だけだ」
 クナンはじっと黙ってプロキシンの顔を見つめいていた。
そして、目の前の老婆の言葉を、己の心の中に深く刻み込む。
 プロキシンは、やれやれ、と腰を打つと、クナンの腰をパァンと叩いた。
「そぅれ、そろそろ戻るとするかい。ルーリィも、シフールのあの子も心配してるじゃろうて」
「………はい」
 そう答えたクナンの顔には、微笑が戻っていた。

















 そして夜通し魔女たちの歓待を受け、翌朝太陽が高く真上に昇ったころに、クナンとディアナは村を後にすることになった。
「…色々、有難う御座いました」
 クナンは目の前のプロキシンと、長老たちに軽く頭を下げた。
ディアナはというと、まだ眠気が残っているのか、ぼんやりとした目をしながら、
「ありがとーございましたーっ。ディア、すんごい楽しかったよっ」
「そうかい、そりゃあ良かった。また来たくなったらいつでも文を寄越すとええ、ルーリィを使いにやろう」
 そしてディアナは、ハッと思い出したように手を打った。
「そうだそうだっ!忘れるとこだった!ねえ、クーちゃん、あれっ!」
「…あれ?」
「ほら、白山羊亭で預けたじゃない、私の!」
「ああ、あれね」
 クナンは軽くうなづいて、懐から小さく折りたたまれた紙切れを取り出す。
ディアナはそれを受け取ると、羽根をはためかせ、ルーリィのところまで飛んでいった。
「えへへっ。遅れちゃったけど、これ、おみやげだよっ」
「え?私に?」
 ルーリィが不思議そうな顔をして、紙切れを受け取る。そしてガサガサと紙を広げて、中を覗き込む。ルーリィの頭に止まっていた黒コウモリの姿をしたリックも同じく覗き込んだ。
 そしてリックが歓声を上げた。
「うわっ、これ、年間スケジュールじゃん!」
「えっ。ホントだ!!」
 ディアナは得意そうな顔をして、胸を反った。ディアナが渡した紙切れは、ソーンで行われるイベントのスケジュール表だった。ディアナがツテを頼りに頼み込んでもらって来た品だ。
「えへ、これでイベントはバッチリだよね!また街に遊びに来てね!一緒に遊ぼうよ!」
 リックとルーリィは、満面の笑みを浮かべて、大きく首を縦にブンブンと振った。
だが、そんな二人を厳しい目でにらみつける者が一人。
「こら、お前ら。また鍛錬サボって街に行ったら、容赦せんぞ!」
 プロキシンの言葉にビクッと固まる一人と一匹。
それの光景を苦笑しながら見つめていたクナンだが、ふとあることを思い出して、ルーリィの耳元で囁いた。
「そういえば…あなたの昇進試験はどうなったの?」
 ルーリィは、舌を出して笑って云った。
「あれね…木べらのことが婆様にばれちゃって。お前にゃ一人前になるのは三年早い!って云われちゃった。えへへ、当分見習いのままみたい」
 クナンは目を丸くしたが、当のルーリィは特に気にしていない様子で、
「ま、三年後まで頑張るとするわ。それまでに、私自身の踊りももっと上手くなるように努力する。だから、また来てね?」
「…勿論よ」
 クナンは笑ってそう云うと、頭上の空を見上げた。
木々の合間から、太陽がさんさんと降り注いでいる。
 今日も良い天気だし、明日も晴れるだろう。そうやって日々は続いていくのだ。











                         完。






 




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】

【5967 / ディアナ・ケヒト / 女 / 18 / ヴィジョンコーラー】
【0690 / クナン・ランゲレ / 女 / 25 / 魔女】


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■         ライター通信          ■
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今日和、瀬戸太一です。
大変お待たせしてしまって申し訳ありませんでした…。
ルーリィとの二度目の邂逅、如何でしたか?
楽しんでもらえると幸いです。

また宜しければ、感想・ご意見等送ってやってくださいませ。
それでは、またお会いできることを祈って…。