<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


……かく語りぬ
●昼下がりの白山羊亭
「待ち人来たらずなの?」
 ウェイトレスは三杯目のジョッキをテーブルに置くと、悪戯な目で客に語りかけた。客の顔が一瞬むっとしたのにもおかまいなしで、客の前に腰を下ろす。
 それを客に咎められると、
「ひまつぶしに、話にでもつきあってあげようと思ったのに」
 と、肩を竦めた。
 確かに客が店の中を見回すと、自分以外には人がいない。視線を前に戻せば、ウェイトレスがほらね、という顔をしている。
 時間を潰すのには、話をするのも悪くないかもしれないか……

●ジグフェルドはかく語りぬ
「子供に話すことはないのだが」
 ジグフェルド・サイレムは一本だけ残った腕で、ジョッキを口に運びつつ言った。
 もう片方の腕は、以前戦場に忘れてきた。それ以来、ジグフェルドには片腕しかない。多少不自由なことがあるのは認めるが、自分では大概のことは以前と大体同じにできるつもりだった。元々二本あったものが一本になったから不自由に感じるのであって、最初から一本しかなければ、きっと不自由だとも思わなかっただろうと……そのぐらいには。もっとも、受ける彼自身が気恥ずかしい程に彼の世話を焼く、彼の妻などには違う見解があるかもしれなかった。
 ウェイトレスの少女の気を引いたのも、この隻腕のせいかとも思ったが、さて、少女は特に奇妙なものを見るような顔はしていなかった。好奇心は旺盛なようだったが、その向いている方向は最初にジグフェルドが思ったようなものとは少々違うようだ。
「あら、ひどい。もう子供じゃないわ。大人の話にだって、お付き合いできるわよ?」
 少女はそう口を尖らせるが、ジグフェルドから見たら、もちろんまだまだ子供だった。特に最近、ジグフェルドは学校などに駆り出されることも多くなったので……目の前の少女は、そこの生徒たちと変わらない歳にも見える。
「……いや、子供だ」
「子供じゃないわ」
「私の教える生徒たちと、大して歳が変わらん。子供だ」
「あら、学校の先生なの? そんな風には見えないけど」
 少女の瞳が好奇心に輝いたのを見つけて、ジグフェルドは少し顔を顰めた。
 確かに、ジグフェルドのいでたちは教師には見えにくいだろう。他には、国の政務関係に呼び出されることもあったが……多分、政務に携わる者には更に見えないだろう。それは当人に、教師のつもりも文官のつもりもないからだ。彼の立場はもとより文武両道を求められるもので、けして政務に携わることも教育に携わることも不自然ではなかったが、元来ジグフェルドは武に片寄るきらいがあった。
「嫌なことを聞いたかしら?」
 その表情には、少女も反応した。他人のことはなんでもお構いなしというわけではないらしい。
「いや……だが、私の本当の仕事は騎士で、領主で、民を守る守護者だ。私自身は、変わったつもりはないのだが」
 回りからは、微妙に変わるように求められている。それは戦功に対する報奨であるのだが……
 ジグフェルドは、まだ戦えると思っている。だが、回りにはそう思っていない者もいるのかもしれなかった。竜騎士として、以前と変わらぬ、あるいは前以上の敬意は払われているけれど。
 それを思うと、ジグフェルドには何か、喉の奥に小骨が引っかかったような不快感があった。
「まあ、仕事に不満のない人なんて、そんなにいないわ。いやなことも好きなことも、しないとね」
「訳知り顔でそんなことを言うものではないな」
「あら、違うの?」
 少女の悟ったような言葉に切り返すと、さらに返された。そこでジグフェルドは黙り込む。不満と言われれば違うと思ったが、新しい仕事が面白くないのは事実だ。
 今の立場は以前の戦いで功績を挙げたためである。その見返りとして、中央の政治や後進の教育に携わる道が拓けたのだとも言える。それは以前よりも厚く遇されているとも受け取れる。それらは誇るべきことであり、恥じるところはどこにもない。
 それでも……
「いや、やはり不満なわけではない」
 しかし、そこで、ジグフェルドは頭を振った。
 悪い考えを追い払おうとでもするかのように。
「ただ、考えてしまうだけだ。もしも、あの戦いで……」
「あんまり、もしもなんて考えてると、おじさん臭くなっちゃうよ?」
 少女の言葉にジグフェルドが絶句すると、少女はくすくす笑った。
「話を変える? えーとね、じゃあ、今は誰を待ってるの?」
 ジグフェルドは、もう一度ジョッキに口をつけた。それでもう、中味は半分程になっていたが。
「妻だ」
 そして、一息ついてから言った。
「奥さん?」
「市に、買い物に行っている」
 ああ、と少女は納得した。女性の買い物に付き合いきれなくなってしまう夫は多い。珍しいものではないからだ。
 だが少女があっさり納得したことに、ジグフェルドはどうも不本意なことを考えられているような気がしてくる。
「言っておくが、ここで待っているようにルヴィシアに言われたのであって……」
「ああ、うん、わかったわ」
 言い訳は要らないと言いたげな少女の言葉に更にジグフェルドは眉を顰めたが、今度は少女は気にしなかった。
「奥さん、美人?」
 そして、野次馬根性を覗かせる。
「……」
 それはよくある社交辞令にも似た問いだったが、どう答えるべきか、ジグフェルドは本当に考えこんだ。ジグフェルドはそういうものを、社交辞令で受け流すという質ではなかったからだが……正直、あまり考えたことがないというのも実情だった。
 前妻の、今の妻であるルヴィシアの姉は、美人だったと言える。それはすぐに言えるのだが……
 ジグフェルドは妻の顔を思い出してみた。そして、それだけでは足りぬと、その立ち姿を思い起こしてみる。更に、その仕種を。
 それから……

 ある日、城下の別邸から女王陛下の御前に出仕する前のことだった。出かける身仕度を整えるのに、軽く行水をしてからと思って、その最中のことだ。こんこんとノックの音がしたので、ジグフェルドは下男が着替えを持って来たのだと思って、疑問なく中に入るように言った。
「入れ」
「あなた」
 だが入ってきたのは、まだ新婚の妻だった……いや、新婚とは言え、妻なのだからそこで慌てることは何もないはずなのだが。
 ジグフェルドが今までの人生の中で同じだけ動揺したことを挙げようとしたならば、そう数多くは挙がらない。何故だかそのくらいには、動揺した。
 慣れていなかった、というのはあるだろう。初めての結婚ではなかったが、ルヴィシアと姉が似ているかと言えば……さて、難しいところがある。いや、けして似ていないわけでもないのだが。
「背中を流すわ」
 そう言って、ルヴィシアはにこやかに近付いてくる。
「……自分でできる」
 そう答えるのが精一杯だった。
「意地を張らないで! 届かないところもあるでしょう?」
「いや……まあ……そうなんだが」
 だが、あっさり押し切られて、背中を向けさせられる。だが、すぐに作業が始まるわけではなかった。後ろで絹擦れの音がしたと思って、ジグフェルドが軽く振り返ると……
 そこには、半裸の妻がいた。
 濡れるから、ということだったが……夜とは違う、明るい光の中でその姿を見たのは初めてのことだったかもしれない。
 それから……

「どうしたの? おじさん」
 ジグフェルドは少女の声に引き戻され、追想から覚めた。
「……いや、なんでもない」
 少し、顔が熱い。赤くなってはいないかと、ジグフェルドは自分の手で目を覆った。
 思い出すにしても、もう少し違った物はなかったかとジグフェルド自身思ったが、それで答えは出た。
「ええと……妻は美人だと思う」
 そして、遅れた返答を返す。
 美しい女だ、と、確かにあのとき思ったのだ。
「そうなんだぁ……あ、あの人、そう?」
 ジグフェルドは少女が示した戸のところに視線を遣る。
 あの日、光の中にいた彼だけの聖女が、今は大きな布包みを抱えて扉のところに立っていた。その微笑みをジグフェルドに向けて。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■     登場人物(この物語に登場した人物の一覧      ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【SN01_0586/ジグフェルド・サイレム/男/37歳/竜騎士】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■             ライター通信                ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 ぎりぎりですが、〆切は破らずにすみました……どうも、お待たせいたしました。
 ということで、黒金かるかんです。あっちこっち首が回ってないので、またしばらく休むべきだよなあと最近また思っているのですが、なかなかうまくいきません。今やっていることが色々終わったら、休養に入りたいところですが……さて、いつのことでしょうか(苦笑)。
 ちなみに白山羊亭のシステムは東京怪談やWTとかと似たようなスタイルになっておりまして、おや、予想していたのとちょっと違う? というところがあると思いますが、そういうことなのです。それでも、大筋は追えたのではないかと思うのですが……如何なものでしょう? いやまあ、もうちょっと書き込んだ方が喜ばれるかな、と思うところもありますけども(笑)。それはまたの機会に……