<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


麗しき少女に金色の薬を〜オッサン、それはほとんど犯罪だ〜


「これは、なんだと思うかね?」
 差し出されたガラスの小瓶を、ルディアはしばし、きょとんと見つめた。ついでその視線を、目の前の客へと移す。
 薄汚れた白衣を引っ掛けた、薄汚れた中年男である。薄汚れた丸メガネを持ち上げた中指には、薄汚れた銀の指輪が嵌っている。
「薄汚れたオッサン、ですよね」
 首を傾げて答えたルディアに、中年男は乾いた笑い声を漏らした。
「私のことじゃないよ、お嬢さん。この瓶のことだ」
「はぁ。薄汚れたガラス瓶ですね」
「……。いや、瓶自体のことでもなくて、中身のことなんだよね」
「えぇと、ハチミツ……みたいですね」
 とろりとした黄金色の液体は、中年男の顔を透かしている。その口元が、にやりと笑みの形に歪んだ。思わず後ずさりしたルディアに、しかし中年男は逆に詰め寄って来た。
「そうだろう、そう見えるだろうお嬢さん! だがこれは蜂蜜などではない。そんなものであるはずがない! この液体はな、この天才錬金術師グラッドストーンが、長年の努力の末に偶然手に入れた、伝説の秘薬なのだ!」
 偶然なら、長年の努力は関係ないんじゃ―――血走った目の中年男を前にして、ルディアもさすがに、そんな言葉は飲み込んだ。
「その名もッ!」
 グラッドストーンやらというらしい中年男は、鼻息荒く叫んだ。
「惚れ薬ッ!」
 まあ判りやすいこと―――その言葉も飲み込む。
 グラッドストーンは、ぐっとルディアに顔を近づけ、で―――と声のトーンを落とし、続けた。
「ここは、仕事の依頼を斡旋してるんだったな? そこで頼みたい。この薬を、とある女性に含ませて欲しいのだ」
「はぁ?」
 思いきり怪訝な顔をするルディアに構わず、グラッドストーンは更に熱っぽく続けた。
「この薬には、私の体毛から抽出したエキスを溶かしてある」
 わりと大きな声で話していたため、聞こえていたのだろう、白山羊亭のあちこちから、げぇっ―――とざわめきが起こった。しかし興奮するグラッドストーンには、それも耳に入っていないようである。
「つまり、この薬を飲んだ人間は、私に首ったけになるのだ。一人残らず」
「首ったけって、また古い―――いえ、その、判りました」
 その薬が、ものすごく恐ろしい代物だということは。その言葉もまた飲み込み、ルディアはひきつった笑顔で、尋ねた。
「それで、とある女性って、一体……?」
「よくぞ聞いてくれた。それはな、大富豪スカーレット家の令嬢、ウェンディ嬢16歳だ!」
 今度のざわめきには、悲鳴すら混じっていた。




 ―――なんか最ッ低なこと言ってるわね、あのオヤジ。

 奥の席で甘いシャンパンを舐めていたティエラ・マリーニは、ふわりと赤い髪を掻きあげ、店の看板娘に詰め寄っている薄汚い男を睨んだ。深いブルーの瞳が、怒りの色を帯びて光る。
 ―――惚れ薬がどうのって聞こえたけど、ばっかみたい。薬で始まる恋愛なんて、嘘だわ。
 そんなことを考えて、頬を膨らませる。知的で端正な顔立ちとは不釣合いな、少々子供っぽい仕草だが、ティエラには許せないものだったのだ。つまり、不純な恋愛というそれは。
 恋はロマンティックなもの、愛は情熱的なもの。ティエラは、そう信じて疑わない。
 その顔と豊満な身体に似合わぬ、夢見がちな性格の娘なのである。愛読書は、甘ったるい三文ロマンス小説。いつか白馬に乗った王子様が現れると信じて18年、山のように読んだ本のおかげで耳年増ではあるが、一度も恋人が出来たことはない。―――まあ、それはいいとして。
 そんなティエラが、惚れ薬がどうの体毛がどうのと喚いている中年男を、見逃せるはずがない。まして、その薬を16歳の少女に飲ませるなどという計画が聞こえれば、黙っていられるはずもない。スカーレット家のご令嬢とやらのことは知らないが、ティエラの信念にかけて、許せないのだ。
 グラスを置き、がたん、と椅子を蹴って立ち上がる。そのまま中年男のところへと向かい、声を掛けた。
「グランドストーンさん」
「グラッドストーンだ」
 素早く訂正しながら振り向いた中年男―――グラッドストーンは、ティエラを認めると、おや、というような顔になった。
「何か用かね、美しいお嬢さん」
 うう、何かいやらしい声、とティエラは生理的な嫌悪感を覚えたが、表面には出さず、にっこりと微笑んだ。
「ティエラ・マリーニといいますわ。お話、聞こえたので。私でよかったら、そのお仕事を任せていただけないかと思ったんです」
「―――君が?」
 グラッドストーンは薄汚れたメガネを中指で押し上げ、じろじろとティエラを眺めた。身をよじりたくなるのをこらえて、笑顔を維持する。
「私は、そのスカーレットのお嬢様と年も近いし。色々と、やりやすいと思いますよ」
 ―――なんてね。
 すらすらと言いながら、ティエラは内心で舌を出す。
 もちろんティエラには、この依頼を果たしてやるつもりなどは全くない。しかし自分が受けなければ、他の誰かが遂行してしまうかも知れないのだ。話を聞いておきながら、みすみすそんなことをさせてしまっては、ウェンディ嬢とやらに顔向けできない。いや、見ず知らずの相手ではあるのだが。
 ならば。ティエラは考えたのだ。
 ―――ならば、一度引き受けたフリをして、それからどうにかして失敗させてしまえばいいのだ。
 グラッドストーンはしばらく考えていたようだったが、やがて、ううん―――と唸った。
「確かに、君のような綺麗なお嬢さんなら、ウェンディ嬢も気を許すやも知れんな」
 しめた、とティエラは身を乗り出した。
「ええ、そうに決まってます! ね、任せていただけますか?」
 グラッドストーンはなお迷っていたようだったが、ティエラがちょっと上目遣いに可愛らしく微笑んで見せると、嬉しげな顔をして頷いた。
「よし、じゃあ、お嬢さんにお任せしようかな」
「わ、ありがとうございます!」
 はしゃいだように頭を下げながら、声に出さずに毒付く。この、スケベオヤジ。
 グラッドストーンは、さっそくあの小瓶を差し出して来た。はやる心を抑えて受け取り、ティエラは、それを灯かりにかざしてみた。とろりとした、美しい黄金色の液体は、先程ルディアが言っていたように、上等な蜂蜜のように見える。しかしこれは世にも恐ろしい薬品で、しかも薄汚い中年男の体毛エキスが溶け込んでいるのだ。―――床に叩き付けたいという衝動が強烈に沸いてきたが、なんとか抑え込む。本当はそうしてもいいのだが、しかし、それだけではつまらない。
「わあ、綺麗な色ですね。まだ予備なんかがあれば、ひとつ売っていただけません?」
 さりげなく探りを入れると、グラッドストーンは残念そうに首を振った。
「すまないけど、それだけなんだ。本当に、偶然の産物だから」
「―――なるほど、それはそれは」
 好都合だわ、と心の中で笑ったティエラとは裏腹に、グラッドストーンは神妙な顔をした。
「だから、くれぐれも大事に扱ってくれよ」
「もちろん」
 もう一度、にっこり笑って見せる。グラッドストーンは安心したように頷いた。
「うん。それで君は、ウェンディ嬢のことは知っているのかね?」
「いいえ、教えていただけますか?」
「ああ、肖像画もあるぞ。報酬の話なんかも兼ねて、詳しい打ち合わせをしたいな。どうしようか」
 そこで、ティエラは思い付いた。一度アイディアが浮かぶと、次々と計画が組み立っていく。それらをざっと頭の中でシミュレートして、決めた。
 ―――そう、これで行こう。
 小瓶を握り締めて、ティエラは答えた。
「今日は、もう遅いです。明日の夜、またここでどうですか?」
「ああ、そうしようか。じゃあ」
 あっさり手を挙げて、グラッドストーンは去って行った。その薄汚れた白衣の背中を見つめていたティエラは、美しい瞳を細め、ふふっと微笑んだ。
 ―――さて、明日が楽しみだわ。




 翌日、約束通りに再び白山羊亭に現れたグラッドストーンは、ティエラのついているテーブルを見ると、メガネの奥の目を丸くした。
「―――お嬢さんは、見かけによらず、よく食べるのかね?」
 驚いたようにそう言ったのも、無理はないだろう。
 テーブルの上に並んでいるのは、山のような料理の皿。そして酒。今回はティエラのひいきの、南国風のメニューを並べてみた。それぞれ、料理が真っ赤に染まるほどの香辛料が特徴である。とにかく辛いが、旨い。そして旨いが、とにかく辛い。
 ティエラは微笑んで、グラッドストーンに着席を促した。
「私一人が食べる訳じゃないですよ。食事しながらお話した方が、気楽だと思って」
 グラッドストーンは、そうかね、などと言いながら席についた。
「しかし辛そうだな、これは」
「だけど美味しいんですよ。それに、―――水もたっぷりありますから」
 酒の瓶の横に置いた水差しを示す。―――そう、たっぷりあるわ。あの薬を全部溶かし込んだ、恐ろしい水がね。
 グラッドストーンはためらっていたようだったが、ティエラがすすめると、仕方なくというようにフォークを伸ばした。
「―――む」
「美味しくないですか?」
 グラッドストーンは、少し驚いたようにメガネの奥の目を見張った。
「いや、これはなかなか」
「でしょう! さあ、どうぞどうぞ」
 普通のワインなどと比べれば、はるかに度数のきつい麦酒を手酌する。グラッドストーンはそれを流し込み、咳き込んだ。
「う、きついな、これは」
「けど美味しいんですよ。どうぞ、料理ももっと」
 にこにことすすめると、グラッドストーンはまたフォークを動かし始めた。ティエラはそれを眺めながら、水差しの中身をグラスに移した。
 食事が半ばほどまで進んだ頃合いを見計らい、ティアラはそのグラスを、グラッドストーンに差し出した。
「お酒だけじゃ、舌が麻痺しちゃいますよ」
「おお、ありがたい」
 グラッドストーンは疑う様子もなくそれを受け取り、一気に呷った。
 ―――やった!
 ティエラはテーブルの下で拳を握る。グラッドストーンは何も気付かなかったようで、それどころか、この水は甘くて旨いなどと言っている。そうか、甘いのか。しかしそんなことは、もうどうでもいい。
 ティエラはわくわくしながら、グラッドストーンの様子を観察した。しかし、特に変わったようなところは見受けられない。即効性ではないのか、それとも、自分自身には効果がないのか。それはそれで別に構わないが、しかし少々つまらないような気もする。
 だが、しばらく経った頃、変化は起きた。
 グラッドストーンは、ぴたりと食事の手を止め、ふらっと椅子から立ち上がった。
「あ、どこへ?」
 ティエラが尋ねると、グラッドストーンはのろのろと振り向いた。ぼうっとした、どこか寝惚けたような顔をしている。
「―――お嬢さん、鏡は持っているかね?」
「鏡?」
 少し考えて、ティエラは満面の笑みを浮かべた。―――これは、予想通りになるかも知れない。
「持ってます持ってます。どうぞっ」
 笑いを押し殺して、手鏡を差し出す。グラッドストーンは受け取るなり、まじまじと自分の薄汚い顔を見つめた。ティエラは緊張と期待を込めた眼差して、それを見守る。
 しばしの間を置いて、グラッドストーンは、ぽつりと漏らした。
「―――美しい」
 あまりに予想通りで、ティエラは、ヒャッホウとでも叫びたくなった。グラッドストーンは、夢見るような口調でぶつぶつと続けた。
「渋い。というか格好いい。何というか、萌え? うわぁ、ありえないありえない。ここまで美しいのはありえないよ。だってもう、ねぇ? 世界が100人の村だったら、村中のアイドルになっちゃうよ。いやあ、まいったなぁ。天才的な頭脳に、この美貌だよ? 恵まれすぎて、地獄に落とされるかも知れないなぁ。けど、悪魔だって、この美貌にはタジタジさ」
 なんだか変なキャラになっている。つくづく、ウェンディ嬢とやらが毒牙にかからなくてよかった。しかしこの男、よくもこんな怪しい薬を、想い人に含ませようと思い立ったものである。
 薬の有効期間は判らないが、他人に使おうとしたからには、それなりに長く続くのだろう。その間、ウェンディ嬢のことは忘れるはずだ。なにしろ、彼女よりも愛する相手が出来たのだから。
 ―――円満解決。私って、頭いい!
 自画自賛しつつ、ティエラはそっとテーブルを離れた。今のうちに店を出てしまおう。食事や酒の代金はグラッドストーンが払うと、ルディアに言付けるのを忘れない。
 ―――あとは知らないっと。でも幸せそうだし、感謝して欲しいわよね。
 そんなことを考えながら、ティエラは歌など口ずさみつつ、白山羊亭を離れた。
 愛らしく美しく、ドリーミング一直線なこの娘に、白馬の王子様が現れる日は―――いつか来るのか、来ないのか。


 グラッドストーンが、自分そっくりのホムンクルスを製造すべく励んでいるという噂を聞いたのは、また後日の話。
 スカーレット家の一人娘が、ひとまわりも年の離れた貧乏錬金術師に失恋したと、身分違いの恋の悲哀を謳われたのも―――また、後日の話。



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0594 / ティエラ・マリーニ / 女 / 18 / 魔術師】


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          ライター通信          
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まずは、ご参加いただきまして、ありがとうございました。
執筆させていただきました、ライターの醍醐と申します。

さて、『金色の〜』ティエラ・マリーニ嬢編。
プレイングとにらめっこした結果、白山羊亭から一歩も出ずに依頼解決です(笑)。
ロマンティストでドリーマーなティエラ嬢、随分きついような人物描写に
なってしまいましたが、本当はもうちょっと柔らかいお嬢さんなのでしょうか。

オチは、……そうなのですよ。そうだったのですよ。
グラッドストーンが余計なことを考えなければ、あるいは円満に行ったのやも
知れません。
しかしまあ、過ぎたこと。
ウェンディ嬢には可哀想なことですが、こうなったということは、もともと
縁がなかったのでしょう。
かくなる上は、素適な貴公子でも捕まえて、御家を栄えさせていただきたいものです。

それでは、ご感想などございましたら、お聞かせいただけると嬉しいです。
愛らしいティエラ嬢に、いつか、白馬に乗った王子様が現れますように。