<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


響和の願う聖譚詩(オラトリオ)

「それに関しては随分と苦労してたみたいだけど、サルバーレのヤツ。ああ、マリーヤさんも結構乗り気だったみたいだけど? それにしても前代未聞よ、聖誕祭の旧教と新教の合同ミサだなんて。少なくともエルザードでは初めてだもの……ねぇ、エド?」
「まぁ……確かに」
 ――すっかり、冬の気配がエルザードを包み始めたある夕方。
 白い息に赤いコートを似合わせた少女と、黒のコートにマフラー姿の青年とが、白山羊亭へとやって来ていた。
 二人は、夕食時を前にのんびりとしていたウェイトレスのルディアをひっつかまえ、紅茶を一杯ずつ注文すると、少女はどこか偉そうに、青年はどこか控えめにカウンターへと腰掛ける。
 そうして、暫く。
 店内には、少女のまくしたてる声音が響き渡っていた。
「でね、あたし、言ってやったのよ。サルバーレのヤツにさ、あんたにそんなコトできるわけ? って。冗談だけど。半分くらい本気だけど」
 赤いコートの亜麻色の髪の少女は、近くのとあるお屋敷のご令嬢・テオドーラであった。ホットリンデンティーにたっぷりと蜂蜜と砂糖とを加えたものを、大切に両手で包み込んで飲みながら、
「かなり規模としては大きくなりそうよね。ちなみに会場はエルザード・フィルのホールだって。ね、ルディアも来るの?」
「んー……とりわけてどっちを信じてる、とかいうワケでもないし、ね。まだ決めてはいないけれど」
「そっか。確かに普通は、そんなもんよね。どーせ信じてる神様なんて、元々一緒なわけだし」
 少々不信気味な発言と共に、にっこりと微笑んだ。それから少し、唐突に、呆れたように溜息を吐くと、
「もっと仲良くすれば良いのよ。同じ神様を信じてるのに、ついこの前まで対立してたなんて……」
「それなりにお互いに事情があるんですよ、テーア。歴史の難しい所と言いますか……まぁ、今では徐々に和解が始まっていますし。もう少ししたら、こういう機会も増えるんじゃないかな、」
「そうそう、あたしもその方が良いと思うけどね」
 ホットストレートレモンティーをちびりちびりと啜る黒コートの青年――テーアの執事にして恋人のエドモンドは、僕もそう思います、とこくりと一つ頷いた。
 ――話題になっているのは、どうやら今年の聖誕祭に開催される、旧教と新教の合同ミサについて、であるらしかった。
 旧教と、新教。同じ神を信仰する筈の宗教が分裂し、対立し始めてからは、もうかなりの時が経つ。時に二つの宗派はいがみ合い、果ては殺し合い、そのような歴史的事情も相俟って、今でもその対立は尾を引いていた。
 それに、少しでも手を差し伸べようと立ち上がったのが、話題に上っているサルバーレ旧教司祭と、マリーヤ新教牧師。二人はお互いの上司への掛け合いの元、今年ようやく、大都市エルザードでの合同ミサを実現しようとしているらしい。
「まぁ、ミサというより殆どパーティですね、って、サルバーレのヤツも笑ってたけど。良いんじゃない? 旧教は新教よりお堅いから、あたし達からしてみれば、ちょっと斬新なんだけど……ミサをやって、料理を食べて。音楽を聴いて、ま、ついでにプレゼント交換なんかも悪くなさそうよね」
 ちょっと世俗染みてるような気もするけど、これが二人の考えた一番の『和解方法』なのよ――と、テーアは一口、リンデンティーを口に含んだ。


I, Primo movimento

「――まーた随分と人を連れて来たんだね? 神父……全く、あんたの人徳ってヤツは……」
 神父の教会の、聖堂で。
 お茶を運んで来た褐色肌の少女――鍛えられた肢体に、白く美しい入墨を堂々と曝しているオンサ・パンテールは、半ば呆れるかのようにして呟いていた。この教会に居候してから数ヶ月、事が起こる度に神父がどこからとも無く人手を探し出してくる事には、慣れていたものの、
「ま、仮にもサルバーレ神父も神父だと言う事でしょうね。主任司祭にある程度の人徳が無いと、教会なんてやっていけませんからねぇ、」
 どうやら今日も、又変な人物を連れてきてくれたものだと、内心正直溜息をつかざるを得なかった。
 オンサの言葉に微笑んだのは、何とサルバーレの同業者――旧教の神父、ルーン・シードヴィルであった。緑色の髪に、金色の瞳。ハーフエルフでもある近くの教会の同業者は、サルバーレと同じくローマンカラーの僧衣を着こなし、にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべている。
 しかし言う事言う事に、どうにも棘があるように感じられるのは――多分、オンサの気の所為ではないのだろう。
「でも、オルガンの弾き手が捕まったのには本当に感謝です。本当に宜しくお願い致しますね、アイラスさん」
「ええ、こちらこそ」
 それでもサルバーレは、ルーンの言葉に何を言い返すでもなく――おそらく同職なだけあって、言い返すだけ無駄だと言う事を知っていただけなのであろうが――、近くに座っていた薄青色の髪の青年に声をかけた。
 アイラス・サーリアス。
 深い青い瞳を眼鏡のその奥で優しく微笑ませる、いかにも人の良さそうな軽戦士であった。しかしその職からは考えにくい事に、アイラスは音楽を嗜み、文学をも愛する。しかもその楽器の腕前と言えば、半分職業的にオルガニストをやっているサルバーレでも、驚いてしまう程なのだから。
 それ故に、アイラスは今回、ミサ祭儀でのオルガンを担当する事となっていた。エルザードフィルの公演を聴きたいが故に、しかし、ただで聴くのも気が引けるものだと、手伝いを申し出てくれたアイラスには、サルバーレ自身本気で感謝している。
 その他にも、
「料理もイルディライさんにお任せしておけば、問題はありませんしね」
 少しだけ離れた場所に、大きく座っていた青年――イルディライの方へと、視線を投げかける。茶の髪に、黒の瞳。一見そうは見えなくとも、イルディライは、サルバーレにしてみれば最高の料理人であった。
 ――と、そこへ、
「いやぁ……参った。追い返すのも一苦労だ」
「でもシェアラさん、きっちり丸め込んで、献金まで貰ってきてるんですよ……すっごく巧みな話術で……」
 玄関の方から、二つの影が姿を現した。
 小さな少女に名前を呼ばれていたのは、シェアラウィーセ・オーキッドであった。長い黒髪に、青い瞳の印象的な、穏かな感じの細身の女性は、丁度近くに立っていた牧師に、麻の袋を一つ渡すと、
「献金だそうですよ」
 ふわりと長椅子に腰掛ける。
 ――シェアラの職業は、織物師であった。しかも、とびきりの腕を持つ。
 この時期から聖誕祭にかけて、シェアラへの布の発注は断れど断れど飛び込んでくる。それも、大体は金に物を言わせた貴族からの注文ばかりが。
 気に入った注文しか受ける気の無いシェアラにとって、それは良い迷惑でしかない。今回偶々この話を聞き、ミサ準備を手伝おうと思った理由の一つには、その貴族達から雲隠れしようという事もあったのだ。
「でもこれで、神父さんも安心ね。後はテーアさんやエドさんに、セシールさんもいるし、お医者さんも手伝ってくれるだろうから、もう人手には困らないはずだもの」
 シェアラの横でにっこりと微笑んだのは、マリアローダ・メルストリープ――金色の長い髪に、青い瞳がとても愛らしい、小柄な一人の少女であった。
 さらり、と自然な動作で髪の毛をかき上げると、
「私もなんだか、楽しみになって来ました。ミサの他にも、色々と楽しい事がありそうね」
 胸の前で、手を結んだ。


II, Secondo movimento-d

「さぁ〜、どうよ! 今回ばかりはあたしの方も色々とやらせていただきましたからね……ミソとか、ショーユとか。色々調達してみたんだけど……」
「主に東の国の物ですよね。そんなに盛んに手に入るものでもありませんし、私の方も、結構珍しいなぁ……とか思ってみたりしていたのですが」
 色々考えるのにご自由にどうぞ♪ と、屋敷の台所にイルディライを案内するなり、テーアは大きく片手を伸ばし、その指先で空間の一角にあるテーブルを指して満面の笑みを浮かべて見せる。
 そこには、大小様々な調味料や材料が、ずらりと並べられていた。
「ほう、これは鮭か」
「ご名答で〜す♪ 大きいですよね〜……」
「冷凍保存なのが残念だな。一度生の鮭も調理してみたいものだ」
 鮭という魚の分布がここから遠い為、それはなかなか叶わない話であった。とはいえいつかは、
 ――やろうと、思わないわけでもないが。
「それから、お米も用意してみました。あと、卵と、ショウユと、コショウと、塩、それから、ベーコンに……ああ確かあれもちょっと珍しい東の国の料理っ!」
「ピーマンとグリンピースとニンジンも必要ですね」
「……エド!」
「――二人とも、どうした?」
「あたしはピーマンもグリンピースもニンジンも嫌いなの!」
「健康に宜しくありませんよ、そんな、好き嫌いなどと」
「黙ってれば良かったのに……!」
「……どういう事だ?」
 突然始まった二人の意味不明な会話に、イルディライはしばし首を捻り――
 しかし、テーアが何かを取り出しに、その場から踵を返した頃、その全てを悟ったかのようにぽん、と手を打った。
「炒飯か」
「――な、何でわかったんですかっ?!」
 東方料理の一つ、炒飯のレシピを取りに行こうとした所で、考えていた料理名をぴたりと当てられ、テーアは振り返り様に叫び声をあげていた。
「しかし炒飯をどうする」
 だがどうやらイルディライは、肝心な事に気がついてくれないらしい。
 ――どうしよう、言い出すのも、ちょぉっと気が引けるのよねぇ……。
 それでも、目の前にいるのは自分達も良く知る、最高の料理人であった。テーアもかつて、何度かイルディライの料理を食べた事があるが、どれもこれもが殆ど全て、
 もう、美味しくて……。
 ピーマンとグリンピースのふんだんに使われた野菜炒めだけはどうしても食べれなかった事は、激しく秘密にしておきたいのだが。
「……ほら、イルディライさん、もうあと少しで、太陽が南中する頃ですし、」
「ああ、そういえば昼だったな」
「――平たく言えば炒飯、食べたい、です、はい」
 結局言ってしまった。その味を思い出しているうちに、悪く言えば、知らず口が滑ってしまったのだ。
 あ〜……駄目、かしら……?
 呆れるエドを尻目に、テーアは半ば、上目遣いでイルディライを見上げる――が、いかにも相手にしてくれていない感がする。
「……テーア、でしたらお昼ごはんでしたら、僕がイルディライさんの分も含めて――」
「そういえば、そういう頃だな」
「「――はい?」」
 しばしの沈黙の後、言いかけたエドの言葉を、まるで全てを思い出したかのように頷いたイルディライが遮った。
 テーアとエドとは顔を見合わせ、思わず声を揃える。
「……えーっと、」
「昼ごはんか。待ってろ、すぐ作る」
 そのままイルディライは台所に立つと、てきりぱきりと道具を用意し、材料を用意し、米をとぎ火をつける。
「あ、私も手伝いますよ――、」
 その様子に、慌ててエドが卵をとき始める。
 ――テーアは黙って、その様子を見ている事しかできずにいた。


III, Terzo movimento-a

 本人は気がついていなかったのかも知れないが、イルディライとしては、きちんとそこの所も計算してやっていたのだ。
 すなわち、あえてグリンピースとピーマンとニンジンの量を増やし、なおかつテーアにそれを食べてもらう、という所を。
 ――計画は、完璧であった。
 最初は渋っていたテーアをエドが何とか説得し、炒飯を一口食べさせた所、テーアはそっぽを向きつつ文句を言いながらも、全てを平らげてしまったのだから。
 そうして、その日の午後。
 ミサの日付は、もうすぐ直前までに迫っていた。テーアの用意してくれた材料を中心に、今回は東方料理で主なメニューを組む事と決め。そうしてもう一つ大事なのは、台所の設備にあわせた料理を考える事であった。あまり無理をしたメニューを組めば、料理の需要と供給とが不釣合いになる。
 そのような理由から、エルザードフィルの会館、即ち、ミサ会場の台所の下見へと来ていたのだが――。
「……オンサか?」
「ん?」
 おおむね設備には満足し、この分だとデザートにも作れそうだと考えていたその矢先、
 イルディライは、大ホールの二階入り口前から、下の階をじっと見下ろしている少女を――オンサを、見つけた。
 彼女とは、さほど付き合いが深いわけでもないのだが、
「何か、あったのか?」
「いや、特に何も」
 あまりの雰囲気に、思わず話しかけてしまった。いつも明るいはずのその雰囲気に、どうにも活力が感じられない。
 問われて慌てて、オンサは笑顔を取り繕った。しかし同時に、それが遅かった事にも気が付いていた――どう誤魔化そうかと、言い訳を考える。
 本当に、大した事じゃあ――、
「特に、」
「そういえばオンサは、聖歌隊の指揮者を任されていたんだったな」
「ああ、確かに」
 頷くオンサに、
「……上手く、いかないのか」
 そこから安易に、想像が付いた。今この場所で彼女が落ち込む理由は、そのくらいしか考えられないではないか。
 イルディライは静かにオンサの隣に並ぶと、同じくして、柵の手すりに腕を突いた。
 何かを言って、慰めてやるつもりも義理も無い。
 無いはずなのだが――。
「……あんまり深く考えるな」
 無愛想に、ぽつり、と呟いた。はっとしたように顔を上げたオンサの方を振り返りもせずに、
「何でもすぐにできるようになっては、プロというものの存在は必要なくなる」
 あくまでもただの事実を告げているだけだ、と言うかの如くに付け加える。
 ――事実、そうだろう。
 料理にしろ歌にしろ、すぐにできるようになってしまうのであれば、プロというものは必要無い。だからこそ、その逆を言ってしまえば、
 素人が玄人の如くにできないからと言って、
 どうして気に病む必要があると言うのだろうか。
「サルバーレも、一日や二日でああなったわけではあるまい」
 普段は頼りない神父の音楽的な凄みは、イルディライも良くわかっている。しかしだからこそ、オンサにはそのようにできないからと言って、気に病む必要など欠片も無いのだ。
 言い方は悪いが、神父がオンサに期待しているのは、完璧な演奏などではあるまい。
 そうではなく、彼が彼女に期待しているのは――、
「……ほら、来たぞ」
 そうでは、なくて。
 しかしイルディライはそこまで考えると、呟きを残し、挨拶も無しにくるりと踵を返した。
 大ホールへの扉が開き、そこから神父と子ども達とかオンサの元へと駆けつける。
 尻目に、一瞥しながら、
 ――きっとそういう、所なんだろう。
 ポケットに、手を入れる。
 神父がオンサに求めたものは、決して技術などではなく、もっと違った良さ≠ネのだろうから。


IV, Quinto movimento-b

 そうこうしている間に、時間はあっという間に過ぎ去り。
 そうして、ミサの当日。
 ――なぜ私が、こんな所にいるんだ。
 寝かしつけてきた、パンが気になる。あくまでも中心は東方料理だが、慣れない物の中にも慣れた物を取り込む事の必要性を感じ、わざわざパンまで焼こうと思っていると言うのに。
 祭儀仕様に飾り立てられた、本来は、エルザードフィルの為にある大ホール。普段は楽団が並ぶであろう舞台には、大きくこの宗教の象徴とも言える十字架――尤も、今回は新教との体裁を整えるためか、そこに神の御子の姿は無かったが――を掲げ、その手前には、祭壇が置かれ。
 舞台横には、純白の衣装に身を包んだ聖歌隊。会場には、多くの人々。
 いよいよ本番が――ミサが、始まる。
 旧教、新教を問わず集められたいつもと違う兄弟達≠ノ――そこには決して、戸惑いが無いわけではないのだが。
 魔法によって拡張された入祭宣言に、ふっつりと。その場にいたほぼ全員が立ち上がり、舞台の方へと向き直っていた。
「……入祭?」
 聞きなれない単語に、椅子の上で足を組んだまま、イルディライが呟いた。本当は下で料理の準備をしている手筈だったのだが――勿論、祭儀に参加するつもりなど毛頭もなかったのだが、会館の台所を取り仕切るおばちゃんが随分と信仰深い人であった所為で、祭儀に出て来いと追い出されてしまったのだ。
「つまりは儀式が始まると言う事ですよ。司祭達が、今から入場して来ます」
 立ち上がり、参加者全員に配られた今日のミサについての解説がなされた薄い冊子を開きながら、ルーンが背後を振り返る。さすが専門家だな、と言うイルディライからの言葉に、
「どうです? 一緒に歌ってみませんか? 今日は典礼聖歌集が無くとも歌えるように、全部こっちの冊子に書いてありますし」
「生憎、楽譜も読めなくてな」
「旋律はすごく簡単ですよ――と、もう始まりますね」
 不意に奏でられたオルガンの前奏に、会話を切り上げ、ルーンは舞台の方へと向き直った。
 ……そうして、
♪ Puer natus est nobis, et filius datus est nobis: cujus imperium super humerum ejus: et vocabitur nomen ejus, magni consilii Angelus.〈私達の為に男の子が生まれ、御子が与えられた。その名は大いなる知恵の御使いと称えられるであろう〉 ♪
 紙も見ずに、歌い上げる。
 鳴り響くオルガンの音色に合わせ、入祭唱が奏でられる。会場の人々の声が天井に高く調和し、その中をやがて、サルバーレとマリーヤ達が、助祭や執事を従えて入場して来た。旧教で、降誕時の祭服は白。牧師の方も今回はそれにあわせたのか、神父と同じような祭服を身に纏っている。
♪ Cantate Domino canticum novum: quia milrabilia fecit.〈新しき歌を、神に歌え。主のその素晴らしき御業の故に〉 ♪
 今度は、しん、と黙りかえった会場席の方へ、舞台の聖歌隊から歌声が響き渡った。
 そうして何度か、会場と聖歌隊との歌のやり取りが続き――、
「「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.〈聖父と聖子と聖霊の御名によりて〉」」
『「Amen.」』
 祭壇の前の神父と牧師との言葉に、丁寧に胸元に十字を印して応えるルーンの姿を後ろから見つめながら、イルディライがぽつり、と呟く。
「暇だな……」
 目の前で続く、祭壇前の神父と牧師と、会場との答唱を聞き流しながら、ふと考えた。
 そういえばもうやはり、寝かして置いたパン生地が出来た頃ではないだろうか。
「……その頃だな」
 大袈裟な話、呼ばれているような気がするのだ。正確な時間などわからなかったが、もうそろそろその頃だと、静々と伝えてくる何か≠ェある。
「Fratres, agnoscamus peccata nostra, ut apti simus ad sacra mysteria celebranda.〈兄弟の皆さん、神聖な祭りを祝う前に私達の犯した罪を認めましょう〉」
「Confiter Deo omnipotenti……おや、イルディライさん?」
「料理に戻る。台所の管理人も、ここにいるだろうから見つかりはしないだろう――」
 マリーヤの言葉に、会衆と共に言葉を唱えていたルーンが、立ち上がったイルディライの姿に思わず振り返る。
 しかしイルディライは一言言い残すと、静かに扉の方へと向かって行った。
 ――颯爽と料理に、取り掛かるべく。


V, Settimo movimento-c

 会場の片隅の席に座り、エルザードフィルの演奏を遠くから見守っていた。豪勢に広げられた料理に手をつけながら、第四楽章の終わり、沸き起こった拍手と喝采に、思わず三人もフォークを置き、拍手の音を響かせて。
「いやぁ、良かったですねぇ、演奏」
「ああ、悪くはなかったな」
 ――そうして、その後。
 楽団の撤収も終わり、再び幕の閉められた舞台の方を一瞥しながら、クルミのたっぷり入ったチョコレートケーキを突付くルーンが、腕を組み、椅子の背もたれへと体重を任せているイルディライの方へと声をかけた。
 イルディライの方も料理を終え、後は最後のメインとも言えるデザートが出来上がるまでの時間を、どうにかして過ごすのみであった。
 ルーンやシェアラ、テーアやエドの手伝いもあり、見渡す限りのテーブルには、広く、様々な色合いの料理が並べられていた。いつもと漂う香りが違うのは、今回は東方の料理文化を中心に扱っているが故。コンソメスープに麻婆豆腐、海老の卵とじに煮しめから、鮭の鍋、ある程度名の知れた東方料理は大体網羅されていた。
 ――勿論、地元の料理もそれなりに用意されている。焼きたてのパンに、ビーフシチュー、パスタにサラダに、デザートも充実の品揃えであった。
 会衆の反応を見る限り、味にも話題性にも、どうやら申し分無い様であった。
 イルディライが、あえてこの場所に全く別の文化の料理を持ち込んで来たのには、珍しい材料があったから、という理由よりも、その話題性の強さを頼りにした部分が大きい。
 上手く行けば料理も、宗派同士の和解≠フ手助けになる事ができるのではないか――口にこそしなかったが、イルディライの中にはそんな考えが浮かんでいた。
 ある意味異質な物へと対する好奇心は、宗教に関わらず、誰もが持っているものであるはずだ。
 腰掛けたまま周囲を見渡し、しかしふと、人ごみの向こう側に過ぎった白い白衣は見なかった事にして、イルディライはテーブルへと視線を戻した。先ほどまではルーンの連れたペットがメーメーとうるさかったのだが、なぜだかはったりと静まり返っている。
 ――そういえばあの医者、今回は台所を立ち入り禁止にしておいて正解だったか。
 思い返すに、ゲテモノ作りの天才でもあるあの医者も、手伝いに来た事には来たのだが、包丁をつきつけ、半ば脅すようにして追い返してやった。マリーヤ牧師の手なれば借りたかったのだが、生憎彼女は儀式の後片付け等に奔走し、それど頃ではなかったらしい。
「……いや、しかし美味しい。良い料理人が来ているとは聞いていたが、まさかここまで美味しいとはな」
 不意に、穏かな声音に、しかし上機嫌さをほのめかし、プリンをつついていたシェアラが呟いた。先ほども、東の国の料理を中心に色々と楽しませてもらったが、この料理人の腕前には、万が一の間違いもありそうにはない。
「……褒めても何も出んぞ」
「事実ですから」
 プリンを一口、そっけなく付け加えられた言葉に、流石のイルディライも沈黙してしまう。
 照れている――のとはまた違うのかも知れないが、一方的に褒められる事には、やはり慣れないものがある。
「しかしシェアラ、シェアラの織物師としての腕前も、只者ではありませんでしょう」
 珍しくイルディライは自分から話題を振ると、目の前に敷かれているテーブルクロスへと視線をやった。
 話によれば、この布はシェアラの手による物なのだと言う。申し分の無い織り込み具合から感じられる、素材以上の高級感。
 いかにして、一つの素材を良いものへと作り変えてゆくか。そこには、職人としての共感すら感じられるような気すらしてしまって、
「――少なくとも、私だけ≠ナは、布を織る事は出来ませんから」
「と、言いますと、」
「どう糸を織ってゆけば良いのか、という判断は、私だけが下すものではない、という事です」
 紅茶を一口、シェアラがソーサーの上へとカップを置く。
 二人の視線が、ふっと交差する。
「……なるほど、な」
 その瞳から、イルディライはシェアラの意思を汲み取ったような気を感じていた。
 要するに、そういう事だ。
 要するに――、
「……話が、見えないのですが」
 完全に部外者となっていたルーンが、ついに会話の理解に音を上げる。手に取った珈琲の香りに瞳を細め、一口含むと、
「一体、」
 どういう事です?
 今の会話に、なるほど、などと納得できる部分などあっただろうか。
 疑問に思うルーンのその言葉に、シェアラは再び紅茶を一口すると、
「教会にも、良くあるためには良い司祭が必要なのでしょう。しかし同時に、教会が良くある為には、信徒の協力が必要だと――そういう、事です」
 作り手が、行い手が良くある事は、良いものをつくる為には必然的な事であった。しかしその為に、対象の良さ≠ノ気がつき、それを活かしていく事も、又大切な事であるのだから。
 イルディライにとっては材料の良さに、シェアラにとっては糸の良さに、いかにして気がつき、活かしていくべきか、という事を考える事は、最も大切な事の一つであった。
 職人としての。或いはそれも、職人としての腕の内の、一つとして数えられるのかも知れないが――、
「手元にあるものを、最大限に活かさなくては勿体無い」
 生かすも殺すも、職人次第だ。
 イルディライが、そっけなく付け加えると、
「でしたらイルディライさんでしたら、バロメッツは、どう料理なさいます?」
「――は?」
「あまり美味しそうでは――あるかも知れませんが、非常事態が起きた時にですね、それから調理方法を考えるのでは、遅いですからね。今の内から有効な調理方法でも、お伺いしておこうかと」
 ――そう言えば、随分と静かだと思ったら。
 ルーンの連れていたバロメッツは――シーピーは、今はルーンの膝の上で、随分と気楽な笑顔で眠ってしまっていた。いかにも心地の良さそうなふかふかな毛が、割れたメロンの間からひょっこりと覗いている。
 しかし、
「……食べるのか?」
「ええ、何かあった時には」
 イルディライの半ば呆然とした問いに、ルーンは変わらぬ笑顔でこっくりと頷いた。
「天災は忘れた頃に、と言うではありませんか。いつ何があるかわかりません。非常食は、持ち歩いて当然かと」
「……ペットじゃあ……なかったのか……?」
 きょとん、と続けたイルディライの言葉に、しかし首を横に振ったのは、ルーンではなくシェアラであった。
 一見人は良さそうに見えても、ルーンの性格には多少――どころで済めば良いのだが――の問題がある事に、まず間違いは無い。
 ……聞くだけ、無駄かと。
 イルディライの視線に、シェアラは無言の微笑で小さく答えていた。


VI, Nono movimento

 飾り付けを終え、丁寧に台車に乗せる。高く積み上げ、漂う白い霧の甘い香りに満足気に一つ頷いた。
 ――良し、
 冷ややかな冷気が、少しだけ心地良い。この真冬に何を! と怒られようとも、普通のケーキよりも大分気が利いているはずであった。
 聖誕祭には、ケーキが欠かせない。そこに宗教上の理由は無くとも、伝統的な意味合いは隠されている。
「――あの、」
「……マリーヤか」
 不意に台所へとひょっこり聞こえてきた声に、イルディライは振り返りもせずに呟いた。
「ええ、お久しぶりですのね、イルディライさん――今回も色々とご協力を頂いてしまって、いつも本当にすみませんわ」
「どうした? あまりらしくもない」
 ゆっくりと歩み来たマリーヤも、イルディライの隣でそれ≠見上げて微笑んだ。目の前に高く積み重なった、アイスのケーキの塔。
「らしくもないだなんて、相変わらず失礼な方ですのね」
「本当の事だからな」
 きっぱりと応えると、マリーヤは呆れたように息を吐いた。
 それからふん、と一つ牧師服の裾を払うと、
「ただ外があまりにも楽しそうでしたから。お料理の評判は、上々みたいですわね。さっきなんて、麻婆豆腐の伝達由来で私(わたくし)の教会の信徒とルーン神父の教会の信徒が、随分と熱い討論を交わしていらっしゃりましたわ」
「――そうか」
 どうやら少しでも、二つの教会の信徒の歩み寄りには貢献できたらしい。
 具体的な話を聞いて初めて、イルディライは小さく微笑みを浮かべた。
 未だにケーキを見上げるマリーヤの隣で、よし、と一つ頷くと、
「そろそろメインのデザートの時間だ。ここばかりは正統に、ケーキに――」
「と言ってもアイスケーキではありませんの。まぁ……良いですけどね」
「運ぶぞ。手伝え」
「はいはい」
 イルディライが台車を押すのに合わせ、先回りしたマリーヤが大きく台所の扉を開け放った。
 誰もいなくなった台所に、人々の話し声が流れ込む。
 やがてそれも、閉ざされた扉にふっつりと聞えなくなり――
 途端、歓声が響き渡った。
 大きなケーキと、料理人の登場を喜ぶ、会衆の喜びの声が。


Fine



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            I caratteri. 〜登場人物
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<PC>

★ シェアラウィーセ・オーキッド
整理番号:1514 性別:女 年齢:184歳 職業:織物師

★ ルーン・シードヴィル
整理番号:1364 性別:男 年齢:21歳 職業:神父

★ オンサ・パンテール
整理番号:0963 性別:女 年齢:16歳 職業:獣牙族の女戦士

★ イルディライ
整理番号:0811 性別:男 年齢:32歳 職業:料理人

★ アイラス・サーリアス
整理番号:1649 性別:男 年齢:19歳 職業:軽戦士

★ マリアローダ・メルストリープ
整理番号:0846 性別:女 年齢:10歳 職業:エキスパート


<NPC>

☆ サルバーレ・ヴァレンティーノ
性別:男 年齢:47歳 職業:エルフのヘタレ神父

☆ リパラーレ
性別:男 年齢:27歳 職業:似非医者

☆ テオドーラ
性別:女 年齢:13歳 職業:ご令嬢

☆ エドモンド
性別:男 年齢:15歳 職業:執事

☆ マリーヤ
性別:女 年齢:25歳 職業:女牧師

☆ セシール
性別:女 年齢:12歳 職業:フルート奏者



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          Dalla scrivente. 〜ライター通信
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 Felice Anno Nuovo――明けましておめでとうございます。今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。
 この度は依頼へのご参加、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。
 そうして今回は……白状しますが大遅刻しました……新年早々大変申しわけございません。割と余裕を持って見積もっていたつもりが、納品前日のミサ実体験(ついに行って来てしまいました)の影響で話の中の嘘っぱちが明らかとなり、その上ラテン語の引用の整理に予想外に時間を要してしまいまして……。
 このお話に関しましては、この場を借りて色々解説染みた事をさせていただこうと思っております。宜しければ、もう少々お付き合い下さいませ。
 まずはミサに関しましてのお話ですが、引用させていただいた言葉は、上にもありますとおり全てラテン語となります。実はあたし、旧教に関しましての知識はほんの少しだけある事にはあるのですが、新教の知識については殆ど無い、と言っても過言でないくらいにありません。とはいえ多分、新教はラテン語でミサを行ったりはしません……はずです。ちなみに日本の旧教教会でも、ラテン語のミサは年に都心で一度あるか無いか、くらいなのだそうです。教皇庁では毎日ラテン語でミサやロザリオをやっていますけれども……つまりは雰囲気的な効果を狙っておりますのみでして、現実とは一切リンクしておりません、という事なのでございます。どうかこの点はご了承頂きたく存じます。聖歌につきましても、一応降誕祭ミサのものから引っ張ってきてはおりますが、何分色々とあるようですから、激しく間違っている可能性は十分にございます。色々とボロがありそうで、大変申しわけございません。……ちなみに聖体拝領を省くとミサと言わなくなりそうなのは、秘密にしておいてやって下さいまし。
 音楽の方につきましては、丁度ウィーンフォルのニューイヤーコンサートなどを観る(TV越しですが/苦笑)時間にも恵まれまして、「わぁ、指揮者のお兄さん素適〜☆」などと色々(音楽以外にも)感激していたのですが、2004年度の指揮者のお兄さんは、それはもうたおやかに指揮棒を操るお方でございまして(いえ、個人的な見解なのですけれども)、ちょっと天の方に視線が向き気味なあの様ですとか、胸に手を当てて恍惚と指揮を執る様ですとか、なんかもう完璧に「すみません、降参です……」と言った感じでございまして、酷く心を奪われてしまいました。もうファンになりそうです(笑)。
 ともあれ。
 "Bravo !""Bravi !"はイタリア語――だったと思うのですが、前者は男性名詞の修飾語なので、要するに、指揮者を褒めている感じになります。「よっ、マエストロ☆」と言った感じでございますね。後者は男性名詞の複数なので、女性も含め、エルザードフィルの演奏そのものを褒めている感じになるかと……。ちなみに女性一人を褒める時は"Brava !"となります。
 ――ご覧いただけるとお分かりいただけるかも知れませんが、今回のお話は迷路のように入り組んでおります。今年から時間軸ごとに番号を振っていこうという試みを始めてみる事に致しまして、今回はこのようになっております。
Primo→Secondo(a〜d)→Terzo→Quarto→Quinto(a,b)→Sesto→Settimo(a〜c)→Ottavo→Nono
 プレリュード(序章)を合わせると、合計16の小話から成立している事となります。宜しければ、他の部分にも目を通してやって下さいまし。
 では、新年早々大変失礼致しました。何分不届きなライターではありますが、今年も宜しければ、お付き合い頂けますと幸いでございます。
 なお、今回は申し訳ございませんが、都合により個別のコメントの方を割愛させていただきます。ご了承くださいませ。

 何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
 乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。又どこかでお会いできます事を祈りつつ……。
 Grazie per la vostra lettura !


05 gennaio 2004
Lina Umizuki