<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


私をさらって!
「実は……・私をさらってほしいのです」
 エスメラルダに向かって、真剣な面持ちで少女が告げる。
「どういうことかしら?」
 自分を誘拐して欲しい、というのは、随分と奇妙な依頼だ。エスメラルダは形のいい眉を寄せ、首を傾げた。
「詳しい身分は明かせませんが、私はさる貴族の娘です。仮に……ミリアムと名乗っておきます。実は、私の父が、私の望まぬ縁談を進めてしまっているのです。私がいくらイヤだと申し上げても、父は聞き入れてくれません。家出をしようかと考えたのですが、私の行くところなど、父にはお見通しでしょう? ですから、私の家出につきあってくださる方を探しているのです。私のことをさらったことにして、道中の身の安全などを保障してくださったり、父の放った追っ手を返り討ちにしてくださる方を……」
 言いながら、ミリアムと名乗った少女はさめざめと泣いた。よほど縁談の相手とやらが気に入らないのだろう。
 エスメラルダはミリアムが憐れになって、そっと頭をなでてやった。

「……とまあね、こういうわけなのよ」
 たまたま黒山羊亭へやってきた薄青色の髪をひとつに束ね、メガネのレンズの奥で好奇心の強そうな濃青色の瞳をきらきらと輝かせている軽戦士の青年――アイラス・サーリアスに向かって、エスメラルダは簡単に事情を説明した。
 ミリアムはあの後、泣き疲れたのか、眠り込んでしまったので、奥の部屋で寝かせてある。
「なるほど……それはそれは」
 顎に手を当て、アイラスはふむふむと頷いた。
「でもミリアムさん……でしたでしょうか。ミリアムさんは、どうしてそこまで嫌がっていらっしゃるのでしょうか」
「さぁ……それはさすがに、あたしにもねぇ」
「そうですよね……ううーん。まずは、ご本人からお話をお伺いしてみないことには……。ミリアムさんは今、あちらでしたか? お話できるような状態なんでしょうか」
 アイラスが奥の部屋へと続くドアを指さす。
「そろそろ起きる頃だろうし、話は聞けるんじゃないかな。可愛い子だけど、悪い気、起こさないようにね?」
「そ、そんなことっ! あるわけありませんっっ!」
 冗談めかしてエスメラルダが言うと、アイラスは真っ赤になる。それがなんだか面白くて、エスメラルダはくすくすと笑った。
「じゃあ、ちょっと、失礼させていただきますね」
 照れ隠しなのか、ややうつむき加減になりながら、アイラスは早足にそちらへと近づいて、ドアを開けた。

 部屋はただ寝るためだけにあるような、ベッドがひとつ置いてあるだけの粗末で、人目を避けるためだろうか、カーテンはきっちりと閉められている。
 粗末なベッドの上では、この部屋や家具にはそぐわない、ひと目で上流階級の人間に違いないとわかる少女が眠っていた。
 その白い肌ややわらかな金の髪は、あきらかに農耕を知らない、日の光にさらされなくとも生きてゆける人間のそれだ。
「まだ、眠っていらっしゃるのでしょうか……」
 アイラスはミリアムを起こしてしまわないように、そっとつぶやいた。
「ぅん……」
 途端、ミリアムが小さくうめく。
 苦しげに眉を寄せながら、ゆっくりと、ミリアムが目を開ける。
「……あなたは……?」
 まだ意識がはっきりしないのか、目をしばたたかせながらミリアムがつぶやく。アイラスはそれに笑みを返してやりながら、小さくうなずいた。
「ご依頼をお受けさせていただきます、アイラス・サーリアスと申します。まずはお話をお聞かせいただけますか?」
「あ……はい。ええと、でも、どこから話せばよいものでしょうか」
「だいたいの事情はエスメラルダさんから聞いています。そうですね……その、お父上の決めた結婚相手の方とはお会いしたことがあるのですか?」
「いえ……。ただ、とても年上の方だとは聞いています。とても有力な方なのだそうで……」
「政略結婚、ということですか?」
「はい、……多分。あの家に生まれた以上、ある程度は仕方のないことだとあきらめもしますけれど……それでも」
 最後の方ははっきりとした言葉にはならない。ミリアムは顔を伏せて、涙ぐんでしまう。
「そうですか……。どなたか、想い人はいらっしゃるんですか?」
「いえ……そのような方は」
 ミリアムはうつむいたまま、ふるふると首を振る。
 アイラスはミリアムがあわれになって、ため息をついた。
 確かにこれならば、エスメラルダが思わず依頼を受けてしまった、というのも納得がいく。
「でも、私、……このまま黙って嫁ぐなんて、耐えられません」
「そうでしょうね……」
 事情を聞けば、それは確かに仕方のないことのように思える。だからといっていきなり家出というのはやりすぎではあるのだが、気持ちは決して、わからないわけではない。
「でも、もう一度話し合ってみてはいかがでしょうか? 僕も一緒に、説得してみますから。もしもどうしてもダメだったら、護衛くらいにはなります」
「本当に……本当に、いいんですか!?」
「……はい」
 涙ぐみながらも顔を輝かせるミリアムに、アイラスはそっとうなずいてやった。

 そうしてしばらくのち、アイラスはミリアムに連れられて彼女の住む屋敷へと来ていた。
 案内のものはしばらくお待ちください、と頭を下げて退室し、ミリアムは着替えてくると言って部屋を出てしまった。
 どうにも手持ちぶさたで居心地が悪く、アイラスは何度もソファに座りなおしながら辺りをきょろきょろと見回した。
 貴族の家――と聞いてはいたが、思ったより豪華ではない。屋敷の外見はさすがに立派ではあったが、調度品はそうでもないようだ。一見すると豪華に見えないでもないが、実は見せかけだけのものが多い。
 貧乏貴族は、政略結婚で成り上がるほかない、ということだろうか。
 アイラスは暗澹たる思いにとらわれて、ふぅ、と息を吐いた。
「お待たせいたしました」
 そのとき、ドアが開いて、簡素ではあるものの上品なドレスに身を包んだミリアムが入ってきた。そうして、ミリアムはアイラスの隣へかける。
「もうすぐ、父が来るそうです。よろしくお願いいたしますね」
 そっとアイラスの腕に手を添えてくるミリアムに、アイラスは力強くうなずき返した。
「アイラス・サーリアス殿……でしたかな?」
 重々しい声音で呼びかけながら、ミリアムとはあまり似ていない、髭をたくわえた壮年の男性が入ってくる。アイラスは思わず、居住まいを正した。
「は、はい」
「……娘から話は聞きました。ですがアイラス殿、本当に娘を幸せにする気はおありですかな?」
「え……?」
 アイラスはきょとんとして、目をしばたたかせた。
 幸せに、とは、いったいどういうことなのだろうか。どこかで情報の行き違いでもあったのかもしれない。
 説明してくれるように頼もうと、隣のミリアムに目をやると、
「アイラス様はきっと、私を幸せにしてくださいますわ!」
 とミリアムは笑顔で答える。
「み、ミリアムさん?」
 アイラスは目をぱちくりさせる。いったい、どういうことなんだろうか。
 そんな話、ひとことも聞いていない。むしろ、そんなこと、ひとことも言っていないのだ!
「ごめんなさい、アイラス様……。お父様を説得するよりは、あなたが私のことを奪い去ろうとしている、ということにした方が、きっと話は早いと思いますの」
 ミリアムがアイラスにだけ聞こえるようにささやく。
「い、いえ、違うんです……!」
 あわてて異を唱えようとしたアイラスに、ミリアムががばっと抱きつく。
「アイラス様、照れておしまいになっていらっしゃいますのね!? そんな、なにもお父様の前でまでそのように照れられなくとも……!」
 違う、という意味を込めてアイラスはぶんぶんと首を振ったが、それが聞き入れられることはなかった……。

 その後、誤解を解くまでに、アイラスが血を吐くような思いをしたのは――それはまた、別の話。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男性 / 19歳 / 軽戦士】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして! 発注、ありがとうございます。ライターの浅葉里樹と申します。
 ソーンの方、窓は開けていたのですが、ご依頼いただくのは初めてで、書いていてドキドキしてしまいました。
 でもアイラスさんが個人的にものすごく好みのタイプで、受注内容を確認しながらひとりで喜びにひたってみたりもして、書いている間は幸せなヒトトキでした。ありがとうございます。書いていて、本当に楽しかったです。
 もしもよろしかったら、ご意見・ご感想・リクエストなどお寄せいただけると喜びます。ありがとうございました!