<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
過去を見せる鏡
「黒山羊亭、というのはこちらでよろしいでしょうか?」
言いながら黒山羊亭に入ってきたのは、黒いローブを着た小柄な少女だった。腰まで届くつややかな長い髪と、つり気味の青い瞳が印象的な少女だ。
「わたくし、町外れで魔法使いをしております、レーテと申します。実は先日、魔法で『過去を見せる鏡』をつくったのですが……実験台になっていただける方を探しておりますの。もしよろしかったら、どなたか、実験台になってはいただけませんでしょうか?」
レーテはゆっくりと店の中を見回す。
「その鏡は、ただ過去を見せるだけのものではございません。ご自分のご意志で、過去を変えることもできます。もちろん、『もし過去を変えていたらどうなったか』を見せるだけで、現在が変わることはありえませんけれども……」
レーテは静かにつけくわえると、艶然と微笑んだ。
「過去を見せる鏡……ですか?」
いつものごとく黒山羊亭を訪れていたアイラス・サーリアスは、席を立ってレーテに声をかけた。
「はい、そうです。あなたの望む過去をお見せすることができますわ」
レーテはうなずく。
「それって、僕だけに見えるんでしょうか?」
「ええ、あなたにしか見えませんわ。ご安心ください」
「そうなんですね。僕でよかったら、協力しますよ」
「それはよかった……助かりますわ」
レーテは微笑むと、踵を返して歩き出す。ついてこい、ということらしい。アイラスは大人しくそのあとに従った。
「……あれ?」
先ほどまでレーテの部屋にいたはずなのに、気づけばアイラスは見おぼえのある道に立っていた。
そう、ここは、かつて自分がいた世界の――かつて、住んでいた辺りの道ばただった。
魔法研究施設に入社して、儀式装置の暴走によってソーンへ飛ばされてくる前、アイラスは音楽の道に進むか魔法研究施設に入社するかで迷ったことがあった。
結局は、入社する方に決めたのだったが、もしも音楽の道に進んでいたらどうなっていたのかを見たい、と鏡の前で願ったのだ。過去が見られるというから、てっきり鏡に映った過去を見るのだとばかり思っていたが、そうではないらしい。
自分はどこへ行くつもりだったのだろうか――とアイラスは辺りを見回した。
見慣れた懐かしい光景にため息が出そうになるけれど、ずっとこのままここに立っているわけにもいかない。
アイラスはふらりと一歩踏み出した。
どこに行こうとしていたのかアイラス自身に覚えはないが、どうやら、身体は覚えているらしい。
近くにある交響楽団の練習場所となっている建物の方へと足が向く。
どうやら、自分は、交響楽団に入団しているらしい。
手元を見ると、フルートのケースを持っている。ということは、フルート奏者なのだろうか。アイラスはケースをそっとなでた。
ここに立っていても仕方がないから、アイラスは歩き出す。
歩いて行くと、アイラスの目の前に男の子が飛び出してきたかと思うとそのまま転ぶ。
「大丈夫ですか?」
アイラスは立ち止まって声をかけた。子供は自分で立ち上がったものの、ぐしぐしと目元をこすり、今にも泣き出しそうな風情だ。
アイラスはひざまずき、ポケットをさぐった。出てきたハンカチで、子供の膝ににじんだ血をぬぐってやる。
「……大丈夫、だけど。ねえ、お兄ちゃんの持ってるそのケース、なに?」
「これですか? フルート、って知ってますか?」
アイラスは自分の膝の上にケースを載せると、開いて中を見せてやる。
ケースの中にはぴかぴかと銀色に光るフルートが入っている。子供はそれを目にすると、ぱっと顔を輝かせる。
「これ、吹けるの?」
「吹けますよ」
答えると、アイラスはケースの中から分解されたままのフルートを出して手早く組み立てる。
手に馴染む銀の感触に目を細めながら、吹き口にそっとくちびるを当てた。
勢いよく息を吹き込むと、澄んだ音色が響く。どうやら、音はあっているようだ。
アイラスはケースを閉じて脇に置くと、立ち上がった。
指先は自然に動く。
子供好きのしそうな歌を奏でてやると、子供は満面の笑みを浮かべた。
――こういう道もあったのか、とふと思う。
指先に馴染むフルートの感触は、今ではもうずいぶんと遠い。
後悔などしてはいないけれども、なんだか懐かしくて笑みがこぼれた。
――アイラスは目を覚ますと、まだ鈍っている頭を目覚めさせるかのようにゆるくかぶりを振った。
見ると、一緒にレーテの家までやってきた3人も、それぞれに伸びをしたりあくびをしたりしている。
「……お目覚めですか?」
レーテはトレイにティーカップを4つ、乗せていた。それを1つずつ配りながら、優しく微笑みかける。
「……レーテさん」
そんなレーテに、ルーセルミィが眉を寄せながら声をかける。
「こんなものを作ってなにがしたかったの? 現在も変えられない……ただ、過去を見るだけの鏡なんて。意味がないんじゃない?」
ルーセルミィの言葉に、レーテは一瞬、目を見開く。そしてそのあとで微笑みを浮かべて、ルーセルミィに視線をあわせた。
「たしかに意味はないかもしれませんね。でも、それが心のなぐさめになる場合もありますから」
「ええ……あの。私……過去を見ることができて、よかったです。あれがただの夢じゃなくて、本当のことだってわかったから……。レーテさん、ありがとうございます。私、この世界で彼のことを探してみます!」
リラの言葉に毒気を抜かれたのか、ルーセルミィが黙り込む。レーテは微笑みを浮かべてリラに近づくと、その頭をそっとなでた。
「よかった。あなたのような方の役に立てて、私も嬉しいわ」
「私も、なんだかよかったような気がします〜。ねえ?」
エルダーシャがほんわりとした様子でアイラスに話を振ってくる。
「ええ、そうですね」
アイラスは笑顔でうなずく。
別の道に進んだ自分の姿、というのはなかなかに興味深いものがあった。
「あの、鏡について色々聞いてもかまいませんか? 仕組みなんかに興味があるんです」
アイラスはカップに口をつけながら、レーテに向かって声をかけた。レーテはうなずく。
「それでは、みなさんもご一緒にいかがですか? ケーキも用意いたしますから」
「ケーキですか〜。いいですね〜」
エルダーシャがにこにこと言う。ひかえめながらも、リラもなんだか嬉しそうだ。
「ルーセルミィさんもいかがですか?」
レーテがルーセルミィに声をかける。
ルーセルミィは眉を寄せて考え込んだあとで顔を上げて、
「……別に、ケーキに釣られたわけじゃないからね!」
と宣言する。
けれどもその言葉とは裏腹に腹の虫がかわいらしく鳴いて、ルーセルミィは真っ赤になる。
アイラスはそれを聞かなかったふりをしながら、顔をそむけてこっそりと笑った。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1780 / エルダーシャ / 女 / 999 / 旅人】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男 / 19 / 軽戦士】
【1411 / ルーセルミィ / 男 / 12 / 神官戦士(兼 酒場の給仕)】
【1879 / リラ・サファト / 女 / 15 / 不明】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、7度目の発注ありがとうございます。今回、執筆を担当させていただきました、ライターの浅葉里樹です。
今回は過去を見せる鏡ということで、ほとんど個別のような形になりました。他のキャラとのからみは最後だけ――という感じでしょうか。
もしも音楽の道に進んでいたらどうなったか、ということだったのですが、いかがでしたでしょうか。アイラスさんだったらピアノかフルート……あとはバイオリンとかかな? と思っていたので、フルートを選んでみました。いかがでしたでしょうか。お楽しみいただけていれば、大変嬉しく思います。
もしよろしかったら、ご意見・ご感想・リクエストなどがございましたら、お寄せいただけますと喜びます。ありがとうございました。
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