<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【小さな依頼人】
「ねえ、ここはお嬢ちゃんが来れるような場所でも時間でもないんだけどね」
 夜は深まり、黒山羊亭も今が一番忙しいという時間帯。エスメラルダは小休止に入ったところで入り口でキョロキョロとしている少女に気づいた。年は7、8といった具合だが、その表情に子供特有の純粋さはなく、顔いっぱいに憂いを浮かべていた。
「それとも、ここに親がいるのかしら?」
 少女は首を振ると、綺麗な目に涙を浮かべた。
「お母さんが、帰ってこないの」
「お母さん?」
「近くの森に薬草を取りに行って……全然帰ってこないの。だから探して欲しいの」
「あそこの森か。……確か魔物の類は出ないはずだけど、相当やっかいな迷路だ」
 このベルファ通りが、夜に子供が出歩くには危険だとこの少女も知っているはず。それを押してまでここに助けを求めてきたのだ。放っておけば黒山羊亭の名折れ。エスメラルダは少女の頭を撫でて微笑んだ。
「安心しなさい、ここには強いお兄さんやお姉さんがたくさんいるし、すぐに見つけてあげられるから」
 エスメラルダは再び舞台に上がると、踊りながら客全員にメッセージを送った。
「……というわけよ。見つけてくれた人にはお酒一杯と私のキッスをサービスするわ!」

 少女の顔に、やや明るみが戻ってきたようだった。見るからに頼もしい大人たちが彼女の前に歩み寄ったからだ。
「お兄ちゃんたちが探してくれるの?」
「ああ、そうだよ」
 碧眼のアイラス・サーリアスは屈んで少女の両肩に手を置いた。
「僕たちがきっと探し出してあげる。心配しないでいい」
「このような所まで子供一人で来たのだ。その勇気に報いてやらなければな」
 長身の魔法剣士フィセル・クゥ・レイシズは感慨深そうに少女を見つめた。
「今すぐにでも行動を起こしましょう。朝まで待たせるわけにもいきませんし」
「うむ。じゃあまずは……薬草か、その在り処を教えてもらわなければならない。君はお母さんから聞いたことはあるかな?」
 フィセルが聞くと、少女はううん、と眉尻を下げた。
「よくは知らないの。でも、森の中に綺麗な泉があって、その周りに薬草が生えているんだって言ってた」
「泉か。誰か、その詳しい場所を知っている人はいますか」
 アイラスの問いかけに、客のひとりが手を振った。
「それなら水浴びに行ったことがあるから覚えているぞ。もちろん昼間だが。確か森の中心部だったはずだ。薬草があるとは知らなかったな」
「森の中心だな。泉は目立つだろうし、そこまでわかれば何とかなるだろう。あとは綿密に準備を」
「待って、とりあえずはこの子を家まで送ってあげましょう。必要なものはそこで貸してもらえばいいですから」
「そうだな。……あと母親は腹を空かせているだろうし、食料がいるな。マスター、これで適当に包んでもらえませんか。我々の分も含めて」
 釣りはいらないと銀貨を差し出されると、マスターは手際よく携帯食と清水を入れた水筒をこしらえてフィセルに手渡した。
「いい知らせを待ってるわよ!」
 エスメラルダが踊りのさなか声をかける。
「ええ、きっと。じゃあ、行こうか」
 アイラスが少女の手を引き、フィセルがそれに続く。三人は頑張れよと背中に声援を受けながら黒山羊亭を出た。

 少女の家はベルファ通りに程近い住宅街の一角にあった。父親は単身赴任で遠出しており、現在は母ひとり子ひとりで暮しているという。
 入った家の中はどことなく生活の温かみが薄れていた。父親どころか母親までいなくなっては無理もない。少女は寂しくてたまらなかったはずだ。
 それでも捜索者がいてくれるという安心感からか、少女は気丈に振舞った。
「お兄ちゃんたち、何が必要なの?」
「ランプがふたつ、メモ用のノート、筆記用具、それにロープだな。あれば持ってきてくれないか」
 フィセルが言うと、少女は頷いて別の部屋に駆け込んだ。引き出しや扉を開ける音が聞こえてきた。
「ロープですか」
「当然固まって行動するが、万が一ということもあるからな。それでお互いを繋ぎ止めれば完全になるだろう。君がよければだが」
「もちろんですよ」
「持って来たよ」
 少女は両手一杯にフィセルの言ったすべてを抱えて戻ってくると、ふたりのまえに丁寧に並べた。
「これで準備は万端だな。さあ、君はベッドの中に入っていなさい」
「え、でも……帰ってくるまで待ってる」
「偉いね。だけどもう夜遅い。お母さんが帰ってきた時にくたびれてしまっていては、存分に喜べないだろ?」
 と、アイラス。
「そっか。……じゃあ任せていいのね?」
 頷くふたり。少女はベッドに潜った。
「お休み。朝になったらお母さんが待ってるからね」
 アイラスが優しく言うと、少女はおとなしく目を閉じた。

「ここから入っていったと見て、間違いなさそうですね」
「ああ、ここが彼女の家から一番近い」
 アイラスとフィセルは森に着いた。住宅街からはわりと近く、黒々とした木々の中でポッカリと開いている入り口を見つけるのに時間はかからなかった。
「僕が先に行きましょう。暗いところでも目は利くんですよ」
「それは頼もしいな。では君は前方に、私は横に注意を払おう」
 ふたりはロープで互いの腰を繋ぐと、暗い森へと足を踏み入れた。
 ――三十分も歩くと、ふたりの心にジワジワと不安が進入してきた。
 歩くのが困難を極めるほどの植生はではなかった。邪魔な草やつるがあれば容易にフィセルが切り払った。それも傾斜がある山に比べれば大した作業ではない。
 だが、ふたりにとってこの森は未知の領域である。
 いくらアイラスの夜目が利こうと、フィセルがところどころの木の幹を剣で切りつけて目印としようと、それまでの道程を確かにメモにとろうと、未知であるということはそれだけで彼らを惑わせる。
「さて、どうするか……」
 フィセルがつぶやき、前を行くアイラスが振り返った。
「ランプを見て相手が気づいてくれることを期待したが……。何か別にこちらからアクションを起こそうか」
「僕も何回か声をかけましたけど、まるで反応がありませんでしたね。となると声の届かない場所にいるのか、それとも反応できないのか……後者の可能性が高いかな」
「いざとなったら竜眼を開放するか」
「竜眼?」
「第三の目だ。古代竜の姿になり五感や諸能力が倍増する。そのあとは体力が尽きてしまうが」
「じゃあそれは遠慮してください。助ける人がふたりになってしまっては嫌ですから。とりあえずは泉を目指しましょう。迷ったときは目立つ場所で助けを待つのがセオリーですから……そこにいると信じましょう」

 ひとまずの目的にたどり着いたと、アイラスとフィセルは安堵した。さらに三十分あまり歩くと、森が開けたのだ。そこにはシンと冴える月光を水面に映した泉があった。話に聞いたとおりの綺麗さだった。昼間ならば緑と太陽に囲まれた、また違った美しさに出会えることだろう。
「見とれている場合じゃないですね。では、このあたりを重点的に探しましょう」
「……いや、その必要はないようだぞアイラス君」
 フィセルが左方に視線を送っていた。その先には、草のベッドにぐったりと倒れている細い人影があった。
 少女の母親に違いない。ふたりは確信した。
「しっかりしてください!」
 アイラスが腰のロープを解き、彼女に駆け寄って頬を叩いた。
「う……ううん?」
 彼女は呻き、うっすらと目を開けた。
「聞こえますか? 娘さんに頼まれて、あなたを探しに来たんですよ! 薬草探しに行ったきり全然帰ってこないって!」
「娘……あ、え、あの子は?」
「家で待っています。今は眠っているでしょう。ゆっくりしゃべって、何があったのか」
 彼女に言うように落ち着いて語るフィセル。状況を詳しく聞かなければならない。
「え……数日前、ベルファ通りに行った時に……よく効く薬草の話を聞いたんです。それでここへ……」
 少女の母親は手ごろな草をむしった。何の変哲もなさそうだが、これが薬草らしい。
「どうしてすぐに戻ってこなかったんです」
 アイラスが聞くと、彼女は右手で頭を抱えた。
「すいません。採集に夢中になっているうちに頭がボーっとしてきてしまって……もう夜中じゃありませんか。一体どうしてしまったんでしょう」
 フィセルが注意深く薬草に鼻を近づけた。わずかだが甘い香りがした。
「これはどうやら、遅効性の催眠成分を発しているようだ。気づいた時にはあなたの体にそれがたまってしまったんでしょう」
「ああ、なんてバカなこと……欲張りすぎた罰だわ。こんなに遅くなって娘にも迷惑をかけて……早く帰らなきゃ」
「待った、少し休憩しましょう。体力を戻してからでも遅くない。空腹でしょう?」
 フィセルがさっと携帯食と水筒を取り出した。アイラスも気を抜いて腰を下ろす。
「ああ、この風景いいな。月と泉に囲まれての食事もオツですね、フィセルさん」
「なかなか風情がある。望外な収穫だ」
 こんな時にそんな愉快なことを言うなんて。本当にいい人に探しに来てもらったのだと、少女の母親はようやく心から安心できた。

「あの、何かお礼を」
 一時間後。アイラスとフィセルは母親を無事に家まで送り届けると、行こうとして呼び止められた。ふたりは首を振った。
「無用ですよ。それよりもお嬢さんのそばにいてあげてください。部屋の明かりもついていますし、やっぱり気になって眠れなかったんでしょう」
「我々にかまわず、一刻も早くあの子の不安を取り除いてあげるべきです」
 アイラスもフィセルも、当然のことをしたまでという顔だった。
「しかし……」
「今後はああいう場所へ行く際は、僕たちのような冒険に慣れた者を伴ってくださいね」
「あと装備も十分に。特に食料は大事ですよ」
「さ、早く元気な顔を見せてあげてください」
 あくまで自分へのアドバイスと娘への気遣いに終始する冒険者たち。そんな彼らをこれ以上引き止めるのはそれこそ無礼だろう。母親はそう理解した。
「……本当にありがとうございます。いつか、あなたたちに同伴のご依頼をしますわ。その時は今日の分もあわせて、お礼をさせてくださいね」
 了解した、と頷いて、ふたりは背中を向けた。
 恩人たちが見えなくなるまで、母親は手を振り続けた。そして、愛する娘の待つ場所へと戻っていった。間もなく、お母さんお母さんと、幼子の泣き声が聞こえた。

■エピローグ■

 無事の報告のために黒山羊亭に戻る頃には、日付はとうに変わっていた。客はもう誰もいないが、エスメラルダはひとりカウンターに座って待っていた。
「お疲れ様」
 約束のサービスとして、ふたつのグラスにワインを並々と注いだ。
「乾杯!」
 アイラスとフィリスは互いのグラスを鳴らした。そしてエスメラルダは色っぽい眼をして唇を尖らす。
「わ、別にいいですから。それが目的だったんじゃないし」
「いいから、ありがたく受け取っておきなさい」
 約束のもうひとつ、ふたりの頬に口付けをするエスメラルダ。アイラスは複雑な表情をし、フィリスは眉ひとつ動かさなかった。
「ま、まあ、誰かのために動くっていうのは気持ちいいですね」
「その誰かが、か弱い子供となれば……自然と力も入るというものだ」
 ふたりは笑みを交し合い、ワインを一気に飲み干した。
「ともあれ、これで黒山羊亭は子供にも優しいって宣伝できるわね!」
「あ、頑張ったのは僕たちなのになぁ」
「そういうことなら、ワイン一杯では足りない。お替りを注いでくれませんか」
「キスはいらないの? 残念ね」
 黒山羊亭に笑い声が響いた。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/軽戦士】
【1378/フィセル・クゥ・レイシズ/男性/22歳/魔法剣士】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。お楽しみいただけましたか?
少女の母親がどうして戻ってこれなかったのか? これは
書きながら考えていました。まあ不自然がないようになった
と思います。

 アイラスさん、2回目のご依頼ありがとうございました。
 フィセルさん、初めてのご依頼ありがとうございました。
 
 お二方とも、またの機会にお会いできることを祈っています。
 
 from silflu